玄関フードの『たま』

ながい としゆき

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第一話 この世の垢落とし

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 あれは、私が十八歳の頃だったから、もう六十年以上も前になるんだね。
 その年は大きな台風が結構上陸してね。あちこちで大きな被害になって、国中が復旧するのに大変だった。私が住んでいた町は、山と川に挟まれた地形だったから、山が崩れて山林が流されて、その土砂や流木が川に流れて側の家や畑を次々と呑み込んでいった。ひどい嵐だったよ。夜に台風が来たから、みんな寝巻きのまま、着の身着のままで横殴りの雨風の中を逃げた。その逃げている先に川からあふれた水が土砂と混ざって濁流となって襲ってくるんだから、そりゃあ生きた心地がしなかった。
 台風は朝方その地区を抜けて行った。明るくなった外の景色は、昨日までの町とは大違いでね。私たち家族が住んでた所は、山からも川からも距離があったし、ちょっと小高い所だったからそんなに被害がなかったけど、それでも床下まで水が押し寄せてきていたし、風で屋根を飛ばされた家が数件あった。
 けどね、家から五百メートルくらい離れたところでは、山が崩れて家ごと川まで流されていたり、家族がバラバラになってしまったりで大変な状況だった。そこの地区では多くの人が家や土砂の下敷きになって亡くなったり、行方がわからなくなったりして、みんな途方に暮れていた。
 幸い被害が少ない地区に住んでいた私たちは、町内会ごとに人数を集めて、被害の大きい町内に助けに行ったんだ。今で言うボランティアっていうやつだね。その時は、男も女も関係なく、みんな総出でつぶれた家の瓦礫を運んだり、家の中に入った泥をスコップで掻き出したりしていたんだ。
 私も仲の良かった学校の友達が住んでいたから、みんなと一緒に助けに行って、スコップで泥をかき出していたんだ。そしたらね、
「何だ、そのへっぴり腰は!そんなんじゃ身体壊しちまうぞ!」
って、大声で怒鳴る声がする。私は
「何だ?」
と思って、声のした方を振り返ると、たぶん私より少し年上の男の人が、こっちを見て怒った顔をして立っていた。
「わ、私?」
その男の人は、大股で私の所まで歩いて来て、
「スコップっちゅうのは、もっと腰を入れて使わないと、身体痛めちまうんだぞ。そうならんうちに、さっさとやめて家に帰って妹弟の面倒でも見てれ!」
って言うと、私からスコップを取り上げて土を掻き出し始めた。
 私は悔しくて悔しくて涙がこぼれた。その男の人は、そんな私を見て
「泣いてるヒマがあるんなら、さっさと土運びでもしろ」
ってまた怒鳴った。仕方なく、私は言われるままに一輪車で土を運んだ。
 それからの私は、その男の人を避けて働いたけれど、なぜだか毎日見つかってしまい、そのたびに怒鳴られては、悔しい思いをした。
 そんな日が二、三日続いたある日、雨が降って仕事ができなくなった時のこと。私は炊き出しをしている家にご飯支度の手伝いをするために傘を差しながら足元に跳ねないように気を付けながら軒伝いに小走りで向かっていた。その頃の女の人は大変だ。日中は力仕事して、夜や雨の日は被災した人たちの炊き出しをしなければならなかったもの。みんな起きてから寝るまで一日中働きっぱなしだったからね。
 その角を曲がれば玄関だっていうところで何気なく通りの脇にあった瓦礫の山を見ると、その男の人が雨の中で傘も差さずに、ジッと地面を見つめて立っている。土砂降りの雨だったけど、もうかなり前から立っていたんだと思うよ。男の人の服や髪の毛はグッショリと濡れて身体に貼りついていたし、滴が雨に紛れてボタボタ地面に落ちていたからね。
 私は自分だけ時間が止まってしまったみたいに身体が動かなくなってしまって目が離せなくなって、しばらくその場に立ち止まって見ていた。たぶん、男の人は泣いていたんだと思う。
 どのくらいそうしていたかわからないけど、たぶんそんなに長くはなかったと思う。男の人は私に気付くと、鼻を素手でかみながら、瓦礫の向こう側に消えてしまった。
 その時は、みんな色々ある時期だったから、たいした気にもしていなかったけれど、それからその男の人は作業現場に姿を見せなくなった。次の日も、その次の日も男の人は来なかった。今まで何やかや怒鳴られていたのがなくなって、ホッとしてはいたけれど、不思議なもんだね、ついつい作業の手を止めて、男の人がいないか目で探してしまう。
 男の人が来なくなって三日目。いよいよ心配になって、私は作業を仕切っている旦那に男の人のことを聞いてみた。
「そいつは、石倉の松公だな。一昨日の朝に病院に運ばれて、そのまんま入院しちまったって聞いたな」
「入院って、そんなに悪いんですか?」
「どのくらい悪いかわからんが、ずっといなくなった家族を探し回っていたからな。きっと無理しすぎたんだろうよ」
「どこの病院に入院したんですか?」
「確か市街地区にある町立だったな」
と、教えてもらった。
 男の人の名前は、石倉松次郎といって私より九歳年上だった。山沿いの一軒家に両親と妹の四人で住んでいたんだけど、台風で裏山が崩れてしまい、家ごと土砂に流されて、近くを流れていた川の濁流に呑み込まれてしまったらしい。雨の日に私が見た場所が、流された家の残骸があった場所だそうだ。両親は台風が去った次の日に家の瓦礫の中からご遺体で見つかったけど、十六歳になる妹はまだ見つかっていないとのことだった。松次郎さんも流された時は、部屋で休んでいたそうだけど、部屋に入ってきた土砂に窓の外へ押し出されて、一緒に流された木に掴まって助かったらしい。部屋の向きが良かったというか、幸いしたんだと思う。
