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3話 西校舎屋上の会食

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「松永先生、こんにちは!! 」

 廊下の向こうから響いてきたその声に、ヤンキー3人は慌てて顔を見合わせていたがそそくさと退散を決めたようだった。
 
「ま、さっきの話の件、考えといてくれよな? 」

 三井允生みついみつおは去り際に蜂屋さんの頭をポンポンと

 ちなみに松永先生というのはこの学校一の熱血教師だ。その強烈な情熱をヤンキーたちに対しても変わらず向けるというこの学校では唯一の存在だ。体育教師で普段は温厚なのだが、剣道五段の腕前らしく何かの弾みでキレると手が付けられず、どんなヤンキーたちも松永先生だけは恐れる……といった稀有な存在だ。

 だが3人がそそくさと退散した後も松永先生は姿を現さなかった。

「よ、2人とも、お待たせ」

 代わりに現れたのは1人の少年だった。
 栗色の猫っ毛と華奢な体格、そして如何にも人の良さそうな笑顔が目を惹く。

「……遅いぞ、のび太。お前が遅いから危ない場面に遭ったんだぞ! 」

「はは、ごめんごめん。でもヤバそうな雰囲気だったからさ、咄嗟に松永先生の名前を出したのは中々良かっただろ? 」

 海堂かいどうのび太。俺の中学からの親友である。
 俺にとっては、蜂屋さんとコイツだけがこの学校で心を開ける存在だ。

「海堂君でしたか?……あの、お二人とも。お話は食堂に行ってからでも出来ると思います。早く行かないと席が埋まってしまう可能性が……」

 蜂屋さんの声で俺とのび太も口喧嘩を止めて、食堂へと歩を進めた。
 昼休みは毎日こうして3人で食堂に行って昼食を食べるのが唯一の安らげる時間なのだ。ちなみにのび太は隣のクラスだ。だからこうして3人合流するのは一つ手間が掛かる。





 結局、若干のロスタイムが響いたのか食堂の席は埋まってしまっていた。
 仕方なく購買でそれぞれサンドイッチやおにぎりなどを買い、俺たちは屋上に来た。
 メインとなる東校舎の屋上はいつも誰かしらいるのだが、こちらの西校舎の屋上は不思議と閑散としており、今も俺たちの他には誰もいなかった。西校舎は東校舎に比べて狭く日当たりが悪いというのも人気のない理由かもしれない。

「にしてものび太、お前がもうちょい早く来てれば蜂屋さんも危ない目に遭うこともなかったんだぞ?少しは自覚しろよな? 」

 一通り飯を食い終わると俺はのび太に再びそう吹っ掛けた。
 もちろん俺も、先ほど起きたトラブルの原因が本当にのび太だけにあると思っていたわけではない。だが持っていき場のない苛立ちをぶつけられるのはのび太だけだった。

「いやぁ、ごめんごめん。日直の仕事が少し長引いちゃってさ。蜂屋さんもごめんね。怖い思いをさせたね? 」

 のび太の言葉に蜂屋さんは大袈裟に首をブンブンと激しく振った。

「いえ、そんな滅相もないです!決して海堂さんや九条君のせいではありません! 」

「……にしても蜂屋さん、どうしてわざわざ今日はアイツらのカツアゲにわざわざ首を突っ込むような真似をしたの?いつもだったらあんなヤツら無視するでしょ? 」

 もちろんトラブルの原因はのび太よりも蜂屋さんにあることは俺だって理解していた。でも直接彼女を責めるようなことは出来なかった。だからのび太というワンクッションを挟んだのだ。

「その、それは……ちょっと、どうしても今日だけは見逃せなかったと言いますか……」

 蜂屋さんは少し口ごもった。
 まあムリに今聞き出そうとする必要もないだろう。話したくなれば彼女の方から話してくれるだろう。
 俺は少し話題を変えることにした。

「……にしてもあれだな。一瞬殴りかかって来そうな雰囲気は出してたけど、ヤンキーたちもモブキャラとモブ女相手には自制するんだな。あれが普通の一般生徒だったらとりあえず一発殴られてたと思うぞ。俺たちもモブに徹してきた甲斐があったよね、蜂屋さん? 」

 一瞬時が止まったように蜂屋さんとのび太が俺を見つめていた。ぱちくりと眼を瞬《またた》かせ、不思議そうな顔で俺を見ている顔は、2人ともそっくりだった。
 ……何だ、他のヤツらに比べればこの2人は頭の良い方だと思っていたが、そんなことも理解していなかったのか?俺たちに手を出すのを躊躇したのが、純粋にヤツらの気まぐれだとでも思っていたのだろうか?
 そうではない!
 俺たちが必死に日常をモブキャラに努めてきたから、ヤツらに殴る意味もないと思わせることが出来たのだ!そしてこれは、平穏無事に高校生活を終えるためにはこれからもモブキャラに徹することが最も得策だということの証明なのだ!

