泣き虫少女と無神経少年

柳 晴日

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第3章

それが運命というのなら

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 母様の手を握り、中庭を歩いていた。
 噴水の飛沫が日に反射して光の粒になる様に見惚れ、足を止めた時だった。

「王様」

 母様の声がにわかに固くなる。
 目の前に立つ父様の横には正妻のカトレア様が無表情で立っている。その後ろで姉様が瞳を伏せていた。

「言望葉は使えるようになったのか」

 いつもの問いかけだ。父様の冷たい目を見るのが怖くて、唯一似たくるりと癖のある毛先だけを視界に入れるようにする。
 父様と話そうとすると、いつも喉が細くなる。
 舌が硬直し、身体中に力が入る感じがする。

「、え、えと、あ、あの」
「え、えと、あ、あのうぅ。くくく」

 私の真似をし、肩を揺らす。

「ふざけないで真面目に話してくれ。まったく分からん。この様子では力を扱える日も遠そうだ。なあ、カトレア?」
「はい」

 真っ赤な唇が引き上げられる。

「どんなにユリ様の力が強くても、蛙の子は蛙。完璧な王族になれるはずありませんわ」

 艶やかな声が針になって胸を刺す。
 私のせいで、母様に矛先が向いてしまった。

「アミナ。俯く必要はないわ」

 優しい声に導かれるように繋がれた手の先を仰いだ。
 私と同じ空色の瞳。私より、広い空を宿した瞳が微笑んでいた。

「王様。アミナは背が先月よりも二センチ伸びました」
「は?」
「最近のお気に入りの本は、リーフが勧めてくれた小説です。この子は本当に、読書が好きみたいです」
「そんな事はどうでも良い!」

 苛立った怒声に身をすくませた。カトレア様の横にいた姉様と目が合う。心配そうなアミナを案じる海色の瞳に励まされる。
 華奢な手が肩を引き寄せた。頬に触れる質素な白のドレスから、母様の香りがする。

「そうでしょうか?このくらいの年齢の子の成長は、少し目を離しただけで見逃してしまうくらい、早いのです。どうでも良いことなど、一つもありません」
「いいや。どうでも良い」

 心の底から興味がない、と言外に滲ませた父様の言葉はいつも私の胸を暗くした。






 誰かが頬に触れたような気がして、目を開けた。

「どうしたんだよ?大丈夫か?」

 細い輪郭にハニーレモンの瞳。教会のジャクソンも鷲鼻だが、彼の大きなものと違い、クルトの鷲鼻はほっそりとしている。

 やっぱり、どこかで見たことあるような....。

「なんで泣いてんだよ」

 クルトの言葉に自分の頬が濡れていることに気がついた。指で目元を拭い、幼い頃の夢を見ていたのだと、まだはっきりしない頭で理解した。

「....ちょっと、夢を見ていたみたい」

 いつの間にかかけられていた毛布が肩から落ちる。

「あ、かけてくれたの?」

 クルトは首を振り、小屋の窓に目をやった。

「ううん。俺じゃなくて、シオン」
「そうなんだ。....あれ、二人は?」
「俺が昨日話した、森にあった教会を探しに行った。すぐ戻るって言ってたよ」
「二人で行ったの?」
「うん」
「そうなんだ...」

