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デート編
九野創介最初の事件
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***
それは嵐の晩だった。
夜半過ぎから降り出した雨は今や滝かというほどの勢いで屋根を叩きつけていた。
時折、青白い稲光が窓の外で瞬き、腰の曲がった老婆のような木々のシルエットを部屋に投げかける。直後、まるでドラムセットを階段から落としたような轟音と地響きが聞こえてくる。
「…………うるさいなぁ」
そんな状態では眠れるはずもなく、創介はもう何度目かも分からない寝返りを打った。
創介が眠れない訳はもう一つある。
両親のことだ。
元々仕事で忙しい二人だったが、最近では片方が居る時はもう片方が居ない。……あるいはどっちも居ない。
そんな状態が一年近く続いていたため、急に両親が『今度の連休、摩寒湖で別荘を借りてマリモを見よう』と言い出した時は、これが家族としての最後の思い出づくりになると子供ながらに覚悟した。
自分は両親が留守がちだったため、家事も一通りできるようになったし、高校を卒業すれば一人暮らしでもしてやっていける自信がある。
問題は両親の方だ。
〈父さんと母さん……日干しする洗濯物と陰干しするものの違い、分かってるのかなぁ……?〉
などと、よく分からない心配をしていると突然、大きな物音がした。
〈近くに雷が落ちたのか?〉
窓の外では依然として大粒の雨が硝子を叩きつけ、雷鳴が地獄の猛犬のような低い唸り声を上げている。
〈いや、でも今の音は階下から聞こえてきたような……〉
なんとなく嫌な予感がした創介は布団をはねのけ、ベッドを抜け出した。
フローリングのヒンヤリとした感触に肌がゾクッと粟立つ。
裸足のまま廊下に出ると、外の嵐が嘘のようにしんと静まり返っていた。
壁に手をついて手探りで照明のスイッチをつける。
しかし――。
〈あれ? つかないぞ……?〉
何度スイッチを切り替えてみても、廊下に明かりが灯ることはなかった。
どうやらいつの間にか停電になっていたらしい。
創介はスイッチを諦め、寝室のドアを少し開けたままにして進むことにした。
ひたひた……。
ひたひたひた……。
雷のせいで静電気が充満しているのか、首筋や腕の毛が逆立ち、妙に気持ちが昂ぶっている。
冷たく湿ったフローリングの上を一歩一歩慎重に進みながら、稲光が廊下を照らすたびに進路修正を繰り返す。
これが自宅なら目をつぶっていても歩けるのだが、昨日やってきたばかりの貸し別荘では勝手が違う。
それに認めたくはないものの、恐怖心が少しも無いわけではない。
ひたひた……。
ひたひたひた……。
自分の足音に混じって誰かが後ろから付いてきているんじゃないか?
雷光が廊下を照らす一瞬、何か見てはいけないものが見えてしまうんじゃないか?
そんな疑心暗鬼に足はすくみ、螺旋階段にたどりついた時にはどっと疲労感が襲ってきた。
両親の部屋は階段を降りてすぐそこだ。
創介は自分に激を飛ばすと手すりを頼りに一気に階段を降り、両親の部屋の前で止まる。
まるでそれを待っていたかのように、再び大きな物音が部屋の中から聞こえてきた。
何か金属のようなものが床の上を滑る音と母の金切り声――。
〈母さん……?〉
尋常ならざる様子に、声を掛けるのを一瞬躊躇した。
その時、再び近くに雷が落ちてドアの隙間と鍵穴から青白い光が漏れる。
創介はひとまずそこから中の様子を確かめることにした。
この別荘の持ち主の趣味なのかアンティークと言っても差し支えがない古いタイプの鍵穴からそっと中を覗く。
その瞬間、ドンと扉が内側から激しく叩かれ、創介はおもわず口から心臓が飛び出しそうになった。
どうやら父か母がドアに寄りかかったらしい。
鍵穴からではシルエットしか見えないが、ちょうどドアに背中を預けるように立っているようだ。
震えているのか、ドアが小刻みに振動している。
『やめろ! 頼む! やめてくれ!』
〈父さん……?〉
ドア越しに聞こえる父の怯えた声に創介もまた胃の奥がズンと重く冷たくなるような感覚を覚えた。
慌てて鍵穴から母の姿を探す。
その時、再び雷鳴が轟き、創介はおもわず息を呑んだ。
青白く光った窓を背に母が立っている。
髪はボサボサで、血の気は引き、目だけが真っ赤に血走っている。そんなまるで幽鬼のような姿の母が俯き加減でジッとこちらを見つめていた。
「おいやめろ! 俺が悪かった! 頼むから、やめてくれ!」
確かに恐ろしい形相ではあるが父がいったい何をそんなに怯えているのか創介にはまだ分からなかった。
だが振り上げた右手に雷光が反射し、鈍く光る包丁の刃が見えた瞬間、全てを悟った。
〈母さん、やめてっ――!!〉
しかし息子の悲痛な願いは母には届かなかった。
ゴッと、いやに鈍い音がしたかと思うと、ドアが乱暴に叩かれる。
創介はもう鍵穴を覗くのを止めていたが、おそらく父が藻掻き苦しんでいるんだろう。
やがてその音も聞こえなくなり、ドアの隙間から生暖かな液体が漏れて創介の素足を濡らした。
創介は足にまとわりつく父の血も、頬を濡らす己の涙すら拭わず、ただ呆然と暗い廊下に立ち尽している。
