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真相編
マキネッタ
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5月31日 午後4時43分
箕輪家のダイニング・キッチンは八畳ほどで、壁の一面と半分をL字型のシステムキッチンが陣取っている。その両隣には五ドアの大きめの冷蔵庫と調味料などが並んだ戸棚が機能的に配置されており、部屋の中央に置かれたダイニングテーブルを見下ろしていた。
テーブルと同じサクラの無垢材を使用した椅子の一つに浅く腰掛けたまま、アリアはキッチンに立つ創介を見上げた。
「本当にお店じゃなくてもラテアートが作れるんですか?」
さきほど、ちょっとした頭の体操を済ませたせいか、自分でも不思議なくらい緊張が薄らいでいる。
オトコの家に招かれたからといって、ヘンに身構えていた自分が馬鹿らしい。自分は〝名探偵〟で、ここには事件解決のために来たのだ。
アリアは自分にそう言い聞かせながら、まるで事件現場に居合わせた時のように、周囲をくまなく観察し、目に映るもの、あるいは映っていないものを選り分け、蓄積された知識と紐付けていく。
食器棚の皿や茶碗を見る限り、この家の家族構成は三人で、棚の比較的高い位置に塩、胡椒やオリーブオイルなどが並んでいることから、この台所の主はどうやら目の前の大学生らしい。
もっとも昨日、喫茶店で既にその手際の良さを見ているので別段、意外でもなんでもない。
単に、男のクセにいけすかない――というだけのことだ。
アリアのジットリ湿った視線を感じたのか、シンクの下の棚を覗き込んでいた創介が苦笑いを浮かべた。
「疑り深さは探偵の職業病ってヤツなのかな?」
「や、別に……見たところ、この家の台所にはエスプレッソマシンの類が見当たらなかったので、訊いたまでです」
アリアとて、昨日から何もしていなかったわけではない。昨夜、警察署から戻ってきてから今日まで、寮の談話室にあるパソコンや学校の図書館を利用してラテアートについて一通りの調べは済ませていた。
まず、『カフェラテ』とはミルクとコーヒーを一対一で割った飲み物であり、フランスでは『カフェオレ』と呼ばれていること。次に、使用するのは普通のドリップコーヒーではなく、深煎り豆をきめ細かく挽き、加圧抽出した――いわゆる〝エスプレッソ〟であること。その際、〝クレマ〟と呼ばれる豆の油分やタンパク質が一緒に濾し出されること。
そしてこのクレマと温められたミルクが繊細な濃淡を作ることで、カップの上に様々なアートを生み出している。
ちなみに、よく混同されがちなカプチーノはコーヒーとミルクの比率が三対七から二対八といった具合であり、ミルクも高温の蒸気で撹拌させ泡立てたものを使用する。
つまり〝立体ラテアート〟とは言いつつも、創介が作っているのは厳密にはカプチーノということになるわけだが、アリアが気にしているのはそこではない。
カフェラテだろうが、カプチーノだろうが、〝フォームドミルク〟を作るにはエスプレッソマシンが必要のハズなのに、この家にはそれが見当たらない。
「大丈夫! ちゃんと家でもエスプレッソやカプチーノを楽しむ方法はあるよ」
自信たっぷりに請け負った創介の手には、金属製のポットが握られていた。
普通のポットとは違い、曲線ではなく直線で全体が構成されており、真ん中がくびれた八角柱のようなシルエットをしている。くすんだステンレスの質感とあいまって、ぶつけたらかなり痛そうだ。
「これは『マキネッタ』と言って、中が三層構造になってる特殊なポットなんだ。真ん中の層にコーヒー、その下の層に水を入れて直接コンロの火にかけると、沸騰した蒸気の圧力で一番上の層にエスプレッソが抽出されるという寸法さ」
アリアに説明しながら、創介は手際良く準備を進めていく。
シャワーの注ぎ口のように無数の穴が空いたバスケットに細挽きのコーヒーを盛り、スプーンの背で軽く叩くたび、甘く濃密な香りが漂う。
「流石、本職は違いますね……」
アリアは自分でも意外なほど素直に感想が口をついて出た。
「まぁ、このバイトをする前からこの家の家事とかずっとやってたから、多少はね?」
照れくさそうに頬を掻く創介の手はアリアのそれよりも遥かに大きい。水の入ったポットを握る時に浮かび上がる静脈は太く、無骨で、いかにも男性の手といった感じがする。それなのに、コーヒーを均一にバスケットに盛る動きは正確で、実に繊細だった。きっとスプーンとポットをメスと鉗子に置き換えても良い仕事をするだろう。
アリアは改めて九野創介という医大生の長身を上から下観察した。
顔は好みではないが悪くはない。身長は高く、なにかスポーツをやっているのか、近くでみると意外とガッシリしている。
〈その上、手先も器用で家事もできる医大生なんて、なんの冗談だ……?〉
ジロジロと無遠慮に視線を向けられているのに気付いたのか、不意に創介が振り向いた。
「何? あ、もしかしてトイレ? 待ってるから、ガマンしないで行ってき――」
「フン!!」
創介の発言が言い終わるよりも早く、アリアのスリッパが創介の長い向う脛を蹴り上げ、声にならない悲鳴が箕輪家の台所に響いた。
〈忘れてた……コイツは初めて会った時からヘラヘラして、デリカシーというものをミルクピッチャー一杯分も持ち合わせていなかったんだ!〉
