クレイジーリセット

一ノ瀬 乃一

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18. 黒歴史

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 それは小六の十二月中旬。

 行き交う人たちが厚手の服に包まれるようになった寒い時期のことだった。
 頭を打って記憶をとりこぼすようになる前から、俺は物忘れが多い方だった。
 のりやはさみといった授業に必要な道具を綾香たちからよく借りていたし、借りたこと自体忘れて綾香に借金取りのように取り立てられたこともある。

 そしてその日の学校から帰る途中、綾香からホッチキスを借りっぱなしだったことに気づいた。返し忘れて後で怒鳴られても面倒だから、道具箱の中にでも放り込んでおこうと、二人のいる教室に向かったのだ。

 もう陽が沈むのも早いシーズン。多分教室には誰もいないと思っていたんだが、

「ほら、早く脱いでグロ子。ペアルックにするんだから」
「や、やめて……」

 正直かなり気まずかったのを覚えている。
 どうやら間違って隣の教室に入ってしまったらしい。

 スライド式のドアを開けた瞬間俺の目に飛び込んできたのは、茶髪の男子がスマホを構えて、黒髪の少女のスカートを脱がす場面だった。

 きっとあの時脱がせられていた下着姿の少女が黒子で、スマホを構えていた奴が光だったんだろう。当時の光は今よりも髪が短く風貌も中性的で、ジーンズ姿だったからパッと見た印象で光を男子だと勘違いしていた。

「う、ぅ……」

 しばらくフリーズしていたが、泣き腫らした黒子の顔とニヤニヤと笑いながらスマホをかざす光を見て、ようやく虐めの現場に遭遇したんだと理解した。

「おい、なにやってんだ!」

 流石に俺も泣いてる少女を見捨てるほど俺も非道じゃない。
 叫んだ俺に気づいて黒子は恥ずかしそうに身体を押さえて隠していたが、光は逃げることもなく無い胸を張っていた。

「誰? 四年生?」 
「四年じゃねえよ。俺は六年の蛙屋啓太だ。今すぐその子から離れろよ」
「六年? その小さい身体で? プッ、アッハッハ。どんなギャグ?」

 腹を抱えて笑われた。スマホで黒子の写真を撮っていた光は、上級生にナメた態度も取っていた。

 今は標準平均より少し下ぐらいだが、当時の俺は周りと比べて背もかなり低い方だった。だから、光も俺に怖気つかなかったんだろう。

「いいから早くどっか行ってよ。これから撮影会するのに脱がせられないじゃん」
「なにが撮影会だ。いいからやめろよ嫌がってるだろうが」
「なに、止める気? こっちはボクシング習ってるんだけど?」

 脅しのつもりなのかシュッ、シュッ、と光は拳を素早く出しては引っ込める。拳の動きが早いのを見ると本当なんだろうが、普段から綾香を見ているからか別に怖くはなかった。

「だからなんだよ。男がボクシング習ってたら止めちゃいけないルールでもあるのかよ」
「お、男…? こいつッ!」

 ……今思えば暴力を誘発した原因は俺にあったのかもしれない。

 男扱いされてキレた光は俺に勢いよく殴りかかって来た。
 綾香だったら軽くいなして制圧するんだろうが俺には無理。光の怒りに任せたパンチは容赦なく俺の頬に入り、無様に床に転がった。

「う、うぅ……」

 情けないうめき声が漏れる。ってか口から血も漏れてる。
 ちゃんと助けられる実力がないのに下手に関与して痛い目を見るのは、昔から変わらないのかもしれない。

 あっけなくやられる俺を見て黒子は目を伏せ、光は爆笑していた。虐めっ子だけあって暴力沙汰にまったく抵抗がないらしい。血が出てるのを見ても蚊に刺された程度としか考えてないのかこいつは。

「よッ、わ! え、ちょっと待って。本当にそれで上級生名乗ること許されてるわけ?」

 煽り煽る。無様に倒れた俺を見下ろして光はこき下ろしていた。
 生意気すぎるが背が低くても煽り耐性が高くて助かった。下級生相手に暴力に訴える真似なんて俺はしないのだ。

