僕の意思と君への手紙

松島朱音

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僕の意思と君への手紙

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 三階はどの階よりも窓の大きな部屋になっていた。高い位置にある天井に天窓も存在し、とても明るい空間だ。

 半開きとなっている丸い窓の前に、重厚な作りの机があり、その奥には背もたれの大きな椅子が置かれている。その上にちょこんと座っているのは、今の僕と同じくらいの大きさの真っ白な兎だった。僕らが近づいたことに気づかないのか、手元の書類を片眼鏡越しに食い入るように見つめている。

 室内を見渡しても、ミチュと呼ばれた青紫色をした小さな魚は見当たらなかった。

「局長。お客様です」

 カオルさんの言葉に、兎はぴくりと片耳を動かし、顔を上げた。

「おお、カオルくん。ミチュくんから聞いてるよ。迷子なんだってね」

 兎は魚と会話ができるのか。そんなことを考えながら、僕は頭を下げた。

「すみません。名前が思い出せなくて、自己紹介はできないんですが……」

「ああ、なるほどね。大丈夫だよ。この国にはよく、そういう人が来るからね」

 兎がにいと目を細める。

「私はリィルという。まあ、覚えなくても構わないよ。みんな私のことを局長と呼ぶからね。君も気兼ねなく局長と呼んでくれ」

「わかりました」

 僕が頷くと、局長は満足気に頷いてみせた。

「まず君はこの国について知りたいと思っているだろうね。当然だ。自分の置かれている状況を知りたいと思うのは自然なことさ。……おっと、失礼。立ち話もなんだ。座ってくれ」

 局長は白いもふもふの手で、部屋の中央にあるソファを指す。いわれるままに僕はソファに腰掛けた。僕の向かいにひょこひょこと歩いてきた局長が座り、その横にカオルさんが座った。

 局長はえへんと咳払いを一つしてから口を開く。

「ここは夢の国。眠っている人たちが縁で結ばれ、巡り出会う場所だよ」

「巡り出会う場所?」

「そう。願った者の願いを叶えてくれるのさ。君には強い願いがあったはずだ。誰かに出会いたいという願いが。そうでなければ、この国に来ることはないからね」

「…………」

 僕はどう話していいものか考えあぐねていた。というのも会いたいと思っている彼女が何者なのか、僕とどういう関係なのか。そういったことが自分の名前同様、全く思い出すことができなくなっていたからだ。誰ともわからない、彼女に会いたい。ただその気持ちだけが、僕の胸の内で燻り続けている。

 僕が黙りこくっていると、局長は鼻をひくひくと動かし、赤い目で僕を探るように見つめてきた。

「しばらくは行くあてもないだろう。よかったらうちでしばらく暮らさないかい」

「え。いいんですか?」

「構わないよ。君のように迷い込む人は珍しいわけじゃない。なに、心配しなくても目的が果たされれば元の世界に帰ることはできるからね」

「目的……。会いたい人に、会うっていうことですか?」

「そうだね」

「……それまで、お世話になってもいいんでしょうか」

「構わないよ。あ、そのかわり。ここでの仕事を手伝ってくれると助かるな」

「仕事……郵便局の、ですか?」

「そう。届けなきゃならない石がたくさんあるんだ。人手が足りなくてね」

 どんな作業をするのだろうか。この郵便局の仕事はさっぱり理解できなかったが、お世話になるのであればお返しはしたいと思った。

「僕でできることなら、お手伝いさせてください」

「そうかい。ありがとう」

 こくりと頷いた局長は、隣で大人しく座っていたカオルさんへ視線を向ける。

「カオルくん」

「はい」

「別棟に空き部屋があっただろう。案内してあげて」

「わかりました」

「ああ、それと」

 立ち上がったカオルさんに、局長はにこりと微笑みながら声をかけた。

「名前がないと不便だろう。カオルくん、彼に名前をつけてあげなさい」

「あたしが、ですか?」

「そう。いつも私がつけているからね。たまにはカオルくんもやってみるといい」

「あたしは構わないんですが……」

 カオルさんが、戸惑ったように僕をじっと見下ろす。

「あたしが決めて、いいんでしょうか」

「……僕は構いません」

 僕はソファから立ち上がり、カオルさんを見上げた。

「実際の名前は覚えていないし、ないと不便だと思います。つけてもらえるなら、助かります」

「そうですか……。それじゃあ考えないとですね」

 とりあえず部屋に案内するといわれ、僕はカオルさんの後に続いた。彼女のくるぶしまであるスカートが、その歩みに合わせてふわりふわりと揺れる。二人分の足音が二階の渡り廊下を通り、別棟と呼ばれる建物へと辿り着く。二階の角部屋が空いているようで、僕はそこへ案内された。

 部屋の中は掃除が行き届いていて、物は少ないが住み心地のよさそうな空間だった。丸い窓に設置された白いカーテンがゆらゆらと揺れている。

「名前ですが」

 窓際から景色を眺めていた僕の後方から、カオルさんが声をかけてくる。振り返ると、彼女はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

「ヤマトくん、でもいいですか。なんとなくですけど、その名前が浮かんだので」

 カオルさんの金に近い茶色い髪が、彼女の傾げた顔に合わせてさらりと揺れた。

 ヤマト。嫌だとは思わなかった。むしろしっくりと馴染むような心地がする。不思議な感覚だ。

「その名前でお願いします」

「気に入ってもらえました?」

「……そうですね。わりと気に入りました」

「そうですか」

 カオルさんは嬉しそうに目を細める。僕もつられて小さく笑い「ありがとうございます」と礼を伝えた。
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