 起こしてほしかった。
 きちんと毛布を畳み、ソファーに置いたアミナは壁時計を確認した。

「5時....って、朝の、だよね?」
「たぶん。こう真っ暗だと感覚狂う」
「ほんとに」

 鍋に水を張り、コンロに置いた。
 夏でも森の中にいると冷える。腕をさすった。
 クルトが何か言いたそうにこちらを見ている。

「どうしたの?」
「あ、いや...」

 鼻の下をこすりながら目をそらし、「....さっきさ」と口ごもりつつ続けた。

「父様って、言ってたけど」

 少年から鍋へと逃げるように視線を移す。

「うまくいってないの?」
「.....ええ?」

 なんの夢だったか忘れちゃったよ、と口角を上げて笑おうとしたが、クルトの言葉に遮られた。

「俺も.....俺、さぁ。お父さん、さぁ。俺のこと、嫌いなんだよなぁ」

 ずいぶんと落ち着いた声だった。
 ため息混じりにただ事実を述べただけだ、と言うように悲しみも怒りもなかった。

 沸騰した湯がぼこぼこと泡立っている。
 右の踵を立て、トン、と爪先を床に置いた。

 クルトも知ってるんだ。
 どうしようもなく、諦めなければいけないこともあるということ。
 あなたも...。

「.....父様は、私のこと、どうでも良かったみたい」
「そっか」
「うん」

 ティーカップを棚から二つ借り、湯気と一緒にお湯を注いだ。
 テーブルに置いたカップを両手で包み、クルトは一つ息を吐いた。

「そういうことって、あるよなぁ」
「うん」
「あるんだよなぁ」
「うん」

 アミナとクルトは同じことを知っていた。
 でも、と彼女は思う。

「でも、そう思えるようになったのは、側にいてくれる人がいたからだと思う」

 首を傾げ、促す少年にアミナは自身の首に触れながら苦笑した。

「小さい時から、変な癖があるの。緊張すると、声が思うように出なくて、どもっちゃう。.......父様は、これを欠点だと言った。でも、リーフは....」


 儂はアミナの言葉を聴くのが好きじゃ。
 お主の声には嘘がない。
 一生懸命な言葉が、儂は好きじゃよ。


「欠点じゃなくて、それが私だって、そのまま受け入れてくれた」

 城から追い出されたばかりの頃、どもりが酷くなっていた。
 うまく話せなくて、リーフとアイリスが嫌な顔をしたらどうしようと思うと、もっと焦って。
 そういう時、リーフは決まって私の手を取り、握ってくれた。
 私の話を決して遮らず、終わるまでずっとにこにこと微笑んで聴いてくれた。

「....ずっと側にいてくれたから。だから、父様のことを引きずらないでいられたんだと思う」
「そっかぁ」

 いいな。と白湯を飲んだ彼は瞳を細めた。

「羨ましいや」

 温まった胃からふう、と息を落とした彼は、頬杖をつき、鼻をこすった。

「お父さんには嫌われちまってるけどさ、せっかくお母さんが産んでくれたんだ。仕方ないから、お母さんの分もお父さんを助けないと。お母さんの事も……ちゃんと、天国に送ってやんなきゃな。それが長男の役目だぜ」

 ニッと笑ったクルトに、アミナは「偉いね」と心からそう言った。





「はーなーせー!!」

 腕の中で暴れるシオンにモーリスが楽しげに笑った。

「仕方ないだろう?なにせ君が空を飛ぶには竜になるしかないのだからねぇ!竜は目立つ。ダメさ!我が儘はいけないよ?めっ」
「何がめっや!やめい!」

 横抱きをされているシオンはこめかみをひくつかせ、屈辱に耐えていた。

「ふーむ。やはり見えないね」

 クルトの言っていた教会を探しながら森の上を横断していく。

「州長のおっさん問い詰めた方が早そうやな」
「....そうだねぇ。彼には色々と聞きたいこともあるし」
「っしゃ!決まりやな」

 小屋の前に降り、もう我慢ならないとでも言うように勢いよくモーリスの腕から離れたシオンは走って扉に向かった。
 その背中にモーリスが声をかける。

「君、君。シオンくん」
「なんや」
「君に伝えておきたいことがあるのさ」
「ああ?」

 両手を腰に当て、面倒そうに振り返った少年にモーリスは指を五本開いて見せた。

「あの少女。アミナくん。私は彼女を以前も見たことがあるのさ.....私が二十歳の頃から数えて五回」
「は?なに言うとんのやおっさん。またふざけた冗談かいな」
「いいや」

 モーリスの赤い瞳は真剣だった。その様子にシオンは眉をひそめる。

「私が二十歳の時、五十歳の時、九十五歳の時、百九十歳の時、そして世界的な伝染病が流行った二百五十三歳の時....私は彼女を見ている」
「.....は?」
「そして、私が彼女を見かける時には決まって彼女と瓜二つの少年も現れるのさ」
「.......」

 いつもそうなのさ、と吸血鬼は声を落とした。

「いつも少年が現れる時、大きな争いと災いが訪れる。その中心には必ず彼がいた。そして、少年にそっくりな少女は」

「巻き起こる不幸の渦中に誘われ、ボロボロになって消えていく」

 シオンの瞳が揺れた。

「少女が消えると少年も消え、世界に安寧が訪れる。.....そして、時が経つと再び二人が現れ、消えていき....その繰り返しのようだった。決して逃れられない運命に導かれるように」

「気を付けたまえ。彼女を失いたくないのなら。私はアミナくんを見つけてしまった。運命は、もう始まっているのかもしれない」

 案じるように伝えたモーリスはおや、と眉を上げた。シオンが片頬を上げていたからだ。

「警告おおきにやで、おっさん。……へ!ほんまか怪しいとこやけどな。まぁ任しとき。んな運命があったとしてもなぁ、俺がぶっ壊したる!」

 挑戦的に笑う竜族の少年にモーリスは拍子抜けしたように瞳をぱちくりとさせた。
 背を向け、迷うことなく扉を開けて少女の名を呼ぶ彼に吸血鬼はふと思索する。

 若さゆえの恐れ知らず、か。
 それとも私の話を信じていないのか。

 しかし。

「少女はいつも一人だった。どんな時代も。いつも一人で少年に立ち向かっていた」

 彼はイレギュラー。
 定まった流れの中で、彼は異質なのだ。

「変わるかもしれない」

 ステッキをくるりと回し、手のひらで受けとめる。モーリスの口角がにんまりと上がった。

「ふふふ!楽しみだ。楽しみ。繰り返される運命が、この時代に変わるかもしれないねぇ!」

 吸血鬼は上機嫌に弾む足でスキップをした。













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