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21話 良明の過去②

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「おいで」

 俺の先を行っていた黒猫様が公園に差し掛かると、澄んだ女性の声がした。
 条件反射的に俺は足を止める。
 当然だ。底辺陰キャにとって誰かと接触する機会を可能な限り減らすことは至上命題だからだ。
 俺は公園の生垣の隙間からその声の主を確かめた。草田可南子くさだかなこがブランコに揺られていた。

 にゃお~ん。
 俺を誘ってきた黒猫様は実に素直に反応し、その声のもとに駆け寄っていった。
 ……んだよ、この尻軽猫! 冴えない陰キャ男子よりも一軍女子の膝枕を選ぶのかよ! まあ誰もがそりゃあそっちを選ぶか。いや、猫様だけは俺たち陰キャの味方だと思っていたんだけどな……。

「あ、来た。よしよし。君くらいだよ、私が本当に心を開けるのは」
 
 可南子は膝に乗ってきた黒猫(尻軽ビッチ)に向かって話しかけていた。
 学校では聞いたことのない淋しそうな声だった。

「なんかさ……思い上がってた私がバカみたいだよね」

 そう言うと可南子はまた黒猫の背中を撫で、アゴの辺りをわしゃわしゃした。
 みゃ~う。
 黒猫は気持ちの良さそうな声を上げて反応した。

(そう言えば、女バスが決勝で負けたとか聞いたな)

 可南子の言葉にようやく俺はピンときた。
 我が高校の女子バスケ部が県大会の決勝で負けたらしい。もう少しで全国大会に出場できるところだったと噂で持ち切りだったのが俺にも流れてきたのだ。
 ウチの高校の女バスは毎年そこそこ強い、だがせいぜい県大会で良いところまで行くくらいだ。……それが今年は思わぬ強さを発揮し県の決勝まで行った。もしかしたらウチの高校が始まって以来全国大会に出られるかもしれない、という期待が高まっていたそうだ。

「……なんかさ、みんなが私のこと持ち上げてくれてたけどさ、結局その程度の人間だったってだけのことだよね」

 可南子はそう言うとまた黒猫の背中を大きなストロークで撫でた。
 みゃ~う。
 彼女の言葉に何ら関心を示さず、ただただ背中の愛撫に黒猫は応える。当然だ。人間如きの機嫌を伺わねばならないほど猫は下等な生物ではない。

(でもそういえば、決勝で負けたのは先週のことだったよな?)

 ふと俺は思い至った。
 試合があったという翌日も可南子も普通に登校して、いつもと変わらぬ笑顔で周りと接していたはずだ。俺が女バスのそう言った事情を知ったのも彼女の周囲の人間の声が聞こえてきたからだ。
 
「ね、猫ちゃん。私高校でもうバスケはやめるよ。大学入ったら可愛い制服のファミレスでバイトしよっかな。それで何してるのかはっきりしないイベントサークルに入って友達もいっぱい作ってさ、その中でホントに私のことを好きになってくれる誠実そうな男の子を見つけて彼氏にするんだ。……良いよね? バスケだけが青春じゃないよね?」

 そう言うと彼女は、ほんの少しだけ涙を流した……ように俺には見えた。
 彼女が本当に泣いていたのか、物陰から盗み見ていた俺にははっきりとしたことは分からない。でも実際に涙を流していたか、そうでなかったかはさして大きな問題でもないだろう。
 それから彼女は押し黙って黒猫を撫でていた。
 しばらくして黒猫が撫でられるのに飽きたのか、彼女の膝の上から去って行ったのを機に俺もその場を去った。そのタイミングでしか俺も動くことが出来なかった。
 
 翌日以降もその日の出来事がウソだったかのように可南子は明るく元気だった。
 もう辛いバスケ部の練習もやらなくて良い! サイコー! と周囲に触れ回り、でもそろそろ受験勉強ちゃんとしなくっちゃヤバい! と赤城瞳たちとギャハギャハやっていた。

 あの日公園で見た光景は黒猫の見せた幻だったのではないか?
 明るく振舞っている彼女を目にする度にそう思った。
 でもそうではない。それ以降の彼女の笑い声と表情は、それまでとはほんの少し違っているように俺には思えたのだ。
 それが大人になってゆくということなのかもしれない。
 大人ってやつが果たして何なのか? 俺は何も具体的なイメージを持ってはいなかったが、彼女のささやかな変貌を見てぼんやりとそんなことを思った。





「え? で?」

 俺の話を興味深そうに聞いていた米倉真智だったが、話の着地点にはやや不満だったようだった。

「は? 『え? で?』……とは何だよ? 以上だ。これが俺と彼女、草田可南子との全エピソードだ。これ以上何も話すに値することは無いぞ?」

「いや、で、オチは? カリスマレビュワーたるものがそんな話で完結させて良いわけがないことくらい分かるでしょ?」

「何の話にでもオチやら起承転結を求めるようになったらそっちの方が病気だという気もするがな。……まああえて教訓を導くとすれば『黒猫には気を付けろ』ということに尽きるな。黒猫は怖いものだ。あの黄金色の瞳を見ていると誰もが心を開き過ぎる。だから黒猫と接する際には用心に用心を重ねなければならないということだろう」

 表情を変えることもなく言い切った俺に対し米倉は、一つため息を吐きやれやれと首を振った。

「……ねぇ、たったそれだけの接触でキミは可南子ちゃんのことが好きになったの? 一回もまともに話してないのに?」

「別に、普通だろ。あのシチュエーションであんなもん見せられて何とも思わない方が男としておかしいだろ?」

「はぁ、まあ分からなくもないけどさ……じゃあその時に思い切って声を掛ければ良かったんじゃない? 落ち込んでいる時に声を掛けられたら大抵の女の子はイチコロよ」

 そう言った米倉の顔はニヤけるのを必死で押し殺しているかのようだった。明らかに俺をバカにしている。

「知らん。これ以上話すことは特にない。じゃあな」

 彼女の態度にさして腹が立ったわけでもないが、文字通りこれ以上話すべきことも思い付かなかったので俺は自分のリュックを背負い席を立った。

「あ、待ってってば! ……ねえ、元気出しなよ?」

 去り際の俺の背中に米倉の声が聞こえてきた。


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