シオンズゲイト -zion's gate-

涼雨 零音(すずさめ れいん)

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終章

第一話

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 目が開いてもしばらくは見えてこない。正確には、目から入ってきた情報を脳が正しく処理できない。視覚よりも先に体が重力を感じる。次第に視界がはっきりしてきて、見えている情報の上下が補正される。ビジョンの上下ではなく重力の向きで上下を知覚する。脳が体の各部と接続し、どこまでが自分なのかが次第にはっきりしてくる。手を持ち上げて目の前に持ってくる。手だ。自分の手。これは自分の手だろうか。覚えていない。でも自分の手ではないという感じもしない。横になったまま頭だけ動かして周りを確認する。シーツのような布のない、つるっとした表面を持つ寝台に寝ている。体は不思議な光沢のある白いものを身に着けている。手で触れてみても、あまりなじみのない素材だと感じた。寝台の上で上半身を起こしてみる。身に着けているものは女の子のワンピースのような形で、スカートのような筒状の裾から両足が出ていた。

 はっとして服の上から股のあたりに触れてみた。あるべきものがあった。

 寝台のふちに腰かけて足を降ろし、部屋の中を見回した。白い寝台。白い服。白い床。白い壁。白い天井。白い扉。なにもかも白く、情報は一切なかった。

 腰かけたまま顔を触ってみた。どんな顔をしているのだろう。自分の顔。覚えているような気がする。思い浮かべてみる。覚えている。でも細かいところはよくわからない。顔の写るようなものはないかと探してみたけれど部屋の中にはなさそうだった。

 床に足を降ろして立ち上がる。立ち上がると体を包んでいるワンピースのような服に光が走った。受けた光を反射しているのか、自ら光っているのかわからない不思議な光り方だった。背伸びをしたり、曲げたり伸ばしたり、少し体を動かしてみた。動くたびに服の表面に光が走る。指を曲げたり伸ばしたりしてみた。自分の体。どこにも違和感はなかった。でもこの部屋のことは記憶にない。初めて来たという気がした。今まで寝ていた寝台を見下ろすと、そこにはもう自分が寝ていた痕跡はなかった。

 歩いて扉の前へ行くと扉は音もなく開いた。部屋を出ると白い廊下になっていて、廊下には同じような扉が並んでいた。
「どこへいけばいいのかな」
 声が出た。自分の声だろうか。自分で思っている声よりも低い声のような気がしたけれど違和感はなかった。きっと変声期が進んで声が安定したのだろう。

 廊下を歩いているとほとんど音をさせずに移動している機械がいた。〈あった〉ではなく〈いた〉と感じたのできっとロボットだろう。

 さらに進んでいくと急にひらけた場所に出た。静かな空間にあまりなじみのない環境音と水の音が聞こえていた。空気はとても澄んで感じられた。高いドーム状の天井を持つ大きな円形の空間で、その天井を見上げたぼくは息を飲んだ。天井はガラス張りになっていて、外の黒い空には真っ青な星が浮かんでいた。
「地球だ」
 窓の外に地球が見えていた。とするとここはなんだろうか。軌道ステーションなどよりもはるかに大きいし、地球までの距離も遠いようだ。周りを見回してもわからなかったが、おそらく月面だろうとぼくは想像した。ドームの内側には、空中に浮かんでいる機械がいた。あれも作業用のロボットかなにかだろう。床は同心円のフロアですり鉢状に掘り下げられていて、いちばん低い中央部分に噴水があった。公園のようなスペースだ。ところどころにベンチのようなものが置かれていた。

