泣き虫少女と無神経少年

柳 晴日

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第2章

闇夜の紳士

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「あの本の虫か。あいつは麻雀に誘っても来んから好かん。お主と同じようにいーっつもすかしおって。……うん。うまいうまい!アミナ、お主は良い嫁になれるぞい!」

 ジャクソンが頬にリゾットの粒を付けてアミナを褒める。アミナの横に座るリーフはジャクソンの悪態などさらっと流して料理をゆっくり口に運んでいた。アミナはジャクソンの大きな声にどきまぎしながら「あ、ありがとうございます....」と礼を言った。夕飯を作り終えた頃、いきなり図書館を訪問したジャクソンはしれっとダイニングテーブルに混ざり夕食を共にしていた。

「トマトの酸味が効いててうまいよ」

 今日は友人の経営しているというカフェバーが休みというのもあって、ルカも夕食を共にしていた。  
 ルカの分はあらかじめ聞いていたので用意することができたが、問題はジャクソンの分である。幸運にもシオンがいつもお代わりをするので多めに作っていたからジャクソンの分も用意することができたが、シオンは今夜のお代わりが減って不満そうにジャクソンの皿を睨んでいた。

「よかった」

 アミナがルカに微笑むと、すっかり食べ終わったジャクソンが皿にスプーンを置いた。

「おい、コーヒー」
 
 ジャクソンがアミナを見て言うのでアミナは「は、はい」と食べかけのリゾットを置いて席を立とうとした。それにむっとしたシオンが口を挟む前にリーフが「アミナは冷めないうちに食べなさい。ジャクソン、お主も皆が食べ終わるまで待てるじゃろう。そのせっかちは子供の頃から変わらんのう」と片眉を上げた。
 ジャクソンは頬を赤くして「う、うるさいわい
!ガキの頃の話を持ち込むんでないわ!」とリーフに唾を飛ばした。それにジャクソン以外の全員がさっと自分の分の皿を持ち上げ回避させた。すっと皿をテーブルに戻し、アイリスがリーフに話しかける。

「リーフさんとジャクソンさんはたしか幼馴染みなんですよね?」

 リーフが頷き、目尻に皺を寄せて笑った。

「ああ。今でこそ司祭などと肩書きをもらって一見それらしくしておるが、この者は幼い頃から近所でも有名な悪童でのう。親代わりだった当時の司祭殿をよく困らせておったわい」

 ジャクソンがリーフの言葉に聞き捨てならないと噛みつく。

「なにおう!お主は初めて会った頃から嫌みな奴じゃった!王族専属の医者の生まれだったくせになぜかよく城下町に現れては儂の取り巻きに慕われおって!町で一番可愛かったあの子にも好かれて.....気に食わん奴だったわい!」
「ほっほっほっ」

 わなわなと震えるジャクソンにリーフが楽しそうに笑う。ジャクソンと一緒にいる時のリーフの瞳は若々しさを取り戻し、青年の面影が顔を出す。アミナはそんなリーフの様子を嬉しそうに見つめていた。彼女は親の代わりに自分を育ててくれた大好きなリーフの笑顔がなによりも好きなのだ。

 食事も終わり、アミナが食後のお茶の準備を始めるのを見てルカとシオンがキッチンに顔を覗かせた。ルカがにっかりと笑って「手伝うよ」と申し出てくれた。シオンは「俺はアイスココアがええ!焼いたマシュマロ付きやで!」とリクエストを伝えにきただけのようだった。

「はいはい」

 ジャクソンにおかわりの一皿分を譲ったからまだ満足していないのかもしれない。そう思ったアミナはシオンに笑って言うと昨日の夜焼いておいたクッキーを缶から取り出して木皿に盛った。シオンはすかさずクッキーを手に取るとぼりぼりと音をたてて口に詰め込んでいった。ルカがその様子に呆れたように「こら」と腰に手を当てる。

「お前なぁ。犬じゃないんだからもっと味わって食えよ。せっかくアミナが作ったんだから」
「むぐ!げほっ」
「ほら急ぐから」

 ルカは「ばーか」と言いながら、素早くシオンに水を手渡した。それを一息に飲み干し、口許をぐいっと拭うとシオンはルカに口を開く。

「腹減っとるんや俺は!あのいんちき司祭のせいで俺の飯が減ったせいや!」
「誰がいんちきじゃ!礼儀も知らんのかこの餓鬼め!」

 ジャクソンが物凄い剣幕で怒るのをアイリスが微笑みを浮かべて宥めた。

「ジャクソンさん、失礼しました。後できっっっちり躾ますから」
「っう!!」

 一瞬見せたアイリスの睨みに怯んだシオンはさっとアミナの後ろに隠れた。

「それで、話とは?」
「おお。そうじゃった!飯がうまくてすっかり忘れとったわい」

 リーフが水を向けるとジャクソンはコーヒーで口を湿らせ、調度クッキーをテーブルに運んできたアミナに席に座るように促した。

「お主に関係する事じゃ。座りなさい」
「は、はい....。...?」

 首を傾げながらアミナがリーフの隣に座るのを確認して、ジャクソンは「アストライアの事じゃ」とオールバックにした白髪を片手で撫でた。アストライア。アミナはその単語を耳にするとぐっと前のめりになり、斜め前にいるジャクソンに注目した。

