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エピローグ
シュレーディンガーの密室
しおりを挟む6月4日 午後6時43分
「ただいま」
アリアの声がしんと静まり返った室内にこだまする。
十畳ほどの縦に長い部屋の両側にはベッドが置かれ、正面の窓に向かって机が二つ並んでいた。しかしどちらも布団や勉強道具が置かれているのは左側だけだ。
私立・グリシーナ女学院の寄宿舎は一年生の場合、基本的に二人一組の相部屋が割り当てられる。しかしアリアは故あって一人でこの部屋を使っていた。とはいえ、一人だけ二人分の場所を占領するのは気が引けたので、ベッドも机も片方だけ使っている。
アリアはベレー帽とバッグ、お土産に貰ったどら焼きの箱を机に置くと、ベッド脇のクローゼットを開けた。
子供が一人隠れられそうなスペースにはグリ女の制服や指定ジャージ、パジャマ代わりのパーカーなどが吊るされている。それらを脇に寄せ、アリアはクローゼットの床に置かれていた古いダンボールを引っ張り出す。
埃とカビ臭さに顔をしかめながら、アリアは今日のデート――もとい、推理討論会を振り返る。既に終わった事件に対して様々な仮説を立てて検証するのは意外と新鮮で楽しかった。
とっくに犯人は死んでいて送検もされている上、自分が関わった事件じゃないので無責任に話せるからかもしれない。カフェテリアで『ラテアート殺人事件』について話していたクラスメイト達もこんな気持だったのだろうか?
それに普段はのほほんとしているクセにたまに鋭い指摘をする創介に驚かされる場面も多々あった。
ただアリアは創介に一つだけ黙っていたことがある。
創介はアリアが今日初めて聞いたばかりの事件について様々な推理を騙ってみせたことを驚いていたが実際は違う。
むしろ似たような事件について何度も仮説を立て、検証したことがある。
アリアは写真や手紙、古い日記帳などが雑然と詰まっているダンボールの中から、原稿用紙の束を取り出した。
日に焼けて若干色褪せた一枚目にはこう書かれている。
『シュレーディンガーの密室』
著者の名前は『皆葉イリア』――。
旧姓、根岸イリア――四年前から行方不明のアリアの姉の名前だった。
綺麗ではあるがどこか固く鋭い姉の筆跡を懐かしく思いながら、アリアはページをめくる。
内容は姉の他の作品と同じく古いタイプの探偵小説だ。
古い洋館の一室で男女二人の死体が見つかったというもの。
部屋は内側から鍵が掛けられていて窓も開かず、おまけに庭師が窓の外から使用人が後妻を殺すのを目撃している。
警察は不倫関係にあった使用人が今生での悲恋を儚んで無理心中を図ったのだろうと結論づけた。
しかし館の主もまた別な時刻に犯行を目撃していたのだ。
以前から二人の仲を怪しんでいた主は深夜鍵穴からこっそり部屋を覗いて偶然、犯行を目撃してしまったのだった。
ただし主が見たのは庭師とは逆で、後妻が使用人を殺す瞬間だという。
死亡推定時刻はどちらの目撃証言も指示するもので、警察の捜査は行き詰まってしまう。
果たして犯行時刻、後妻と使用人のどちらが生きていたのか、死んでいたのか……。
改めて読み返してみると、似ているなんてものじゃない。
「九野さんの両親の事件とそっくりだ……」
読者による模倣犯だろうか?
いや、それはありえない……。
アリアの姉はまさにこの小説の解決編を書く前に、取材旅行中に行ったきり帰ってこなかったのだ。
当然、連載は無期限の休載扱いとなり、ネットでは今でもコアなファンが真相について語り合ったり、独自の二次創作を投稿したりしている。しかしいずれも大多数に支持されるような答えは未だ出ていなかった。
〈なんだろ、このヤな感じ……〉
まるで何者かの作為と悪意に満ちたシナリオの通りに運命を歩まされているような、そんな不快感を覚えた。
やがて物語は探偵役が奇っ怪極まりない密室の謎に挑もうとする場面にさしかかる。
アリアは無意識のうちに探偵役の台詞を声に出して読んでいた。
「これも探偵としての宿命か……」
次のページをめくると、走り書きしたような姉の字でこう記されていた。
『続く』
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