45 / 61
佐鳥姫の憂鬱 〜貞華の愛した幻の桜〜
あなたを知りたい人 5
しおりを挟む
***
佐鳥華南は自覚を持って俺を誘惑する。
そのわりに彼女がどれほど魅力的かということは無自覚だ。まだまだ子どものようにあどけないことが救いで、己の壊れた心にさえ感謝する。
彼女を抱いてしまおうと思い切ってしまえないのは、そこにある。
高まる胸の鼓動が高まり切らずに冷めていくのは、俺の心にすき間があるからだ。このすき間が埋まる日は来るのだろうか。
華南のことだ。たとえ空虚な恋でも側にいてくれるだろう。無理に俺の愛を求めたり、自己都合で突き放してきたりはしないだろう。その安心感に俺は甘えている。しかしわずかに抱える不安もないではない。そのことに彼女は気づかない。
七五三田柚樹が華南を諦めていないのは明白なのに、彼女はいまだに危害を加えない無二の友人のように彼と交流している。
俺の心は複雑でスッキリしないものなのに、ぽかりとあいた空洞は解決方法を探る気力すら奪っていく。
「先生? ……夜間瀬先生、お嫌ですか?」
俺の胸にもたれながら、上目遣いで見上げてくる華南に視線を落とす。
「……いや、行こうか。清丈さんも次に来るときは佐鳥尚秀と夜月の墓参りを許してくれると言っていたからね」
佐鳥尚秀は華南の先祖であり、第一代佐鳥家当主。夜月はその側室だ。
御簾路へ行きたいと言い出す彼女に付き合うのも悪くはない。
つまり、以前訪れたときと同様に一泊することになるのだが、彼女が期待することは何もない。
華南の両親が暮らす屋敷で、彼女に触れることなどできるはずもないのだ。文字通り、俺と泊まる、それだけのことに楽しみを見出す華南は可愛らしい。
「そろそろお腹がすいたな」
彼女を手放すのは惜しいが、学生である彼女の時間をいつまでも削り続けるわけにはいかない。
「今日は直接先生のお部屋に来たから何も用意がなくて」
華南は恥じ入るようにそう答える。
「珍しいね、君が夕食の準備を怠るなんて」
もちろん、毎日用意があるわけではない。
彼女の気まぐれで準備されるものだが、俺の部屋へ来るときは大抵準備されているときだ。
「今から作ります」
「いや、いい。外食するよ。佐鳥くんは部屋へ戻りなさい。課題が山積みだろう?」
俺と過ごすひまはないのだと伝えれば、彼女はさみしそうにまばたきするが、妙な駄々をこねたりはしない。
玄関へ向かう俺のあとを華南は無言でついてくる。途中、キッチンカウンターの上にある車のキーを手に取ると、彼女が何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。
「先生、ずっと気になってたんです」
「何を?」
「部屋の鍵です。鍵をかけて出かけてください」
「誰も来ないからかまわない」
そう言ってみて、脳裏にひとりの女性が浮かんだ。華南以外の女性がここを訪れたのは、伊江内灯華一人だけ。
同時に華南も同じ女性を思い浮かべただろう。申し訳なさを含んだ複雑なまなざしを向けながらきっぱりと言う。
「そんなことはわかりません」
「ああ、そうだな。鍵をかけるとしよう。君にも合鍵を」
窓際へ戻る俺の背に彼女の声が追いかけてくる。
「合鍵をくれるんですか?」
「信頼の証と受け取ってもらってかまわないよ」
そう言いながら、ソファーと窓の間に置かれた棚に片付けてある鍵に手を伸ばそうとかがんだ俺の視線は、猫脚のテーブルに乗る土だけの鉢に釘付けになる。
「あ、先生っ」
華南も気づいて鉢に駆け寄ってくる。
「どうして……」
つぶやく彼女と、鍵をつかんで身体を起こす俺の前で、土を持ち上げた芽が顔を出し、みるみるうちにふたばを開く。
「御簾路には何も不思議なことなどないのに、君の周りでは不思議なことばかり起きるね」
佐鳥華南は自覚を持って俺を誘惑する。
そのわりに彼女がどれほど魅力的かということは無自覚だ。まだまだ子どものようにあどけないことが救いで、己の壊れた心にさえ感謝する。
彼女を抱いてしまおうと思い切ってしまえないのは、そこにある。
高まる胸の鼓動が高まり切らずに冷めていくのは、俺の心にすき間があるからだ。このすき間が埋まる日は来るのだろうか。
華南のことだ。たとえ空虚な恋でも側にいてくれるだろう。無理に俺の愛を求めたり、自己都合で突き放してきたりはしないだろう。その安心感に俺は甘えている。しかしわずかに抱える不安もないではない。そのことに彼女は気づかない。
七五三田柚樹が華南を諦めていないのは明白なのに、彼女はいまだに危害を加えない無二の友人のように彼と交流している。
俺の心は複雑でスッキリしないものなのに、ぽかりとあいた空洞は解決方法を探る気力すら奪っていく。
「先生? ……夜間瀬先生、お嫌ですか?」
俺の胸にもたれながら、上目遣いで見上げてくる華南に視線を落とす。
