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第三十二話「決戦の決着について」

朝と日常を迎えて

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 翌朝、自衛隊と近衛兵、それにゲストの七人は、機体から出ることも出来ずに、数時間コクピットの中で過ごした。朝日が昇り始めた頃、輸送機が飛来する音に気付くと、眠気混じりの目を擦って、空を見上げた。本隊、敵陣地制圧の為の人員が、やっと到着したのだ。

 対ガス装備を装着した、第二陣の空挺部隊が敵陣地に突入する。そのとき、彼らが見たのは、血こそ流れていないが、凄惨な殺戮現場であった。

 敵が陣を張っていた場所にいたクーデター軍側の兵士は全員、悶え苦しんだように死亡していた。クーデター首謀者であった将校らも、陣地からそう離れていない森林の中で、全員が息絶えているのが発見された。

 その他に残っていたのは、無人のペーチルSとトレーヴォが数機。露製の対空車両が十両程だった。どちらも、テロリスト側が持ち込んだ装備と見て間違いなかったが、それを動かす人員は一人も見つからなかった。

 施設や置いていかれた装備類、車両などに、巧妙に隠された小さいガスボンベが大量に設置されており、毒ガスはそこから散布されたと見るのが妥当だった。

 これらの状況から、逃げたテロリストが毒ガスをばら撒いた目的は、クーデター軍への口封じだと考えられた。捕縛されたクーデター軍から情報漏洩するのを恐れたテロリストが、ガスを用いて大虐殺を行ったのだ。

 また、ステュクスが戦闘時に放ったガスは、即効性と遅効性両方が使用されており、汚染区域の拡大を防ぐために追撃を困難にさせ、また、空挺部隊を降りさせない効果も発揮した。その効果は甚大で、本隊が降下出来たのは翌朝になってからだ。

 比乃は余り詳しくなかったので知らなかったが、撒かれたのは、VXガスとマスタードガスと呼ばれる代物だった。どちらも、無色無味無臭の凶悪な毒ガスで、前者は即効性が高い劇物で、後者に関しては極めて残留性が高く、その上ゴム繊維すら浸透するという、恐ろしい品であった。

 周辺を含めて、市街地に民間人が居なかったというのは不幸中の幸いであった。もし、避難が行われて居なければ、戦闘の余波も含めて大量の死傷者を出していただろう。

 何はともあれ、作戦の主要目的であるクーデター軍の首謀者の確保には失敗したが、抹殺という第二の目的は、敵によるものとは言えど達成された。組織立っての行動は、これで不可能になっただろう。その上、敵の機甲戦力も大きく減少した。

 それに、少なくとも、クーデター軍に加担していたテロリストは、その理由は不明だが、英国から撤退したと見て間違いないと思われた。

 英国が平穏を取り戻す日も、そう遠くはない。

 ***

 それから数日後、日本の歓天喜地高等学校。

「で、何故お前はまだここにいるのだ?  メアリ」

 その二年A組の教室で、紫蘭は机に座って学生鞄の中身を漁っていたメアリー三世に英語で問いかけた。聞かれた方は、はてなと言った様子で首を傾げてから、鞄の中から目当ての物を取り出して、

「私が学校に来ることがそんなにおかしいですか?  あ、これお土産の紅茶です」

「おお、これはどうも……じゃなくてだ!  英国のクーデター騒ぎも収まりつつあるだろうに、どうしてまだお前が日本にいるのか聞いてるんだ!」

 手渡された紅茶を一旦机の上に置いてから、紫蘭は床をだんっと踏み鳴らしながら言った。

 その音に周囲に居た他のクラスメイトはなんだなんだと反応するが、彼ら彼女らの英語力では、紫蘭とメアリが何の話をしているのか、さっぱり解らず「グローバルな痴話喧嘩かな?」などと勝手に結論付けてスルーした。