「オリビアとディーノがあまりにも騒ぐのでな、上に目を付けられる前に探ることにした。知っての通り、アストライアは聖の言望葉使いを管理する組織じゃが、その中でもっとも信頼できる幹部の者に接触できてな。そやつが言うには、アストライアの責任者である教皇はむしろ登録を推奨していたらしい」
「......教皇より上の立場からの圧力、ということか。........それは...」

 リーフが渋い表情をして髭を撫でる。口が重い様子のリーフにアミナは思考を巡らせた。

 教会はこの国で王族に次ぐ権力を持っている。信者などを数に入れれば、支持者は王族をしのぐかもしれないと言われているほど、発言力のある立場の教皇を唯一留まらせることができる存在。

 アミナの脳裏で何も写っていないような瞳で彼女を見る男が虚ろに口を開いた。

『お前はもう必要ない』

「....父様からの命令、ですか....?」

 ジャクソンは指を組んで手の甲で口許を覆った。

「誰からの命令、とまでは分からんかったが、王族の誰かであることは間違いないじゃろう」
「......そう、ですか」

 アミナはうつ向き、心に冷たい風が吹いた。唇を噛み締める。

 父様は昔から私に関心がなかった。
 父と城のどこかですれ違う時、いつも聞かれる事は決まって「聖の力に目覚めたか?」それだけで。
 母様が亡くなってもお葬式にも顔を出さず、私が別塔に移ってからは顔を会わせることもなくなった。
 父様はいつ会っても、いつも女の人達を側に置いていた。その人達はいつの間にか入れ替わっていて、彼女達がその場所に居続けようと父様にすり寄る姿は到底受け入れられるものではなく、目をそらしたくなるものだった。
「王族にお前は必要ない」
 そう言われた日も、女の人達が父様にしなだれかかっていて。

 そんな父様が、どうして今ごろ、こんなことをするの.....!?

 頭に血が上り、アミナの体が怒りで震えた。心がぐちゃぐちゃに無遠慮に混ぜ返された気分だった。

 アミナの小さな手に皺の刻まれた大きな手が重なる。
 その手が優しくアミナの手を包むと、不思議なことに彼女の肩からは力が抜け、混乱していた頭がすうっとクリアになった。

「大丈夫。大丈夫じゃ」
「.......と....、...リーフ...」

 リーフの黄緑の優しい眼差しに誘われるようにアミナは彼を呼ぼうとしたが、言い間違いそうになり慌てて彼の名前を呼び直した。

“お父さん”なんて、呼んだら悪いわ。

 アミナの様子を伺っていたジャクソンがクッキーを頬張りながら口を開く。

「しかし、なぜピンポイントでお主の登録を認めなかったのか....」

 それまで大人しく黙って聞いていたシオンが腕を組んで自信ありげに言い放つ。

「そんなもん、今さらこいつの力があると分かって惜しくなったに決まっとるやん!アミナ注意せなあかんで!拐われるかもしれん!」
「ええ!?」

 ジャクソンも頷く。

「あやつの奔放ぶりを考えればあり得るな」
「そんな....力を完璧に操れるわけじゃないのに....。そこまでするかなぁ?」
「用心することに越したことはないって。外出の時は、しばらく俺かシオンが一緒に行くよ。な?シオン」
「ルカなんかおらんくても俺一人で十分守れるわい」

 アイリスがパソコンを持ち出し、カタカタとなにやら打ち込んでいく。

「それならアミナと二人のどちらかの休みが重なるように調整しないとね」
「あ、えと」

 どんどん進んでいく話に付いていけず、アミナはおろおろと戸惑っている。

 そんなアミナの様子をリーフは暖かい眼差しで見守っていた。




「では、用心するんじゃぞ」
「は、はい」
「もう来なくてええからな」
「なんじゃと!!!」

 ぷりぷり怒りながら帰っていくジャクソンの背中をアミナとシオンは見送り、住まいに戻ろうと踵を返す。そこで声がかかった。

「アミナ様」

 低く落ち着いた声にアミナは振り返る。そこには上等なスーツに身を包んだ紳士がこちらを見て柔らかい微笑みを浮かべていた。
 シルバーグレーの髪を上品に撫で付け、整えられた髭の口許は品よく口角が上がっている。

 アミナが返事をする前にシオンが彼女と紳士の間に立った。

「誰やあんた」

 シオンの背中から警戒が伝わる。そこでアミナははっと気がついた。

 アミナ"様"って、呼んだ.....?
 ......お城の関係者…!?

