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真実と終わる恋

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 庭先で夜空に浮かぶ月を見上げる。奇子に会わなくなって、何度目の三日月だろうか。
 彼女に初めて想いを告げた日も、三日月が俺を優しく照らしていた。もう彼女に会うことは叶わないのだろうか。彼女のぬくもりはいまだ俺の身体に残っているというのに。

 小さなため息を吐き出す。白い息が出た。
 年が明けたら俺は結婚する。前から決まっていたことだ。それでも俺は、奇子を一目見た時から恋に落ち、彼女もまたそれを理解しながら俺を慕ってくれていた。

 ただ一つ心残りがあるとすれば、何も伝えてやれずに彼女との恋が終わることだけだ。
 わかっていたこととはいえ、つらいだろう。奇子のことだ。泣いているかもしれない。

 砂利を踏む足音にハッとする俺は振り返り、庭先に現れた人物に目を止めると、「ああ……」と、小さな息を漏らす。弟の安哉だ。俺に会いに来るのは珍しい。

「どうした? 夜更けに」
「もうすぐ結婚式ですね。つつがなくお過ごしでしょうか」

 安哉は生真面目な表情でそう答える。

「そんなことを言いに来たのか? 心配するな。俺は落ち着いてる」
「どなたか別にお好きな方がいるかと思ってました」
「なんだ、遠回しに聞くこともない。そのような娘がいたとしても、最初から終わるとわかっていたものだ。心配するようなことは何もない」
「兄上はあっさりされている」

 安哉は苦笑いする。
 俺はいつだったか、安哉に奇子の話をしたことがあるだろうか。あれほどの美姫と恋に落ち、俺も浮かれていたに違いない。彼女の美しさを聞かせたかもしれない。

「それより安哉、おまえはどうなんだ。体調が優れないと聞いたが」
「おかげ様で今日はとても気分が優れています」
「そうか。それで来たか。たまには来るといい。賑やかなのは嫌いではない」
「兄上はお元気だ」

 暗い笑みを浮かべる安哉が心配にもなる。しかし兄弟と言えども、踏み込めないものはある。

 結局、何を言いに来たのかわからないまま、安哉は帰ろうとする。
 頭を下げて背を向ける安哉を見送る俺は、ふと思い立ち、彼を呼び止めた。

「安哉、一つ、頼まれてくれないか」

 俺は衣の袖から桐の箱を取り出す。その様を安哉は眉をひそめて眺めている。

「なんです?」
「つげ櫛だ。ある女へ届けてくれないか。何も言わず、何も聞かず」
「まるで私が現れるのをご存知だったように周到」
「そうではない。渡そう渡そうと思いながら、月日が経ってしまっただけだ」

 毎晩、奇子に会いに行きたい、そう願いながら叶わない日々はただ漫然と過ぎてきた。

「またお会いしたいのですね」
「何も聞かずと」
「わかりました。必ずお届けします。彼の舞姫も、兄上の想いが支えになりましょう」
「頼む」

 安哉が『舞姫』と口にした時から、俺は全てを理解している弟を確信した。だからこそ信用した。俺にとって弟の安哉は、唯一の希望だったのだ。
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