クレイジーリセット

一ノ瀬 乃一

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16. 勘違いの告白

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「それで話を戻しますけど、綾香ちゃんが先輩を突き落としたじゃないッスか」
「お、おい。まだ確定は……」 
「いやいやいいッスか先輩。当時、綾香ちゃんは掃除をサボって、階段清掃中の先輩に会いに行ったら倒れてたって言ってたんスよ。それって明らかに不自然じゃないッスか?」
「……? どこが。別に綾香のサボり癖は今に始まったことじゃないぞ」

 空手もろくに練習してないのに無双状態だったし、学校の勉強でもまったく苦労してる様子がなかった。神様は人に与えるスペック配分を間違えたとしか思えない。

 すると、森嶋は呆れたように大きくため息を吐いた。 

「いやそっちじゃなくて……もしかして先輩は突き落とされた時、自分がどこで掃除してたか覚えてないんッスか?」
「どこって……階段だろ? まあ何階かは覚えてないけど」  
「当時先輩は屋上に繋がる階段を一人で掃いてたんッスよ。あ、掃いたってのは箒で掃いたってことで、先輩が吐いて汚したわけじゃないッスよ」
「補足せんでもわかるわ。ぶん殴るぞ」 
「どうどうっスよ。で、綾香ちゃんが先輩を発見したのはその踊り場。つまり四階から屋上の中間に当たる場所ッス。ここと違って小学校の屋上の扉は鍵が掛かってたんで、知らない第三者が上の階や廊下から降りて、不意をついて突き落とす……なんてありえないんスよ。先輩は階段の一番上から突き落とされたんですから」
「あ……」 

 確かにそうだ。 掃き掃除はまず階段の一番上まで上がる。
 他の階と違って屋上の扉の前に誰かいれば、俺は必ずその存在に気づく。 

「つまり先輩は確実に突き落とした人物と会ってるわけッス。屋上の扉の前なんてまず行きません。そんな場所に知らない人がいたら先輩も警戒するでしょうし、相手は知人。そこに自発的に会いに来た綾香ちゃんの情報が加われば、もう後は簡単に想像がつくッスよ」
「ま、待てよ。知人だとしても相手が綾香とは限らないだろ」
「綾香ちゃんの性格なら犯人捜ししそうなのに、一切しないで塞ぎ込んでるのにッスか?」
「う……」

 言い返せない。確かにあの綾香の強気な性格なら落ち込む前に怒り狂うような気がする。

「もう黒すぎて白いカラスを見つけるくらい綾香ちゃんじゃないって思うのは難しいッスよ。先輩も実はもうわかってるんじゃないっスか? 突き落としたのが綾香ちゃんだって」

 確かに階段の上にいた少女は、間違いなくあの双子の顔だった。
 黒子が憑依してないなら……認めたくないが綾香がやったことになる。

「……なんでそんな犯人捜しなんかするんだよ。綾香とは仲が良かったんじゃないのか?」
「小六の時にクラス替えしてから疎遠気味なんで、そこは問題ないッスね。それに私隠し事を暴くのが趣味なんで。他人の不祥事は暴いて、身内の不祥事はスルーなんて報道番組のような卑怯な真似はしない主義なんッスよ。平等主義者と言っても過言じゃないッスね」
「友達はいなくなりそうな主義だな……」
 
 薄々、いや濃厚に思ってたけどこいつ性格悪いな。
 そう考えてるのが読まれたのか、ムッとした顔で森嶋が俺を見ていた。 

「なんか私のこと異常者みたいな目で見てますッスけど先輩も大概ッスよ?」
「え?」
「だって突き落とされて半年以上も意識不明にされて、しかもその相手が身内で今も隠蔽してるなら普通原因を知りたくなりません? それをなんか吐いた癖に臭い物に蓋というか……さっきから目を背けてるような気がするんスよね。どうしてっスか?」 
「どうしてって……」 

 元々自殺してるはずだった命を救ってくれたのはあいつらだ。
 だから、仮に本当に綾香が突き落としたのだとしても根に持ったりしない。 

 でも原因から目を背けているのは……なんでだ?

