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9話‐2

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「随分と楽しそうじゃねえか。ああ?」

 オリヴィアがカンファルと和やかに話をしている間に、不機嫌そうな声が飛んできた。見れば、大量の素材を抱えたアシュレイがよろよろとこちらに歩いて来ている。正確に言えばアシュレイ(暫定)だ。素材に隠れて顔が見えていない。

「なんだァ? 旦那、もしかして嫉妬かァ?」

 にやにやと口元を歪めて言うカンファルの目の前に、アシュレイ(確定)はどさっと素材たちを置いた。

「そんなんじゃねえ。……つか、またあの煙吸っただろう。僕はやめろつったよな?」

 アシュレイは怒りで口元を歪めている。しかしカンファルは気にも留めず、飄々と答える。

「たまにしか吸ってねェよ。害はねェんだろ?」
「……先ほどの煙は何か……ヤバい薬なのですか?」

 おずおずとオリヴィアは尋ねた。もしかすると、目の前で犯罪行為を繰り広げられてしまったのかもしれない。

「いんや、あれはもがっ」
「カンファル、言うんじゃねえ」

 説明しようとしたカンファルの口を、アシュレイが手で押さえた。怪しい。というより、そこまで秘密にされると逆に聞きたくなるのが人間のサガだ。結局、アシュレイはカンファルとオリヴィアの二人がかりで引き離された。熊とゴリラに抵抗できる人間が果たしているだろうか。いないよなあ。

「あれは旦那特製の禁煙補助品……の失敗作なんだ」

 アシュレイの左肩を手のひらで押したまま、カンファルが説明を始める。

「それの何が問題なので?」

 アシュレイの右肩を手のひらで押したままのオリヴィアが問う。

「いやな、吸うとシナモンロールを食った気になれるんだわ。ピンクの煙が光る可愛いオプション付きでなァ。くくく……どうも女性受けを狙ったらしい」
「まあ」

 禁煙とシナモンロールの因果関係とは……。オリヴィアの頭の中も、シナモンロールのように渦を巻いていた。

「全っ然売れなくて、在庫がたんまり残ってたのを俺が買い取ったんだ。味は悪くねェのよ」
「徹夜のテンションで作った黒歴史なんだ……! 恥ずかしいからやめてくれ……!!」

 二人に両肩を押されてジタバタと暴れながらアシュレイが叫ぶように言う。顔を真っ赤にして。

「アシュレイ様……たしかに女性はシナモンロールのような甘い物や、キラキラした物が好きですが……ふふっ……ちょっとそれはないかと……ふふっ」
「笑いながらダメ出しやめろ。心が死ぬ」
「賢者様も、女心は理解できねェみたいだなァ」
「あーもー! うるせぇうるせぇ!」

 ついにアシュレイが涙目になってしまったので、カンファルとオリヴィアはそっと肩を押す力を緩めた。少し虐めすぎたかもしれない。しかし、この賢者にも失敗することがあるのだ、とオリヴィアはちょっぴり安心したような、嬉しいような、そんな気持ちにもなっていた。

「今度から女性向けの製品を作るときは、このお嬢さんに相談しろよォ」
「ええ。私もできるかぎり協力しますわ!」
「もういい……。慰めも今は辛い……。どうせ僕は唐変木の朴念仁の木偶の坊だ……」

 同じような意味の言葉を三つも並べるとは……ミュルズ父子の共通点をこんなところで発見してしまった。いや、そんなことを考えている場合ではない、とオリヴィアは俯いているアシュレイの背をそっと撫でる。

「アシュレイ様、どうかそのように卑下なさらないでください。アシュレイ様は素晴らしいお方ですわ。多分。聞く限りは。知りませんけど」
「あんた、慰める気ねえでしょう……。はあ、落ち込むのも馬鹿らしくなってきた」

 オリヴィアの慰め(?)が功を奏して、アシュレイは顔を上げた。やはりこの方、チョロいのでは、とオリヴィアはやや心配になる。しかし、実はそうでもなかったようで、カンファルはぽかんと口を開けていた。

