玄関フードの『たま』

ながい としゆき

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第一話 この世の垢落とし

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 子猫には「かぐや」っていう名前をつけた。月の綺麗な夜に出会ったからね。
 そのかぐやは、私たちにとっては本当に福猫だった。私たちの家は小・中学校の通学路に面して建っていたから、かぐやが窓から通りを見ていると、子供たちが窓に寄ってきて構っている。学校帰りの時間なんかは子供たちを家に入れて、かぐやと触れ合って遊んでもらうようになった。二人だけだった家に、子供の笑い声が響くようになったんだ。
 今までは、挨拶程度の関係だった子供の親たちとも話を交わすようになって、彼女らが忙しい時には私を信頼して子供を預けてくれるようにもなったし、私に料理や裁縫を教えてほしいと言うお母さんも来るようになった。松次郎さんが仕事に出かけている時はシンと静まりかえっていた家が、人が集まる家になって笑い声があふれている。本当に楽しかった。かぐやを通して、子育てに参加させてもらっている喜びが、子供を産めなかったことへの重荷を癒してくれていた。
 そんな生活が三年ほど続いたある日、松次郎さんが帰ってきていたから、たぶん夜の七時くらいだったかね、玄関のチャイムが鳴ったので出てみると、男の人と女の人が三人ずつ立っていた。男の人たちは怒った顔をしていたけど、女の人たちはその後ろで困った顔をしていた。女の人の方は家に何度も来てくれているお母さんたちだった。
「石倉さんというのはアンタか」
「はい、そうです」
と答えると、男の人の中の一人がいきなり私に殴りかかってきた。止めようとする人の声と女の人の悲鳴で、居間にいた松次郎さんも慌てて駆けてきた。
「アンタがいつまでも子供を遊ばせていたから、子供たちが車に轢かれたんだぞ!」
殴りかかってきた男の人が叫んだ。
 放課後に学習塾に行くことになっていた三人の子供たちが、私の家で遊びすぎたことで走って塾に行ったらしい。慌てていたこともあって、信号のないところを渡った時に走って来た車に轢かれたとのことだった。幸い、三人とも命に別状はなかったけれど、一番後ろを走っていた男の子は二メートルほど跳ね飛ばされて左足を骨折したとのことだった。
「アンタがちゃんと塾に行く時間を気にしてくれていれば、こんなことにはならなかったんだ!」
「すいません。塾がある日だったなんて知らなかったものですから・・・」
「子供を預かるんなら、それくらい調べておくのが普通じゃないか!だから、俺は子供のいない家に大事な子供を預けるのは反対だったんだ!」
「す、すみません・・・」
怒りをぶつけてくるお父さんたちを、お母さんたちは止めることができず、後ろで困ったような顔をしている。頬に蒼アザができているお母さんがいるところを見ると、お父さんにこの事で叩かれたらしい。私は『すみません』の言葉を繰り返すことしかできなかった。
 その時、黙って聞いていた松次郎さんが私の前に出てきた。
「待って、私が悪かったんだから・・・」
私は喧嘩になると思って、松次郎さんにしがみついた。松次郎さんは、私をチラッとみてから、男の人たちに向かった。
「お言葉を返すようですが」
松次郎さんの落ち着いた言葉に、男の人たちが一瞬ひるんだ表情になる。
「その時間に、あなた方の奥さんたちは家のヤツに子供を預けて何をしていたんでしょうか?」
「そ、それは・・・」
女の人たちが言葉を濁す。
「そんな事はどうでも良い。子供たちがアンタん家で遊びすぎて急いでいたから事故に遭ったんだぞ!ここで遊んでいなかったら、事故に遭わずに塾にもちゃんと間に合って行けてたんだ!」
「どうでも良くはないでしょう。あなたたちの子供や奥さんは、普段から家の猫と遊んだり本を読んだり、家のヤツに料理や裁縫を習ったりしていたんですよ。それに対して家のヤツは一銭のお金も戴いていない。いつもは『助かる、助かる』って言って、子供たちの面倒をみさせておいて、家で遊んでいて怪我をしたのならともかく、遊びすぎて塾に行くのが遅くなったから、急いで走ったら事故に遭った。それもあなたたちの奥さんは悪くなくて、すべて家のヤツの責任だって言うのは、ちょっとおかしくないですか?」
「ナニ!」
「このままここで言い争っていても埒が明きませんから、このまま警察に行きましょう。家のヤツが悪いのであれば届出てください。それに対する賠償はちゃんとしますから。ただし、私の妻を殴ったことに対する謝罪はしていただかないと」
「何だと!言わせておけば!」
私を殴った男の人が、今度は松次郎さんに襲いかかろうとする。今度は他の男の人やお母さんたちも男の人を外に引きずり出した。そしてそのまま帰って行った。
 松次郎さんは玄関のドアを閉めて、私の方を振り返ると、
「もう大丈夫。痛かったかい?今回のことで、お前は全然悪くないんだから気にする必要はないさ。普段どおりにしていれば良い。しかし、とんでもないトバッチリだったな」
と、優しくぶたれたところを撫でてくれた。私は緊張がほぐれたのとショックで、その場に泣き崩れた。
 数日後、私を殴った男の人が菓子折りを持って謝罪に来た。あの夜とは全然違って大きな背中を丸めてうつむきながら話している。私や松次郎さんとは目を合わせようともしない。心から謝罪してくれているようだった。松次郎さんはその謝罪を受け入れたけど、菓子折りは頑として受け取らなかった。
「子供の事故で気が動転していたのは理解できるし、怒りを誰かのせいにしようとするのもわかる。だからといって暴力を振るって良い訳がない。ましてや非力な女人に対してだ。幸いたいした怪我にならなかったからアンタの謝罪は受けるが、菓子折りは持って帰れ。そこまで俺は心を広くして、女房が殴られたことを許すことはできねぇからな。だから、それは持って帰れ」
相手の男の人も何度かは食い下がったが、松次郎さんの凄みに最後は押された形になった。

 そんなことがあってからは子供たちも家に来なくなり、お母さんたちとも連絡が途絶えてしまった。スーパーなどで会うことも多かったけど、私と目が合うと避けるようにどこかに行ってしまう。窓から外を覗いているかぐやもどことなく寂しそうだ。時々子供たちは窓の外から覗いていたけれど、家に入るように促すと、
「パパやママがダメって言うんだ」
と言って走って行ってしまう。
 再び私の家は静寂が空間を占めるようになったけれど、松次郎さんはあまり気にしていないようだった。
「俺はお前とかぐやがいれば幸せだ」
と言ってくれているけど、子供たちが来た話しが聞けないことは、やはり寂しそうだった。終わったことではあったけど、それからの私たちはこの地域に息苦しさを感じながら生活していた。
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