毒妻探偵〜サレ公爵夫人、夫の愛人を調べていたら殺人事件に巻き込まれました〜

地野千塩

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第二部

呪いの愛人ノート編-2

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 ドロテーアがいる病院からその脚で劇場に向かった。今の季節は真夏だ。徒歩二十分ぐらいの距離だったが、日傘をさしてもフローラの頬や額に汗が滲む。

 それでも公爵夫人たる所、ドロテーアのような無様な表情はできない。ハンカチで汗を抑えつつ、涼しい顔を作り、劇場へ。

 伯爵夫人クララが持っているあの劇場だ。大きな劇場ではないが、夜からブリジッドが出演する劇が上演中だ。ブリジッドに接触する為、楽屋に向かったが、さすがにスタッフに止められてしまった。クララや公爵家の名前を出しても、蒸しケーキで買収しようとしても無駄だった。

 とはいえ、このまま帰るわけにもいかない。劇場の裏手に周り、劇の背景や衣装を運んでいるスタッフに声をかけた。もちろん、蒸しケーキを渡すと……。

「何このケーキは。うまそうっすね」

 筋肉モリモリの若いスタッフの一人が食いついた。全身黒づくめだった。見た目通り、劇で黒子の仕事もしているらしい。

「女優のブリジッドに会いたい? いやいや、それは無理っす」

 事情を話したが、案の定この黒子にも理解は得られなかった。

「ブリジッドさん、今はなんかナイーブなんっすよ」

 とはいえ、蒸しケーキを数個与えると、黒子み態度を軟化させた。ムシャムシャと食べながら、耳元でこっそりと教えてくれた。

「何でもブリジッドの娘のアリスが行方不明らしいっす。それで不機嫌らしい」
「娘? 娘のアリスってどんな子?」
「うーん、何というか存在感がなくて、幽霊みたいな子」

 幽霊みたいな子?

 ピンときた。確かドロテーアもそんな事を言っていた。確かパティの共犯者について。

 まさかパティの共犯者=ブリジッドの娘アリス?

 その可能性も十分ありえた。パティがブリジッドを日常的に脅していたとしたら、その過程で娘のアリスと知り合い、結託して脅していた?

 あり得ない話でもない。それにアリスはシスター・マリーの菓子屋で予約注文もしていた。娘のアリスがこの事件に関わっている事は可能性大。もしかしたら犯人か。脅しで得た金の取り分で揉めた。動機も考えられるが、何の証拠もない。

「アリスってどんな顔かわかる?」
「それが特徴もなくて地味なんだよ。あ、もう仕事あるから」
「ええ、ありがとう」

 フローラはバスケットの残りの蒸しケーキを黒子に全部与えて別れた。

 その脚で劇場の表に行き、とりあえずロビーのソファに座った。相変わらずブリジッドの出演する劇は人気のようで、ロビーにあるポスターには、チケット完売のお知らせみ出ていた。

 この人気女優だ。確かに旬は過ぎたとはいえ、不倫スキャンダルになったら一番困るのは、ブリジッドだ。ペティはブリジッドを脅していた事も、娘のアリスが共犯者だった事。それでパティは恨みを買い、殺された事はもう動かしにくい事実だろう。

「あぁ……」

 フローラは頭を抱えたくなった。全ての出発点は、あの愛人ノートだ。あれさえなければ、脅しや殺人もなかった。呪いなんて信じていないが、結果的に似たようなもので、いくら神経が太いフローラでも、罪悪感も持ち始めていたが。

「あなた、公爵家のフローラ・アガター?」

 気づくと目の前に見知らぬ女がいた。全身黒づくめで、黒子の一人かと思ったが、どこかで見覚えがあった。

「そうですけど、あなたは魔術師ルーナ?」

 すぐに誰だか思い出した。確かこの女もブリジッドの関係者だ。確かブリジッドもルーナに心酔状態だったと聞いた。それにパティとも関係あったはず。

 フローラの頭は急速に回転していた。確かパティもルーナの本に絶賛コメントを寄せていたではないか。ルーナが言葉巧みに誘導すれば、パティにクッキーを食べせるのも可能。「これを食べると運気が良くなる」とでも言ったか。魔術師の言葉ゆえ、パティが信じて自らクッキーを食べてしまっても不思議ではない?

