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捜査編
事情聴取
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「あの事件の後、身寄りの無い自分を引き取ってもらったのに、こんな形で迷惑をかけてしまってすみません」
創介は机に額を打ちつけそうな勢いで頭を下げた。
血は繋がっていないとは言え、現役刑事の関係者が殺人事件の重要参考人というのは、あまり外聞がよろしくない。特に箕輪警部は叩き上げで警部にまでなった人物だ。その輝かしい経歴に傷を付けてしまったことが申し訳なかった。
〈まだ籍を変えていないのが不幸中の幸いか……〉
そんな創介の心中を察してか、箕輪警部はタバコの煙を払うように手を振った。
「子供のお前さんがいちいちそんなことで気を揉む必要は無い」
未だに未練がましく『九野』を名乗っている自分に対しても箕輪警部は実の息子のように心配してくれている。両親を一度に失った創介にとって、それがどれほど救いになったか語り尽くせない。
「お前さんのことだ。事件当時の状況についてはちゃんと担当刑事に伝えたんだろ?」
「はい、覚えている限りのことは全て」
「なら俺から訊くことは一つだけだ」
そう言って、箕輪警部はまだ半分以上燃え残っているタバコを灰皿に押し付けた。
「……お前さん、人を殺したのか?」
その瞬間、部屋の温度が二、三度下がったような気がした。
創介を見つめる眼差しは、厳しくも温かい養父のものでは無い。殺人犯を追いつめる冷徹な刑事の眼だ。
創介は胃に冷たいコンクリートの塊を押し付けられたような錯覚を覚えた。だが、目線はまっすぐに箕輪警部を見返し、ハッキリと答える。
「彩夢ちゃんに誓って絶対にやっていません」
どれくらいそうしていただろうか、一分、五分……あるいは十秒にも満たなかったのかもしれない。まるで閻魔の沙汰を待っているかのような時間は、箕輪警部が小さく頷いたことで終わりを告げる。
創介にはその仕草がホっと安堵の溜め息をついているようにも見えた。
「分かった。だがな創介、刑事とは厄介な職業で、全てを疑ってかからなきゃならん。お前さんの潔白が法的に完璧に実証されるまでは俺も捜査本部の方針に従う。そのつもりでな?」
口ではそう言いながらも、箕輪警部の目には創介への信頼で満ちていた。
創介にとってはそれが何よりも心強く、万感の感謝を込めて頷く。
「はい、心得ています」
「だがそうなるとこの事件、かなり厄介になるぞ。毒の即効性から考えても、被害者が店に入る前に毒を盛られた可能性はまず考えられない」
つまり容疑者はあの時、喫茶店に居た七名に限定される。
被害者と同じテーブルに座っていた友人の米田真美。
隣のボックスに居た女子高生・根岸アリア。
パーテーションを挟んで被害者の斜め後ろの席に居た錦戸透。
テラス席に座り、真っ先に被害者の異変に気付いた楠木双葉と佐渡和泉の二人。
トイレ近くの禁煙席に座ってきた常連客の鈴木安孝。
そして厨房に居た鳩村マスター。
箕輪警部は関係者の名前が書き込まれた店の見取り図を見せ、創介に間違っていないか裏付を求めた。
「はい、その座席で間違いありません。あの時自分は厨房に居てマスターを手伝っていました」
「うむ、その鳩村氏の証言によれば、毎日開店の二時間前には店にやってきて仕込みをした後、午前十時~午後二時までの間はパートタイムの従業員と仕事をしているそうだが?」
「はい、平日はだいたいそんな感じで自分がシフトに入る午後四時くらいまではお客さんも少ないので鳩村マスターが一人で回しています」
「今日はたまたまその時間でも客が多かったらしいな。厨房とフロアを行ったり来たりしていたため、被害者のカップに近付いた不審な人物は見ていないと証言している」
そう言って箕輪警部は別のページをめくる。
「そしてパートの従業員が帰った後の午後二時十分頃に錦戸透が店にやってきたそうだ」
創介は店の奥で独りでパソコンを使って作業をしていた眼鏡の男性を思い出す。
「この男はタウン誌の編集者らしく、彼の証言によれば『被害者のテーブルには背を向けていて、ずっとイヤホンをして仕事をしていたから不審な人間はおろか、被害者が倒れた事にもしばらく気が付かなかった』ということだ」
それは創介の記憶とも一致している。錦戸透が一度、顔を上げたのは被害者のスマホの着信音が鳴った時だけだ。