 二人の反応からして当時俺が突き落とされてから何かあったのは明白だ。
 
   そうだ。ずっと前から俺は踏み込めずにいた。ずっと思い込もうとしていた。気になっても思考を放棄していた。黒子のことがなければバスで変だと指摘することすらなかった。 

 綾香がどんな理由で突き落としたとしても許せる自信がある。仮に故意でも受け入れられる。それぐらいこれまでに恩があるのだから。 

 それでも一線を越えたらこの日常は絶対に壊れると、心のどこかで確信してる。 
 どうして……? 俺は何を恐れている……?

「先輩?」  
「え……いや、話したくないことを無理に聞き出す必要もないだろ。俺が許してるし」 

 そうだ。誰にだって話したくないことの一つや二つある。別に聞いたって面白い話じゃないだろうし、尋ねる必要がなかっただけだ。 それだけなんだ。 

「まあはい自分が殺りました、って名乗るのは勇気がいるッスからね。黙ってた綾香ちゃんの気持ちもわかるッスよ。私だったら倒れた先輩を見なかったことにして堂々退場ッス」
「おい」

 なにさらっととんでもないことぬかしとるんじゃ。お前は絶対に訴えるからな。 

「まあ安心してください。別に私は真実を知りたいだけで今さら公表する気はないッスよ。それに状況的に意図的に突き落としたわけじゃなさそうッスしね」
「え、なんでだ?」
「そりゃそうッスよ。階段の一番上から突き落としたら上の階には逃げれないんで、下に降りるしかありません。そこに誰かが居合わせたら犯人だとしか思われないッス。本気で最初から突き落とす気だったら、わざわざこんなリスクを取る必要ないっスよ」

 言われてみれば確かにそうだ。殺意があるならこんな中途半端な方法は取らない。

 それに俺が寝た切りになって記憶を失ってたのだって偶然だ。骨折とか大怪我を負って俺の意識が残ってたら困るのは綾香の方だ。そう思ったら少しホッとした。

「なるほどな。じゃあ故意じゃないってことか」
「多分っスけどね。でも故意じゃなくても恋だったかもしれないっスよ」
「は?」  
「綾香ちゃん教室で先輩のことばっか語ってて、明らかに好感を持ってたんスよね。わざわざ掃除の時間に先輩が一人でいるところに会いに行ってますし、実はあの時告白しに行ったんじゃないっスか?」 

 危うく吹き出しそうになった。 急にバカなことぬかすな。

「ハハハッ。ありえねえって。どこに掃除の時間に告白する奴がいるんだよ。そんな素振り一度もなかったし、どう考えても告白なんて縁のない性格してるじゃねえか」 
「……はあ、あんま鈍感だといつか刺されるっスよ」
「そんなわけ……」 

 そう笑い飛ばそうとして、笑えなくなった。 そういやもう刺されてるわ。
 冗談だと思って酷い目に遭ったし、簡単に切り捨てるのもよくないかもしれない。 

「……わかったよ。千歩譲って告白されたとして、なんで突き落とされるんだよ」
「綾香ちゃん手が早いっスから、先輩がなんか口を滑らせてカッとなった拍子に突き落とされたとか、そんなとこじゃないっスか?」
「まさか……」  

 /────────────────
『──もし私が啓太のことが好きって言ったら……どうする?』
『はあ、勘弁してくれよ静香。俺の告白をフッた後でその冗談はきついって。容姿が同じだから両方好きってわけじゃない』
『……』
『まったく綾香のフリをするのが本当に下手糞だなお前は……』
『うるさい!』
『え、うわあッ!』 
 ガンッ!! 
  ────────────────/ 

 「……マジかよ」 

   冷汗がダラダラ流れて来る。こんなんで思い出しちまった。

 そうだ。あの時俺は前日に静香にフラれて傷心中だった。
 そこに綾香から告白なんてありえないと、静香のタチの悪い冗談だとしか思わなくて、適当にあしらっちまったんだ。

