毒妻探偵〜サレ公爵夫人、夫の愛人を調べていたら殺人事件に巻き込まれました〜

地野千塩

文字の大きさ
111 / 157
第三部

サレ公爵夫人編-4

しおりを挟む
 ラナの部屋は狭く、壁も薄そうだった。隣家から赤ん坊の泣き声や足音も聞こえ、狭い。公爵家のトイレほどの大きさしかないが、そんな事はわざわざ言う必要も無いだろう。

 ラナが読書家だという事はよくわかる。本棚には文庫本や図鑑、辞書などがびっしりと詰め込まれ、床にも積み上げられていた。古い貴重な本もあるようで、夫はここにいたら面白がるかもしれない。

 本は恋愛小説も多かった。夫の恋愛小説は全冊あったが、「愛人探偵」はない。壁には夫のサイン色紙や新刊時に作ったポスターも貼ってある。少なくとも「愛人探偵」以前は優秀なファンだった事がわかる。

「座れば?」

 ラナは不貞腐れてつつも、グラスに入れたアイスティーと菓子を持ってきた。菓子はチョコレートのクッキーだった。バターと甘いチョコレートの香りが狭い部屋に漂っていた。

 ラナは小さなテーブルにそれらを置き、それを囲むように座る。テーブルの上に夫の恋愛小説もあった。結婚相談所を舞台にした恋愛小説で、殺された愛人マムをモデルにしたものだ。実物のマムはトンデモ極悪女だったが、作中では可憐な美女として描写され、作品自体は罪がなく、面白くもあった。ラナは何回も読み返しているのか、小口が汚れ、カバーも擦り切っていた。

「ラナ、あなた夫のファンだった?」
「奥さんの言う通りですよ。どう見ても公爵様のファンです」

 フローラもフィリスも部屋の様子を眺めながら言う。

 一方、ラナは下唇を噛み締め、答えない。黙秘するつもりだ。フィリスと同じ年頃の娘だ。今は不貞腐れてていたが、目や頬は幼く見えるほどだ。悪意があって夫にアンチの手紙を送ってきた様子は感じられない。もしかしたら、若気の至りというものかもしれない。

「ご両親は? お仕事?」

 ここで夫の事を聞いても答えないだろう。フローラは別の話題を出した。

「仕事だよ。王都に出稼ぎに出てる。あんたみたいないけ好かない貴族の家で庭師したり、メイドしてたりね」

 ようやくラナは口を開いたが、貴族は元々嫌いらしい。その界隈にいるフローラも嫌いだったが、立場が違うとなかなか分かり合えないのかもしれない。

 隣家の赤ちゃんの泣き声が耳につく。部屋も薄暗く、本棚の圧に負けそう。フィリスは呑気にクッキーをボリボリしていたので、相変わらずだが。

 ふと、本棚を見ていたら、夫以外にも作家買いしていると気づく。モラーナ・ラッセルという作家の本がやけに多い。一冊引き抜き見てみたが、こちらも煌びやかな恋愛小説のようだ。あらすじもお姫様と騎士の禁断のラブストーリーだった。夫の作品よりはターゲット層が若く、どちらといえば少女小説といった雰囲気だ。他にも本棚を見てみたが、モラーナの本は似たような設定のものが多く、胸焼けしそうだ。

「モラーナって作家好きなの?」

 そう聞くと、ラナは目を輝かせて魅力を語っていた。

「へー、そんな良い作家なら私も読みたい! ラナ、おすすめ教えてよ!」

 フィリスは元々恋愛小説にも肯定的でしばらく二人で盛り上がっていた。タイプが違う二人だったが、同じ趣味では盛り上がれるようだ。

 フローラはついていけない。独身時代は恋愛小説も普通の娘らしく好きだったが、夫の不貞のせいで今は無邪気に好きになれなかった。

 モラーナの本もざっと見てみたが、人気設定の後追いも多いようだ。おそらく編集部からの指示があったのだろう。夫も編集部のネイトに色々言われているらしい。特に新人の時は売れている作品の二番煎じをリクエストされる事も多いのだとか。そんな裏側を知ってしまうと、ここにある本も商業的な裏側が透けて見える。

 フローラはグラスのアイスティーをちびちびと啜りながら、二人を見守った。ここはフィリスに任せた方が良いかもしれない。

「なので、公爵さまの恋愛小説が大好きだったんです。サイン会にだって行くぐらい。平凡でつまらない日常も公爵さまの本を読んだら忘れられたんです」

 そう語るラナは本当に単なる読者の一人だったのさろう。

「でも『愛人探偵』なんてミステリー作家に転向しちゃうなんて。もう最低よ。全部サレ公爵夫人のせいだわ」
「それでアンチの手紙を送ってきたわけね?」

 フィリスが尋ねると、ラナはコクンと頷いた。意外と素直なものだ。

 ラナのような恋愛小説好きの気持ちは不明だが、愛が憎しみに変わる事はあるだろう。マムの事件も動機は愛からの憎しみだった。フローラも夫への苦い気持ちがあった。今は理性でどうにか抑えていたが、いつ愛が憎しみに変わってしまうかは不明。いつも瀬戸際を歩いているような気分だ。

