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6話‐2
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「んー……こんなもんか」
アシュレイはこれから買い出しに使う馬車の整備をしていた。どこにでもあるようなこぢんまりとした馬車は二頭立て。侯爵家の人間が使うには些か質素だが、賢者揃いのミュルズ家ならではの、どこにでもある馬車にはない特徴がある。それは、キャリッジを曳く馬が魔導人形であることだ。
「うげ……ちっと錆びてんな。たまにしか使わねえからなあ。まあこれくらいは自分で直せるか」
アシュレイの専門は魔法薬学だが、他の魔法がまったく使えないわけではない。魔導人形のボディに使われている特殊合金も、ある程度なら修復可能だ。
「番犬の方も直さねえとだが……僕にできるかねぇ」
馬車の整備を終えたアシュレイは、キャリッジに寄りかかって煙草に火をつけた。彼は愛煙家だ。自分で葉の調合するくらいには。研究室内では他の素材に悪影響があるため吸えないが、それ以外では結構吸う。しかし、ここしばらくはオリヴィアがいたため、場所を選んでいた。未成年や煙草を吸わない人間の前では喫煙しない、という当たり前の分別はアシュレイにもあった。
ぼーっと空を見ながら煙草を燻らす。いい天気だ。なんだか急に自分が健全な人間に思えてきて、アシュレイは小さく笑った。煙草を吸っている時点で健全ではない、という野暮な突っ込みは、今の彼にはしないであげてほしい。
もうわずかで葉が焼き尽くされる、というタイミングで、門の方から人影がこちらに近づいていた。侵入者ならこんなに堂々と入ってくるまい、とアシュレイはぼんやりとそれを見つめる。やがてその人影が近くまでやってきて、アシュレイはぽろり、と煙草を口から落としてしまった。
「アシュレイ様、ごきげんよう!」
「オ……リヴィ、ア?」
アシュレイは困惑した。目の前にいる人物は声から判断して彼の家政婦、オリヴィアで間違いない。しかし、その様相が普段の彼女とはまったく異なっていたのだ。
「おま……どうした? その格好……」
「ふっふっふー! 街に買い出しということで、気合いをいれて参りましたわ!!」
気合い……気合いか。たしかに気合いは十分なんだろうとアシュレイは思った。だってこんなにも、オリヴィアはキラキラと輝いているのだから。それはもう、キラキラと。太陽を反射して。全身が。
「なんで、鎧……??」
そう、オリヴィアの本日のお召し物は、鎧だ。それも全身を覆うプレートアーマー。兜は猟犬面バシネット。ピカピカに磨き上げられた板金が、すごく輝いている。
「これは! そのー……街は危険でいっぱいですので! 護衛としては当然かと!」
アシュレイは歯切れの悪いオリヴィアの言葉を聞いて安心した。彼女が嘘をついているとわかったからだ。本気でこの衣装を自信満々で着てきたのなら、どう着替えさせるか頭を悩ませなければならなかったが……またどうせ仕様もないことで悩んだのだろう。ほっと肩を落として、アシュレイは靴のつま先で落とした煙草の火を消す。
「んで? 何を誤魔化すために鎧なんぞ着てきたんだ?」
「ぅえっ!? な、なな何も誤魔化してなどいませんわ!」
「わかったわかった。なんでもいいから着替えてくれ。僕は片腕片脚が機械作りの錬金術師じゃないんだ」
鎧を引き連れた錬金術師が主人公の物語を、アシュレイは子供の頃愛読していた。急に読み返したくなってきたな。最近舞台の演目にもなったんだったか……なんてことを、アシュレイはこの状況から逃避したい頭で考える。
対してオリヴィアは、両手を胸の前でクロスし、自分自身を抱きしめている。
「嫌ですわ! 一張羅ですのよ!?」
「鎧が一張羅の令嬢がいるか、ボケ」
「なっ……! その令嬢に対してボケとは何ですのっ!?」
「令嬢として扱ってほしいなら鎧を脱げ。このボケナス」
「ぬぁ~~…………っ!!」
オリヴィアはガチャガチャと音を立てて震えていたが、やがてすん、と落ち着いて俯いてしまった。それからポツリ、と呟く。
「…………せんの」
「んん?」
オリヴィアの声が小さすぎて聞こえず、アシュレイは彼女の間近まで近寄った。
「なんだって?」
「……りませんの」
「もっとはっきり言え」
「っだからぁ! 街に着ていく服がありませんのぉ!!」
ガツッ!!