「すげェな、お嬢さん。旦那は落ち込むと長ェのに」

 こっそりとオリヴィアだけに聞こえるように、カンファルは耳打ちした。

「そうなんですの?」
「あァ。このシナモンロール煙が売れ残った時なんて、一ヶ月はぐちぐちぐちぐち言ってたぞ。人嫌いの旦那と上手くやれてんのは、その辺に秘密があるのかもなァ」

 そう言って、カンファルはにっと笑った。まるで、手のかかる弟が初めて友人を自宅に招いたかのような喜び方だ。……実際、それに近いものがあるのだろう。

「旦那をよろしくなァ。こんなでも寂しがりだからよォ」
「ふふ。ええ、はい。努力いたしますわ」

 『勤めている間は』という言葉は飲み込んで、オリヴィアも微笑み返した。護衛が必要なくなれば、アシュレイとの関係も切れてしまう。ちくり、と胸が痛んだのも、彼女は一緒に飲み込んだ。

「おい、なんの話してんだ。つか、おっさん近えんだよ。離れろ」
「はいはい。……おっさんは嬉しィぜ」
「はあ?」

 不機嫌そうに腕を組んで目を据わらせていたアシュレイだったが、カンファルがそれ以上話そうとしないため、ふん、と鼻を鳴らして腕を解いた。まあいい、と小さく言って、続ける。

「メタルゴーレムの外皮ってあるか?」
「んあ? なんだ、兄貴のおつかいかァ? あるにはあるが……たくさんはねェぞ」
「僕が修理に使うだけだ。少しでいい」
「修理ィ? あれが壊されたんか? やべェ奴がいたもんだ」
「そのやべェ奴が目の前にいるんだよ」
「は?」
「壊したの、こいつ」

 アシュレイが親指でオリヴィアを指差した。彼女は忽ちしゅん、と体を縮こませる。

「恐縮です」
「まじかァ……。ははッ! やっぱおもしれェお嬢さんだ」
「笑い事じゃねえんだよなぁ……」

 しばらくカンファルは笑い続け、つられてオリヴィアも小さく笑い、アシュレイだけは肩を落としていたが……その口元も僅かに弧を描いていた。
 

「それじゃあ帰るか。思ったより時間食っちまった」

 会計を済ませたアシュレイが素材を抱えた。オリヴィアも手伝おうとしたが、すぐそこまでだからいいと断られてしまった。『そこまで』の理由はわからなかったが、食い下がるのも失礼かもしれない。そう思って、オリヴィアは手を貸さないことにした。もしかしたら、カンファルが見ている手前、女性に荷物を持たせるのが恥ずかしいのかもしれないし。

「おォ、今度来る時は事前に連絡しろよォ。今日はたまたまいたが、いねェ時の方が多いんだから」
「あー、すまん。忘れてた」
「賢者様が忘れんなよなァ」

 わっはっはと大口で笑うカンファルに見送られ、出入り口の扉にオリヴィアは手をかけた。

「あ! ひとつ忠告だ!!」

 後ろから大きな声をかけられ、オリヴィアとアシュレイは振り返る。

「最近、高位貴族らしい若い連中が競うように珍しい品を求めてるらしくてなァ。聞いた話によると、脅される賢者もいるらしいんだわ。未発表のレシピ渡せ、とかな。妙なことに巻き込まれるかもしれねェぞ。気ィつけなァ!」
「そうか。貴重な情報をありがとう」
「礼ならあの煙のアップルパイ味作ってくれェ!」
「それはもう忘れろ! じゃあな」

 カンファルに手を振って、今度こそ二人は店を後にした。

「珍しい品、ですか……」

 オリヴィアは裏路地を歩きながら、先ほどのカンファルの忠告を思い出していた。ただの魔導具士や薬師、宝飾職人などは数多くいれど、彼らは賢者たちが公表したレシピに倣っているだけだということは、世間に疎い彼女でも知っていた。誰もが知らない珍しい品、とくれば、賢者自身から聞き出す他にない。