「情けなッ。こんな弱っちいチビ育てた両親の顔が見てみたいわ。さぞかし無能なんでしょうね。こんなのを産んだ責任とって自殺してほしいわ」

 瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
 他の煽りなら我慢できただろうが、死んだ両親を持ち出されたのがまずかった。

「テメエッ……!」 

 背よりも沸点の方が低かったらしい。なーにが煽り耐性だ。あろうことか俺は下級生相手にブチ切れていた。

 そしてすぐさま削り戻りで、いや当時は狂気の時間遡行クレイジーリセットか。それですぐに殴られる前の時間に戻った。

 頬を殴られるのをわかってれば、カウンターを取れる。だから、俺は頬を殴られるタイミングで両手を組み合わせて、光の突き出す拳の位置を確認した。

 負けるはずがない。だって、勝つまでやり直せるんだから。
 戻す時間も極力短く留めたから代償も最小限。
 口から流れ作業のように血を吐き出し、そして四回ぐらいやり直してようやく成功した。

「オラァッ!」

 完璧なタイミング。
 拳の動きを見極め、見事にライトクロスカウンターっぽいのが炸裂。俺に殴られた光は床に吹き飛び泣きじゃくっていた。

「な、なんでぇ。確かに殴ったのに……キャッ!」
「お前がどれだけ酷いことをしていたかわからせてやるッ!」

 そして下級生相手に激情し、暴行を働いた男はなおも凶行に出る。
 きっと頭に血が上りすぎて頭がおかしくなってたんだろう。

 下着姿にさせられた少女の気持ちをわからせるべく、二度とこんなことをしないよう俺は光のジーンズに手をかけて脱がせようとしていた。正義心を発揮してるつもりだった。

 うん……気づいてたけどこれアカン。見るに堪えなさすぎる。もうカメラ止めてほしい。

「おろろろろろろろッ」

 そんな今思い返してる俺の願いが通じたのか、当時の俺は幸いにも代償の気持ち悪さが抑えきれなくなって、エチケット袋に吐いていた。蛮行はすんでのところで止まってくれたらしい。生まれて初めて吐いたことに感謝したかもしれない。

 だが、やっぱり光に与えた精神的ダメージは深刻なものだったらしい。

「う、うわわあああああああああああぁん」

 光は泣き叫びながら教室から駆け出て行った。虐めていた相手を虐めて終わる胸糞悪い決着。それでいいのか本当に俺よ。

「だ、大丈夫……か?」
「いや……貴方の方こそ大丈夫ですか……?」

 俺が吐いている間にスカートを穿いた黒子が心配そうに俺を見て来る。ドン引きして逃げるのがこの場での正しい常識的な判断なのに、優しいのか危機感がないのか、それとも俺の頭を本気で心配しているのか。

 当時の俺はもう能力を乱用しすぎて深く考えられず、ただぐったりとして動けなかった。

「あ、あいつはいったい……?」

 そう尋ねると黒子は一瞬答えるか迷っていたようだったが、結局表情を暗くして答えた。

「……北條光って子で私のクラスメイトです。そして友達……だと思っていた人です」
「思っていた?」
「はい。元々私はクラスメイトに虐められてて……クラスで孤立してたんです。光はそんな私にも親身に接してくれたんですが……そういうゲームだったみたいで……」
「友達のフリをしてたってわけか」
「はい……友達だと思ってた時に色々恥ずかしい秘密もあの人にだけ話してしまって……今日も悲願者であることをバラされたくなかったなら、私に従えって脅されてたんです」
「え、お前も悲願者なのか?」

 素で口を滑らせたらしい。黒子は慌てて口を手で押さえていたが、流石にもう遅い。

 しかし、俺も人のことは言えなかった。

「え、お前……?」
「あ」

 当時から、俺の失言癖はあったようだ。

「そうだ……どうして今まで忘れていたんだろう」

 やっぱり黒子は悲願者で小学校時代に俺と会ってたんだ。
 きっとこの後互いに能力のことを話したんだろう。なんで削り戻りの能力を知ってたのか謎だったが、ギブアンドテイクで秘密を共有する流れで明かしたのなら納得できる。

