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佐鳥姫の憂鬱 〜貞華の愛した幻の桜〜
あなたを知りたい人 5
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佐鳥華南は自覚を持って俺を誘惑する。
そのわりに彼女がどれほど魅力的かということは無自覚だ。まだまだ子どものようにあどけないことが救いで、己の壊れた心にさえ感謝する。
彼女を抱いてしまおうと思い切ってしまえないのは、そこにある。
高まる胸の鼓動が高まり切らずに冷めていくのは、俺の心にすき間があるからだ。このすき間が埋まる日は来るのだろうか。
華南のことだ。たとえ空虚な恋でも側にいてくれるだろう。無理に俺の愛を求めたり、自己都合で突き放してきたりはしないだろう。その安心感に俺は甘えている。しかしわずかに抱える不安もないではない。そのことに彼女は気づかない。
七五三田柚樹が華南を諦めていないのは明白なのに、彼女はいまだに危害を加えない無二の友人のように彼と交流している。
俺の心は複雑でスッキリしないものなのに、ぽかりとあいた空洞は解決方法を探る気力すら奪っていく。
「先生? ……夜間瀬先生、お嫌ですか?」
俺の胸にもたれながら、上目遣いで見上げてくる華南に視線を落とす。
「……いや、行こうか。清丈さんも次に来るときは佐鳥尚秀と夜月の墓参りを許してくれると言っていたからね」
佐鳥尚秀は華南の先祖であり、第一代佐鳥家当主。夜月はその側室だ。
御簾路へ行きたいと言い出す彼女に付き合うのも悪くはない。
つまり、以前訪れたときと同様に一泊することになるのだが、彼女が期待することは何もない。
華南の両親が暮らす屋敷で、彼女に触れることなどできるはずもないのだ。文字通り、俺と泊まる、それだけのことに楽しみを見出す華南は可愛らしい。
「そろそろお腹がすいたな」
彼女を手放すのは惜しいが、学生である彼女の時間をいつまでも削り続けるわけにはいかない。
「今日は直接先生のお部屋に来たから何も用意がなくて」
華南は恥じ入るようにそう答える。
「珍しいね、君が夕食の準備を怠るなんて」
もちろん、毎日用意があるわけではない。
彼女の気まぐれで準備されるものだが、俺の部屋へ来るときは大抵準備されているときだ。
「今から作ります」
「いや、いい。外食するよ。佐鳥くんは部屋へ戻りなさい。課題が山積みだろう?」
俺と過ごすひまはないのだと伝えれば、彼女はさみしそうにまばたきするが、妙な駄々をこねたりはしない。
玄関へ向かう俺のあとを華南は無言でついてくる。途中、キッチンカウンターの上にある車のキーを手に取ると、彼女が何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。
「先生、ずっと気になってたんです」
「何を?」
「部屋の鍵です。鍵をかけて出かけてください」
「誰も来ないからかまわない」
そう言ってみて、脳裏にひとりの女性が浮かんだ。華南以外の女性がここを訪れたのは、伊江内灯華一人だけ。
同時に華南も同じ女性を思い浮かべただろう。申し訳なさを含んだ複雑なまなざしを向けながらきっぱりと言う。
「そんなことはわかりません」
「ああ、そうだな。鍵をかけるとしよう。君にも合鍵を」
窓際へ戻る俺の背に彼女の声が追いかけてくる。
「合鍵をくれるんですか?」
「信頼の証と受け取ってもらってかまわないよ」
そう言いながら、ソファーと窓の間に置かれた棚に片付けてある鍵に手を伸ばそうとかがんだ俺の視線は、猫脚のテーブルに乗る土だけの鉢に釘付けになる。
「あ、先生っ」
華南も気づいて鉢に駆け寄ってくる。
「どうして……」
つぶやく彼女と、鍵をつかんで身体を起こす俺の前で、土を持ち上げた芽が顔を出し、みるみるうちにふたばを開く。