そんな相手を少しでも男性として意識してしまった自分が恥ずかしく、アリアは顔の火照りが収まるまで、箕輪家のトイレにこもらざるをえなかった。
箕輪家のダイニング・キッチンは八畳ほどで、壁の一面と半分をL字型のシステムキッチンが陣取っている。その両隣には五ドアの大きめの冷蔵庫と調味料などが並んだ戸棚が機能的に配置されており、部屋の中央に置かれたダイニングテーブルを見下ろしていた。
テーブルと同じサクラの無垢材を使用した椅子の一つに浅く腰掛けたまま、アリアはキッチンに立つ創介を見上げた。
「本当にお店じゃなくてもラテアートが作れるんですか?」
さきほど、ちょっとした頭の体操を済ませたせいか、自分でも不思議なくらい緊張が薄らいでいる。
オトコの家に招かれたからといって、ヘンに身構えていた自分が馬鹿らしい。自分は〝名探偵〟で、ここには事件解決のために来たのだ。
アリアは自分にそう言い聞かせながら、まるで事件現場に居合わせた時のように、周囲をくまなく観察し、目に映るもの、あるいは映っていないものを選り分け、蓄積された知識と紐付けていく。
食器棚の皿や茶碗を見る限り、この家の家族構成は三人で、棚の比較的高い位置に塩、胡椒やオリーブオイルなどが並んでいることから、この台所の主はどうやら目の前の大学生らしい。
もっとも昨日、喫茶店で既にその手際の良さを見ているので別段、意外でもなんでもない。
単に、男のクセにいけすかない――というだけのことだ。
アリアのジットリ湿った視線を感じたのか、シンクの下の棚を覗き込んでいた創介が苦笑いを浮かべた。
「疑り深さは探偵の職業病ってヤツなのかな?」
「や、別に……見たところ、この家の台所にはエスプレッソマシンの類が見当たらなかったので、訊いたまでです」
アリアとて、昨日から何もしていなかったわけではない。昨夜、警察署から戻ってきてから今日まで、寮の談話室にあるパソコンや学校の図書館を利用してラテアートについて一通りの調べは済ませていた。
まず、『カフェラテ』とはミルクとコーヒーを一対一で割った飲み物であり、フランスでは『カフェオレ』と呼ばれていること。次に、使用するのは普通のドリップコーヒーではなく、深煎り豆をきめ細かく挽き、加圧抽出した――いわゆる〝エスプレッソ〟であること。その際、〝クレマ〟と呼ばれる豆の油分やタンパク質が一緒に濾し出されること。
そしてこのクレマと温められたミルクが繊細な濃淡を作ることで、カップの上に様々なアートを生み出している。
ちなみに、よく混同されがちなカプチーノはコーヒーとミルクの比率が三対七から二対八といった具合であり、ミルクも高温の蒸気で撹拌させ泡立てたものを使用する。
つまり〝立体ラテアート〟とは言いつつも、創介が作っているのは厳密にはカプチーノということになるわけだが、アリアが気にしているのはそこではない。
カフェラテだろうが、カプチーノだろうが、〝フォームドミルク〟を作るにはエスプレッソマシンが必要のハズなのに、この家にはそれが見当たらない。
「大丈夫! ちゃんと家でもエスプレッソやカプチーノを楽しむ方法はあるよ」
自信たっぷりに請け負った創介の手には、金属製のポットが握られていた。
普通のポットとは違い、曲線ではなく直線で全体が構成されており、真ん中がくびれた八角柱のようなシルエットをしている。くすんだステンレスの質感とあいまって、ぶつけたらかなり痛そうだ。
「これは『マキネッタ』と言って、中が三層構造になってる特殊なポットなんだ。真ん中の層にコーヒー、その下の層に水を入れて直接コンロの火にかけると、沸騰した蒸気の圧力で一番上の層にエスプレッソが抽出されるという寸法さ」
アリアに説明しながら、創介は手際良く準備を進めていく。
シャワーの注ぎ口のように無数の穴が空いたバスケットに細挽きのコーヒーを盛り、スプーンの背で軽く叩くたび、甘く濃密な香りが漂う。
「流石、本職は違いますね……」
アリアは自分でも意外なほど素直に感想が口をついて出た。
「まぁ、このバイトをする前からこの家の家事とかずっとやってたから、多少はね?」
照れくさそうに頬を掻く創介の手はアリアのそれよりも遥かに大きい。水の入ったポットを握る時に浮かび上がる静脈は太く、無骨で、いかにも男性の手といった感じがする。それなのに、コーヒーを均一にバスケットに盛る動きは正確で、実に繊細だった。きっとスプーンとポットをメスと鉗子に置き換えても良い仕事をするだろう。
アリアは改めて九野創介という医大生の長身を上から下観察した。
顔は好みではないが悪くはない。身長は高く、なにかスポーツをやっているのか、近くでみると意外とガッシリしている。
〈その上、手先も器用で家事もできる医大生なんて、なんの冗談だ……?〉
ジロジロと無遠慮に視線を向けられているのに気付いたのか、不意に創介が振り向いた。
「何? あ、もしかしてトイレ? 待ってるから、ガマンしないで行ってき――」
「フン!!」
創介の発言が言い終わるよりも早く、アリアのスリッパが創介の長い向う脛を蹴り上げ、声にならない悲鳴が箕輪家の台所に響いた。
〈忘れてた……コイツは初めて会った時からヘラヘラして、デリカシーというものをミルクピッチャー一杯分も持ち合わせていなかったんだ!〉
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