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陶芸の青年と閉ざされた過去

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 陽仁さんと別れてろまん亭へ戻ると、駐車場に赤い車が停車していた。

 あの車は……と、考えるより先に弦さんが走り出し、「ワワンッ」と吠えながら、ろまん亭の入り口にたたずむ女性に向かっていく。リードに思いがけない力が加わって、前のめりになる私を、びっくりした顔で見つめているのは果歩さんだった。

 今にも彼女へ飛びかかりそうな弦さんにつながるリードを引っ張って、「弦さんっ、大丈夫だから」と何度も声をかけると、彼は情けなさそうにしっぽを垂れた。それでも果歩さんをじろじろ見ているから、私は無言で頭をさげて、弦さんを庭へ連れていった。

「なんだ、またあの女か?」

 弦さんの鳴き声が聞こえたのか、庭先へつづみさんが姿を見せた。

「屋根は大丈夫ですか?」

 見るからに応急処置とわかるブルーシートが屋根の一部を覆っている。作業はなんとか完了したようだけど、昨日みたいな雨がまた降ったらと思うと心配だろう。

「まあ、なんとかなるだろ。陽仁は?」
「夕方には来れるらしいです。すみません。果歩さんが待ってるみたいだから、弦さんお願いします」

 果歩さんが私を待っていたのかどうかも不確かだけど、いいも悪いもなくつづみさんにリードを渡すとすぐに駐車場へ戻った。

「ろまん亭は休業中なんです。何か御用でしたか?」

 そう声をかけると、果歩さんはピンクの傘を開いて私に近づいてきた。

「すみません。私のせいですね」
「えっ?」

 唐突にあやまられて戸惑ってしまう。

「あのワンちゃん、私を怒ってるみたい。もう何年も経つのに忘れてないのね」

 ますます面食らって眉をひそめる私に、彼女は少し驚いた様子を見せる。

「何も聞いてないの? 陽仁から」
「陽仁さんは父がお世話になっていた方なだけです」

 言葉にしてみて、どきりとした。彼は優しくしてくれるけれど、友人ですらない。私たちの関係なんてそんなものなのだ。

「それは陽仁から聞いたわ。野垣さんのお嬢さんだって。娘さんがいらっしゃるなんて全然知らなかったから、嘘ついてるんだとばっかり思ってたけど、本当なの?」

 つまり、恋人なんでしょって疑ってるのだろう。嘘をついてでも隠したい関係だって。

「話はそれだけですか?」

 思いがけず、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。陽仁さんに近いのは果歩さんの方なのに、妙な嫉妬を起こされてるみたいで落ち着かないのは事実だけど、彼女に対して嫌悪してるわけじゃない。気まずくなる空気に気づいて、あわてて言う。

「そうじゃないんです。何か誤解されてるみたいだから。あなたが思ってるより、私は何にも知らないと思います。ここへはじめて来たのも1ヶ月前だし」

 けげんそうにする果歩さんに言い訳するみたいに、余計なことをべらべらと話して後悔する。途方にくれた顔をしただろうか。彼女は表情をやわらげて、くすっと笑った。

「ごめんなさい。いろいろと早とちりしてたみたい。私、真乃屋果歩って言います」

 真乃屋?
 私はまじまじと果歩さんを見つめた。真乃屋なんて珍しい名前だと思う。

「陶芸家の真乃屋和雄さんとおんなじ苗字なんですね」

 真乃屋和雄の出身地はこの辺りだったと記憶している。親戚関係の人が近くにいてもふしぎじゃないけれど。

「はい。真乃屋和雄は私の父です。陶芸家の有名人なんて知ってる人しか知らないと思ってるんですけど、ご存知なんですね」
「たまたまです」

 陶芸をやってたから知ってる。それも、真乃屋和雄の作品に触発されて始めた陶芸だ。私の原点と言ってもいい。でも、それを話したら、彼女はもっと知りたがるだろう。だから、素っ気ない言い方をしてしまった。

「たまたまって」

 果歩さんはおかしそうに口もとに手を当てて笑う。

 人間国宝にまでなった人に対する言葉ではなかった。気づいたけど、もう遅い。冷や汗を流す私に、彼女は軽やかに言う。

「ねぇ野垣さん、今日はあなたにお願いがあって来たの。お時間をいただけるなら、駅の方のカフェへ行きません?」
「野垣じゃないです。白石望と言います」

 陽仁さんは私の名前までは教えなかったみたいだ。

「え、……そうなの。よく事情は知らなくて、何か失礼なことを言ったかしら。ごめんなさいね」
「かまいません。それより、どうぞ。お店開けますから」

 父との関係を詮索されても困る。きっと、果歩さんの方が父を知ってるだろう。

 どこか部外者な私が情けなくて、淡々とそう言うと、ポケットから取り出した鍵でろまん亭のドアを開けた。

 話ってなんだろう。
 お父さんが大変なときに、陽仁さんの彼女かもしれないなんて、女の子の詮索に来てるとは到底思えない。かといって、それ以外に果歩さんが私と話したいなんて思う理由も見あたらない。

 コーヒーを淹れながら、カウンター席につく彼女の様子を観察した。好奇心旺盛なのだろう。彼女は店内を見回し、「変わらないわね」とつぶやいて、鳩時計をしげしげと眺めている。

