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第一章
4.改めまして
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「あなたとの協力関係は今日で解消しましょう。1日だけでしたがお世話になりました」
私がそう切り出すと、彼ははじめて表情を崩した。一瞬驚いたように瞳を見開いた後、鋭く細めた。さすが若くして当主を継いだ身、その眼光にはなかなかの迫力がある。しかし精神年齢ならば私は一回り以上年上なのだ。まだ幼いと言える少年の顔を、私は怯むことなく睨み返す。
「何故でしょうか? 気分を害されたのであれば謝罪しましょう。しかし結局あなたは自分の力で何とかしたじゃないですか。だいたい、あれくらい貴族社会では当たり前で…」
「あんな嫌味くらい自力で躱せて当然だろうという意見は分かります」
「であれば」
「私が『ディアリア』の価値観しか持っていないのであれば」
意味が分からない、と目の前の少年が顔を歪ませた。
「昨日も言ったように、私はこことは全く違う世界で生きた記憶があります。そこでは貴族制度はなく、みんな平民として平等だというお話をしましたよね?」
「ええ」
「率直に言います。貴族としての常識を当てはめて、いざという時に手助けをしてくれない相手を、私は信用できません。私にとって『協力』というのは、相手が困っていたら手を差し伸べることを指しているからです」
「…それは…」
「こればかりは価値観の違いですから、理解してほしいとは言いません。ただ私はあなたを信じられません。そんな相手と対等な協力関係を結べるとは思えないので、ここでお別れしましょう」
いくら目の保養になるような少年でも、いつ裏切られるか不安を抱えながら隣に立ちたいとは思わない。そんな相手とは早々に距離を置いた方が精神衛生上、絶対に良い。
彼に私の事情を話してしまっていることがネックだが、周りに吹聴したところで正気を疑われるだけだろう。
「そういうことなので失礼いたします。クリゾベリル様」
もう話すこともないだろう。私は踵を返してさっさと立ち去り―「待ってください」―たかったのだが、手を掴まれて踏みとどまらざるを得なかった。
驚いて振り向くと、思いの外相手が焦った表情をしていてさらに驚いた。彼が私に声をかけたのはただの気まぐれで、わざわざ去る背中を追うタイプだとは思わなかったからだ。
「不快にさせてしまったことは謝ります」
「別に謝罪していただく必要は…」
「どうか、この協力関係を継続させていただきたいのです」
何で彼の方がこだわるのだろう。私は自分の命がかかっているが、彼からすれば特に不都合はないだろうに。
しかし捨てられた子犬のように悲しそうな表情で見上げてくる少年を、無碍にはできなかった。くそ、この子犬顔が良い…!
「………あなたが何故私に協力するのか、その理由を話していただけるのなら…その理由次第では、また信用する気にはなるかも、しれません…」
本音は爆弾になりかねないような相手とは早々に疎遠になりたいのだが。離れたい気持ちと可愛そうかもしれないという同情心がせめぎ合い、ぎこちない口調になってしまった。
せめて彼がゲームに登場していれば真意も分かりそうなものだが、あいにくアレクサンドリート・クリゾベリルなんてゲームで見覚えがないので前世の知識が使えないのだ。
「分かりました。正直にお話します」
存外あっさりと頷かれて、言った本人だというのに思わず目を瞬いてしまった。
「俺が幼い頃にクリゾベリルの当主になったことはご存じですか?」
「ええ」
「クリゾベリルは『中立』を担う家門。不正や事件の調査、万が一の場合は罰する権限も王家から与えらえれています。だからこそ何よりも『正しさ』を問われるのです」
この国の公爵家は5つあり、それぞれ違った役割を振られている。アルマース家は国の財務――お金周り全般を担当していた。詳しい仕事内容は知らない。
クリゾベリル家が彼の言った役割を担当していたことは知識として知っていたので、ひとまず頷いていおいた。
「俺は7歳の頃から、常識や当たり前を周りから求められて――いや、押し付けられてきました」
「………」
「クリゾベリルの名に恥じぬよう、常識を体現したような人間であれと。いつしか俺も、それが当たり前だと思いながら生きてきました」
「怪我人を放置することは常識ですか?」とつい嫌味を言いそうになったが、さすがに口を噤んだ。今はそんなことを言う雰囲気ではない。何より、彼は「死ぬような怪我ではなかったでしょう?」と真顔で返してくる気がする。彼に悪意はないのだ。たぶんナチュラルに性格が悪い―自分のことは棚に上げておく―だけだ。
「(まあ、歪んでも仕方ない家庭環境だものね)」
幼い頃に両親と死別。幼子と言える年齢の頃から、大人の振舞いを求められる。家の実権は親戚が握っているのかもしれないが、直系の人間として間違いなく束縛は多かっただろう。