「もう公爵様には恋愛小説家に戻って欲しいよ。
『愛人探偵』だって立ち読みしたけど、あんなの全然先生の作風じゃないから」

 そう語るラナの横顔を見ながらも、フローラはこのまま帰るわけにはいかないと思う。

「夫はね、恋愛小説書くために不貞をしていたの。確かに作品には罪がないけれど、不倫される私の心は死んでいくわ。不倫は心の殺人みたいなものだから」

 素直に自分の気持ちを語る。ここで嘘をついたり、逃げたとしてもラナに伝わらないだろう。

「ごめんなさい。夫が恋愛小説のために不倫するのは、もう妻としても耐えられない」

 ラナは無言だった。もう不貞腐れてはいないが、この場でフローラに本心を語られるのは、居心地が悪そうだ。

「理解してくれなくてもいいから。アンチの手紙だけは辞めてくれないかしら?」
「う、わかったよ……」

 素直に頭を下げてお願いすると、ラナも分かってくれたようでホッとする。これで事件の火種は消せたかもしれない。フローラは再びグラスのアイスティーを啜りながらホッとした。

「ラナちゃんは、推しをモラーナにすればいいじゃん? 推しを変えたってバチは当たらないって」

 重い空気が漂っていたが、フィリの明るい声が響く。

「そうよね。推しはモラーナ先生にしようかな。なんだかんだで既刊は全部持ってるし。モラーナって筆も早くて、二か月に一回新刊出るし」

 ラナは少し笑っていた。もうアンチの手紙は送ってはこないだろう。

「それに公爵さま、合コンして女の子達とイチャイチャしてるって聞いちゃったし」

 これで何となくハッピーエンドという雰囲気だったが、ラナは最後に爆弾を落としてきた。

「え?」

 フローラは驚きで目が点になった。フィリスも目が丸くなっていた。

「うち親、王都に出稼ぎに行ってるじゃん? 肉バルで公爵さまが合コンしてるの見たって。女も三人もいたらしい。それ聞いたらちょっと覚めるよなぁ」

 ラナは他人事のように語っていたが、フローラの目が吊り上がる。フィリスは面白がり、口元がニヤついてうたが、今はどうでも良い。

「ラナ、その話を詳しく聞かせてくれない? 教えてくれたら、うちにある夫のサイン本を全部発送してあげるから」
「本当ですか!?」

 ラナは目を輝かせて知っている事を全部教えてくれた。

 どうやら新たな火種が生まれているらしかった。この火種も早めに潰さなければ。さっそく夫に女の影だ。これも徹底的に調査する必要があるだろう。フローラには平和な日常は無縁かもしれない。もっとも今は暇よりはマシだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

教養が足りない、ですって

たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリーゼは、公爵家の長男アレクシスとの婚約披露宴で突然婚約破棄される。理由は「教養が足りず、公爵夫人として恥ずかしい」。社交界の人々の嘲笑の中、エリーゼは静かに会場を去る。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人
恋愛
【「愛さない」と言ったのはあなたです。私はもっとハイスペックな次(夫)と幸せになりますので、どうぞお構いなく!】 侯爵令嬢リディアは、建国記念舞踏会の最中に、婚約者である王太子レオンハルトから婚約破棄を宣言される。 「君を愛することはない!」という王太子の言葉は、国中に響く『公的拒絶誓約』となってしまった。 しかし、リディアは泣かなかった。 「承知しました。私も愛しません。次いきます」 彼女は即座に撤退し、その場で慰謝料請求と名誉回復の手続きを開始する。その潔さと有能さに目をつけたのは、国の行政を牛耳る『氷の宰相』アシュ・ヴァレンシュタインだった。 「私の政治的盾になれ。条件は『恋愛感情の禁止』と『嘘がつけない契約』だ」 利害の一致した二人は、愛のない契約結婚を結ぶ。 はずだったのだが――『嘘がつけない契約』のせいで、冷徹なはずの宰相の本音が暴走! 「君を失うのは非合理だ(=大好きだ)」「君は私の光だ(=愛してる)」 隠せない溺愛と、最強の夫婦による論理的で容赦のない『ざまぁ』。 一方、リディアを捨てた王太子は「愛さない誓約」の呪いに苦しみ、自滅していく。 これは、悪役令嬢と呼ばれた女が、嘘のない真実の愛を手に入れ、国中を巻き込んで幸せになるまでの物語。

処理中です...