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12話 それぞれのニヤニヤ

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 昼食を作り終えたオリヴィアは、アシュレイとロザージュを呼びに研究室へ向かった。ノックをし、中に呼びかける。

「アシュレイ様、ロザージュ様、昼食の準備が整いましたわ」
「オ゛……っ!」

 オリヴィアは首を捻った。随分と野太い声だったが、誰の声だろう。アシュレイでもロザージュでもない。もしかして侵入者だろうか……? 彼女は焦って、もう一度声をかけた。

「アシュレイ様!? ロザージュ様!? 無事ですか!?」
「だだだだ、大丈夫よ! ちょっと待ってちょうだい! 扉を開けてはダメよ!」
「え?」
「絶対、ダメよ。いいわね!」
「は、はあ……」

 今度聞こえたのは高めの声だった。ロザージュの声だ。オリヴィアは安心はしたものの、まだ首を捻っていた。二人は中で何をしているのだろうか……。耳をすませば、がちゃがちゃと喧しく音を立てているのが聞こえる。小さく「あ」とか「いや」とかいう声も。
 ま、まさか……。オリヴィアは巷で流行っている恋愛小説を思い出していた。直接読んだことはないのだが、ちらっと噂を小耳に挟んだことがあったのだ。男性同士が睦み合う、恋愛小説を……。じゃあさっきの野太い声も……!? オリヴィアは、箸が転がっても恋愛に繋げる多感なお年頃だった。
 しばらく経って、中から扉が開かれた。

「ごめんなさい。お待たせしたわね」

 ロザージュがひょこりと顔を出す。彼は僅かに荒い息を吐いていた。その後ろには、これまた僅かに顔を赤らめたアシュレイが……

「き、禁断の……!」

 オリヴィアは言いかけて口元を両手で押さえた。きっと秘密の関係なのだ。

「オリヴィアちゃん、どうしたの?」

 こてり、と首を傾げてロザージュが問うた。後ろからアシュレイも不思議そうな顔でこちらを見ている。系統は違うが、どちらも整った顔だ。彼女は二人の周囲にきらきらと光と花が散っているような幻覚を見た。

「これが、噂の『萌え』ですのね……!」
「はい?」
「私は応援しておりますわ!」
「……ねえ、アシュ。どうしちゃったの? この子」

 ロザージュが心配そうにアシュレイに耳打ちする。

「妄想でよく暴走するんです……。おい、何か悍ましい妄想をしてるだろう。断じて違うからな。やめろ」
「アシュレイ様、隠さなくってもいいのですよ? 私は誰にも言いませんので……」
「違うっての」
「いたっ!」

 アシュレイが頓珍漢なことを言い続けるオリヴィアの額にチョップをした。彼女はつい反射で痛いと言ってしまったが、実際のダメージはゼロ。社交辞令みたいなものだ。

「アシュ、流石に女の子に手を上げるのは感心しないわ」
「う……」
「構いませんわ。これっぽっちも痛くありませんもの」
「それはそれでへこむ……。まあいい。飯ができたんだろ。行こう」

 オリヴィアはまだ疑惑を捨て切れていなかったが、大人しくアシュレイの後に続き、三人揃って一階の食堂へ向かった。

◇◇◇

「おいし~い! オリヴィアちゃん、料理も上手なのねぇ!」
「ふふ、喜んでいただけたのなら光栄ですわ」

 食卓を三人で囲む。最初、オリヴィアはロザージュもいたので控えようとしていたのだが、ロザージュが快諾したことと、また腹の虫が盛大に鳴いたことで同席させてもらっていた。

「魔導人形の番犬も直ったことだし、オリヴィアちゃん、今度はあたしの家で働かない?」
「馬鹿なこと言わねえでください。そもそも兄上の屋敷は魔導人形だらけで、家政婦も護衛も必要ないでしょう」

 兄弟の言い争いを聞きながら、魔導人形だらけの屋敷か……とオリヴィアと想像していた。屋敷中に銀色の人形たちがいると、目が眩みそうだ。……そういえば。

「ロザージュ様は、魔導具の賢者様なのですか?」
「ええ、そうよ。アシュ、言ってなかったの?」
「言おうとした時に兄上が来たんですよ。兄上には番犬の修理に来てもらったんだ」
「左様で……」