「? どうかしたんスか先輩。顔が引きつってますけど」
「……本当に第一発見者は綾香だったのか? 実は綾香じゃなくて静香だったりは……」
「それはないっスよ。私静香ちゃんと同じ清掃班で一緒に教室の掃除をしてたんスよ。救急車も呼ばれる騒ぎになってたんでよく覚えてるっス」
「既に二人が入れ替わってたりは……?」
「その一週間前から静香ちゃんは転んで額に軽い傷ができてたんスよ。だからよく見れば見分けがつく状態だったんスよね。流石にそんな前からずっと入れ替わってたとは思えないっス」
「じゃあやっぱり確実に綾香だってことか……」 

  目眩がして来た。

 ……まだ信じられないが、俺は本当に綾香に告白されたらしい。 

  罪悪感が込み上げてくる。告白を冗談だと流してコケにした挙句、成り代わった偽物扱いされれば綾香でなくても思わず手が出るかもしれない。 そりゃ思い出したくないし、思い出されたくない。

 あれ、でも過去の件に触れた時にキレてたのってどっちかというと静香なような……?

 「……こんなところで何してんのよ」 

   その突き刺すような声音に背筋が凍った。

   話に夢中になりすぎた。
 いつの間にやって来ていたのか、屋上の扉の前で綾香が忌々しげに睨み付けていた。
 

「あわわわわわ……」  

 俺の内心を代弁するように、森嶋はあからさまに動揺していた。

 それほどまでの威圧感。現れたのが黒子じゃないだけ助かったが、厄介度で言ったら綾香も大概だ。  
 一年の女子に会って約束を破ってる以上、前と同様に逆鱗に触れているに違いない。 

「ち、違うっス綾香ちゃん。私はこのゲロ先輩に半崎黒子のことを訊きたいって無理やり屋上に連れ込まれて……」
「なッ! それはお前だろ!」

 自分が助かりたいがためになんてこと言いやがるこいつ! 
 しかもよりにもよって黒子の名前を……
 
 綾香の眼差しがさらに鋭くなる。
 もう綾香の怒りは最高潮に達してるのは間違いな…… 

 あれ……? 

 俺の予想に反して綾香は怒り狂ってなかった。
 てっきりガソリンに引火するがごとく怒りが爆発すると思ってたんだが、思ったより大人しい。前と違って約束してから日が空いてるからか?

「すみませんすみません! ほんの出来心でした。どうか許してくださいッ!」 

 もはや語尾にッスとつける余裕もないのか、森嶋は頭をただただペコペコ下げている。 

 だが、この態度からしてこいつが何か俺に余計なことを吹き込んだのは態度から明白。残念だが綾香もタダでは済まさな……

「ちょっとアンタは失せてくれる? こいつと話がしたいから」

 タダだった。
  綾香はギロリとひと睨みしただけで、あっさりと森嶋を見逃していた。
 俺の時は胸倉をつかんで気絶寸前まで追い込んだくせに、なんだこの差は。

「りょ、了解ッス! 失礼しました!」 

   きょとんとしながらも、森嶋は敬礼して脱兎の如く慌てて屋上から逃げ去っていく。 

「あの……じゃあ俺もお邪魔しました……後はごゆっくり……」 

 俺もその流れで逃げようとしたが、 

「ええ、ゆっくりとアンタから話を聞かせてもらうとするわ」 

 綾香に肩をつかまれて封じられた。ミシミシと肩に指が食い込む音が聞こえる気がする。 

 な、なんで俺だけぇ……

「ねえ、一年の女子と接触するなって約束したのに……どうして屋上で会っていたのかご説明を願おうかしら」 

 綾香が淡々と問い詰めて来る。嵐の前の静けさのようで十分に恐ろしいが……暴風のごとく暴れられる方がよっぽど怖いので心にはまだ余裕があった。

「あいつがいきなり質問攻めして来たんだよ。お前こそなんで屋上に来たんだよ」
「別に何でもいいでしょそんな事。それより質問攻めって何を訊かれたの?」 

   それこそ別に何でもいいでしょそんな事、と返してやりたいが俺も命が惜しい。 

「お前に話したら不機嫌になる事だ。だから言えない」
「黒子のことでしょ」

 そう即座に切り替えされて面食らった。 
 まさか綾香の口から先に黒子の名が出てくるなんて思いもしてなかった。しかも気軽に名前で呼んでるのを見ても、森嶋が言ってた通り黒子とは友人関係だったんだろう。 

