せめて契約に愛を

つづき綴

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彼に届くまでの距離

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 昼休憩が終わる頃、オフィスに戻ろうとしていた俺の横を湊先輩は走り抜けていった。
 慌てる姿なんて珍しい。何か問題でも起きたのだろうか。

 先輩の背中はすぐに見えなくなる。勢い良くそのままオフィスへ駆け込んでいったようだ。

 先輩に遅れてオフィスに到着し、入り口に差し掛かった時、今度はオフィスから飛び出してきた湊先輩とぶつかりそうになる。
 いつもならにらみつけてくる先輩だが、急いでいるのだろうか、そのまま行こうとする。

「先輩、何かあったんですか?」

 そう呼び止めると、先輩は驚いたように振り返った。

「朔、いたのか」

 その言葉に笑いを禁じ得ない。俺など目にも入っていなかったようだ。

「どこへ行くんですか?」

 そんなことはおまえには関係ないとあしらわれるかと思っていたが、湊先輩は意外にもにやりと笑った。

「三時までには戻るよ。見て欲しい書類があるならデスクの上に置いておけ」
「三時ですか。俺、今日は用事があって定時にあがらせてもらいます」
「用事? デートか?」
「まあ、少なくともデートではないですけど……」
「ふーん、まさか沙耶に会いに行くつもりじゃないだろうな」

 まるで俺の用事と言えば、沙耶さんに会うぐらいしかないと思われているようだが、それでも否定はできず。

「……まあ」
「図星か。沙耶もあいかわらず、おまえを振り回してるんだな」
「振り回すっていうか、俺が勝手に」
「突き放す優しさを持てって沙耶に言っておいてやるよ」
「え、言っておいて?」

 俺は目を丸くする。ずっと湊先輩と沙耶さんは連絡を取っていないはずだ。

「諦めさせる方法を沙耶は知らないんだ」
「諦めるっていうか。今は本当に友達として会っていて。それに沙耶さんの子供、すごく可愛いんですよ。先輩は知らないかもしれないですけど……」
「おまえに言われたくないね」
「沙耶さんに聞きましたよ。湊先輩は一度も子供に会いに来たことないって」
「いろいろ事情があるんだよ。それでも非難してるつもりか?」

 そう言いながら、どことなく先輩は楽しそうに話す。

「そうじゃなくて。沙耶さんは湊先輩に会いたいんじゃないかって。七海ななみちゃんも、あ、七海ちゃんっていうんですけど、沙耶さんによく似てて、本当に可愛いんです」
「おまえに言われなくてもわかってるって言ってるだろ。名付け親は俺だよ。さっきから誰に向かって口きいてるんだよ」

 あきれた様子の先輩も、ぽかんと口を開ける俺の表情に好意的な苦笑いをする。

「定時にあがりたければ、しっかり仕事するんだな」

 そう言って、湊先輩は俺に背を向けて歩き出す。まるで走り出したい気持ちをこらえるかのような早足で。

 先輩の背中が見えなくなった廊下を見つめ、俺はぽつりとつぶやいた。

「なんだ。離れてても、ちゃんとつながってるんじゃないか……」
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