悪役令嬢はモブ落ちしたくない!

ともき

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接敵!

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「ああ……疲れたあ……」
淑女らしくないがくったりとドレスを脱いだネグリジェ姿でカウチにもたれかかる。
ようやく自宅に戻ってこれたという安心感で、体も伸ばしてしまう。
柔らかな革張りは、わずかに冷たさを私に伝えてくれてほっと息をつくことができた。
「アデイル様は舞踏会がお好きでいらっしゃいますのに、体力だけはつきませんね」
私の脱いだドレスのしわを伸ばしながら、メイドが声をかける。やはりそこに顔はない。
私はそれから目を背けるようにごろりとカウチの上で転がった。

「踊るのが好きなわけじゃないのよう…」

ぺたぺたと顔を触る。私には鼻がある、目がある、唇がある。それを確認していないと安心していられない。
乙女ゲームのシナリオが始まっていない「舞台裏」だとしても、それで無事ですむと思えるのは楽観的すぎる。
けれど、この世界には鏡というものがないのだ。正確には上等な鏡が存在しない。屈折率99.9パーセントなんて硝子がしっかり生み出されるのは技術的に後の話だ。
かのヴェルサイユ宮殿の鏡の間は、その美しさよりも「それだけ高価な鏡をふんだんに使うことができる」という財力を示すためのものだったという。
我が家はさして裕福とは言えない侯爵家だ。王家の間にある鏡を使って顔を確認するか、もっと簡単に、誰かの目に映る自分を見るのが一番手っ取り早かったのだ。
そのためにはソシアルダンスは役に立った。ぴったりと体を寄り添わせて踊るそれは、かならずパートナーの瞳を見ることが発生する。
それを幼い頃、と言っても中身はアラサー近いOLなのだが、に気が付いたときから私は必ず舞踏会には出席するようになっていた。

家のものは社交に出るのが好きな積極的な娘だと考えてそれを割と応援してくれているのがありがたい。
父は良くも悪くも権力におもねりがちで、私のことをまあほどほどに愛してはいるものの結局は政治の道具として使おうとしている。
母は無邪気に私を愛してくれていて、ドレスなどをリメイクしてはいくつもの舞踏会に送り出してくれている。
これがまた悲しいことに、その性格のせいか、父には顔があるが、母には顔がない。
おそらくは父は王家を裏切り、ストーリーの悪役として見事に活躍してしまうに違いなかった。
不吉な占いにもほどがあるが、40も過ぎてしまった父親がメインのラブストーリーに関わるはずがない。

ここでも自分の運命が多少は作用してしまうのかとため息をついた。
そのため息を聞きとがめてメイドがこちらを振り向いた。
「まあ、ため息なんておつきになって。この国で一番幸運なお嬢様と誉れ高いのですよ」
「……いまはね」
ううー、と声を上げて転がり続ける。そう、現時点、14歳での私は「この国の王子との婚約を結んだ幸運な令嬢」なのだ。
「イアン殿下も、お嬢様のその菫色の瞳に憧れたとおっしゃっていたではありませんか」
「あれは……」

そう、ダンスをすれば自分の顔があるかどうかを確認できると思ったけれど、そもそも踊る相手にも顔がなかった時の衝撃を考えてほしい。
それで作戦失敗を悟ったときに、美しい顔を全開にして、碧い瞳に自分の顔を映してくれたあの王子に出会ってしまったのだ。
のっぺらぼうに囲まれ続けた私の笑顔が最大出力になってしまったことは許してほしい。
その瞬間、王子ははっと目を眇めて、私の手を取ったのだ。
あれはまさしく王子様らしい行動だった。
素晴らしい、ビバ王子様。
私のそんなテンションが伝わってしまったのか、踊り終わったときには王子からは蕩けるようなほほえみと共に
「また私と同じ時間を過ごしていただけますか」
とお言葉を賜ったのだ。
乙女ゲームのシナリオを思い出し、自分が消えるルートに一歩踏み出したことを知りながらも、自分を映してくれる「鏡」を手に入れたことへの喜びは底知れなかった。

「あれは……、あの時気持ちが沸き上がってしまって……」
もにゃもにゃとごまかすと、メイドがほほえましそうに息を吐く音が聞こえた。
どうしたって事情なんて話せないのだから、いいように勘違いしてくれたらいい。
そう思ったときだった。