「そうして日々押し付けられる常識に疑問も抱かなくなっていた頃――あなたに出会ったんです。この間あなたの話を…前世の話を聞いて、俺の中の常識が崩れました」
「それはそうでしょうね…」
どこの世界に前世を覚えている人間がいるだろう。しかもこの世界を物語として見たことがある!などと言うような人間が。
「この世にそんなあり得ない、夢物語のような話があるんだと思って、感動さえ覚えました。もしかしたら俺は、押し付けられる『常識』に嫌気がさしていたのかもしれません。無意識でしたが」
「はあ…」
「あなたは間違いなく、俺の中の常識を壊してくれた。そしてはじめて『非常識』を教えてくれた。だからこそ、俺はそんなあなたの傍にいたいんです」
「お言葉ですが、私のその『非常識』が嘘だとは思わなかったのですか?」
「嘘なのですか?」
「いや、違いますけど…」
「でしょうね。俺は家の仕事で嘘つきをたくさん見てきました。あなたがそうでないことなど分かります」
私の中で、目の前の少年が胡散臭い奴から、やべぇ奴に変わった。いや、それは「実は私前世を思い出したんですぅ」っていう突拍子もない台詞を信じられた時から明らかだったけど。
知らぬ間に、やべぇ奴(私)にやべぇ奴(少年)が惹かれた構図が出来上がっている。
「これから俺は全力であなたに尽くします。ですからこの関係を継続させてください」
「いえ、尽くしていただく必要はないです…それ対等じゃないんで…」
思いの外、彼の動機が重くて拒絶しにくくなってしまった。家の事情出されたんじゃ、可哀想だと思ってしまうじゃないか。というかこの少年、もし最初に触れた『非常識』が違法薬物とかだったらそっちにのめり込んでいたんじゃあるまいな。
危うい雰囲気を感じるが、ひとまず彼の理由がそれならば信じるに足る気はする。やべぇ奴には違いないけど。
「………分かりました。それなら引き続き、よろしくお願いします」
右手を差し出すと、少年は瞳を丸くした。
「受け入れてくれるのですか?」
「まあ、私の言った通り、理由を話していただきましたし。信じても良いかなと思えましたし」
「ありがとうございます。改めてよろしくお願いしますね、ディアリア嬢」
しっかりと手を握り返された。今日から改めて、彼とは双方同意の元、きちんと協力関係を結んだことになる。
果たしてアレクサンドリート・クリゾベリルは、私にとって天の助けとなるのか爆弾となるのか。格好つけた言い方をすれば、それは神のみぞ知る、だ。
「こちらこそ。アレク様」
私がそう切り出すと、彼ははじめて表情を崩した。一瞬驚いたように瞳を見開いた後、鋭く細めた。さすが若くして当主を継いだ身、その眼光にはなかなかの迫力がある。しかし精神年齢ならば私は一回り以上年上なのだ。まだ幼いと言える少年の顔を、私は怯むことなく睨み返す。
「何故でしょうか? 気分を害されたのであれば謝罪しましょう。しかし結局あなたは自分の力で何とかしたじゃないですか。だいたい、あれくらい貴族社会では当たり前で…」
「あんな嫌味くらい自力で躱せて当然だろうという意見は分かります」
「であれば」
「私が『ディアリア』の価値観しか持っていないのであれば」
意味が分からない、と目の前の少年が顔を歪ませた。
「昨日も言ったように、私はこことは全く違う世界で生きた記憶があります。そこでは貴族制度はなく、みんな平民として平等だというお話をしましたよね?」
「ええ」
「率直に言います。貴族としての常識を当てはめて、いざという時に手助けをしてくれない相手を、私は信用できません。私にとって『協力』というのは、相手が困っていたら手を差し伸べることを指しているからです」
「…それは…」
「こればかりは価値観の違いですから、理解してほしいとは言いません。ただ私はあなたを信じられません。そんな相手と対等な協力関係を結べるとは思えないので、ここでお別れしましょう」
いくら目の保養になるような少年でも、いつ裏切られるか不安を抱えながら隣に立ちたいとは思わない。そんな相手とは早々に距離を置いた方が精神衛生上、絶対に良い。
彼に私の事情を話してしまっていることがネックだが、周りに吹聴したところで正気を疑われるだけだろう。
「そういうことなので失礼いたします。クリゾベリル様」
もう話すこともないだろう。私は踵を返してさっさと立ち去り―「待ってください」―たかったのだが、手を掴まれて踏みとどまらざるを得なかった。
驚いて振り向くと、思いの外相手が焦った表情をしていてさらに驚いた。彼が私に声をかけたのはただの気まぐれで、わざわざ去る背中を追うタイプだとは思わなかったからだ。
「不快にさせてしまったことは謝ります」
「別に謝罪していただく必要は…」
「どうか、この協力関係を継続させていただきたいのです」
何で彼の方がこだわるのだろう。私は自分の命がかかっているが、彼からすれば特に不都合はないだろうに。
しかし捨てられた子犬のように悲しそうな表情で見上げてくる少年を、無碍にはできなかった。くそ、この子犬顔が良い…!
