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第零章 先代編(後編)
外泊許可
しおりを挟む「…………」
身支度の時間を考え早めに起こしにきたリベリオとダフネ。
同じソファで寄り添い眠っている春雪とドナの姿を見て二人は顔を見合わせる。
衣装の乱れはあるがこれは寝ていて乱れたもの。
脱いだ形跡も、脱いだあと着直した形跡もない。
無言でサッと自分の主人の身なりを確認した二人は頷く。
これは仲睦まじく眠っていただけで房事は行っていないと。
「ドナ殿下、勇者さま。お時間になりました」
二人が眠るソファから離れ扉付近に隣同士で並んだリベリオとダフネは、しっかり確認したことなどおくびにも出さずドナと春雪に声をかけて起こす。
「誰?」
最初にむくりと起きたのは春雪。
いつも春雪を起こすのはダフネだからか、聞きなれないリベリオの声で驚いたようだ。
「……あ。おはようございます」
「「おはようございます」」
扉の前に立っている二人に気付いた春雪は劇場に来ていたことを思い出し、まだ眠そうな表情で挨拶する。
「え!?」
久しぶりにぐっすり眠れたと思いつつふと横を見た春雪は、そこにいる赤い髪の人物を見てビクッとした。
「な、なんで隣に」
思わず自分の体を確認する春雪。
しっかりドレスを着ていてホッとする。
その行動に『まあそう思うだろう』と頷くリベリオとダフネ。
「ん……春雪さま?」
すぐ傍にいる春雪の声で目覚めたドナ。
目覚めの視界に春雪の愛らしい姿が目に入り微笑む。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
「ゆっくり眠れましたか?」
「は、はい」
「それは良かった」
話しながら体を起こしたドナは春雪の前髪を押さえると、額に軽く口付ける。
「殿下。勇者さまがお困りです」
「ん?」
ああ、食事前に起こしに来るよう言ったんだった。
扉の前にリベリオとダフネの姿を見つけ二人きりではなかったことに気付き春雪の顔を見ると、赤い顔で固まっている。
「目覚めの挨拶をしたのですが駄目でしたか?」
「挨拶?……ああ、そっか。そうですよね」
この世界は挨拶のキスをする文化があるんだった。
以前ミシェルからも『これは目覚めの挨拶だ』と言われて額にキスされたことを思い出して春雪は納得する。
『…………』
挨拶のキスは家族や親密な関係の者としかいたしませんが?
何も悪いことはしていないとでも言うようにニコヤカに春雪を見ているドナと、ただの挨拶だと信じて納得してしまう素直な春雪に、二人の従者や召使のリベリオとダフネは頭が痛い。
「殿下?」
「なんだ」
「……いえ」
余計なことは言うなと笑顔で訴えてくるドナ。
リベリオは色々言いたいことをぐっと飲み込んだ。
「ごめんダフネさん。ドレスも髪もぐしゃぐしゃに」
「ご衣装にはリフレッシュをおかけいたしますのでご安心ください。その前にお顔を洗ってお化粧を直しましょう」
「ありがとう。仕事を増やしてごめん」
「勿体ないお言葉を」
ソファから降りドレスがシワになっていることに気付いた春雪はダフネに謝り、その顔が本気で申し訳ないと伝わる表情でダフネはクスクス笑う。
「ドナ殿下、お先にどうぞ」
「春雪さまがどうぞ?」
「私の方が時間がかかりますので」
「私どもにご用意いただいたお部屋で身支度を整えては」
「ああ、その方が時間を気にせずに済むか」
リベリオの意見に納得したドナ。
たしかに部屋はここだけではなかった。
「では私が別のお部屋をお借りしても良いですか?」
「どうぞ。支度が終わったら食事にしましょう」
「はい」
春雪がダフネたちの待機していた部屋で身支度をすることになり、後でと言って部屋を出て行った。
「殿下。従者としてあえて厳しく献言させていただきますが、外出先とはいえ少々迂闊では。見たのが私や召使で良かったですが、座す目的のソファとはいえ女性と閨を共にするとは。そのうえ額に口付けまで。お相手は十把一絡げではないのです」
女性ではなく半陰陽だが。
成婚や子の話をしたから女性と思ったのだろうが。
「成年済みのお二人へ婚前に関係を持つのは控えろとは申しませんが、勇者さまに閨を共にする確認はしたのですか?確認しなかったから殿下が隣に眠っているのを見て驚いたのでは?殿下であっても勇者保護法に反すれば罪に問われるのですよ?」