 そして同時に頭を抱えた。

 ──思いっきり殴ってるし、服脱がそうとしとる……

 黒子の下着姿と一緒に中途半端に思い出したから勘違いしてたが、殴ったり服を脱がそうとした相手は光の方だった。黒子を虐めてなかったのは良かったが、なにも良くない。

 擁護不可。いくら男だと勘違いしたとはいえ、下級生相手にやってることが酷すぎる。そりゃ光も俺を見て悲鳴を挙げる。やってることただの暴漢なんだから。

 しかも、削り戻りの改変で実際に暴行したのは俺だけだ。後でしっかり頭を下げるべきだったんだが、当時はブチ切れてたし実質それ以上に殴られてるからそんな気が起きなかったのだ。

 だから過去のことから俺を黒子の使いと勘違いして、光は彼女の名前を挙げたと思ったんだが、どうにも様子がおかしい。

「私はちゃんと命令を守って誰にもアンタの能力は話してない! だから動画を拡散しないで!」
「ど、動画……?」
「こいつに対する悪評を流したり、能力をバラせば私の裸踊りの動画をばら撒くって脅して来たじゃないッ! 私は誰にも言ってない! 本当よ!」
「は、裸踊りって」

 さっきから発言が強烈すぎて、理解が追いつかない。流石に当時の俺もそんな外道なことは考えないはずだ。

 じゃあやっぱり、話の流れ的にこれは黒子の事が……?

「ど、どういうことだよ。どんな経緯があったら裸で踊る気になったんだお前は」
「うぐうううぅ、ううううぅ」 

 しかし、もう光は髪をくしゃくしゃに掻きむしってとても答えられる状況じゃなかった。

 それにいつの間にか周囲に野次馬が集まって、ひそひそとこっちを見ている。
 不意に黒子に関する話題が出たので思わず飛びついちまったが、よくよく考えればさっきの電話で脅迫されたばかりだ。

 これが黒子に伝わったら心証は最悪、マジで洒落にならない。

「とにかくごめん!」

 そう謝ってひとまず俺はこの場を後にした。
 削り戻りは黒子に禁止されたし、介抱も拒絶されたらもう逃げるしかない。建物の角をいくつか曲がったところで、ようやく足を止めて荒れた息を整えた。

「ほんと……どうなってんだよ……」

 あれだけ精神的に不安定になられると、もう光に尋ねるのは無理だ。
 いやそもそも裸踊りの動画を拡散すると黒子に脅されている時点で不可能か。

 だけど、光のおかげで記憶の蓋が開いた。後はあの後の続きの記憶をたどれば、黒子の能力の詳細を思い出せるはずだ。流石の黒子でも頭の中の詮索まで把握できないだろう。

 意識を集中させて続きの記憶を呼び起こす。
 あいつは……何の悲願者だって言ってたっけ……?

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狂気の時間遡行クレイジーリセット……ですか。そんな過去に戻れる凄い力があったなんて……!」

 黒子が教室で目を見開いて驚いている。
 光が教室から立ち去った後、やっぱり俺は黒子に悲願者の能力のことを話していた。明かした能力名も『削り戻り』じゃなく、きっちり『狂気の時間遡行クレイジーリセット』の旧名。彼女がその名で把握していたのもこれで合点がいった。

 話に花を咲かせているのか、記憶の中の黒子は意外にも顔を綻ばせていた。

 狂気とは無縁そうな柔らかい表情。屋上で初めて見た時のような怯えはなく、落ち着いた物腰で俺と接している。これがどうして殺人に及ぶようになるのか本当に理解に苦しむ。

「まあ代償がきついんだけどな。長く時間を戻しすぎたら死ぬかもしれない。さっきだってそれで身体が耐え切れなくて吐いちまった」
「そ、そんなに危険な能力だったんですか。……すみません。私なんかのために……」

 至極申し訳なさそうに黒子は俯いた。別に俺は気にしてなかったがあっちは気にしそうだったので、当時の俺はすぐにフォローに走った。

「なんかって自分を卑下するなよ。能力の代償より、能力を使っても誰も助けられない方が辛いんだから」

 そう、目の前で助けられただけでも良かった。 
 助けられない苦しみは……こんなものじゃないから。
 両親が死んだ時の光景は今でも脳裏に焼き付いている。忘れようとしても忘れられない。

