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佐鳥姫の憂鬱 〜朝日を羨む夜の月〜
あなたの声が聞こえない 2
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高校卒業まで一ヶ月を切ったある日のこと。隣の席の女子が、押し殺した声で話しかけてきた。
それは珍しいことだった。私には友人らしい友人はいない。一人が好きというより、一人でいることが気にならなかったし、別段クラスメイトに嫌われていたわけでもなかったから、相手を必要とする授業でペアが見つからずに困ることもなかった。
私の周りにはいつも誰かがいる。だから、寂しいなんてことはない。その代わり、私に関わろうとする人もいない。
言うなれば、街にいる通行人。高校生活における私の立場はそのようなものだろう。だから、妙な騒動とはこの三年間、無縁に過ごしてきた。
「ねぇ、佐鳥さん。隣のクラスの安原くんが、佐鳥さんが俺に告白してきたって、みんなに言い振らしてるらしいよ。本当なの?」
名前も知らないクラスメイトの女子は、驚くようなことを私に言った。わずかに私も目を見開いたのだろう。彼女は、やっぱりね、と首をすくめる。
何がやっぱりなのだろう。私が安原という男子に好意がないと気づいていた、ということだろうか。
「佐鳥さんが安原くんを相手にするわけないよね? 佐鳥さんは佐鳥姫だもん。同級生の男子なんて興味ないよね」
返す言葉が見つからなくて、私は無言でいた。
私が佐鳥姫と呼ばれていることは知っていた。それを不快に思ったことはないが、その響きがなぜだか特別視を匂わせるから戸惑っている。
生い立ちを誰にも話したことがないのに、クラスメイトは勝手なイメージを先行させて、私という人物を創造してしまっている。
「だって佐鳥さん、すごい美人だもん。本当に同い年? ってぐらい落ち着いてるし。恋愛に興味なんてなさそう。ううん、あっても同級生の男子じゃ、物足りないよねー」
クラスメイトの女子は悪気なくそう言う。
そんなことはない。否定しようとしたがやめた。私の恋心は過去のもので、今は好きな人などいないのだから。
「ところで、安原くんって誰?」
それを知らないことには話にならないと、そう切り出すと、クラスメイトの女子は目をまん丸にしてお腹を抱えて笑い出した。
彼女がなぜ笑うのか私にはわからなかった。
人の心を読むのは苦手だ。それをすることによって心を乱すこともしたくない。
私が心を震わすことがあるなら、その相手は必ず私にはっきりとわかる形で訪れる。そう、高校一年生の秋、突然好きだと自覚した彼のように。
彼は一年生の時、クラスメイトだった。一年生の時からサッカー部のレギュラーで、学級委員で、文字通りの人気者。クラスメイトのことも気にかける優しい青年だった。
誰とも仲良くならない私のことも気にかけてくれていた。次の授業はどこの教室に移動だとか、授業が変更になったことなど、先生の話をきちんと聞いていればわかることをわざわざ私に知らせてくれた。
彼の好意的な態度が心地の悪いものでなかったのは間違いがない。だから私は、知っているから大丈夫だと、無下に彼の好意を断ることもなかった。
そうして半年が過ぎ、文化祭の季節がやってくると、どうしてもクラスメイトとの共同作業をする機会が増えた。
私は割り当てられた仕事をきちんとこなしていたし、クレームをつけられることもなかったが、彼は私のところへ来ては不便はないかと手伝ってくれた。
そうして彼と何日か過ごしたある日、突然その声は降ってきた。
『佐鳥さんは全然しゃべらないよな……』
彼の隣でわずかに身じろぎしたのを覚えている。
聞こえてきたのは彼の声だった。そして、彼を見上げた私の目に映るのは、ひたいに汗を浮かべながら黙々と作業に取り組む彼の横顔。
『ちゃんと文化祭までに間に合うかなぁ』
彼の唇はわずかにも動いていなかった。
私は彼を好きなんだ。
それに気づいた瞬間だった。しかし、私の恋はすぐに終わりを迎えた。
『佐鳥姫はめんどくさい……』
私が佐鳥姫と揶揄されていたことも、彼が私に親切にしながら、実は迷惑に感じていたことも同時に知った。
それ以来、彼の心の声が聞こえたことはない。私はもう彼を好きではない。それはその証明だった。
好きな人の気持ちは知ろうと努力することなく知ることが出来る。私はその能力を生まれ持って身につけている。
彼の名前はなんだっただろう。二年、三年とクラスは違って、あまりよく覚えていない。
確か……と、思いを巡らそうとした時、クラスメイトの女子が急に立ち上がって叫んだ。