衣装を身につけていることを確認して安心していた。
あれは何も知らなかった人の反応。
「今日は説教も長いな」
「勇者がお相手とあらばそれほどのこととお察しください」
相手が歌姫だった時とは話が違う。
勇者は地上の種族共通の法で護られているのだから。
同意の上ならまだしも、もし強引に手を出そうものなら国王ですら首が飛ぶ。
「分かった。気をつけよう」
「笑いごとではありません」
本当にこの方は反省しているのか。
……していないだろうな。
笑っているドナを見てリベリオはこめかみを押さえた。
一方隣室で支度中の春雪たちは。
「ダフネさん。今日外泊するかも」
「外泊?これから討伐に行かれるのですか?」
「ううん。緋色宮殿に」
美しい金色の人毛でできたウィッグを梳かしながら、春雪から話を聞いたダフネは手を止める。
「まだ分からないけど、もしかしたら。さっきの騒ぎで曖昧になって話が終わったから聞いてみないと」
歌姫の能力で冷静じゃなくなっていたから、たんにその時の勢いで言っただけの可能性もある。
「それは許可がおりないかも知れません」
「え?なんで?」
ダフネが最初に討伐に行くのかと聞いたように夜に活動する魔物の討伐に出て外泊したことはあるし、セルジュやドナに付き添われ勇者の祠に言った時など三日間ほど宿舎を空けた。
「やはりおりるかも?」
「ん?」
春雪が女性であれば王子の居る宮殿への外泊は許可されない。
ただ、春雪は男性で王子も男性なのだから間違いは起きない。
普段からパーティを組んで討伐に出ているセルジュ殿下やドナ殿下の居る宮殿へ泊まりに行くのであれば、親しくしている友人の家に遊びに行くのと変わらない。
「許可がおりると良いな。今まで人の家に泊まったことがないから。まあ家って規模じゃなくて宮殿なんだけど」
ああ、勇者さまはなんて清いのか。
純粋に友人宅へ外泊する感覚の勇者さまと違い、自分は真っ先に『間違いは起こらない』と下世話なことを考えてしまった。
「許可がおりた際には宮殿で何をなさいますか?」
「なんだろう。夜だからお酒を呑んだり会話したり?」
「よいですね。気の合う方とでしたら会話も弾むでしょう」
「うん。普段は時政さんと飲む機会が多いけど同じ勇者だけに天地戦や特訓の話になりがちだし、立場の違う人との会話ならまた違う楽しさを見つけられそう」
……どうか勇者さまに外泊の許可を。
私と違い勇者さまには一点の濁りもありません。
友人宅への初めてのお泊まりに期待を膨らませている純粋で愛らしい方なのです。
外泊の可否を判断する誰かに心の中で祈るダフネだった。
身支度を済ませ、劇場員が運んだ夕食を摂るドナと春雪。
昼食の時と同じく舞台では劇が行われている。
「今回の演目に歌姫は出ないのですね」
「歌姫は一日に一演目しか歌いません」
「そうなのですか?」
「魔力が尽きてしまいますので」
「ああ、それもそうですね」
春雪のように劇場全体に及ぶ魔力を使い少し寝た程度で平然としていられるほどの魔力量など歌姫にはない。
いま地上で魔力量の一二を争うのは春雪さまと柊さまだろう。
「なにか?」
野菜を口へ運んでいて春雪がチラチラこちらを見ていることに気付いたドナは、どうしたのかと問いかける。
「歌姫の魔力にあてられた時の記憶はございますか?」
躊躇するような様子でそう問われたドナはドキリとする。
あれが本音が漏れ出しての失態だと気付いたのだろうかと。
「覚えております。迫ってしまい申し訳ありませんでした」
自分は観客と違い意識を飛ばすほどではなかったのだから、記憶にないと言うことは有り得ない。
覚えていないと嘘でごまかすよりも誠心誠意謝るべきだろうと判断したドナは、ナイフとフォークを置いて頭を下げた。
「え?……あ!そこではなくて!」
迫られた時のことを思い出したのか赤くなる春雪。
あれは歌姫の魔力にあてられてのことだったのだから責めるつもりはない。
「私が聞きたかったのは外泊のことです」
「外泊?……あ」
言った。たしかに宮殿に泊まらないかと聞いた。
もっと傍に居たいという欲が膨らんで口にしてしまった。
「申し訳ありません。困らせるようなことを言って」
少し頬を染め顔を逸らし呟いたドナ。
宮殿に泊まるよう誘われるなど下心丸出しと思われただろう。
「困ってはおりませんが」
「え?」
「誰かの家に泊まった経験がないので個人的には是非行きたいのですが、外泊となると許可が貰えるかどうか」