 メアリは「ああ、そういうことですか」と聞かれた内容を理解したらしく、母親そっくりの笑みを浮かべた。

「確かに、我が英国は平穏を取り戻しつつありますけど、まだクーデターの残党とか居ますし、そういう人たちが、一発逆転を狙って私のことを拉致したりでもしたら大変だからと、お父様からまだ日本にいろと言われたのです」

 彼女の言っていることは本当だった。まだ英国にはクーデター軍の残党が残っており、彼らがやけになって王族を狙わないとも限らなかった。なので、まだ日本に残るようにという、国王と王妃の判断であった。
 その理由を聞いて、しかし、紫蘭はじとっとした目線をメアリに向けた。

「……で、本当の所は?」

「まだ晃さんを英国に連れて帰る算段がついて居ないですから、それが済んだら帰ります。晃さんと一緒に」

「誰がお前に晃をやるか!  一人で帰れ現地妻気取りめ!」

「あらあら、現地妻だなんて……泥棒猫が良く言いますね」

 それから、二人の英語による口論は、遅れて教室にやってきたアイヴィーが止めるまで続いた。ぜーぜーと肩を上下させる二人に「でもさぁ」と、赤毛をくるりと指に巻きながらアイヴィーが言う。

「またこうして、森羅に会えて、比乃たちと学校に来れて、私嬉しいよ」

 そう言って、本当に嬉しそうに笑顔を浮かべる彼女に、紫蘭は「うっ、これが天然良い子の力か……」と慄く。そんな親友の様子に、メアリは口に手をやって、笑みをこぼす。

「どちらかと言うと、日比野さんと一緒にいられるのが嬉しいのではなくて、アイヴィー?」

「そ、そうとも言うね」

「私としては同じ幼馴染同盟である心視を応援したい所だが……同じ恋する者として、相談には乗るぞ、アイヴィー」

「何ですかその同盟は……それに、私も恋をしている者なんですけれど?」

「お前は別だ!」

「何を話してるの、三人とも」

 そうこう騒いでいると、その騒ぎが耳に入ったのか、比乃が怪訝そうな顔をして会話に混ざって来た。アイヴィーが、今の会話を聞かれていたかと、ぎくりとするが、当の比乃は会話内容について把握していた訳ではなかった。

「英語でいったい何の内緒話をしてるの?  結構目立ってるんだけど」

 ただ、周囲に通じない言語で何事か話しているのか、内容が気になっただけらしかった。三人は内心で胸を撫で下ろしてから、揃って、

「あいや、比乃にはあまり関係のない話だ。気にしないでくれ、なぁ二人とも?」

「ええ、ちょっとした女子同士のお話という物ですよ」

「そうそう、女子トークってやつだからさ、比乃はそんなに気にしなくて大丈夫だよ」

 口々にそう言うと、比乃は一応、納得した。

「そうだったんだ……まぁ、あんまり口喧嘩とかしないでね。クラスの皆が面白がって騒ぎ始めたら、面倒になるの僕らなんだから」

 言って、比乃は自分の席に戻り、志度と心視と何かの話に没頭し始めた。アイヴィーが「あー、危なかった」と額を拭う仕草をする。

「今の聞かれて、比乃に気持ちがバレたりしたら私、憤死しちゃうよ」

「あらあら、アイヴィーったら、身体の割に本当に臆病ですね……そんなことでは浅野さんに先を越されてしまいますよ?」

「うむ、恋は先手必勝油断大敵だからな、先を制した者が勝つと相場が決まっている!」

「身体の割にってなんなのさ……それに、森羅は先手なのに勝ててないじゃないの、説得力ないよ」

「な、なにを言う!  私は――」

 女子トーク、恋バナを英語で続けている彼女らに、周囲のクラスメイトの内、興味津々だった一部の生徒が、英和辞典などを取り出したりしたが、結局の所、三人が晃と比乃について何か話しているということ意外は、さっぱりであった。

 晃と比乃に対するクラスメイト、特に男子からのヘイトが高まったのは、言うまでもない。

〈第七章 了〉
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