「……いや、行こうか。清丈さんも次に来るときは佐鳥尚秀と夜月の墓参りを許してくれると言っていたからね」
佐鳥尚秀は華南の先祖であり、第一代佐鳥家当主。夜月はその側室だ。
御簾路へ行きたいと言い出す彼女に付き合うのも悪くはない。
つまり、以前訪れたときと同様に一泊することになるのだが、彼女が期待することは何もない。
華南の両親が暮らす屋敷で、彼女に触れることなどできるはずもないのだ。文字通り、俺と泊まる、それだけのことに楽しみを見出す華南は可愛らしい。
「そろそろお腹がすいたな」
彼女を手放すのは惜しいが、学生である彼女の時間をいつまでも削り続けるわけにはいかない。
「今日は直接先生のお部屋に来たから何も用意がなくて」
華南は恥じ入るようにそう答える。
「珍しいね、君が夕食の準備を怠るなんて」
もちろん、毎日用意があるわけではない。
彼女の気まぐれで準備されるものだが、俺の部屋へ来るときは大抵準備されているときだ。
「今から作ります」
「いや、いい。外食するよ。佐鳥くんは部屋へ戻りなさい。課題が山積みだろう?」
俺と過ごすひまはないのだと伝えれば、彼女はさみしそうにまばたきするが、妙な駄々をこねたりはしない。
玄関へ向かう俺のあとを華南は無言でついてくる。途中、キッチンカウンターの上にある車のキーを手に取ると、彼女が何かを思い出したように「あっ」と声を上げた。
「先生、ずっと気になってたんです」
「何を?」
「部屋の鍵です。鍵をかけて出かけてください」
「誰も来ないからかまわない」
そう言ってみて、脳裏にひとりの女性が浮かんだ。華南以外の女性がここを訪れたのは、伊江内灯華一人だけ。
同時に華南も同じ女性を思い浮かべただろう。申し訳なさを含んだ複雑なまなざしを向けながらきっぱりと言う。
「そんなことはわかりません」
「ああ、そうだな。鍵をかけるとしよう。君にも合鍵を」
窓際へ戻る俺の背に彼女の声が追いかけてくる。
「合鍵をくれるんですか?」
「信頼の証と受け取ってもらってかまわないよ」
そう言いながら、ソファーと窓の間に置かれた棚に片付けてある鍵に手を伸ばそうとかがんだ俺の視線は、猫脚のテーブルに乗る土だけの鉢に釘付けになる。
「あ、先生っ」
華南も気づいて鉢に駆け寄ってくる。
「どうして……」
つぶやく彼女と、鍵をつかんで身体を起こす俺の前で、土を持ち上げた芽が顔を出し、みるみるうちにふたばを開く。
「御簾路には何も不思議なことなどないのに、君の周りでは不思議なことばかり起きるね」
0
あなたにおすすめの小説
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
やさしいキスの見つけ方
神室さち
恋愛
諸々の事情から、天涯孤独の高校一年生、完璧な優等生である渡辺夏清(わたなべかすみ)は日々の糧を得るために年齢を偽って某所風俗店でバイトをしながら暮らしていた。
そこへ、現れたのは、天敵に近い存在の数学教師にしてクラス担任、井名里礼良(いなりあきら)。
辞めろ辞めないの押し問答の末に、井名里が持ち出した賭けとは?果たして夏清は平穏な日常を取り戻すことができるのか!?
何て言ってても、どこかにある幸せの結末を求めて突っ走ります。
こちらは2001年初出の自サイトに掲載していた小説です。完結済み。サイト閉鎖に伴い移行。若干の加筆修正は入りますがほぼそのままにしようと思っています。20年近く前に書いた作品なのでいろいろ文明の利器が古かったり常識が若干、今と異なったりしています。
20年くらい前の女子高生はこんな感じだったのかー くらいの視点で見ていただければ幸いです。今はこんなの通用しない! と思われる点も多々あるとは思いますが、大筋の変更はしない予定です。
フィクションなので。
多少不愉快な表現等ありますが、ネタバレになる事前の注意は行いません。この表現ついていけない…と思ったらそっとタグを閉じていただけると幸いです。
当時、だいぶ未来の話として書いていた部分がすでに現代なんで…そのあたりはもしかしたら現代に即した感じになるかもしれない。
王弟が愛した娘 —音に響く運命—
Aster22
恋愛
村で薬師として過ごしていたセラは、
ハープの音に宿る才を王弟レオに見初められる。
その出会いは、静かな日々を終わらせ、
彼女を王宮の闇と陰謀に引き寄せていく。
人の生まれは変えられない。それならばそこから何を望み、何を選び、そしてそれは何を起こしていくのか。
キャラ設定・世界観などはこちら
↓
https://kakuyomu.jp/my/news/822139840619212578
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる