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◇◇◇
「お前、働きすぎ」
背後から俺の頭に軽い拳骨を落としたのは、俺の直属の上司である赤澤さんだった。
「暴力反対です。パワハラで訴えますよ」
「ああ? その発言の方がよっぽどパワハラじゃねぇか。脅迫で訴えるぞ」
「冗談です」
軽口を交わしながらも、赤澤さんは俺が現在取り組んでいる作業の資料に目を通していた。速読が得意な赤澤さんはものの数秒でそれを読み切り、特大のため息をつく。
「こんなの、急ぎでもなんでもないだろう。もう帰れ、残業代泥棒」
「ひどいなぁ。明日の自分に楽させてやろうと思っただけですよ」
「お前が楽をしてる時なんて見たことないが?」
赤澤さんはじっと俺の顔を睨みつけ、「死人みてぇな顔しやがって」と呟いた。その発言はさすがに何かしらのハラスメントに抵触していそうだと思ったが、事実ではあったので言い返しはしなかった。
「帰れ。お前に倒れられたらこっちも困る」
いつになく真剣な顔で赤澤さんが言うので、俺も諦めて「わかりました」と返した。一転変わって「わしも帰ろ~」と砕けた態度になった赤澤さんと共に研究室を出る。
「そうだ、お前にいい店教えてやるよ」
システムに退勤を記録し終えた赤澤さんが不意にそう切り出した。
「なんですか? いかがわしい店なら結構です」
「違わい! 菓子屋だよ、菓子屋!」
意外な単語に俺は目を丸くする。赤澤さんのイメージは、『一に酒、二に肉、三四飛んで五も酒』という感じだ。そんな人物から菓子なんてかわいらしい言葉が出てくるなんて。まあ、スイーツ店を菓子屋と呼ぶ当たり、俺のイメージは外れていなさそうだけど。
「嫁と娘が見つけたんだがな、ここの近くに親子で経営しているちっちぇ菓子屋があるんだよ。小洒落た外観でおっさんには入りづらいんだが、商品は意外と素朴でよ。卵ボーロとか、なんか豆を……いい感じにあれしたやつとか」
「いい感じにあれ」
「見りゃわかる! んで、夏限定のアイスがこれまた美味いんだ! アイスクリンってわかるか? 練乳っぽい味で、ソフトクリームよりさっぱりしたやつ。そこの店のはレモンとちょっと塩が入ってるって言ってたか……とにかく絶品なんだよ!」
謎のジェスチャーも交えながら熱弁する赤澤さんに、俺は圧倒された。仕事中でもこんなに熱く語る彼は見たことがないような気がする。それで、少し興味がわいた。
「へえ、なんていう店なんですか?」
「たしか……『シエル・デテ』?」
「夏の空、ですか。たしかに洒落てますね」
「よく知ってんな。……あー、だからか」
赤澤さんはひとり納得したように頷き、にやにやと笑っている。なんだ、気になるじゃないか。
「だから、なんです?」
「いや、そのくだんのアイスの名前も『ひと夏の思い出』って言うんだよ」
「よっぽど夏に思い入れがあるんだな」と赤澤さんは続けた。
どくっと心臓が久しぶりに仕事を思い出したみたいに強く鼓動する。
そんなのただの偶然だ。ありふれたフレーズじゃないか。そう頭は考えていたが、体の方は今にも走り出しそうだった。
「その店、どこにあるんですか⁉」
「お、おお? どうした急に」
「いいから教えてください。できるだけ詳しく!」
赤澤さんはうろたえながらも、店までの詳細な道順を教えてくれた。仕事のできる上司は道案内も上手いと感謝しつつ、俺は駆けだす。
「ありがとうございます! 行ってきます!」
「今からか⁉ もう閉店してると思うぞ!」
「それでも行かなきゃ気が済まないんです!」
「失礼します!」と叫ぶように言って、研究棟にべた付けしていた自転車にまたがった。
「お前、働きすぎ」
背後から俺の頭に軽い拳骨を落としたのは、俺の直属の上司である赤澤さんだった。
「暴力反対です。パワハラで訴えますよ」
「ああ? その発言の方がよっぽどパワハラじゃねぇか。脅迫で訴えるぞ」
「冗談です」
軽口を交わしながらも、赤澤さんは俺が現在取り組んでいる作業の資料に目を通していた。速読が得意な赤澤さんはものの数秒でそれを読み切り、特大のため息をつく。
「こんなの、急ぎでもなんでもないだろう。もう帰れ、残業代泥棒」
「ひどいなぁ。明日の自分に楽させてやろうと思っただけですよ」
「お前が楽をしてる時なんて見たことないが?」
赤澤さんはじっと俺の顔を睨みつけ、「死人みてぇな顔しやがって」と呟いた。その発言はさすがに何かしらのハラスメントに抵触していそうだと思ったが、事実ではあったので言い返しはしなかった。
「帰れ。お前に倒れられたらこっちも困る」
いつになく真剣な顔で赤澤さんが言うので、俺も諦めて「わかりました」と返した。一転変わって「わしも帰ろ~」と砕けた態度になった赤澤さんと共に研究室を出る。
「そうだ、お前にいい店教えてやるよ」
システムに退勤を記録し終えた赤澤さんが不意にそう切り出した。
「なんですか? いかがわしい店なら結構です」
「違わい! 菓子屋だよ、菓子屋!」
意外な単語に俺は目を丸くする。赤澤さんのイメージは、『一に酒、二に肉、三四飛んで五も酒』という感じだ。そんな人物から菓子なんてかわいらしい言葉が出てくるなんて。まあ、スイーツ店を菓子屋と呼ぶ当たり、俺のイメージは外れていなさそうだけど。
「嫁と娘が見つけたんだがな、ここの近くに親子で経営しているちっちぇ菓子屋があるんだよ。小洒落た外観でおっさんには入りづらいんだが、商品は意外と素朴でよ。卵ボーロとか、なんか豆を……いい感じにあれしたやつとか」
「いい感じにあれ」
「見りゃわかる! んで、夏限定のアイスがこれまた美味いんだ! アイスクリンってわかるか? 練乳っぽい味で、ソフトクリームよりさっぱりしたやつ。そこの店のはレモンとちょっと塩が入ってるって言ってたか……とにかく絶品なんだよ!」
謎のジェスチャーも交えながら熱弁する赤澤さんに、俺は圧倒された。仕事中でもこんなに熱く語る彼は見たことがないような気がする。それで、少し興味がわいた。
「へえ、なんていう店なんですか?」
「たしか……『シエル・デテ』?」
「夏の空、ですか。たしかに洒落てますね」
「よく知ってんな。……あー、だからか」
赤澤さんはひとり納得したように頷き、にやにやと笑っている。なんだ、気になるじゃないか。
「だから、なんです?」
「いや、そのくだんのアイスの名前も『ひと夏の思い出』って言うんだよ」
「よっぽど夏に思い入れがあるんだな」と赤澤さんは続けた。
どくっと心臓が久しぶりに仕事を思い出したみたいに強く鼓動する。
そんなのただの偶然だ。ありふれたフレーズじゃないか。そう頭は考えていたが、体の方は今にも走り出しそうだった。
「その店、どこにあるんですか⁉」
「お、おお? どうした急に」
「いいから教えてください。できるだけ詳しく!」
赤澤さんはうろたえながらも、店までの詳細な道順を教えてくれた。仕事のできる上司は道案内も上手いと感謝しつつ、俺は駆けだす。
「ありがとうございます! 行ってきます!」
「今からか⁉ もう閉店してると思うぞ!」
「それでも行かなきゃ気が済まないんです!」
「失礼します!」と叫ぶように言って、研究棟にべた付けしていた自転車にまたがった。
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