「何が目的なんだろうな。どうせくそ仕様もないマウントの取り合いなんだろうけど」
「流石に口が悪すぎますわ。せめて金だけ持ってるガキの低レベルな争い、と言ってさしあげましょう」
「いや、それあんたの方が酷えから。……まあ、魔導人形が直れば警備も硬くなる。あんたの負担も減るだろうよ」
「ありがとうございます。……あれ?」

 オリヴィアがふとアシュレイの方を見ると、いつの間にか彼は手ぶらになっていた。

「アシュレイ様、お荷物は?」
「ああ、転送魔法で馬車に送った」

 なるほど。『そこまで』の意味を彼女は正しく理解した。

「便利ですね……。あれ? でもそれなら屋敷まで送ればよかったのでは? そもそも自分を転送すれば馬車を使う必要も……」
「屋敷まで送ろうと思ったら莫大な魔力が必要になる。自分自身が移動する転移魔法はもっと魔力を食う。僕はあんまり魔力は多い方じゃないんだ」
「左様ですか……。色々あるんですね、魔法も」

 オリヴィアは頬に手を当てて呟き、ほう、と感嘆の息を漏らした。反対に、アシュレイは呆れたように言う。

「あんた……魔法について無知すぎじゃないか?」
「ええ。実は私、魔法が使えませんの」
「……は?」
「魔力がないわけではないそうです。幼い頃は使えていたような気がしますが……何故かはわかりません。不思議ですね」

 オリヴィアの幼い頃の記憶は随分と曖昧だ。忘れたいほど辛いことがあったのだろう、と彼女は漠然と思っている。

「じゃあ……あんたが強いのは? 魔法じゃなかったって言うのか?」

 アシュレイは困惑しているのか、声を震わせて言う。それもそうだろう。この国で魔法がまったく使えないのは、おそらく彼女一人だけ。

「ええ。魔法ではありませんわ。呪文を唱えたことなどありませんもの。……私のことを"ゴリラ"と仰るから、てっきりお気づきなのかと思っていました」

 人間以外の動物は魔法が使えない。魔法を使うものは魔物と呼ばれる。

「僕は、そんなつもりじゃ……!」
「ふふふ、冗談ですわ。……いいえ、八つ当たりですわね。申し訳ございません。お出かけで気分が高揚して、つい饒舌になってしまいました。……忘れてくださいまし」

 そう言って、オリヴィアはすたすたと足早に路地裏を進む。行きと違って、帰りはすぐに大通りに突き当たった。大通りに出ればいきなり眩しい光が飛び込んできて、彼女は咄嗟に目を伏せる。伏せたまつ毛の隙間から、ローブの刺繍が光を反射して輝いているのが見えた。『魔法士の証』のローブを着る資格が彼女にないことは、彼女が一番わかっていた。
 振り返って、路地裏を見る。薄暗い路地裏。そちらの方が自分に似合っているな、とつい消極的な考えが浮かび、頭を振ってそれを消す。同情を誘う人間にはなりたくない。それが彼女を支え、彼女たらしめる唯一の矜持だ。
 オリヴィアは顔を上げ、アシュレイに微笑みかける。

「帰りましょう、アシュレイ様。とっても楽しいお出かけでしたわ」

 アシュレイも眩しかったのか、一瞬目を細め、それから彼女に微笑み返した。

「……飯、食ってから帰ろう。腹が減った」
「まあ! 急に成長されましたね! よいことですわ!」
「人を子供みたいに……。まあいい。あんたも好きなだけ食え。僕の奢りだ」
「まあまあまあ! では気になるお店が三軒ほどございまして……」
「いや、流石に一軒に絞ってくれ」

 そうして二人は大通りを並んで歩いた。気持ちを半分、路地裏に置き去りにして。
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