(株)よつめやくのいち

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第二章:彼女達の事情

一話:ベビードール(中)

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 白天国の国主が住まう都へ続く大街道の一つが通る沖見郷。この郷は、昔から国主一族の別荘があり、様々な品物が往来すると共に人が出入りした。そのため、大きな都からは離れ、周りは農村ばかりだが、郷自体は都に近い栄えぶりだ。
 そんな沖見郷で、五代続く古着屋、丹張屋の若旦那であるコウイチは、通りの向こうへ首を伸ばしては目を凝らす。郷内をゆっくりとお披露目して回っている新妻の到着を、今か、今か、と待っているのだ。
「ちょいと落ち着きなさいな、まったく。これから夫になろうって男がそわそわしてたらユキエちゃんだって困るだろうに」
 濃紺の紋付羽織姿でビシリとした格好であるのに、そわそわと落ち着きなく家の門柱を出入りするコウイチに、母のカオルはため息を吐いた。
 目元のあたりに親子を感じさせる二人だが、性格は驚く程似ていない。と、本人達は思っている。
「だって母さん…そうは言いますが、ちょっと遅くないですか? そろそろ着いたって良い頃でしょう?」
 予定では昼餉をとりつつお迎えを行うはずだ。もう直ぐ昼の鐘が鳴る頃なのに、まだ着かないなんて遅過ぎる。コウイチはそう考えているのだ。
 一方カオルは、近頃すっかり貫禄の増した尻を円座に乗せて、どっしりと落ち着き払っている。
「早いのは困りもんだけど。遅いにはいくら遅くても良いさね。顔見せしてる先々でユキエちゃんが気に入られて引き止められてるって事だからねぇ」
 都ばりに栄えていても、郷は郷。規模が広大なわけではないのだ。コミュニティ全体でユキエを歓迎するため、お披露目は欠かせない。そして、カオルが言う通り、到着が遅くなるのはユキエを受け入れる郷の人達が引き止めているということだから、良い事なのである。カオルの考えでは夕方まで到着が遅れたって良いくらいだ。
「いくら遅くても良いなんて、そんな、困りますよ。早く来てくれなくちゃあ」
 だがコウイチは眉を八の字になるほど下げた情けない表情で、もう何度目かも解らぬ溜息を吐く。
「あ、来た!」
「はぁ、やれやれ」
 コウイチが叫んで門前から駆け出すのを見て、カオルも溜息を吐いた。
(まったく惚れてんのは解るけどもうちょっとどっしり構えておけないもんかね。六代目がこれじゃあ丹張屋が心配だよ。その点ユキエちゃんは良い娘さんだよねぇ。器量よしの愛想よしで、それでいて見目に溺れたところがなくって働き者だ。でも、緊張しいみたいだったし何か粗相でもしたかねぇ…きっと夕方くらいまで郷を回ってると思ったんだけど)
 到着が早過ぎると首を捻っていると、パリッと糊をきかせた羽織が哀れなほど肩を落としたコウイチが帰って来る。彼と一緒に門柱を越えて来たのは、走ってきたためだろう足下を汚した少年だ。
 そんな二人の姿を見て、カオルは声を張り上げて奥から人を呼ぶ。少年のために足湯を用意させるのだ。
「丹張屋さん。この度は晴れのこの日をお迎えされました事、心よりおよろこび申し上げます」
 隣の息子よりよほどしっかりして見える少年の挨拶に、カオルは笑顔で応対する。思った通り、少年はユキエが引き止められて到着が遅くなるので待っている丹張屋に、昼餉を始めてください、と言いに来たのだった。
 やっぱりユキエは見込んだ通りの娘だったと喜ぶカオルの横でコウイチは背中まで丸めている。到着が遅くなる新妻の膳を代わりにもらうため、一緒に室内に上がった少年は、その対照的な母子の姿に首を傾げた。お嫁さんの到着は遅くなればなるほど喜ばしい事だと少年は聞いていたので、コウイチの反応がよく解らないのだ。
 不思議そうな少年の視線に微苦笑で答えて、コウイチはとぼとぼと膳を用意した広間へ向かう。少年の話では、まだ郷内の半分も進んでいなかった。ユキエの到着はいったい何時になるのだろう。考え悩みつつ、あまり箸の進まない昼餉を、半分ほど残した。もりもりと平らげる隣の少年に、良かったらと膳を譲ったので、最終的に残りはしなかったが。
 小さな紙包に小銭を入れて、お福分け、と言って少年に渡したカオルは、隣ですっかりしょぼくれた息子を見やる。本当は当事者のアンタが福を分けなきゃいけないのよ、と肘でつつくが。
「ユキエさんがまだ来ないのに、福も幸もありませんよ」
 と、へなへなと崩れ落ちた。
 当分来ないと解った今、玄関で待つ理由もないため、カオルはコウイチをその場に残してさっさと奥へ引っ込んだ。
 残されたコウイチは、ぼうっと陽が昇り切り、沈む方に動き始めた空を見上げた。
 一方その頃、農村の結婚しか知らないユキエも戸惑いの渦中に居る。
 昼には丹張屋に着く予定と聞かされていたのに、もう昼の鐘は鳴り終わった。
(郷ってこういうもんなんかねぇ…)
 門柱前や玄関先で、これから郷の一員に加わる事となりますのでどうぞよろしくお願いいたします、と挨拶をする。それだけと聞かされていたのだが、何故かお茶を、と誘われるのだ。しかも行く家々全てで。付添人に急がなくて良いのですか、と訊いても、せっかくのお誘いはお受けしなくては、と言われてしまう。それはそうだ、とも思うので、ありがたく持て成しを受ける、という一連が出来上がり、まだ半分も挨拶を出来ていないのに昼は過ぎていった。
 ユキエがようよう丹張屋の門柱を超えたのは、陽がすっかり沈み、幼子は眠りに就いた頃となる。
 ちなみに、この時コウイチは、迎えに行こうと言い出したため納戸に押し込められていた。
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