「次にやってきたのは鈴木安孝氏だ。氏はこの店の常連客らしく、いつも決まって客の少ない時間に来てはマスターと世間話をしているらしい」
「ええ、自分も何度も見かけています」
「今日も午後二時半頃にやってきて、職場では吸えないからとタバコで一服したり、新聞を読んだりして、過ごしていたそうだ」
肩身の狭い思いをしている喫煙者同士、共感が湧くのか箕輪警部の声にもどこか哀愁が漂っている。
「喫煙席は店の反対側にあり、鈴木氏も騒ぎが起きるまで被害者の様子は分からなかったそうだ」
「その次に店にやってきたの楠木双葉。彼女の証言によれば、三時に店で待ち合わせをしていたため、十五分前にはやってきたそうだ。これについては相手の佐渡和泉の裏取りも済んでいる。二人はテラス席に座っていたため、他の客の様子はほとんど分からなかったそうだが、会計をしようと被害者のテーブルの前を通りかかった時に、机に突っ伏してもがいている彼女を発見したらしい」
「はい、自分も彼女の悲鳴を聞いて厨房からフロアに出ました。被害者の様子を見て、すぐにただ事ではないと思ったのでAEDを取りに店の奥に戻りました」
「うむ、彼女達も同じように証言している。特に楠木双葉はお前さんの対応が迅速で正確だったと驚いていたよ」
どこか誇らしげに語る箕輪警部だったが、創介としては結果的に命を救えなかったため喜ぶ訳にもいかない。
そんな創介の微妙な感情の機微を読み取ったのか、箕輪警部は一つ大袈裟に咳払いをすると話を戻した。
「正確な時間は分からないが、被害者の逢原由佳はちょうど楠木双葉が沢渡和泉を待っている間にやってきたと思われる」
「え?」
これには創介も少なからず驚いた。
てっきりあのもう一人の女性客と一緒に来たのかと思ったが、どうやら違ったようだ。
創介の疑問に答えるように箕輪警部が次のページをめくった。
「被害者は昼過ぎに会社を出て銀行や郵便局、オフィス用品店等をまわって用事を済ませた後に〝ベイカー・ベイカリー〟を訪れたようだ」
「一方、被害者と同じ席に座っていた米田真美さんが店を訪れたのは午後三時十分。彼女は市内のIT企業に務めていて、比較的自由に休憩が取れるらしく、昼時を避けて店を訪れたところたまたま逢原さんと会い、相席したそうだ」
「そうでしたか……その後、自分とあの女子高生が店に入ったのが、だいたい午後三時二十分頃だったと記憶しています」
これでようやく創介の記憶と時系列が繋がった。
依然、自分が事件の第一容疑者には変わりないが、訳も分からずに犯人扱いされるよりはだいぶマシだ。
ひょっとしたら箕輪警部は証言の裏付けを取るフリをして、わざと警察の捜査情報を教えてくれたのかもしれない。それは創介の知恵を期待してのことではなく、状況を理解することで少しでも不安が払拭されるようにとの親心だったのだろう。
創介は改めてこの無骨な養父の気遣いに感謝した。
そんな創介の気持ちが伝わったのか、箕輪警部は静かにファイルを閉じた。
「……さて、今日はもういいから帰って風呂に入れ」
「え?」
いくら箕輪警部が創介の無実を信じてくれているからといって、捜査本部から犯人だと疑われている事実は変わらない。それなのに帰ってもいいものなのだろうか?
創介が戸惑っていると箕輪警部は軽く肩をすくめてみせた。
「お前を含めて、犯行の動機については今のところ誰からもこれといったものが浮かんでこない。唯一の知人である米田真美も被害者とは職場が違うにもかかわらず、よく昼飯を食べていたほど仲が良かったみたいだしな。しかもまだ証拠どころか証言の裏取りもしてない段階なんだから何も問題は無いさ」
箕輪警部はファイルの角で右肩を叩きながら、首をすくめてみせた。
今日は留置所で一泊を覚悟していたのでなんだか拍子抜けした気分だ。
「それよりもウチに帰ってアイツを何とかしてくれ」
箕輪警部はまるで手に負えない難事件を相談するかのように顔を近づけ、声を潜めた。
「何をどう聞き間違えたのか、お前さんが警察署に行ったと聞いてアイツ、しつこくメールや電話をかけてきて『誤認逮捕だ! 冤罪だ!』と、やかましくて仕方ない」
「……ああ、それは大変ですね」
この四年で警部補から警部に昇進したにもかかわらず、一人娘に手を焼いているのは変わらない。いや、むしろ以前にも増して頭が上がらなくなってはいないだろうか?