ああ、それは知人宅に泊まりに来る感覚。
私に下心があるかもとは頭をかすめてもいないのだろう。
男性寄りの両性と自分で話していたように男性としての認識が強いから、逢瀬のあと泊まることが『何かされるかも知れないがそれでも』と捉えられるなど思いもしないのだろうが……。
「宿舎に戻って許可がおりたら宮殿へ伺いますね」
「はい。私の方からも宿舎へ伝達しておきます」
「ありがとうございます」
行きたいと思ってくれるのならば願ってもないこと。
もっと傍に居たいと言ったのがドナの本心なのだから。
外泊の誘いにのるのがどういうことかを教えないドナは狡い。
・
・
・
「……なに?」
食事のあと春雪とダフネを宿舎へ送り届け宮殿に帰ったドナ。
決められた婚約者候補との逢瀬に出かけていたセルジュも今帰ったらしくエントランスホールに居て、許可がおりたら春雪が泊まりに来ることを話した。
「春雪さまご本人はそれを受け入れたのか?」
「脅して泊まりに来いなどとは申しませんよ」
二人の王子の外套を脱がせる従僕は無言。
出迎えに来ていた家令や使用人も無言。
でも内心では、勇者がこの宮殿へ泊まりに来るかも知れない期待に胸を膨らませていた。
春雪が半陰陽であることを知らない使用人たちにとって勇者は男性の認識で、セルジュやドナと親しいから泊まりに来るというだけで『間違いが起きるのでは』などとは思わない。
純粋に尊い勇者に仕えられることが名誉なことなのだ。
ただ、ドナがアプローチをかけ春雪もその好意を理解していることを知っているセルジュやセルジュの従者には驚く話。
仮にドナと何かあっても構わないと思っているのかと。
そこまで二人の仲は深まったのかと。
「誰かの家に泊まった経験がないらしく、是非行きたいと」
……ああ、友人としてなのか。
苦笑しながら言ったドナのそれでセルジュと従者は察する。
ここまで鈍いとドナに多少同情する気持ちも芽生えるが、同じく春雪を好意的に思っているセルジュは胸を撫で下ろした。
「ご本人が是非にと言うことならば私が口添えしてやろう」
「良いのですか?」
「宮殿の主は私だ。責任を持って預かると伝達しておく」
「ありがとうございます。助かります」
第二王妃が亡くなった今、宮殿の主は長子のセルジュ。
王位継承権第二位のセルジュが責任を持って預かると聞けば早々断られることはないだろう。
「シスト。スクロールと紫のシーリングスタンプの用意を」
「承知いたしました」
「みなも勇者さまがいつ時間お越しになっても対応できるよう事前に支度をしておくように。部屋の準備も怠るな」
『承知いたしました』
まだ確定ではないものの、セルジュの指示で活気づく使用人。
他の宮殿より勇者が顔を見せる機会の多い緋色宮殿の使用人たちはみんな、春雪に対して好意的。
失礼のないよう支度しておかねばと張り切っていた。
宿舎に戻った春雪はと言うと。
「ミシオネールさん」
「湯浴み後でしたか。少々お時間良いですかな?」
「どうぞ」
宿舎に帰ってすぐ宿舎長へ外出をしたいことを話した春雪が自室に帰り入浴を済ませ髪を乾かしていると、部屋にイヴが訪問してきた。
「外泊の話?」
「左様で。緋色宮殿へ外泊したいとのことで」
今日春雪がドナと外出していたことはイヴも把握済み。
ドナが提出した当日の予定を事前に確認して許可をした。
そこまでは春雪のよい気晴らしになるだろうと迷わず許可できたのだが。
「駄目?出来れば許可が欲しいんだけど」
「そんなにも行きたいのですか?」
「うん。今まで誰かの家に泊まったことがなくて。セルジュ殿下やドナ殿下と呑みながら色々な話をするのも楽しそうだし」
「……ん?」
「ん?」
春雪の話を聞き首を傾げたイヴ。
そんなイヴに春雪も首を傾げて返す。
「楽しそうというのが行きたい理由ですか?」
「え?他にどんな理由で泊まりに行くの?」
これは私の早とちりだったようだ。
今日の外出でドナ殿下と『友人以上の関係』になったから外泊することに決めたのかと思っていたのだが。
誰と結ばれるかは春雪の自由。
疾うに成年しているのだから、嫌々行くのではなく許可をとり自分の意思で行くというならば許可を出すつもりで居た。
ミシェルを選んで欲しいというのが私の本音ではあるが、春雪がドナ殿下を選んだならば仕方がないと。
それで春雪の気持ちを確認に来たのだが……。
