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奇妙なアルバイト

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「この珍しくも暑い秋の日に、ストールですか」

 玄関先まで俺を迎えに現れた一真は、私服姿の俺を見るなり、嫌味とも受け取れる第一声をあげた。
 そういう一真は俺よりも暑苦しい詰め襟シャツにジャケット姿だ。淑女に対する礼儀ある服装だと一真は言い切るが、ただ肌を見せるのを好まないだけだろうと呆れる。

「何かございましたか?」

 門へと続く石畳を歩き出す。一真は俺の一歩後ろに控えながら尋ねてくる。俺の気鬱な表情を見逃さなかったに違いない。彼に下手なごまかしは通用しないと、俺は正直に吐露する。

「ちょっとな。悪い夢を見た」
「香水の次は夢ですか。どういった夢だったのです?」

 以前、大量の香水を身体中に振りまいた件を一真は思い出したようだ。思えば、あの頃から部屋のものが勝手に動かされているなど、奇妙なことが身の回りで度々起きている気がする。

「首を絞められた」
「……それで、そのストールですか」
「どうやら女に恨みを買ってるらしい」

 俺は少しストールを下げる。

「確かに」

 俺の首を覗き見た一真は眉をひそめる。俺の首には小さな指の跡がいくつか残っていた。それを彼は今、確認したのだ。俺の見間違いではないことの証明にもなる。

「夢の中の女が首を絞めたのですね。どんな女でしたか?」
「若い女のようだったな。顔までは見てないが、声が……」
「声? 話をしたということですか?」
「いや、一方的に恨みつらみを吐き出してきた。どうやら何か勘違いをして、俺に裏切られたと思っているらしい」
「勘違い? 本当ですか?」

 一真は疑い深い様子で身を引き、俺を眺める。

「……その言い方は誤解を招く」

 不機嫌に答えると、一真は一つうなずく。

「まあ、信じましょう。身に覚えがないとしても、困りましたね。スキャンダルは致命傷です」
「泊まりに来るか?」

 一真を家に泊めたことはないし、泊めたくもないが、仕方なくそう提案する。

「よろしいのですか?」
「……目を輝かせるな。寝ずにいつ夢に出てくるともわからぬ女を待つんだぞ?」

 一真は嬉々としている。嫌な予感しかない。

「容易い御用です。さぞや艶かしい美姫に出会えるのでしょうね? 白夜様はお目が高いですから」
「若い女であることは間違いないが、確約はしない」
「期待はしましょう。しかし、一つだけ気になることがあります」
「なんだ?」
「その女が現れた時、もし実態のないものであった場合、私は対処する術を持ちません」
「夢の中にしか現れないなら、姿も見えないかもしれないな」

 一真の言うことはもっともだ。何者かに苦しめられていることは確認できるかもしれないが、それを解決することができるかどうかは別問題だ。

「これは助けが必要になりますね。そうですねー、……ええ、そうしましょう。我ながら良い案です。さあ、楽しみになってきました」
「……勝手に納得して、勝手に楽しむな」

 何を考えているのかわからない一真を横目にあきれてため息をつくが、彼は全く意に介さず足取り軽やかに言う。

「今わくわくせずして、いつわくわくするのです? 白夜様にお仕えして、今日ほど楽しい日はないですよ。さあ、呼結神社へ参りましょう。美しい舞姫がお待ちかねですよ」

 呼結神社を訪れたのは、初めてのことだと思っていた。しかし、住宅地の中をゆるやかにうねる坂を下り、不意に現れた鳥居を目にした瞬間、俺はここに来たことがある、そんな既視感に襲われた。

 この街に来たのは、中学を卒業してすぐのことだった。それまでは足を踏み込んだこともない街だった。越して来てからも、近所を出歩くなどしたことはない。それなのに、俺はどうしてここへ来たことがあるだなどと思ったのだろう。

「あちらが神楽殿ですね。知った顔がちらほらと……」

 普段の神社の様子など知らないが、境内には思いの外、人手が多く見られた。賑わうほどではないが、一真が神楽殿と指差した先にはクラスメイトの姿がある。

「橘安哉はいないようですね」

 一真がそう言った時にも、俺は安哉の姿を無意識に探していた。気にする必要などないはずだが、学校で目立つ彼は、意識したくなくても意識してしまう存在であった。
 そして、対に扱われる美鈴もまた、同じクラスになったことなどないのに、毎日のように俺の耳にその名が届く存在だった。

「行事があるわけでもないのに、舞っているのか?」
「さあ。行けばわかりますでしょう」

 神楽殿に集まる人々の目当てはもちろん舞姫だろう。そこに人々がいるなら、中では舞が披露されている最中のはずだ。
 そこで舞うのが美鈴であると、妙に確信しながら俺たちは歩もうとした。

 と、その時、社務所の方から白衣に緋袴の巫女が飛び出してきた。知った顔だ。美鈴の友人である山口彩斗美だった。
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