 アミナが一歩後ずさると、紳士は「これは失礼致しました。怖がらせるつもりはなかったのですが」そう言うと、彼は胸に右手を添え、優雅にアミナに向かって頭を下げた。

「アミナ様とお会いしたのはたった二度か三度だったのでお忘れになるのは当然です。サンズ・ロイヤル城で相宰を任されております。エセルバートと申します」
 
 アミナが目を見開く。震える指でシオンの服の裾を掴んだ。その手をすかさずシオンが握る。

「さいしょうって?」

 シオンがエセルバートから目を反らさずにアミナに問う。

「王様の側近....お城では、父様に一番近い人....」

 シオンの眉に力が入る。

「おうコラ胡散臭いオヤジやな!!アミナは城に帰らへんで!!」

 威嚇するように怒鳴り散らすチンピラのようなシオンにアミナは慌ててその肩を抑える。

「シ、シオン!?そんな失礼なこと....!この国で逆らっちゃいけない人だよ!?」

 アミナは冷や汗をかきながらシオンを止めようと必死に背中にしがみついた。

「お前らのルールなんか俺の知ったこっちゃあらへん!!」

「警戒しなくていいですよ。今日はアミナ様にあることをお伝えしたく参っただけですから」

 微笑みを浮かべたまま言うエセルバートにアミナは首を傾げる。

「伝えたいこと....?」
「ええ」

 一つ頷くと、紳士は夜の闇にそっと溶かすように声を落とした。

「アミナ様のアストライアへの登録を認めないよう、圧力をかけたのはビオラ様です」

 紳士の言葉にアミナがひゅっと息を呑む。瞳を下に落とし、黙り込むアミナに、エセルバートは今度は明るさを含んだ声で話を続けた。

「しかし、今度の判断はいささか横暴かと....。もしよろしければ、私が貴女をアストライアに登録できるように手配いたしましょうか?」

 アミナは黙って首を振る。その反応を意外だと思ったのか、初めてエセルバートの貼り付けたような笑顔が解かれた。

「いいのですか?ビオラ様の思うように、貴女の道を阻まれたままで。ビオラ様は......貴女が邪魔のようです」
「姉様のことは、いつか姉様から直接聞きます」

 シオンの後ろに隠れて怯えているだけかと思われた少女が、まっすぐに水色の瞳をこちらに向けている。その姿は気高く朝露をおびた紫陽花のように瑞々しい。感情の読めない瞳をしたエセルバートは口許に手をやり、「......かしこまりました」と呟くと、アミナに腰を折った。

「もし、今回の話で不快にさせてしまっていたのなら、大変失礼いたしました。ただ、私はアミナ様に真実を知ってほしかったのです」

「では、失礼致します。.....良い夢を」

 スーツを翻して去っていく紳士の背中にシオンが声をかける。

「あんた、匂うで」
「侍女が新しい香を焚いてくれたのですが....その香りでしょう」

 紳士は微笑み、闇夜の中に消えていった。

 アミナは黙り込んで下を向いている。何かを考えているようだった。

「......姉様は、私を別塔に移して、隔離させた。たまに会ってもいつも傷つくことを言われた。.......姉様は、私のことが嫌い....」

 でも、とアミナは涙声で言う。シオンは黙って少女の涙を見守っていた。

「なんでかな....いつも、言葉通りに受け取れない自分がいるの。.....、姉様は、どこかで本当は私のこと、嫌いじゃないんじゃないかって、....これって、私がそう思い込みたいだけなのかなぁ?」

 ぐずっと鼻をすするアミナにシオンは「知るかい」とあっさり言い放つ。シオンの切り離すような話し方はいつものことなのに、今はアミナの胸を痛めた。慰めてくれると思っていた相手にそう言われて、アミナは「...うう...」とさらに涙を溢した。
 シオンが目を閉じて鼻をひくつかせる。

「自分じゃない誰かが何を考えとるかなんて、自分がいくら考えたって分かるはずないやろ。知りたかったら、聞けばええ」

 風が強く舞ってアミナの髪とスカートを揺らす。そこには竜になったシオンがアミナを紫の瞳で見つめていた。

「行くで」
「行くって....!?」
「迷っとる暇あったら行動せな!やってみな分からんことの方が多いやろ」

 シオンが月に向かって笑った。

「俺らまだ知らないことばっかなんやで!ほいっと!」

 竜の尻尾が器用にアミナを掬い、背中に置いた。アミナは慌ててシオンの滑らかな鱗にしがみつく。

「しゃあ!!殴り込みじゃー!!!」
「な、なぐりこみ!?ちょ、ちょっと待って!」

 アミナの声など耳に入っていない様子で、シオンは翼を大きく翻すと、夜空目掛けて飛び込むように羽ばたいた。


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