 松次郎さんは両親を弔った後、といっても町中が被災していて、この地区だけでも三十人以上の人が亡くなっていたから、ちゃんとした葬式なんて出せる状況じゃなかったけど、すぐに現場に戻って妹の捜索を始めた。周りの者が制止するのも聞かずに、意地張って空元気出していたけど、三日三晩、食わず、眠らず(食えず、眠れずと言った方が正しいかもしれないね)で探していたら、身体がもたないのは当たり前だ。一昨日の朝、家のあった場所で倒れていたところを発見されたらしい。本人は、一人生き残ったことと、家族を助けられなかったことへの申し訳なさとで、自分を責めていたようだ。病院で意識が戻った時には、死ねなかったことへの恨み節を周りに当り散らして、しばらく手がつけられなかったらしい。
 私が松次郎さんを見舞ったのは、ちょうどそんな時だった。
「なんだ、お前は!帰れ、帰れ!」
私の姿を見るなり、松次郎さんは怒鳴った。痩せてやつれてはいたけど私が知っている松次郎さんだった。私は、心配よりもホッと安心した気持ちの方が大きかった。
「お元気そうで良かったです。姿が見えなかったから、心配していました」
「ヘッ、どうせ俺を笑いに来たんだろ!あいにく元気で悪かったな!」
「石松っつぁん、せっかくお見舞いに来てくれたのに何だい」
隣に入院していた男の人が声をかける。
「うるせぃ!呼びもしねぇのに勝手に来やがったんだろうが!」
と、布団を被って反対側を向いてしまった。私は、しばらく椅子に座っていたが、いつまでたっても、松次郎さんは反対を向いたまま動かなかったので、
「また来ます」
と言って病室を後にした。
 それからの私は、作業が終わった後に松次郎さんの病室に通うようになった。
 松次郎さんの衰弱は、脱水と心労が重なって結構ひどかったらしい。そのうえ肺炎まで併発していた。雨の中長時間外に立っていたり、食べない眠れない状態で動き続けたりしたんだもの、無理もないよね。その他にも、両足を捻挫していたのを我慢していたせいで、足首がパンパンにはれてしまっていて、自分一人では歩けなくなっていたから医者からは当分はベッドから動いてはいけないと言われていた。
 顔を見せるたびに怒鳴られるけど、少しずつ元気になってくるのがわかって、私は安心した。あの時は心配心配って言ってたけど、松次郎さんへの心配よりも元気な姿を確認して自分が安心するために通っていたんだろうね。本人は、
「天涯孤独になって、背負うモンがなくなったから、返って気が楽になった」
って言ってたけど、私はそれが強がりだってこと、ちゃんと知ってた。隣のおじさんがね、松次郎さんが夜布団を被って泣いていることや、眠っている時には毎晩うなされ続けていることを、私にこっそりと教えてくれたからね。
 ご飯は一人で食べられるけど、なかなか食べようとしないから、私が頑張って食べさせないといけなかったし、下着を洗ったり、身体を拭いたり、いろいろやることはあった。もちろん、松次郎さんはあの調子で
「余計なことすんじゃねぇ!」
って怒鳴っていたけどね。毎日続けていると、お互い慣れてくるんだね。一週間が経った頃には、松次郎さんは私がすることに怒鳴りはするけど、身体は抵抗しなくなっていたから、嫌じゃないんだなぁってね。私も、看病するのが楽しくなっていた。よく、隣のおじさんから
「まるで夫婦みたいだな。石松っつぁん、退院したらプロポーズしなきゃなんねぇな」
って冷やかされたもんだ。そのたびに松次郎さんは顔を赤くして怒鳴っていたっけね。
 妹さんのご遺体が見つかったのは、松次郎さんが入院して十日目だった。流された家があった所から五百メートルくらい下流まで流されていたらしい。私は車椅子に乗った松次郎さんを押して一緒にお弔いをさせてもらった。
 妹さんの亡骸と対面した時、松次郎さんは、涙はこぼさなかったけれど、目を真っ赤にしながら、ジッと妹さんを見つめて
「俺はまだ死んじゃいけないようだから、俺が逝くまでお前があの世で親爺とお袋の面倒を見ていてくれ」
と呟いた。そして、それからは私にも怒鳴らなくなった。

 結局松次郎さんは病院に一カ月半入院していた。退院する頃は外も肌寒くなっていて、晩秋というより冬の初めといった方が良いくらいの時期だった。
 松次郎さんは大工の見習いをしていたから、退院後はあちこちで家を建てたり、直したりで忙しそうだった。腕も結構良かったみたいで、いつも真っ先に棟梁に呼び出されていたっけね。でも、家も家族も財産も全部無くしてしまったから、行くところがなかった。しばらくは友達の家を転々としていたようだけど、食べ物がなかなか手に入らなくて、みんなが大変な時期だったから、面倒かけちゃいけないと、外で食べて来たと嘘を言って無理をして何回か倒れては、そのたびに病院に運ばれていた。
 私は、松次郎さんが退院してからは会う機会がなかったけれど、風の噂が私のところへ松次郎さんの様子を頻繁に運んでくれていた。私はそんなに意識してはいなかったけど、後で聞いたところでは、私たちはすっかり公認の仲だったらしい。
「どうせ一緒になるなら、早い方が良い」
私の父と大工の棟梁が飲み友達だったこともあって、父のこの一言で話がトントンと進み、被害の少なかった私の家に松次郎さんは居候することになった。
 そして、私の将来もこの時に決まった。
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