「………あなたが何故私に協力するのか、その理由を話していただけるのなら…その理由次第では、また信用する気にはなるかも、しれません…」
本音は爆弾になりかねないような相手とは早々に疎遠になりたいのだが。離れたい気持ちと可愛そうかもしれないという同情心がせめぎ合い、ぎこちない口調になってしまった。
せめて彼がゲームに登場していれば真意も分かりそうなものだが、あいにくアレクサンドリート・クリゾベリルなんてゲームで見覚えがないので前世の知識が使えないのだ。
「分かりました。正直にお話します」
存外あっさりと頷かれて、言った本人だというのに思わず目を瞬いてしまった。
「俺が幼い頃にクリゾベリルの当主になったことはご存じですか?」
「ええ」
「クリゾベリルは『中立』を担う家門。不正や事件の調査、万が一の場合は罰する権限も王家から与えらえれています。だからこそ何よりも『正しさ』を問われるのです」
この国の公爵家は5つあり、それぞれ違った役割を振られている。アルマース家は国の財務――お金周り全般を担当していた。詳しい仕事内容は知らない。
クリゾベリル家が彼の言った役割を担当していたことは知識として知っていたので、ひとまず頷いていおいた。
「俺は7歳の頃から、常識や当たり前を周りから求められて――いや、押し付けられてきました」
「………」
「クリゾベリルの名に恥じぬよう、常識を体現したような人間であれと。いつしか俺も、それが当たり前だと思いながら生きてきました」
「怪我人を放置することは常識ですか?」とつい嫌味を言いそうになったが、さすがに口を噤んだ。今はそんなことを言う雰囲気ではない。何より、彼は「死ぬような怪我ではなかったでしょう?」と真顔で返してくる気がする。彼に悪意はないのだ。たぶんナチュラルに性格が悪い―自分のことは棚に上げておく―だけだ。
「(まあ、歪んでも仕方ない家庭環境だものね)」
幼い頃に両親と死別。幼子と言える年齢の頃から、大人の振舞いを求められる。家の実権は親戚が握っているのかもしれないが、直系の人間として間違いなく束縛は多かっただろう。
「そうして日々押し付けられる常識に疑問も抱かなくなっていた頃――あなたに出会ったんです。この間あなたの話を…前世の話を聞いて、俺の中の常識が崩れました」
「それはそうでしょうね…」
どこの世界に前世を覚えている人間がいるだろう。しかもこの世界を物語として見たことがある!などと言うような人間が。
「この世にそんなあり得ない、夢物語のような話があるんだと思って、感動さえ覚えました。もしかしたら俺は、押し付けられる『常識』に嫌気がさしていたのかもしれません。無意識でしたが」
「はあ…」
「あなたは間違いなく、俺の中の常識を壊してくれた。そしてはじめて『非常識』を教えてくれた。だからこそ、俺はそんなあなたの傍にいたいんです」
「お言葉ですが、私のその『非常識』が嘘だとは思わなかったのですか?」
「嘘なのですか?」
「いや、違いますけど…」
「でしょうね。俺は家の仕事で嘘つきをたくさん見てきました。あなたがそうでないことなど分かります」
私の中で、目の前の少年が胡散臭い奴から、やべぇ奴に変わった。いや、それは「実は私前世を思い出したんですぅ」っていう突拍子もない台詞を信じられた時から明らかだったけど。
知らぬ間に、やべぇ奴(私)にやべぇ奴(少年)が惹かれた構図が出来上がっている。
「これから俺は全力であなたに尽くします。ですからこの関係を継続させてください」
「いえ、尽くしていただく必要はないです…それ対等じゃないんで…」
思いの外、彼の動機が重くて拒絶しにくくなってしまった。家の事情出されたんじゃ、可哀想だと思ってしまうじゃないか。というかこの少年、もし最初に触れた『非常識』が違法薬物とかだったらそっちにのめり込んでいたんじゃあるまいな。
危うい雰囲気を感じるが、ひとまず彼の理由がそれならば信じるに足る気はする。やべぇ奴には違いないけど。
「………分かりました。それなら引き続き、よろしくお願いします」
右手を差し出すと、少年は瞳を丸くした。
「受け入れてくれるのですか?」
「まあ、私の言った通り、理由を話していただきましたし。信じても良いかなと思えましたし」
「ありがとうございます。改めてよろしくお願いしますね、ディアリア嬢」
しっかりと手を握り返された。今日から改めて、彼とは双方同意の元、きちんと協力関係を結んだことになる。
果たしてアレクサンドリート・クリゾベリルは、私にとって天の助けとなるのか爆弾となるのか。格好つけた言い方をすれば、それは神のみぞ知る、だ。
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