 もう誰かを助けられない記憶を増やすのは絶対にごめんだ。

「でも虐めか……あのさっきの男子だけじゃなくて、他のクラスメイトにもやられてるんだって?」
「男子……? フフッ、はい。さっきの男子は個人的な虐めでしたが、普段は靴を隠されたり、教科書が無くなったり、給食の量を減らされたり、プリントを私の分だけ折られたり、連絡事項を伝えられなかったりとかしますね」

 笑えんのだが、何がおかしいのかクスクスと彼女は笑っていた。
 いや辛すぎて笑うしかない状況なのかもしれない。状況はかなり深刻そうだ。これ以上虐めがエスカレートする前になんとか対処しないと。

「いつから虐められるようになったんだ?」
「……半年前ぐらいです。私の家って晩ご飯がない時が多くて……給食のおかわりをよくしてたんです。でもそれががめついって言われて……そこから細かいことをグチグチネチャネチャと納豆のように粘着されるようになって……」
「そんなことで……」
「……すみません。晩御飯がないだけでがめつくおかわりしてしまって……」
「そっちじゃねえ」

 もしかして天然なのかこの子は。

「担任に相談したりは?」
「無駄だと思いますよ。事なかれ主義の人ですし、知ってて無視してますねあれは」
「なら両親に相談したりは……」
「それは論外です。事態がより悪化するので絶対にダメです」
「そ、そうか。悪い」

 食い入るようにそう詰め寄られて思わず怯んだ。晩ご飯がない時が多いって言葉から思ってたが、貧乏以前にろくな両親じゃなさそうだ。

 しかし、そうなると対処法も限られて来る。
 俺が介入しようにも限界があるし、下手したらさっきの男子に暴力行為を訴えられるかもしれない。

 まあ虐めていた事実まで明るみになるから先生にチクらないとは思うが、絶対とは言い切れない。俺に殴られた痣を持ち出して、彼女が上級生を呼んで虐めたと共犯関係に仕立て上げられたらヤバい。

 それに後三か月もすれば俺も小学校を卒業だ。出しゃばってかばったせいで、反動で俺のいない間に彼女がさらに虐められたら本末転倒すぎる。

「そうだ。なら宮本綾香と静香って知ってるか?」

 そう訊くと、こくんこくんと彼女は頷いた。

「は、はい。色々と有名ですから。光も綾香さんは恐れてるみたいですし」
「じゃあ明日紹介するよ。俺よりも同級生の心強い友達の方が安心するだろうし、綾香に至っては虐める奴を撲滅しそうな奴だから間違いなく力になってくれるはずだ」

 虐めもバックにヤクザがついているとわかれば、迂闊に手を出せないだろう。
 あの綾香の姉御はそこらの用心棒よりも断トツで効き目がある。睨みを利かせただけで震え上がるのはこちとらもよく実体験済みだぜ。

「え、でも……悪いです」
「大丈夫だって。あいつらはこういうの見過ごせない方だし、もう二度とちょっかいを出させなくなるはずだ」

 気がつけばだいぶ具合も良くなって来た。
 吐き気も収まったし、いつまでも吐いた汚袋を持って話すのもあれだ。早いところ処分して退散した方がいいだろう。

「このエチケット袋の処理もしなきゃいけないし、俺はもうそろそろ帰るぜ」
「は、はい。ありがとうございます……。あ、あの……」
「ん?」

 もじもじと何か言いづらそうに彼女は目を伏せていた。

「私の能力も教えた方が……」
「いやいいって。その能力って知られたくない秘密だったんだろ? それで失敗したばかりなんだし、無理して教える必要はないって。別にそこまで興味ないし」
「でも……」
「あ、そうだ。じゃあ名前を教えてくれ。そうしないとウチの綾香の姉御をそちらに派遣できないんだ」
「あ、はい。……黒子です」
「? 名字は?」

 そう訊くと黒子はバツの悪そうな顔を浮かべた。

「……すみません。半崎なんですけど、今の名字はお母さんの再婚相手のもので……できれば名前で呼んでほしいですけど……ダメですか?」

 やっぱり中々に複雑な家庭の事情があるらしい。
 断る理由もないし、素直にそう呼ぶことにした。

「わかった。じゃあな黒子」
「はい。また明日……!」  
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