甘じょっぱい君のこと

つづき綴

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 遠くから見てるだけでいい。
 そう思っていたのは、強がりだった。

 先輩に彼女ができた。
 それを聞いた時、足の先がひんやりした。地につくつま先が氷に覆われて、固まって、もう動けないんじゃないかと思うぐらいの冷たい衝撃が、私の全身を貫いていった。

 失恋するって、こんな感じなんだ……。

 ただの憧れだったのにな。
 付き合えるなんて思ってなかったのにな。

 本当は、先輩の特別になりたかったんだ__



***


日向ひゅうが先輩、一年と付き合ってんだってな」

 学校からの帰り道、とぼとぼと歩く私を追いかけてきたのは、同級生の勇太ゆうただった。

 やだな。逃げ出したい。きっと今、貧相な顔してる。
 だけど、思うように走れる気がしない。足の感覚がおかしい。歩いてるって実感がない。私はまだ、先輩に彼女ができたって聞いて、途方にくれてるみたい。

「うん、千帆ちほちゃんだって」

 かろうじて、平然としたふりで返事はできた。相手が勇太だからだ。私はこいつに気が許せない。

「千帆? ああ、美咲みさきの後輩か」
「かわいいって、バスケ部男子も騒いでたじゃん」
「あー。そうかもな」

 頭の後ろで腕を交差させて、勇太はまだ明るい夏空を見上げる。そのまま沈黙する。珍しい。てっきりからかいに来たと思ったのに。

 私と勇太は高校に入学してから知り合った、クラスメイト。部活も同じ、バスケ部。高校二年生。

 日向先輩も、後輩の千帆ちゃんも同じバスケ部。先輩は先月引退。千帆ちゃんと一緒に部活をしてた時間はわずかだったけど、やっぱりかわいい子を好きになるのに時間なんて関係ない。

 千帆ちゃんは線が細くて華奢な女の子。くりっとした大きな瞳が印象的な、大人しい子。へたっぴだけど、バスケが大好きで、マネージャーを志願して入部してきた。
 彼女が体育館に姿を見せると、男子バスケ部がざわつく。そんな男子たちに「たるんでるぞ」なんて叱りつける日向先輩が、一番彼女にメロメロだった。

 千帆ちゃんは自己主張をあんまりしない子だから、日向先輩から告白したんだろうって、うわさは持ちきりだった。

 私はというと、小学生の時に始めたミニバスケをきっかけに、中高とバスケ一筋。これでも一応、キャプテン。練習に気合いが入ってないと叫び散らすから、鬼の美咲なんて陰で言われてる。

 勇太は副キャプテン。キャプテンと選手たちの不満を飲み込んで、「まあまあまあ」と和んだ空気を作り出してはチームを一つにまとめ上げる天才だ。

 天才だなんて、本当は認めたくない。
 いつもちょっかいかけてきては、「マジで鬼になるぜ」なんて、怒る私をからかう、はた迷惑なやつ。

「好きだったんだろ」

 今さらそれを確かめる必要があるか。
 こういうとこ、嫌いだ。彼は私にだけ無神経なところがある。

「何が」
「日向先輩」

 だから、その名前を言うなっての。
 泣けてくるじゃんか。

 私だって真剣に先輩に恋してた。あんなに優秀でカッコいい人、二度と出会えない。

「知らないっ」

 勇太の前でだけは泣くもんか。
 鬼の目にも涙、なんてからかってくるに決まってる。

 不意に足が軽くなる。今なら逃げられる。
 キュッと足の裏にしっかりと力を入れて走り出そうとした瞬間、勇太がぽんっと私の背中を軽く叩いた。

「元気出せよ。美咲がそんな顔してたんじゃ、俺も落ち着かん」

 前に押し出された私は振り返って、鼻の頭をかく勇太を軽くにらむ。

「いきなり押したら、転ぶじゃん」
「わりぃ」
「許さん」

 私たちは顔を見合わせ、吹き出して笑った。

 7月の暑い日差しが、今日だけはやけに優しく感じた。
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