どこかでまた雷が鳴った――。
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それは嵐の晩だった。
夜半過ぎから降り出した雨は今や滝かというほどの勢いで屋根を叩きつけていた。
時折、青白い稲光が窓の外で瞬き、腰の曲がった老婆のような木々のシルエットを部屋に投げかける。直後、まるでドラムセットを階段から落としたような轟音と地響きが聞こえてくる。
「…………うるさいなぁ」
そんな状態では眠れるはずもなく、創介はもう何度目かも分からない寝返りを打った。
創介が眠れない訳はもう一つある。
両親のことだ。
元々仕事で忙しい二人だったが、最近では片方が居る時はもう片方が居ない。……あるいはどっちも居ない。
そんな状態が一年近く続いていたため、急に両親が『今度の連休、摩寒湖で別荘を借りてマリモを見よう』と言い出した時は、これが家族としての最後の思い出づくりになると子供ながらに覚悟した。
自分は両親が留守がちだったため、家事も一通りできるようになったし、高校を卒業すれば一人暮らしでもしてやっていける自信がある。
問題は両親の方だ。
〈父さんと母さん……日干しする洗濯物と陰干しするものの違い、分かってるのかなぁ……?〉
などと、よく分からない心配をしていると突然、大きな物音がした。
〈近くに雷が落ちたのか?〉
窓の外では依然として大粒の雨が硝子を叩きつけ、雷鳴が地獄の猛犬のような低い唸り声を上げている。
〈いや、でも今の音は階下から聞こえてきたような……〉
なんとなく嫌な予感がした創介は布団をはねのけ、ベッドを抜け出した。
フローリングのヒンヤリとした感触に肌がゾクッと粟立つ。
裸足のまま廊下に出ると、外の嵐が嘘のようにしんと静まり返っていた。
壁に手をついて手探りで照明のスイッチをつける。
しかし――。
〈あれ? つかないぞ……?〉
何度スイッチを切り替えてみても、廊下に明かりが灯ることはなかった。
どうやらいつの間にか停電になっていたらしい。
創介はスイッチを諦め、寝室のドアを少し開けたままにして進むことにした。
ひたひた……。
ひたひたひた……。
雷のせいで静電気が充満しているのか、首筋や腕の毛が逆立ち、妙に気持ちが昂ぶっている。
冷たく湿ったフローリングの上を一歩一歩慎重に進みながら、稲光が廊下を照らすたびに進路修正を繰り返す。
これが自宅なら目をつぶっていても歩けるのだが、昨日やってきたばかりの貸し別荘では勝手が違う。
それに認めたくはないものの、恐怖心が少しも無いわけではない。
ひたひた……。
ひたひたひた……。
自分の足音に混じって誰かが後ろから付いてきているんじゃないか?
雷光が廊下を照らす一瞬、何か見てはいけないものが見えてしまうんじゃないか?
そんな疑心暗鬼に足はすくみ、螺旋階段にたどりついた時にはどっと疲労感が襲ってきた。
両親の部屋は階段を降りてすぐそこだ。
創介は自分に激を飛ばすと手すりを頼りに一気に階段を降り、両親の部屋の前で止まる。
まるでそれを待っていたかのように、再び大きな物音が部屋の中から聞こえてきた。
何か金属のようなものが床の上を滑る音と母の金切り声――。
〈母さん……?〉
尋常ならざる様子に、声を掛けるのを一瞬躊躇した。
その時、再び近くに雷が落ちてドアの隙間と鍵穴から青白い光が漏れる。
創介はひとまずそこから中の様子を確かめることにした。
この別荘の持ち主の趣味なのかアンティークと言っても差し支えがない古いタイプの鍵穴からそっと中を覗く。
その瞬間、ドンと扉が内側から激しく叩かれ、創介はおもわず口から心臓が飛び出しそうになった。
どうやら父か母がドアに寄りかかったらしい。
鍵穴からではシルエットしか見えないが、ちょうどドアに背中を預けるように立っているようだ。
震えているのか、ドアが小刻みに振動している。
『やめろ! 頼む! やめてくれ!』
〈父さん……?〉
ドア越しに聞こえる父の怯えた声に創介もまた胃の奥がズンと重く冷たくなるような感覚を覚えた。
慌てて鍵穴から母の姿を探す。
その時、再び雷鳴が轟き、創介はおもわず息を呑んだ。
青白く光った窓を背に母が立っている。
髪はボサボサで、血の気は引き、目だけが真っ赤に血走っている。そんなまるで幽鬼のような姿の母が俯き加減でジッとこちらを見つめていた。
「おいやめろ! 俺が悪かった! 頼むから、やめてくれ!」
確かに恐ろしい形相ではあるが父がいったい何をそんなに怯えているのか創介にはまだ分からなかった。
だが振り上げた右手に雷光が反射し、鈍く光る包丁の刃が見えた瞬間、全てを悟った。
〈母さん、やめてっ――!!〉
しかし息子の悲痛な願いは母には届かなかった。
ゴッと、いやに鈍い音がしたかと思うと、ドアが乱暴に叩かれる。
創介はもう鍵穴を覗くのを止めていたが、おそらく父が藻掻き苦しんでいるんだろう。
やがてその音も聞こえなくなり、ドアの隙間から生暖かな液体が漏れて創介の素足を濡らした。
創介は足にまとわりつく父の血も、頬を濡らす己の涙すら拭わず、ただ呆然と暗い廊下に立ち尽している。
どこかでまた雷が鳴った――。
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