 噴水のところまで降りて行くと、正面に文字を刻んだプレートが埋まっていた。

 〈z i o n〉

 噴水のふちまで近づいて覗き込んだ。水面に顔が写り込む。噴水は緩急をつけながら少しずつ姿を変えた。噴水のしぶきでゆらぐ顔を見て、記憶の中の自分の顔が瞬時に上書きされる。水面を見る前にどんな顔を思い出していたのか、もうわからなかった。
「レイト。ぼくはレイトだ」
 ぼくは目を閉じた。大切な人がいる。ここで会うはずなんだ。アリア。アリアの顔。頭の中にアリアの顔が浮かび、モヤモヤとにじんでいく。アリアの声。強い意志のある声。明るく笑う声。アリアの匂い。目を閉じたまま鼻から息を吸い込む。そう、この匂い。アリアの、匂いだ。

 ぼくは振り返って目を開けた。そこにはぼくと同じような白いワンピースを着た少女が立っていた。頭の中でにじんでいたアリアの顔に目の前の少女が重なって記憶が上書きされた。
「アリア」
 アリアはまっすぐぼくに歩み寄り、ぼくの肩に頬をあずけた。ぼくはその背中に腕を回して深く息を吸った。溶けそうなほどアリアの匂いがした。ぼくは大きく呼吸して軽く笑った。
「どうしたの?」
「ううん。また会えたと思って」
 ぼくはアリアの背中を抱いたまま周りを見回した。いくつものロボット。適切な気温。心地よい湿度。形を変えながら踊っているような噴水。申し分ない環境。これを維持し、管理しているのは大変なプログラムだろうと想像できた。ここにはぼくが知っていた世界よりもはるかに進んだ科学がある。そう感じた。

 でも。ぼくの顔から笑みが消える。この体はどうなっていたんだろうか。あの寝台の上にずっと寝かされていたのだろうか。それにしては筋肉もちゃんとあり、すぐに立ち上がって歩けた。目も耳も、昨日まで使っていたみたいに問題ない。ぼくの意識は本当にシミュレーションの世界からこの体の脳へ書き込まれたのだろうか。

 それに。
「レイトの匂いだね」
 アリアがぼくの肩に頭を預けたまま言った。
「え?」
「レイトの匂いがする」
「ほんとに?」
 アリアは頷いた。
「ね、ぼくの姿はアリアが知っているのと違う?」
「わからない。違うような気がしたけれど、でも知ってる匂いがする」
 離れた部屋にあったはずのアリアの体。シミュレーションの世界とは違う姿のアリアから、あのぼくが良く知っているアリアの匂いがする。そんなことがあるのだろうか。この体の匂いをシミュレートしていたということなのか。本当に、そんなことが可能なのだろうか。それに、とぼくは自分にもたれているアリアの背中を見て思った。なぜ姿を完全に同じ姿にしなかったのだろう。匂いを再現できるなら姿の再現はもっと簡単なのではないか。ぼくは自分の中にいくつもの疑念が湧き上がってくるのを感じた。
「ここは、どこかな」
 アリアがぼくの肩にもたれたまま言った。
「ほら、ここに」
 ぼくが噴水のプレートを指さすと、アリアは顔を上げてそれを目で追った。
「そっか。ここだったんだね。あたしたちが目指してきたのは」
 そう言うとアリアは再びぼくの肩に頬を寄せた。
「ね、ここは現実かな?」
「どうだろう。違うかもしれない」
 むしろ違う可能性の方が高いような気もした。
「現実って、どういうことかな。体があること? でもあの世界にもあったよね、体」
「うん」
 たしかに体はあった。ぼくはアリアの唇の感触を思い出した。あれがシミュレーションだったと言われたら、これだってシミュレーションなんじゃないかという気がした。
「この体は本物だと思う?」
 アリアが聞いた。
「あの世界の体と同じぐらいには」
 ぼくが答えるとアリアは目を閉じた。
「どうなるのかな、これから」
「なるようになるよ」
 ぼくはそう言ってアリアの背に回した手を引き寄せた。
「強いんだね、レイトは」
「アリアが一緒だからね」
 アリアがぼくの肩から顔を上げた。
「それあたしのセリフ」
 二人は顔を合わせて笑いあった。噴水がリズムを変えて二人の笑い声を水音に溶かしていった。

《了》
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