シェフの気まぐれSS

荷稲 まこと

文字の大きさ
5 / 7

2

しおりを挟む
◇◇◇

「お前、働きすぎ」

 背後から俺の頭に軽い拳骨を落としたのは、俺の直属の上司である赤澤さんだった。

「暴力反対です。パワハラで訴えますよ」
「ああ? その発言の方がよっぽどパワハラじゃねぇか。脅迫で訴えるぞ」
「冗談です」

 軽口を交わしながらも、赤澤さんは俺が現在取り組んでいる作業の資料に目を通していた。速読が得意な赤澤さんはものの数秒でそれを読み切り、特大のため息をつく。

「こんなの、急ぎでもなんでもないだろう。もう帰れ、残業代泥棒」
「ひどいなぁ。明日の自分に楽させてやろうと思っただけですよ」
「お前が楽をしてる時なんて見たことないが?」

 赤澤さんはじっと俺の顔を睨みつけ、「死人みてぇな顔しやがって」と呟いた。その発言はさすがに何かしらのハラスメントに抵触していそうだと思ったが、事実ではあったので言い返しはしなかった。

「帰れ。お前に倒れられたらこっちも困る」

 いつになく真剣な顔で赤澤さんが言うので、俺も諦めて「わかりました」と返した。一転変わって「わしも帰ろ~」と砕けた態度になった赤澤さんと共に研究室を出る。

「そうだ、お前にいい店教えてやるよ」

 システムに退勤を記録し終えた赤澤さんが不意にそう切り出した。

「なんですか? いかがわしい店なら結構です」
「違わい! 菓子屋だよ、菓子屋!」

 意外な単語に俺は目を丸くする。赤澤さんのイメージは、『一に酒、二に肉、三四飛んで五も酒』という感じだ。そんな人物から菓子なんてかわいらしい言葉が出てくるなんて。まあ、スイーツ店を菓子屋と呼ぶ当たり、俺のイメージは外れていなさそうだけど。

「嫁と娘が見つけたんだがな、ここの近くに親子で経営しているちっちぇ菓子屋があるんだよ。小洒落た外観でおっさんには入りづらいんだが、商品は意外と素朴でよ。卵ボーロとか、なんか豆を……いい感じにあれしたやつとか」
「いい感じにあれ」
「見りゃわかる! んで、夏限定のアイスがこれまた美味いんだ! アイスクリンってわかるか? 練乳っぽい味で、ソフトクリームよりさっぱりしたやつ。そこの店のはレモンとちょっと塩が入ってるって言ってたか……とにかく絶品なんだよ!」

 謎のジェスチャーも交えながら熱弁する赤澤さんに、俺は圧倒された。仕事中でもこんなに熱く語る彼は見たことがないような気がする。それで、少し興味がわいた。

「へえ、なんていう店なんですか?」
「たしか……『シエル・デテ』?」
「夏の空、ですか。たしかに洒落てますね」
「よく知ってんな。……あー、だからか」

 赤澤さんはひとり納得したように頷き、にやにやと笑っている。なんだ、気になるじゃないか。

「だから、なんです?」
「いや、そのくだんのアイスの名前も『ひと夏の思い出』って言うんだよ」

「よっぽど夏に思い入れがあるんだな」と赤澤さんは続けた。
 どくっと心臓が久しぶりに仕事を思い出したみたいに強く鼓動する。
 そんなのただの偶然だ。ありふれたフレーズじゃないか。そう頭は考えていたが、体の方は今にも走り出しそうだった。

「その店、どこにあるんですか⁉」
「お、おお? どうした急に」
「いいから教えてください。できるだけ詳しく!」

 赤澤さんはうろたえながらも、店までの詳細な道順を教えてくれた。仕事のできる上司は道案内も上手いと感謝しつつ、俺は駆けだす。

「ありがとうございます! 行ってきます!」
「今からか⁉ もう閉店してると思うぞ!」
「それでも行かなきゃ気が済まないんです!」

「失礼します!」と叫ぶように言って、研究棟にべた付けしていた自転車にまたがった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

寂しいを分け与えた

こじらせた処女
BL
 いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。  昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。

敵国の将軍×見捨てられた王子

モカ
BL
敵国の将軍×見捨てられた王子

もう観念しなよ、呆れた顔の彼に諦めの悪い僕は財布の3万円を机の上に置いた

谷地
BL
お昼寝コース(※2時間)8000円。 就寝コースは、8時間/1万5千円・10時間/2万円・12時間/3万円~お選びいただけます。 お好みのキャストを選んで御予約下さい。はじめてに限り2000円値引きキャンペーン実施中! 液晶の中で光るポップなフォントは安っぽくぴかぴかと光っていた。 完結しました *・゚ 2025.5.10 少し修正しました。

白花の檻(はっかのおり)

AzureHaru
BL
その世界には、生まれながらに祝福を受けた者がいる。その祝福は人ならざるほどの美貌を与えられる。 その祝福によって、交わるはずのなかった2人の運命が交わり狂っていく。 この出会いは祝福か、或いは呪いか。 受け――リュシアン。 祝福を授かりながらも、決して傲慢ではなく、いつも穏やかに笑っている青年。 柔らかな白銀の髪、淡い光を湛えた瞳。人々が息を呑むほどの美しさを持つ。 攻め――アーヴィス。 リュシアンと同じく祝福を授かる。リュシアン以上に人の域を逸脱した容姿。 黒曜石のような瞳、彫刻のように整った顔立ち。 王国に名を轟かせる貴族であり、数々の功績を誇る英雄。

処理中です...