酒を飲んだり会話したりとする相手にドナ殿下だけでなくセルジュ殿下の名前も出る辺り、単純に親しくなった者と親交を深めたいというだけのことだったようだ。
「承知しました。許可いたしましょう」
「良いの?ほんとに?」
「はい。緋色宮殿の主のセルジュ殿下より、責任を持ってお預かりするとの伝達もいただいておりますので」
「そうなんだ。許可してくれてありがとう」
許可がおり嬉しそうな春雪を見てイヴはクスっと笑う。
よほど行きたかったのだろう。
祖龍が王都に来たことで天地戦が近いことを知った春雪は、あの日以来もう何日も訓練や特訓ばかりの生活をしている。
夜遅くまで特訓をしていて部屋を空けている時間が多いことをダフネから聞き、自分の意思で出掛ける今日の外出は気晴らしになるだろうと思ったのだが、許可して正解だったようだ。
特訓も必要だが休息も必要。
どんなに鍛えようとも心が病めば実力は出せない。
今の春雪に必要なのは自由に羽を伸ばすこと。
「ダフネは帰宅させたのですか?」
「うん。いつ許可の返事がくるか分からないのに居させるのは悪いから。許可が出た時のために着替えは纏めてくれたけど」
「では持ち物はもう支度できているのですね?」
「大丈夫。俺の魔導鞄に仕舞った」
春雪が早めにダフネをあがらせるのは普段から。
宿舎長から伝達が届いてすぐ春雪の部屋に直接来たが、今日も帰る前に一日の報告を提出しているはず。
外出中の様子はどうだったのかはそれで確認するとしよう。
「馬車をご用意いたしますので今暫くお待ちください」
「うん。ありがとう」
天地戦が近いからこそ、自分のしたいことをして欲しい。
誰がどう言おうとも私がそれを止めることはしない。
勇者と共に命のかかった戦地に向かう賢者の一人として。
・
・
・
髪を乾かしている間にも馬車が着き緋色宮殿に向かった春雪。
いつも来た時と同じように、馬車の中から門の外に居る警備や門番に挨拶をして宮殿の広い庭園を通る。
「ようこそお越しくださいました。勇者さま」
「こんばんは。一晩お世話になります」
「光栄にございます」
護衛二人に付き添われて来た春雪を出迎えた家令。
出迎えのために集まっていた使用人たちに春雪は胸に手をあて丁寧に頭を下げた。
「ただいま殿下方は湯浴みをしておりますので、先に本日ご宿泊いただくお部屋へご案内させていただけますでしょうか」
「はい。よろしくお願いします」
ドナもセルジュも入浴中。
外泊許可がおりるまでに時間がかかるだろうと思い、外出していた二人も先に湯浴みをすることにしたのだが。
春雪が案内されたのは二階にある部屋。
二階にはセルジュやドナの部屋もある。
「ご用命の際にはこちらの魔導ベルをお使いください」
「ありがとうございます」
「ではごゆっくりお寛ぎください」
「はい」
飲み物とフルーツが用意されているテーブルに置いてあった魔導ベルを春雪に見せた家令は、飲み物をグラスに注ぎ丁寧に頭を下げて部屋を出て行った。
「広い部屋」
宮殿は王妃が暮らす場所なのだからそもそも広いのだが、春雪が泊まる部屋は王位継承者のセルジュとドナの二人が生活する二階にあるのだから広くて当然。
念のため戸締りや不審物がないかを確認をする春雪。
そういう面での警戒心の強さは変わっていない。
尤も緋色宮殿の使用人は顔を知っている者ばかりのため疑う気持ちは大してなく、軽く確認して回る程度だったが。
「着替えよ」
確認して安心した春雪はあのあと着替えた訪問着を脱ぐ。
宿舎から宮殿まで馬車で移動するのだから服装など何でもいいだろう……とはいかない。
王城や宮殿に暮らしているのは王家の人々なのだから。
魔導鞄から部屋着を出していると室内にノックの音が響く。
「勇者さま。殿下方がお出でになりました」
「ち、ちょっと待ってください!」
ノックをしたのは家令。
春雪が来たことを聞き急いで湯浴みを済ませたセルジュとドナは、家令の声がけに室内から返った春雪のその慌てたような返事を聞き顔を見合わせる。
「春雪さま?如何なさいましたか?」
「お待たせして申し訳ありません!いま着替えてまして!」
ああ、それで。と納得した三人。
着替え中で肌を露出している状態なのだろうと。
「慌てなくて大丈夫ですので」
「すぐに着替えます!」
苦笑して伝えたドナにまた春雪の慌てた返事が返る。
おかしな慣習のせいで慌てさせて申し訳ない気分になる。