創介は少しだけ心が軽くなったような気がして、警察署を後にした。
創介は机に額を打ちつけそうな勢いで頭を下げた。
血は繋がっていないとは言え、現役刑事の関係者が殺人事件の重要参考人というのは、あまり外聞がよろしくない。特に箕輪警部は叩き上げで警部にまでなった人物だ。その輝かしい経歴に傷を付けてしまったことが申し訳なかった。
〈まだ籍を変えていないのが不幸中の幸いか……〉
そんな創介の心中を察してか、箕輪警部はタバコの煙を払うように手を振った。
「子供のお前さんがいちいちそんなことで気を揉む必要は無い」
未だに未練がましく『九野』を名乗っている自分に対しても箕輪警部は実の息子のように心配してくれている。両親を一度に失った創介にとって、それがどれほど救いになったか語り尽くせない。
「お前さんのことだ。事件当時の状況についてはちゃんと担当刑事に伝えたんだろ?」
「はい、覚えている限りのことは全て」
「なら俺から訊くことは一つだけだ」
そう言って、箕輪警部はまだ半分以上燃え残っているタバコを灰皿に押し付けた。
「……お前さん、人を殺したのか?」
その瞬間、部屋の温度が二、三度下がったような気がした。
創介を見つめる眼差しは、厳しくも温かい養父のものでは無い。殺人犯を追いつめる冷徹な刑事の眼だ。
創介は胃に冷たいコンクリートの塊を押し付けられたような錯覚を覚えた。だが、目線はまっすぐに箕輪警部を見返し、ハッキリと答える。
「彩夢ちゃんに誓って絶対にやっていません」
どれくらいそうしていただろうか、一分、五分……あるいは十秒にも満たなかったのかもしれない。まるで閻魔の沙汰を待っているかのような時間は、箕輪警部が小さく頷いたことで終わりを告げる。
創介にはその仕草がホっと安堵の溜め息をついているようにも見えた。
「分かった。だがな創介、刑事とは厄介な職業で、全てを疑ってかからなきゃならん。お前さんの潔白が法的に完璧に実証されるまでは俺も捜査本部の方針に従う。そのつもりでな?」
口ではそう言いながらも、箕輪警部の目には創介への信頼で満ちていた。
創介にとってはそれが何よりも心強く、万感の感謝を込めて頷く。
「はい、心得ています」
「だがそうなるとこの事件、かなり厄介になるぞ。毒の即効性から考えても、被害者が店に入る前に毒を盛られた可能性はまず考えられない」
つまり容疑者はあの時、喫茶店に居た七名に限定される。
被害者と同じテーブルに座っていた友人の米田真美。
隣のボックスに居た女子高生・根岸アリア。
パーテーションを挟んで被害者の斜め後ろの席に居た錦戸透。
テラス席に座り、真っ先に被害者の異変に気付いた楠木双葉と佐渡和泉の二人。
トイレ近くの禁煙席に座ってきた常連客の鈴木安孝。
そして厨房に居た鳩村マスター。
箕輪警部は関係者の名前が書き込まれた店の見取り図を見せ、創介に間違っていないか裏付を求めた。
「はい、その座席で間違いありません。あの時自分は厨房に居てマスターを手伝っていました」
「うむ、その鳩村氏の証言によれば、毎日開店の二時間前には店にやってきて仕込みをした後、午前十時~午後二時までの間はパートタイムの従業員と仕事をしているそうだが?」
「はい、平日はだいたいそんな感じで自分がシフトに入る午後四時くらいまではお客さんも少ないので鳩村マスターが一人で回しています」
「今日はたまたまその時間でも客が多かったらしいな。厨房とフロアを行ったり来たりしていたため、被害者のカップに近付いた不審な人物は見ていないと証言している」
そう言って箕輪警部は別のページをめくる。
「そしてパートの従業員が帰った後の午後二時十分頃に錦戸透が店にやってきたそうだ」
創介は店の奥で独りでパソコンを使って作業をしていた眼鏡の男性を思い出す。
「この男はタウン誌の編集者らしく、彼の証言によれば『被害者のテーブルには背を向けていて、ずっとイヤホンをして仕事をしていたから不審な人間はおろか、被害者が倒れた事にもしばらく気が付かなかった』ということだ」
それは創介の記憶とも一致している。錦戸透が一度、顔を上げたのは被害者のスマホの着信音が鳴った時だけだ。
「次にやってきたのは鈴木安孝氏だ。氏はこの店の常連客らしく、いつも決まって客の少ない時間に来てはマスターと世間話をしているらしい」