「嬉しいことを言ってくれますね、アデイル嬢」
「ひっ!?」

突然部屋のドアが開いた。
ここはもう自宅で、私の私室だ。それなのに、なぜ。
柔らかな金髪は私のものよりもずっと艶やかで、海とも空ともつかない青色が私を映している。
にこりと微笑んだ姿は完璧な王子様で、ここだけはあの乙女ゲームよくやったとしか言いようがないほどの完璧な美貌だ。
それが、今、私のネグリジェ姿を……。

「おやそんな姿で、……失礼したね」
「こ、ここは、プライベートルームですわ、イアンさま!」

ばばばっと必死に布をかき集めて自分の体を覆う。
あら、と部屋の主人であるはずの私よりのんびりした声を上げたメイドは気を利かせたのか部屋からいなくなってしまった。
イアンは失礼したといいながらも、ドアから体を滑り込ませてこちらに入ってきてしまう。
私は余計に体を固くして、布とクッションの間に埋もれた。

「あなたの父上にこちらにいらっしゃると聞いたもので」
「お父様!?」
また私を都合よく利用しようとしていませんか!?と心の中で叫びながら、私は何とか笑みを作る。
「こんな姿では、イアン様のお相手は務まりませんわ。少し着替えを……」
「私はその姿でも全く構わないけどね」
「イアン様……」
思わずじっとりした目で見てしまう。
4つほど年上の王子様が14の私にそんなに好意を見せること自体がどうなんだと思わなくもない。
しかし私の視線をどんなふうに捕らえたのか、さらにイアンは私に近づいてくる。
勘弁してくれ、と内心で声を上げた。

乙女ゲームのシナリオがスタートするのは16歳の春からだ。
貴族院、何かたいそうな名前がついていたが忘れてしまった、の中での二年間で主人公であるヒロイン(名前自由)が様々な貴公子たちと恋をする、という内容のはずだ。
だから現状どのような行動をすればよいのかはわからない。
じりじりと距離を詰めてくるイアンの鉄壁のほほえみを、さらなる笑顔で返しながら私はクッションを前に構えた。
「ああ、その目が好きなんだ」
「わたくしの目…?」
「そうだ菫色で、まるで僕しか映していないような瞳」
そりゃ、実際ほとんどあなたしか映ってませんからね!と言えてしまえばどんなに楽か。
ただ、私の周りがすべてのっぺらぼうに見えるという状態を知らなければ「あなたしか見えない」などは完全な告白だ。
淑女がするべき発言ではないし、何より熱烈すぎる。
とりあえずこの何年間で培われたお嬢様力によって、「まあ…」という返事だけが口をつく。
それを肯定ととったのか、イアンは私の髪を指で掬い上げてキスを落とした。
「ダンスの時にはあんなに熱烈に見つめてくれるのに、今は何でそんなに顔を背けるの?」
ひええええ、と叫びだしそうだが、必死にこらえる。
髪に伝った感触で背中にざわめきが走る。
はあ、とかまあ、とだけ答えるのが淑女らしいがこれにそんな答えばかりを返していれば、もう何が起こるかわからない。
疲れた成人女性向きなせいでやたら多かったキスシーンを思い出して、私は勇気を振り絞りクッションから顔をのぞかせた。

「わたくしはそんなにふしだらではありませんわ。……あなたを見つめるのはダンスの時だけだと決めております…の…」
顔がいい。
こちらを見つめてくる青色は、全てを飲み込むように穏やかな光をたたえていて、継承順位を表す肩章の赤色が髪の金色に映えて輝いている。
きっちり言葉で言い募る予定だったのに、あまりの造形美に言葉を飲み込んでしまった。
頬が熱い。
そんな私の姿をどのように映したのか、イアンはまた花のほころびのような笑みを浮かべる。
「残念だけど、じゃあそういうことにしておこうか。…舞踏会で目を合わせてもくれなくなっちゃ困るからね」
最後に私の頭をひと撫でして、イアンは立ち去っていく。
足音が遠ざかり、プライベートルームの扉が閉まった瞬間に、音をたてないように鍵をかけた。
「心臓、止まるかと思った……」
そんだけ甘い言葉を吐きながら、君はあと2年したら真実の恋に落ちるんだよ、と言ってやりたい。
未だに鳴りやまない心臓を押さえながら、私はもう一度冷たいソファの感触に身を任せた。
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