「……九郎、お前マジで気を付けろよ?お前頭は良いかもしれないけど、ちょっと人とズレているというか、鈍感な所があるからな……」

 のび太はなぜかそう言うと、したり顔で俺の肩をポンポンと叩いた。
 まったく、コイツは……人のことをどうこう言う前に自分が気を付けるべきなのではないだろうか!?……そう反論しようと思った所で蜂屋さんが口を開いた。

「あの……実は私、昨日から弟のことで悩んでいましてですね……それでつい先ほどもあのような場面に関わってしまうことになってですね……」

 俺とのび太は思わず顔を見合わせた。



 ポツポツと話し出した蜂屋さんの話をまとめると以下の通りだ。
 蜂屋さんには中3の弟がいる。彼の最近成績が伸びず、姉である蜂屋さんも少し気に掛けていたらしい。そして昨日弟が親と話しているのを聞いたところ、どうやらこの菫坂高校への進学を検討している。……というかもう本人的には、かなりそのつもりらしい。 
 もちろん姉である奈々子がこの高校に進学しているのだから「絶対にこんな学校はダメだ!」とは家族誰も言えないらしい。
 ただ本人にこっそり奈々子が聞いたところによると、純粋に成績などの事情というよりも「どっちみち良い高校に行けないんなら、菫坂でヤンキー集団に属してそっちの道で上を目指す方がイケてるんじゃね?」という主旨のことを言い出したようなのだ。
 姉としてはその言葉にショックを受け、それを親にも言えず、モヤモヤした気持ちを抱えたまま今日の衝動的な行動に出てしまったということらしかった。



「まあそんなことがあったんなら、ちょっとは蜂屋さんの気持ちも分からなくはないけどさ……でも結局は本人の意志だからさ、姉だからといって変に同情したり気負い過ぎるのも違うんじゃないかな? 」

 のび太の意見に当の蜂屋さんも頷く。

「もちろん私もその点は理解しているのです!弟と言えど別の人格であること、姉だからといって何も強制する権利などないということは重々承知しているのですが……そしてそれについて私が悩んでも何の意味もないことは分かっているのですが……」

 蜂屋さんの声はいつにも増して苦し気だった。やはり本気で悩んでいるのだろう。

「まあ、弟さんもお姉さんが本気で悩んでいることが伝われば、それだけで少し考えが変わるかもしれないよ?まだ春だからこれから成績も上がっていくかもしれないしさ、そうなれば弟さんの気も変わるかもしれないし、少し気長に待ってあげたら?……な、九郎も何か言ってあげなよ! 」

 のび太の一言に俺は何を言えば良いのか少し悩んだが、根本的な原因を皆が意外と見落としていることに気付いた。

「そうだな……。菫坂はこの地域では偏差値の低い方の高校だからな。大学進学を考えれば不利な要素の方が大きい。なので弟さんが勉強をして、もう少し偏差値の高い高校に行く、というのはどうだろうか?本人の将来を考えても選択肢が増えるのは間違いないだろうし、家族も余計なストレスを感じるリスクも減らせるだろうし、誰にとっても好ましいと思うのだが……どうだろうか? 」

 我ながら良い案だと思った。一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなりそうな妙案に思えた。
 だがそれにものび太はわざとらしくため息を吐いた。

「……あのな、九郎?キミは蜂屋さんの話を聞いていなかったのかい?弟さんは決して勉強をサボっているわけではないんだよ?頑張って勉強しても成績が伸びず、それゆえにこの菫坂を進学先の候補に入れているということなんだよ? 」

「……もしかして、勉強をしても他の高校を進学の選択肢として増やせないということなのか? 」

「……あのな、お前と違って必死で勉強しても成績の伸びない人間というものが世の中には存在するのだよ……」

 いやいや、そんなわけないだろ!それは勉強をしているフリをしているだけで実際にはしていないから成績が伸びないだけだろう……と思ったが2人の何となく神妙な雰囲気を察し、その言葉は胸に留めておいた。

「……そうか、そういうものなのか……」

 とりあえずは俺も2人に合わせて神妙に頷いておいたのだった。


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