「私の顔をジロジロ見ないでくれません?」

 ルーナは、ウンザリしたような声をあげた。低く、色気のある声だ。年齢は五十過ぎぐらいだが、消声だけ聞くとまだ若い。

「いえ。っていうか、あなた何の用? 劇場で何を?」
「ふふふ」

 ルーナはフローラの側に腰掛けると、ぶつぶつと愚痴をこぼしてきた。魔術師エルのせいで、ルーナも仕事がクビになったという。

「これも全部マムの事件を解決したあなたのせいね。いっそ呪い殺してしまいたいわ」

 ルーナは毒気たっぷりの笑みを見せてきた。フローラも毒妻という不名誉な二つ名がついていたが、このルーナの毒色も負けていない。大輪の毒薔薇のような女だったが、ここでフローラだって負けてはいない。背筋を伸ばし、ルーナに軽く微笑んだ。ルーナの毒気など全く気にしていない意思表示だ。

「だったら、今すぐ呪って見せなさよ」
「ええ、いいわね。あはは!」
「そうね。ウフフ!」

 二人で高笑いをしていた。こんな二人の笑みに、通りかかった黒子がのけぞり、足早で逃げていく始末だった。

「奥さん、もう事件に首など突っ込まない方がいいわ」
「え? 一体なぜ?」
「あなたは私が見たところ、魔術師体質だわ。人を呪うのも朝飯前。実際、あなたの夫の元愛人が不幸になっているじゃなくて? 死んだ人間もすでに二人目」

 フローラは、何も言い返せない。夫も愛人が死んだ事は完璧な事実だった。そのパティは略奪まで企てていたところ、寸前のところで殺されてしまった。偶然と言うのは、少し無理があるかもしれない。

「たっ、確かにそうだけど」
「もうお辞めなさい。魔術師としてあなたの命運を診断しましたけど、これ以上事件に首を突っ込むと、あなた地獄に落ちるから。大人しく公爵夫人をやっていなさい」

 これは脅しか?

 ルーナはフローラを憐れむように目尻を下げていた。

「あなたを思っての事。このまま大人しく公爵夫人をしていれば、旦那の気持ちも返ってくる。あなたと公爵は前世から結ばれた運命の糸がある。私には見えるから」

 心がぐらつきそうになった。もしルーナが犯人だとしたら、遠回しの脅しのようなものだ。しかし、その声が優しく、甘く、一瞬、事件調査など全部辞めたくなったが。

「いいえ。私は事件調査を続けます。パティを殺した犯人を見るけるわ!」
「お辞めなさい。地獄に落ちるわよ。私は忠告しているのよ?」

 ルーナはさらにハチミツのように甘い笑顔を見せてきたが、無視だ。フローラは立ち上がり、ルーナを見下ろして言ってやった。

「地獄になんて落ちないわ。そんな運命もない。もしあるなら、抗ってやるから」
「そう。後悔しても遅いから」
「ええ。ご忠告どうもありがとう。では!」

 フローラはわざとキラキラした笑顔を作り、ルーナの前から立ち去った。

 これはルーナが犯人の可能性もあるかもしれない。動機は顧客のブリジッドを脅していたパティが邪魔だったから。あるいはアリスと共謀する過程でブリジッドの弱味も見つけて、脅されていたのかもそれない。

 さて、犯人はルーナ? それとも娘のアリスか?

 絞られてきた。あとは、決定的な証拠を見つけるだけだろう。

 まずは行方不明のアリスを探す事だ。最後のピースは、アリスかもしれない。
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