「最近はこちらにいらしてないんですか?」

 つづみさんから2、3年は来てないはずだと聞いていたけれど、尋ねてみた。

「気になる?」

 彼女は挑発的にそう言って、眉をひそめる私に「冗談よ」と笑った。そう言うけれど、かまをかけたりして、まだ私を陽仁さんの恋人かもしれないって疑ってるのだろう。

「本当に陽仁と付き合ってないの?」

 今度は単刀直入に尋ねてきた。

「お付き合いできるほど、陽仁さんのこと知らないですから」
「私は付き合っていても、彼がわからなかったわ」

 ため息をつく彼女を見つめるのは複雑だった。だからなんだというのだろう。

 今度こそ、よく理解してあげたいと思うのだろうか。私にしつこく陽仁さんの彼女じゃないのかと尋ねるのは、やはり、よりを戻したいからだろうか。

「私じゃダメなのよ」

 果歩さんはまぶたを伏せて、コーヒーカップを口元に運んだ。

「ああ、おいしい。陽仁の淹れるコーヒーと同じ味がするわ」

 さらにそうつぶやいて、カウンターに立つ私を見ていながら、ひとり語りのように話し始める。

「陽仁と付き合っていたの、大学生のころ。彼とは高校が一緒で、同じ趣味を持っていたからすぐに仲良くなったわ。でも、なかなか彼女にしてもらえなくて、ずっと片想い。彼はすごくカッコよくてモテる人だから……もうあきらめようって思ってたんだけど。付き合いたいって言ったのは、私。……ふったのも、私」
「すごく好きだったんですね」
「ええ、すごく好きだった」

 過去形で話すのだと思った。彼をふったとき、果歩さんの恋は終わったのだろうか。だったらどうして、今ごろ陽仁さんに会いに来たのだろう。

「好きなのに別れたんですね」
「どうしても許せないことがあったの。なんで黙ってたのって、腹が立って……」

 当時を思い出したのか、彼女の語気は強く、批判的だった。

「わかり合えなかったんですか?」
「わかり合うも何も、陽仁はだんまりで、何も言わなかった。言ったでしょう? 彼がよくわからないって。彼は優しいだけで、あとは何にもない人なの」

 そんな言い方はあんまりじゃないか。そう思ったけど、黙っていた。陽仁さんをよく知らないのは、私も同じだ。

「腹が立って、怒っちゃった。あのときね、あのワンちゃんが一緒にいたの。私がすごい剣幕で陽仁を怒るから、びっくりしちゃったのね。大好きな彼を傷つける私が敵に見えたみたい。黙ってる彼を守るみたいに、私をずっとにらみつけてたわ」

 それが、つづみさんが父から聞いたという、雨の日のろまん亭での出来事なのだろう。

 果歩さんにふられた陽仁さんにずっと寄り添っていた弦さんは、彼を必死に守ろうとしていた。だから今でも、彼を傷つけるかもしれない彼女を、怖がりながらも警戒してるのだろう。

「嫌われても当然のことをしたの……」

 ぽつりとつぶやいた果歩さんは、後悔するみたいにひたいに手をあてて目を閉じた。

「今日はどうしてこちらへ?」

 話を促すように尋ねると、私が迷惑がってると感じたのか、彼女は気まずそうに肩をすくめた。

「あなたが陽仁の彼女ならと思って、お願いがあってきたの」
「残念ですが……」
「本当に付き合ってないのね」
「嘘をつく理由もないですから」
「そう。陽仁がなかなかあなたのことを話そうとしないから、私から遠ざけようって必死になってるみたいに見えたの。勘違いしたりして、ごめんなさい」

 果歩さんは頭を下げて詫びると、バッグを手に取り席を立った。帰るのだろう。

「もう一度、陽仁に直接話してみます。聞いてはくれないだろうけれど」
「今日は用事があるって言ってましたけど」

 詮索するみたいに尋ねてしまう。果歩さん以上に、私もふたりの関係を気にしてしまってるのだ。

「そうみたいね。近々、たきざわ夕市さんの個展があるそうよ。準備で忙しいみたい、彼。また出直すわ、私も忙しいし」

 なんだそうなのかとホッとしてる私がいる。同時に、忙しい彼を無理に付き合わせてしまってるのだと申し訳なくなる。

 果歩さんはドアに手をかけると、何を思ったのか、ふと振り返った。

「父親が亡くなると、やっぱりさみしいものかしら」
「え……?」
「あ、ううん。変なこと言ってごめんなさい」

 気まずそうにそう言うと、彼女は足早にろまん亭を出ていった。

 父の永朔が亡くなっても、私にはさみしい気持ちなんて全然なかった。それはそうだろう。私はずっと父とは無縁に生きてきた。

 果歩さんは私とは違うだろう。きっと愛情を受けて育ったと思う。

 真乃屋和雄は、過去に雑誌のインタビューで、ひとり娘に立派な父親だったと思われて生涯を閉じたいと答えていた。どう生きるかも大事だが、どう死ぬかも同等に大事である。彼はそう言っていた。

 どう死ぬか。
 父は最期に、何を思って亡くなっただろう。その思いを、私は見つけることができるだろうか。

 ポケットからスマホを取り出して、自宅に電話をかけた。電話はすぐにつながった。祖母だった。

「あ、おばあちゃん? おじいちゃん、いる? ちょっと探してほしいものがあるの。お父さんのお葬式のときの芳名帳のことなんだけど……」
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