「御簾路には何も不思議なことなどないのに、君の周りでは不思議なことばかり起きるね」
佐鳥華南は自覚を持って俺を誘惑する。
そのわりに彼女がどれほど魅力的かということは無自覚だ。まだまだ子どものようにあどけないことが救いで、己の壊れた心にさえ感謝する。
彼女を抱いてしまおうと思い切ってしまえないのは、そこにある。
高まる胸の鼓動が高まり切らずに冷めていくのは、俺の心にすき間があるからだ。このすき間が埋まる日は来るのだろうか。
華南のことだ。たとえ空虚な恋でも側にいてくれるだろう。無理に俺の愛を求めたり、自己都合で突き放してきたりはしないだろう。その安心感に俺は甘えている。しかしわずかに抱える不安もないではない。そのことに彼女は気づかない。
七五三田柚樹が華南を諦めていないのは明白なのに、彼女はいまだに危害を加えない無二の友人のように彼と交流している。
俺の心は複雑でスッキリしないものなのに、ぽかりとあいた空洞は解決方法を探る気力すら奪っていく。
「先生? ……夜間瀬先生、お嫌ですか?」
俺の胸にもたれながら、上目遣いで見上げてくる華南に視線を落とす。
「……いや、行こうか。清丈さんも次に来るときは佐鳥尚秀と夜月の墓参りを許してくれると言っていたからね」
佐鳥尚秀は華南の先祖であり、第一代佐鳥家当主。夜月はその側室だ。
御簾路へ行きたいと言い出す彼女に付き合うのも悪くはない。
つまり、以前訪れたときと同様に一泊することになるのだが、彼女が期待することは何もない。
華南の両親が暮らす屋敷で、彼女に触れることなどできるはずもないのだ。文字通り、俺と泊まる、それだけのことに楽しみを見出す華南は可愛らしい。
「そろそろお腹がすいたな」
彼女を手放すのは惜しいが、学生である彼女の時間をいつまでも削り続けるわけにはいかない。
「今日は直接先生のお部屋に来たから何も用意がなくて」
華南は恥じ入るようにそう答える。
「珍しいね、君が夕食の準備を怠るなんて」
もちろん、毎日用意があるわけではない。
彼女の気まぐれで準備されるものだが、俺の部屋へ来るときは大抵準備されているときだ。
「今から作ります」
「いや、いい。外食するよ。佐鳥くんは部屋へ戻りなさい。課題が山積みだろう?」
俺と過ごすひまはないのだと伝えれば、彼女はさみしそうにまばたきするが、妙な駄々をこねたりはしない。
玄関へ向かう俺のあとを華南は無言でついてくる。途中、キッチンカウンターの上にある車のキーを手に取ると、彼女が何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。
「先生、ずっと気になってたんです」
「何を?」
「部屋の鍵です。鍵をかけて出かけてください」
「誰も来ないからかまわない」
そう言ってみて、脳裏にひとりの女性が浮かんだ。華南以外の女性がここを訪れたのは、伊江内灯華一人だけ。
同時に華南も同じ女性を思い浮かべただろう。申し訳なさを含んだ複雑なまなざしを向けながらきっぱりと言う。
「そんなことはわかりません」
「ああ、そうだな。鍵をかけるとしよう。君にも合鍵を」
窓際へ戻る俺の背に彼女の声が追いかけてくる。
「合鍵をくれるんですか?」
「信頼の証と受け取ってもらってかまわないよ」
そう言いながら、ソファーと窓の間に置かれた棚に片付けてある鍵に手を伸ばそうとかがんだ俺の視線は、猫脚のテーブルに乗る土だけの鉢に釘付けになる。
「あ、先生っ」
華南も気づいて鉢に駆け寄ってくる。
「どうして……」
つぶやく彼女と、鍵をつかんで身体を起こす俺の前で、土を持ち上げた芽が顔を出し、みるみるうちにふたばを開く。
「御簾路には何も不思議なことなどないのに、君の周りでは不思議なことばかり起きるね」
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