 けどやっぱりおかしい。なんで……前の時とここまで反応が違うんだ? 
 綾香は深いため息をつくと、不快そうに俺を睨み付けた。

「図星のようね。……はあ、本当に最悪。で、アンタは黒子についてどこまで知ってるの?」
「そ、それは……」
「しらばっくれてもいいけど、後で逃げた希良里を問い詰めればすぐにわかるからね」

   そう先に釘を刺されるとどうしようもない。
 黙秘を貫いたところで森嶋の方が口を割るビジョンしか浮かばない。

「……昔自殺したことと、お前が虐めを止めて友達になってたことは森嶋から聞いた」 

   だから観念してそう告げた瞬間、綾香はふらりと頭を抱えるようにしてへたり込んだ。 

「お、おい大丈夫か?」 
「へ、平気。ちょっと目眩がしただけだから……悪いけどそれ以上何も訊かないでくれる?」
「え?」
「わかるでしょ。友達が自殺した時のことなんて思い出したくないの。お願いだから二度とその話題をしないで。マジで吐き気がするわ」 

   そう綾香は口元を抑えて、おぼつかない足取りで屋上から出て行った。 
   比喩ではなく本当に吐き気を覚えるほど気持ち悪くなったらしい。 

「なんだってんだよ……」  

 友人が自殺したことを無神経に触れられたら良い気はしないのはわかる。 
 だけど、別に目の前で自殺されたわけでもないし、ましてや生死不明で本当に死んでいるかわからない状態なのに、ここまで吐きそうになるほど露骨に具合が悪くなるか? 

 なんか灯台元暮らしというか……近くにあるように気づけないようなそんな奇妙な違和感がさっきから頭に引っかかっている。

 一番違和感を覚えたのは綾香が屋上にやって来た時だ。 
 前に綾香が屋上に訪れた時は見るも恐ろしい剣幕で、対話が通じないおぞましい化け物に見えるほどの怒気と殺気と覇気があった。

 だけどさっきの綾香は忌々し気に睨むだけ。

 いや睨まれるだけで十分に怖いことには怖いのだが、前回とは怖さのレベルが明らかに違う。怒ってはいても対話が通じる人間のように思えた。

 一年の女子に接触した状況としては同じなのに、なんでここまで違いが……  

「いや……アホか?」  

 なんでここまで違いが……じゃねえ。馬鹿か俺は。どうして今まで気づかなかった。 

 頭を打ったショックで忘れたとかそんなレベルですらない。愚鈍。マヌケ。無能すぎる。 

 突然豹変したり、静香を滅多刺しにしたり、綾香が飛び降りたりと色々衝撃的な出来事が続いたせいで頭の隅で埃をかぶって完全に忘れていた。 

 削り戻りで無かったことになってるが、綾香は既に黒子と屋上で会っている。 

『アンタ! こんなところでいったい何を……‼』 

 あの時は一年の女子と勝手に会ってたことにキレたと思ってたけど、普通に考えて自殺したはずの友人がなぜか屋上にいるのに、それを一年の女子で済ませるわけがない。 森嶋の時と反応が明らかに違うことを考えても、黒子だと間違いなく認識していた。 

 なら、あの時の異常な怒りは俺が一年の女子と会ったからじゃなくて、相手が黒子だったから……?

「でもそれじゃあ……え……?」 

   困惑が隠せない。黒子の憑依能力に脅されてあの双子は怯えてるんだと思っていた。

 事実、勝手にナイフで突き刺したり、勝手に自殺されたらどれだけ綾香が強くても屈服せざるを得ない。 

 だけど一回目の遭遇時に関しては別だ。 

 屋上で俺と黒子が話していた時に現れた綾香は黒子を見ても、怯えるどころかむしろ怒りを全面的に表に出していた。いやむしろ、

「あの時怯えていたのは黒子の方……?」


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