王家の前で不必要に肌を晒すのはタブー。
舞踏会で着るドレス以外、女性は足首まで隠れる丈の長いドレスで脚を隠し手にはグローブをして、男性も正礼装をきっちり着込んで手にはグローブをするのが王家と対面する際の常識。
と言っても『肌を晒すことはふしだら』という人々の認識のもと不敬であるとタブー視されているだけで、当人の王家の者たちは肌が見えたところで不敬などとは思っていないのだが。
「お待たせしました!」
急いで部屋着を着て扉を開けた春雪。
王子の二人もリラックスした普段着を身につけている。
「急かしたようになって申し訳ありません」
「いえ。こちらこそお待たせして申し訳ありません」
慌てて着替えたとわかる髪の跳ね。
セルジュはくすりと笑いその跳ねた髪を直す。
「春雪さまとドナも夕食は済ませたようですので、別室でお酒でも嗜みながら談笑でもいたしませんか?」
「喜んで」
春雪が案内された部屋は寝室。
眠るにはまだ時間が早すぎるため大広間に移動した。
「ご用命があればお呼びください」
「ああ。ご苦労だった」
「ごゆっくりお過ごしください」
これからはプライベートな時間。
三人の寛ぎの時間の邪魔をしないよう、使用人たちは酒や酒のアテを数種類テーブルに用意して部屋を出て行った。
「ミシオネールさんから聞いたのですが、セルジュ殿下が伝達でお口添えしてくださったそうで。ありがとうございました」
まずはセルジュにお礼をする春雪。
伝達は正式に迎え入れるという表明であり、それもあってすぐに訪問できたというのもある。
なければ宿舎側から訪問許可を確認する伝達を送り返事を待ってからの訪問になるため、もっと遅い時間になっていた。
「ドナの方から春雪さまをお誘いしたと言うことでしたので、こちらから正式な文書をお送りするのは当然のこと。私もこうして春雪さまとお時間を過ごせることは光栄ですので礼など不要にございます」
性癖は歪んでいてもそこは第二王子。
しっかりと礼節は弁えている。
「さて。三人になりましたのでそろそろ普段通りで」
「そうしましょう。肩がこります」
「はい」
そう話して笑う三人。
背筋を伸ばし王子や勇者として振る舞うのはお終い。
人前ではそうしているだけで、普段からパーティを組み討伐に出ている三人は疾うに気心の知れた関係になっている。
「外出は如何でしたか?一般国民地区に行かれたとか」
「楽しかったです。北区で食べたポーグサンドも美味しかったですし、劇場でも食事や公演と楽しい時間を過ごせました」
早速それぞれが好きな酒を楽しみながら今日のことを話す。
「ドナはしっかりエスコートできましたか?」
「え?なんですか?その確認」
「普段は研究漬けの愚弟の言動が不安になるのは当然だろう。なにかご無礼を働いているのではないかと気が気でなかった」
「兄さんは私の父母かなにかですか?」
セルジュとドナの会話に吹き出して笑う春雪。
互いに真顔で言い合っているのが面白い。
「今日は討伐の時のようにローブ姿とはいかないので女性の衣装で出かけたのですが、ドナ殿下は真摯にエスコートしてくださいましたよ?私はもちろん付き添いの者や民にも心配りをしてくださって、改めて素晴らしい王子殿下だと思いました」
出かけた相手の春雪への気遣いはもちろん、正体を明かしていないとはいえ一般国民にも分け隔てなく礼を尽くしていた。
この世界に来る前は庶民だった春雪には当たり前のことでも、生まれた時から王家の王子としての教育を受けたドナが身分が下の者にも礼を尽くせるのは凄いことだと思う。
「普段から婚約者候補の方々をこのようにエスコートしているから手慣れているのかと思うと、誘われた経験も誘った経験もない私には越えられない経験値の壁を感じましたが」
フッと物憂げに笑った春雪と酒に噎せるドナ。
今度はセルジュが二人を見て笑う。
「そうですか。手慣れていると感じたならばしっかりとエスコートできたのでしょう。安心しました」
「私は複雑なのですが?」
「王子なのに慣れていないのかと気遣われなくて良かったではないか。てっきり失態を犯し帰ってくるものと思っていた」
「どれほど私を信用していないのですか」
二妃が居なくなって二人は大きく変わった。
誘拐に手を貸したことで追放処分となったララも。
息子や娘も母には手駒でしかなかいと知りながら育ったセルジュとドナとララの性格が歪んでしまうのは仕方のないこと。