「ええ、自分も何度も見かけています」
「今日も午後二時半頃にやってきて、職場では吸えないからとタバコで一服したり、新聞を読んだりして、過ごしていたそうだ」
肩身の狭い思いをしている喫煙者同士、共感が湧くのか箕輪警部の声にもどこか哀愁が漂っている。
「喫煙席は店の反対側にあり、鈴木氏も騒ぎが起きるまで被害者の様子は分からなかったそうだ」
「その次に店にやってきたの楠木双葉。彼女の証言によれば、三時に店で待ち合わせをしていたため、十五分前にはやってきたそうだ。これについては相手の佐渡和泉の裏取りも済んでいる。二人はテラス席に座っていたため、他の客の様子はほとんど分からなかったそうだが、会計をしようと被害者のテーブルの前を通りかかった時に、机に突っ伏してもがいている彼女を発見したらしい」
「はい、自分も彼女の悲鳴を聞いて厨房からフロアに出ました。被害者の様子を見て、すぐにただ事ではないと思ったのでAEDを取りに店の奥に戻りました」
「うむ、彼女達も同じように証言している。特に楠木双葉はお前さんの対応が迅速で正確だったと驚いていたよ」
どこか誇らしげに語る箕輪警部だったが、創介としては結果的に命を救えなかったため喜ぶ訳にもいかない。
そんな創介の微妙な感情の機微を読み取ったのか、箕輪警部は一つ大袈裟に咳払いをすると話を戻した。
「正確な時間は分からないが、被害者の逢原由佳はちょうど楠木双葉が沢渡和泉を待っている間にやってきたと思われる」
「え?」
これには創介も少なからず驚いた。
てっきりあのもう一人の女性客と一緒に来たのかと思ったが、どうやら違ったようだ。
創介の疑問に答えるように箕輪警部が次のページをめくった。
「被害者は昼過ぎに会社を出て銀行や郵便局、オフィス用品店等をまわって用事を済ませた後に〝ベイカー・ベイカリー〟を訪れたようだ」
「一方、被害者と同じ席に座っていた米田真美さんが店を訪れたのは午後三時十分。彼女は市内のIT企業に務めていて、比較的自由に休憩が取れるらしく、昼時を避けて店を訪れたところたまたま逢原さんと会い、相席したそうだ」
「そうでしたか……その後、自分とあの女子高生が店に入ったのが、だいたい午後三時二十分頃だったと記憶しています」
これでようやく創介の記憶と時系列が繋がった。
依然、自分が事件の第一容疑者には変わりないが、訳も分からずに犯人扱いされるよりはだいぶマシだ。
ひょっとしたら箕輪警部は証言の裏付けを取るフリをして、わざと警察の捜査情報を教えてくれたのかもしれない。それは創介の知恵を期待してのことではなく、状況を理解することで少しでも不安が払拭されるようにとの親心だったのだろう。
創介は改めてこの無骨な養父の気遣いに感謝した。
そんな創介の気持ちが伝わったのか、箕輪警部は静かにファイルを閉じた。
「……さて、今日はもういいから帰って風呂に入れ」
「え?」
いくら箕輪警部が創介の無実を信じてくれているからといって、捜査本部から犯人だと疑われている事実は変わらない。それなのに帰ってもいいものなのだろうか?
創介が戸惑っていると箕輪警部は軽く肩をすくめてみせた。
「お前を含めて、犯行の動機については今のところ誰からもこれといったものが浮かんでこない。唯一の知人である米田真美も被害者とは職場が違うにもかかわらず、よく昼飯を食べていたほど仲が良かったみたいだしな。しかもまだ証拠どころか証言の裏取りもしてない段階なんだから何も問題は無いさ」
箕輪警部はファイルの角で右肩を叩きながら、首をすくめてみせた。
今日は留置所で一泊を覚悟していたのでなんだか拍子抜けした気分だ。
「それよりもウチに帰ってアイツを何とかしてくれ」
箕輪警部はまるで手に負えない難事件を相談するかのように顔を近づけ、声を潜めた。
「何をどう聞き間違えたのか、お前さんが警察署に行ったと聞いてアイツ、しつこくメールや電話をかけてきて『誤認逮捕だ! 冤罪だ!』と、やかましくて仕方ない」
「……ああ、それは大変ですね」
この四年で警部補から警部に昇進したにもかかわらず、一人娘に手を焼いているのは変わらない。いや、むしろ以前にも増して頭が上がらなくなってはいないだろうか?
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