「あ! 嵩原くーん!」
その名前に私の体は反応する。そう、あれは嵩原くん。優等生の嵩原くんだ。
高校卒業まで一ヶ月を切ったある日のこと。隣の席の女子が、押し殺した声で話しかけてきた。
それは珍しいことだった。私には友人らしい友人はいない。一人が好きというより、一人でいることが気にならなかったし、別段クラスメイトに嫌われていたわけでもなかったから、相手を必要とする授業でペアが見つからずに困ることもなかった。
私の周りにはいつも誰かがいる。だから、寂しいなんてことはない。その代わり、私に関わろうとする人もいない。
言うなれば、街にいる通行人。高校生活における私の立場はそのようなものだろう。だから、妙な騒動とはこの三年間、無縁に過ごしてきた。
「ねぇ、佐鳥さん。隣のクラスの安原くんが、佐鳥さんが俺に告白してきたって、みんなに言い振らしてるらしいよ。本当なの?」
名前も知らないクラスメイトの女子は、驚くようなことを私に言った。わずかに私も目を見開いたのだろう。彼女は、やっぱりね、と首をすくめる。
何がやっぱりなのだろう。私が安原という男子に好意がないと気づいていた、ということだろうか。
「佐鳥さんが安原くんを相手にするわけないよね? 佐鳥さんは佐鳥姫だもん。同級生の男子なんて興味ないよね」
返す言葉が見つからなくて、私は無言でいた。
私が佐鳥姫と呼ばれていることは知っていた。それを不快に思ったことはないが、その響きがなぜだか特別視を匂わせるから戸惑っている。
生い立ちを誰にも話したことがないのに、クラスメイトは勝手なイメージを先行させて、私という人物を創造してしまっている。
「だって佐鳥さん、すごい美人だもん。本当に同い年? ってぐらい落ち着いてるし。恋愛に興味なんてなさそう。ううん、あっても同級生の男子じゃ、物足りないよねー」
クラスメイトの女子は悪気なくそう言う。
そんなことはない。否定しようとしたがやめた。私の恋心は過去のもので、今は好きな人などいないのだから。
「ところで、安原くんって誰?」
それを知らないことには話にならないと、そう切り出すと、クラスメイトの女子は目をまん丸にしてお腹を抱えて笑い出した。
彼女がなぜ笑うのか私にはわからなかった。
人の心を読むのは苦手だ。それをすることによって心を乱すこともしたくない。
私が心を震わすことがあるなら、その相手は必ず私にはっきりとわかる形で訪れる。そう、高校一年生の秋、突然好きだと自覚した彼のように。
彼は一年生の時、クラスメイトだった。一年生の時からサッカー部のレギュラーで、学級委員で、文字通りの人気者。クラスメイトのことも気にかける優しい青年だった。
誰とも仲良くならない私のことも気にかけてくれていた。次の授業はどこの教室に移動だとか、授業が変更になったことなど、先生の話をきちんと聞いていればわかることをわざわざ私に知らせてくれた。
彼の好意的な態度が心地の悪いものでなかったのは間違いがない。だから私は、知っているから大丈夫だと、無下に彼の好意を断ることもなかった。
そうして半年が過ぎ、文化祭の季節がやってくると、どうしてもクラスメイトとの共同作業をする機会が増えた。
私は割り当てられた仕事をきちんとこなしていたし、クレームをつけられることもなかったが、彼は私のところへ来ては不便はないかと手伝ってくれた。
そうして彼と何日か過ごしたある日、突然その声は降ってきた。
『佐鳥さんは全然しゃべらないよな……』
彼の隣でわずかに身じろぎしたのを覚えている。
聞こえてきたのは彼の声だった。そして、彼を見上げた私の目に映るのは、ひたいに汗を浮かべながら黙々と作業に取り組む彼の横顔。
『ちゃんと文化祭までに間に合うかなぁ』
彼の唇はわずかにも動いていなかった。
私は彼を好きなんだ。
それに気づいた瞬間だった。しかし、私の恋はすぐに終わりを迎えた。
『佐鳥姫はめんどくさい……』
私が佐鳥姫と揶揄されていたことも、彼が私に親切にしながら、実は迷惑に感じていたことも同時に知った。
それ以来、彼の心の声が聞こえたことはない。私はもう彼を好きではない。それはその証明だった。
好きな人の気持ちは知ろうと努力することなく知ることが出来る。私はその能力を生まれ持って身につけている。
彼の名前はなんだっただろう。二年、三年とクラスは違って、あまりよく覚えていない。
確か……と、思いを巡らそうとした時、クラスメイトの女子が急に立ち上がって叫んだ。
「あ! 嵩原くーん!」
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