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第十三話「訓練と教官役の苦労について」

教育 比乃の場合

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 比乃の宣言通り、三対一で行われた模擬戦は、一方的な戦いになっていた。

 高振動ナイフによる近接格闘戦においても、数的有利という物は当然ながら機能する、はずなのだが、三機の訓練用Tkー7の胴体には、マーカーで落書きされたような線がいくつも着けられていた。

 特に、コクピットがある部分はオレンジ色の塗装を塗り潰したように真っ黒になっている。もし、これが実戦であったなら、数え切れないほど死んでいるという印だった。

 対して、その三機に包囲される形になっている白いTkー7、区別をつけるためにと用意してもらった予備の通常仕様機。その機体性能の差異は全くないのだが、その純白の装甲には、どこにもインクがついていない。

 模擬戦開始から三分、ナイフを掠らせることも出来ない菊池ら受信値トップの三人は、コクピットの中で疲労感と焦燥感を拭いきれず、肩で息をしていた。
 その動きを拾った橙色の機体も肩を上下させているが、白い機体は、表情と言える物があったなら、涼しげな顔をしていただろう。

『どうしたんですか、時間切れまでまだ一分と四十五秒ありますよ、かかってきてください』

「っ!」

 比乃が誘うように言うのと同時に、斎藤のTkー7が仕掛けた。大きく踏み込んだ刺突、速度が乗った一撃。並みの機士なら、命中したかもしれないそれは、比乃が半歩身を引いただけで空を斬った。その勢いで離脱しようとした機体に、また横一線の塗装が成された。

『攻撃のモーションが大きすぎです、離脱が遅れてます』

 攻撃を避けられただけでなく綺麗に反撃まで貰ったことに呆然としている斎藤機を『なに呆けてるんですか』と邪魔そうに蹴り飛ばす。その後ろから、鈴木の機体が飛び出してきた。

 ナイフを逆手に持って、ボクシングのジャブのような連撃。自衛隊の格闘術というよりは喧嘩拳法のそれが、紙一重でそれを避ける比乃の機体をじりじりと追い詰めて行くように見えた。だが、そう見えるだけで、実際のところは違った。

『こういう風に詰められた時は』

 比乃は焦る様子もなく、見学している訓練生に向けてレクチャーするように言った――次の瞬間、鈴木のTkー7が後方に吹っ飛んだ。
 見ていた訓練生たちでもなんとかわかったのは、ジャブとジャブの一瞬の間に、比乃機が膝蹴りと掌底を連続で鈴木機の胸部に叩き込んだということだけだった。

『こうして距離を取ります。腕部スラッシャーを展開させていれば、今ので撃破ですね。迂闊ですよ鈴木二士』

 比乃が吹っ飛んだ機体に向けて淡々と説明したが、等の本人は聞いていなかった。鈴木機は仰向けに倒れたまま動かなくなっていた。機体の中で、鈴木は衝撃に耐えきれず失神している。

 やり過ぎてしまったらしい。比乃は気まずそうに『あー、えっと』と前置きしてから

『耐Gスーツを身につけていても強い衝撃を受けるとこうなります。打撃と言っても舐めてはいけません。実際、出力にリミットが掛かっていなかったら今ので操縦系統を潰されて行動不能です』

 そこまで長々と説明して『わかりましたか菊池二士』と白いTkー7が振り返る。視線の先、これまで沈黙を守っていた菊池の乗った橙色のTkー7は、内股で震えていた。
 その機体の胴体には、無数のマーカー線……どころか、星状に五本の黒線が走っている。完全に遊ばれていた証拠だった。

 相手にしている教官への恐怖と畏怖、その操縦者の意思を、Tkー7は見事なまでにフィードバックして表現していた。比乃が「流石、受信値が一番高いだけあるなぁ」と色んな意味で関心する。

『とって食うわけじゃないんですから、遠慮なく仕掛けてきてください』

 外部スピーカーでそう言うと、比乃のTkー7は順手に持ったナイフを構える。対する菊池機は覚悟を決めたのか、ナイフを両手で構えて、刺突の姿勢に入って駆け出した。土を巻き上げながら疾走する機体、菊池は絶叫する。

「二人の仇ぃ、取ったらぁー!!」

 次の瞬間、橙色の機体が宙を舞った。空中で一回転してから、ずしゃあと地面に叩きつけられ、動かなくなった。それは見事な投げ技だったと、見学していた訓練生三人のレポートには記された。

『失神二の戦意喪失一……あのですね』

  比乃が何気なく言った「遊んでるんですか?」という言葉が、成績だけが自慢であった訓練生達の心に、ぐさりと突き刺さった。

 ***

「……遊んでいるのか?」

 その模擬戦の様子を、数百メートル離れたビルの屋上から観察している人物が三人。その内の一人、オーケアノスが思わず口に出した。側から見ていると、AMWを使ったお遊戯にしか見えず、その真意は、この熟練の戦士にも理解しかねた。練習機を相手にして模擬戦をしていたということだけは解ったのだが。

「先日の部隊といい、自衛隊は皆、あの程度なのか」

「で、どうすんだよオーケアノス、運良く目標の腕前が見れると思ってたのにこれじゃあ、肩透かしもいいとこだぜ?」

 アレースが不満そうに、同時に、同僚がどう言った心境なのかを想像してにやにやと笑みを浮かべてオーケアノスに問いかける。

「ふむ……」

 聞かれたオーケアノスは、顎髭を撫でて一頻り考えると「ステュクス」と双眼鏡で適当に町を観察していた少女に声をかける。ステュクスは即座に「はい先生!」と双眼鏡を覗くのを辞めてオーケアノスに駆け寄った。

「ここからそう離れていない廃倉庫に、玩具を隠し持っている素人どもがいる。そいつらを“掃除”してこい。騒ぎを起こさずに、静かにな」

「わかりました先生!」

 ステュクスは二つ返事で返すと、また駆け出し、ビルの縁に足をかけると

「それじゃあ行ってきます!」

 そのまま地を蹴ってビルからビルへと飛び移って行った。余りに人間離れした動きだが、アレースは口笛を鳴らして感心するだけ、オーケアノスに至っては無言でその姿を見送ってすぐに視線を駐屯地の方へ戻し、特に驚いたりはしなかった。

 双眼鏡で駐屯地の中のTkー7の動きを観察していたオーケアノスに、アレースは当然の疑問を投げかける。

「でよ、なんでそんな雑魚を掃除するんだよ、急に治安維持にでも目覚めたのか?」

「いいや、奴らの玩具を貰ってやることが出来た」

「貰う?  それでどうすんだよ」

 オーケアノスは双眼鏡を懐にしまうと、訝しがるアレースに向き直る。そして、日本に来て初めて、面白そうに笑みを浮かべた。

「少しばかり、試してやろうと思ってな」

 その翌日、新聞には謎の大量の遺体が廃倉庫で見つかったという記事が紙面の隅に記載された。後々の調査で彼らは全員過激派市民団体のメンバーであったこと、そして一機のAMWを非合法な手段入手し、テロを画策していたことが解った。

 しかし、肝心のAMWは影も形もなかったという。
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