親子という断ち切ることが難しい関係に絶望していた三人は、二妃が居なくなって漸く本心で笑うことができている。
「まあ失態であればしたのですがね」
「なに?」
「歌姫の魔力にあてられまして」
劇場でのことを話すドナ。
例の独り言の件を手伝って貰うためにもセルジュの耳には入れておくつもりだった。
「そのような危険性があったとは」
「念のため歌姫全てに対策するよう支配人には話しましたが、彼女だからこそ起きたことだと思います」
グラスを口に運びながらそうドナは話す。
「完璧に旋律を歌えることと魔力量が多いこと。そのふたつが揃った歌姫は早々居ないでしょう。もし完璧に歌える者が居ても魔力量が少なければすぐ枯渇してしまいますし、魔力量が多くても完璧に歌えなければ効果は薄いですので」
ビビアナが優秀だからこそ起きてしまったこと。
本人には言わなかったが、何百年も前に居たという魔物の本能をくすぐることができた歌姫に近い才能を持っているのではないかと思う。
「晩餐会のアレであまりよい印象はないが、才能は本物か」
「はい」
セルジュの中でビビアナは色仕掛けをしていた印象が強い。
晩餐会の後に行われた舞踏会では肌の露出の多いドレスを着て積極的に近付いてきて、礼儀として一曲踊ったものの媚びを売るような目も話し方もボディタッチも不快でしかなかった。
まるで母のようだと。
「ドナ殿下から軽くお話は伺いましたが、セルジュ殿下にもあまりいい思い出ではないのですね。お顔が」
「失礼を。思い出してしまって」
あの時のことを思い出して厳しい顔をしていたらしく、春雪に指摘されてセルジュは苦笑する。
「まあ王家の者で彼女にいい印象を持つ者は居ないでしょう」
それも理由があってのことだったが、例え理由があったとしても彼女が良い印象に変わることはない。
私欲ために王家を利用しようとしたのが事実なのだから。
「人格はさて置き才能は本物です」
「ドナがあてられる程ならばそうなのだろうな」
「ええ、まあ」
魔力の抵抗力を下げていたからだが。
そこは隠して軽く流すとセルジュはジッとドナを見る。
「手段は選べ」
見破ったセルジュとまた噎せるドナとキョトン顔の春雪。
知らぬは春雪ばかりなり。
「それでどのように観客を正気に戻したんだ?」
「春雪さまが浄化してくださって事なきを得ました」
「春雪さまにお力を使わせたのか」
「あっ!私が勝手に歌っただけです!旋律を崩したかっただけで、私本人もまさか能力が発動すると思いませんでした!」
春雪が能力を使ったことを知りセルジュの目が厳しくなって春雪は慌てて説明する。
「ドナが頼んだ訳ではないと?」
「ドナ殿下は公演を中止させるとしか。歌姫の能力は旋律も重要だと事前に聞いていたので、この世界にない旋律を歌姫の旋律に被せれば効果が薄まると思ったんです」
従者を呼んで公演を止めさせてとしている時間にも観客は歌を聴き続けることになるから、少しでも早く現状を変えた方がいいと思い咄嗟にしたことだった。
「そうでしたか。疑ってすまなかったな」
「いえ。魔力にあてられすぐに行動できなかったのは私の失態です。観客は演出と思ってくれたので良かったですが」
あまりにも現実離れした能力のため気付かなかったのだろう。
金色の光の粒が降り人々を浄化するなどまるで神の所業。
「誰も気付かなかったのか?」
「従者や護衛の他に見たのは支配人だけです」
「口止めは?」
「秘匿契約を行いました」
「そうか」
能力を使ったところを見たのは従者と召使と護衛と支配人。
あの支配人は勇者に並々ならぬ敬意の念を持っているようだから、秘匿契約をせずとも誰にも話さなかっただろうが。
「では問題は解決したということでいいんだな?」
「はい」
今耳に入れておくのはここまで。
後のことは春雪さまの耳に入れることではない。
貴族の膿を出すのは王家の者の役目。
「浄化効果のある歌声か。嘸かし素晴らしい歌声だろうな」
「ええ。今まで数々の曲を聴き多くの者の歌声を聴いてきましたが、鳥肌が立った経験は初めてです。異界の歌詞で言葉は分かりませんでしたが、透き通った春雪さまの歌声と心が休まる優しい旋律が相俟ってただただ神々しいと感じました」
歌を聴き鳥肌が立つ経験などしたことがない。
歌姫の歌声よりもよほど心が震えた。
「あの曲は何という曲なのですか?」
「アメイジング・グレイスという讃美歌です。素晴らしき神の恵みという曲名の通り、神を讃える曲ですね」