 突然のロザージュの来訪はそのためだったのか、とオリヴィアは納得した。

「ミュルズ侯爵家には三人も賢者様がいらっしゃるのですね」
「母上ともう一人の兄も賢者だから五人な。母上は服飾魔法の賢者だから、ちとマイナーだけど」
「服飾魔法?」
「魔法で糸を紡いだり、宝石を加工したりするのよ。あたしが今着てる服も、母上が作ったものなの」
「ほわぁ……すごいですねぇ……」

 オリヴィアはまじまじとロザージュの服を見た。魔法で作られた服……なんて素敵なのだろう。

「母上は補助魔法もお上手だから、おまじない程度だけど作った品に特殊効果を付与できるの。あたしのこのシャツには魅力がちょっと上がる効果がついてるわ」
「ほへぇ~……」
「魅力って……。兄上、いい加減四方八方手あたり次第につまみ食いするのはやめた方がいいかと」
「あらぁ。最近はしてないわよ。でも、魅力があることに越したことはないでしょう?」

 パチリ、とロザージュはまた完璧なウインクをした。魅力の効果は如何ほど付与されているのだろうか。点数をつけるならきっと、シャツを着て百二十点、シャツなしで百点なんだろう。彼は全人類をメロメロにして世界征服を目論んでいるのかもしれない、なんてところまでオリヴィアの妄想は発展していた。

「そうだ! オリヴィアちゃんも母上に服を作ってもらうっていうのはどうかしら!」
「ええ?! そ、そんな財は私にはございませんわっ!」
「アシュの世話をしてくれるお礼よ、お金はいらないわ。なんならあたしが出してもいいくらい」
「駄目です駄目です! お給金は十分いただいておりますの! これ以上頂けませんわ!」

 ぶんぶんと頭と手を全力で振ってオリヴィアは断った。アシュレイといい、ミュルズ家の人間は太っ腹すぎる。

「えー。あ、じゃあ! 制服として支給するのはどうかしら! オリヴィアちゃん、今は私服で働いているのでしょう?」
「それは、そうですが……」
「よし! じゃあ制服を作ってもらいましょう! アシュも見たいでしょう? メイド服のオリヴィアちゃん!」
「ゴフォッ!!」

 アシュレイは盛大に咽せた。鼻からミネストローネが垂れている。口から吐き出さなかっただけ上品だと言えなくもない……気がしなくもない。

「だ、大丈夫ですか……?」
「ゴホッ……だ、大丈夫……」
「もう、汚いわねぇ。それで? 見たいの? 見たくないの?」

 ロザージュは行儀悪くスプーンでアシュレイを差して、急かすように鋭く見つめている。オリヴィアは指を組み、恐れ多いから断ってくれ、という気持ちを込めてアシュレイを見つめた。アシュレイは二人の間でキョロキョロと忙しなく目線を彷徨わせる。状況だけ見れば、二人の女性から浮気を詰られる駄目男の図だ。
 しばらく気まずい沈黙が続き、ようやっとアシュレイが口を開いた。

「……い、いいんじゃねえの……?」
「よっし! そうと決まれば善は急げよ!」

 そう言うと、ロザージュはミネストローネとパンを口に流し込み、がたん、と勢いよく立ち上がった。

「オリヴィアちゃん、美味しかったわ、ご馳走様! アシュ、あたしから母上に伝えておくからね! それじゃ、またねぇ~!」

 嵐のように、ロザージュは去って行った。残された二人はしばし沈黙し、顔を見合わせる。

「……パワフルな方ですね……」
「兄上は即行動タイプだからな……」

 はあ、と一度ため息をついて、アシュレイは食事を再開した。オリヴィアもスプーンを持ち、スープを掬いかけて……やめる。それから少し躊躇って、おずおずと口を開いた。

「あのぉ……今からでもお断りしませんか? やっぱり申し訳ないというか……」

 貧乏が板についているオリヴィアには、賢者が直接作った服を着るなど想像すらできなかった。

「……もらっとけよ。母上も喜ぶし」
「しかし……」
「制服支給も雇い主の義務だ」

 それを言われてしまっては、もうオリヴィアには反論できない。食い下がるのは諦めて、彼女も食事に戻った。口の端をぴくぴくと痙攣させて。
 本当は。本音を言えば。心の底では。オリヴィアは少し……いや、かなり。小躍りをしたいくらいには嬉しかった。彼女は姉のお下がりしか着たことがない。自分のための真新しい服に興奮せずにはいられなかった。メイド服も着てみたかった。だから、勝手ににやにやする口元を抑えるのに必死なのだ。浮かれていては、欲深い人間だと思われるかもしれないと思って。
 彼女の正面に座っているアシュレイには、バレていたようだが。
 
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