「神を讃える曲……異界にも神曲があるのですね」
「まだ地球が豊かだった頃に作られた曲ですが、私の居た時代が時代だからでしょうか。よく耳にしていました」
俺は信徒ではなかったけれど、滅びを待つ時代だったからか部屋に曲をかけているとよく流れてきて頻繁に耳にしていた。
ゼットが最初に歌った曲がこの曲。
「是非私にも春雪さまの歌声をお聞かせ願えませんか?」
「お聞かせするような代物ではありません」
「ドナや観客の前では歌ったのですよね?」
「あれは歌姫の旋律を崩そうと」
赤い瞳でジッと見られて春雪はぐっと口を結ぶ。
「……所詮は素人芸でしかないですからね?」
「ありがとうございます」
「力強い目で訴えるの狡い」
渋々立ち上がりながらボソッと呟いた春雪にドナは笑った。
春雪が歌い始めるとグラスを口に運んでいたセルジュの手が止まる。
「…………」
透き通った美しい声と初めて耳にする旋律。
楽器の演奏もないアカペラでここまで歌いあげるとは。
私がそうであるように、上流階級の教養の一つとして家庭教師から楽器や歌唱を学んだドナが言うのだから上手いのだろうとは思っていたが……素人芸とは随分な謙遜をしたものだ。
もしこれが素人芸であるなら、異界人の音楽のレベルはこの世界とは比べものにならないほど高い。
曲名からして神の恵みに感謝する歌詞なのだろうが、言葉が分からずとも不思議と温かく穏やかな気持ちになる。
春雪さまの伸びやかで優しく透明なその歌声も相俟って、この世界にあるどの神曲よりも美しい。
セルジュはグラスを置き、春雪の歌声にじっくり耳を傾けた。
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そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする
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ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。
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世の中は意外と魔術で何とかなる
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新しい人生が唐突に始まった男が一人。目覚めた場所は人のいない森の中の廃村。生きるのに精一杯で、大層な目標もない。しかしある日の出会いから物語は動き出す。
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平凡な生き方をしているつもりが、結局騒ぎを起こしてしまう男の冒険譚。困ったときの魔術頼み!大丈夫、俺上手に魔術使えますから。※主人公は結構ズルをします。正々堂々がお好きな方はご注意ください。
詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~勘違い貴族の規格外魔法譚~
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「次の人生は、自由に走り回れる丈夫な体が欲しい」
病室で短い生涯を終えた僕、ガクの切実な願いは、神様のちょっとした(?)サービスで、とんでもなく盛大な形で叶えられた。
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バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
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バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
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これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
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