「いっでぇ!!!!」
オリヴィアが急に頭を上げたことで、先の尖った面頬がアシュレイの顔面に直撃した。それに気づいていないのか、あえて無視をしているのか……オリヴィアは続けて叫んだ。
「急に街に行くと言われても困りますわ! 貧乏貴族舐めないでくださいましっ!!」
「おい、先に謝罪をしろ……っ! なあ、僕の鼻、取れてないよな?」
アシュレイは自分の顔をぺたぺた触って確認している。鼻がもげたと錯覚するほどには痛かった。
しかし、激昂しているオリヴィアには届いていないらしい。
「謝罪をしてほしいのはこちらですっ!! 服がないだなんて恥ずかしい暴露までさせられて……! 私の矜持はずたぼろですわっ!」
「鎧を着てくるのは恥ずかしくなかったのかよ……。まあいい。僕をよく見ろ」
「……鼻ならついていますわよ。高くはないけど形のいい可愛らしいお鼻が」
「さりげなく貶すな……。違う。服だ、服」
アシュレイは両腕を左右に広げた。オリヴィアは(面頬のせいで顔は見えないが)彼の全身をくまなく見ている。
「僕はこのまま行く。どうだ?」
「いつも通りのくたくたで、よれよれの、一見浮浪者のような様相ですわ」
「…………まあ、いい。許そう。こんな格好で行ける場所なんだ。変な心配はしなくていい」
「貴族街じゃございませんの……?」
「そんなこと一言も言ってねえだろ」
「そうじゃないとも一言も仰っていませんでしたわ。……そうですか。安心いたしました。あの……」
オリヴィアはもじもじと手を擦り合わせている。鎧でなければ可愛い仕草なのにな、とアシュレイはジト目でそれを見ていた。
やがて彼女は決心がついたのか、顔を上げて右手の人差し指をアシュレイの鼻先につけた。
「申し訳ありませんでした。痛いの痛いの飛んでけー!」
「……へ?」
「鎧を脱いで参ります!」
ガシャン、ガシャン、とけたたましい音を立てて、オリヴィアは屋敷へと入っていった。アシュレイはその背を茫然と見つめる。
「何だったんだ……さっきの変な呪文は」
もちろん、回復魔法の呪文などではなかった。だと言うのに不思議と痛みの消えた鼻を、アシュレイは摩る。それからがしがしと後頭部を乱暴に掻き乱して、彼も屋敷に一度戻った。
アシュレイはこれから買い出しに使う馬車の整備をしていた。どこにでもあるようなこぢんまりとした馬車は二頭立て。侯爵家の人間が使うには些か質素だが、賢者揃いのミュルズ家ならではの、どこにでもある馬車にはない特徴がある。それは、キャリッジを曳く馬が魔導人形であることだ。
「うげ……ちっと錆びてんな。たまにしか使わねえからなあ。まあこれくらいは自分で直せるか」
アシュレイの専門は魔法薬学だが、他の魔法がまったく使えないわけではない。魔導人形のボディに使われている特殊合金も、ある程度なら修復可能だ。
「番犬の方も直さねえとだが……僕にできるかねぇ」
馬車の整備を終えたアシュレイは、キャリッジに寄りかかって煙草に火をつけた。彼は愛煙家だ。自分で葉の調合するくらいには。研究室内では他の素材に悪影響があるため吸えないが、それ以外では結構吸う。しかし、ここしばらくはオリヴィアがいたため、場所を選んでいた。未成年や煙草を吸わない人間の前では喫煙しない、という当たり前の分別はアシュレイにもあった。
ぼーっと空を見ながら煙草を燻らす。いい天気だ。なんだか急に自分が健全な人間に思えてきて、アシュレイは小さく笑った。煙草を吸っている時点で健全ではない、という野暮な突っ込みは、今の彼にはしないであげてほしい。
もうわずかで葉が焼き尽くされる、というタイミングで、門の方から人影がこちらに近づいていた。侵入者ならこんなに堂々と入ってくるまい、とアシュレイはぼんやりとそれを見つめる。やがてその人影が近くまでやってきて、アシュレイはぽろり、と煙草を口から落としてしまった。
「アシュレイ様、ごきげんよう!」
「オ……リヴィ、ア?」
アシュレイは困惑した。目の前にいる人物は声から判断して彼の家政婦、オリヴィアで間違いない。しかし、その様相が普段の彼女とはまったく異なっていたのだ。
「おま……どうした? その格好……」
「ふっふっふー! 街に買い出しということで、気合いをいれて参りましたわ!!」
気合い……気合いか。たしかに気合いは十分なんだろうとアシュレイは思った。だってこんなにも、オリヴィアはキラキラと輝いているのだから。それはもう、キラキラと。太陽を反射して。全身が。
「なんで、鎧……??」
そう、オリヴィアの本日のお召し物は、鎧だ。それも全身を覆うプレートアーマー。兜は猟犬面バシネット。ピカピカに磨き上げられた板金が、すごく輝いている。
「これは! そのー……街は危険でいっぱいですので! 護衛としては当然かと!」
アシュレイは歯切れの悪いオリヴィアの言葉を聞いて安心した。彼女が嘘をついているとわかったからだ。本気でこの衣装を自信満々で着てきたのなら、どう着替えさせるか頭を悩ませなければならなかったが……またどうせ仕様もないことで悩んだのだろう。ほっと肩を落として、アシュレイは靴のつま先で落とした煙草の火を消す。
「んで? 何を誤魔化すために鎧なんぞ着てきたんだ?」
「ぅえっ!? な、なな何も誤魔化してなどいませんわ!」
「わかったわかった。なんでもいいから着替えてくれ。僕は片腕片脚が機械作りの錬金術師じゃないんだ」
鎧を引き連れた錬金術師が主人公の物語を、アシュレイは子供の頃愛読していた。急に読み返したくなってきたな。最近舞台の演目にもなったんだったか……なんてことを、アシュレイはこの状況から逃避したい頭で考える。
対してオリヴィアは、両手を胸の前でクロスし、自分自身を抱きしめている。
「嫌ですわ! 一張羅ですのよ!?」
「鎧が一張羅の令嬢がいるか、ボケ」
「なっ……! その令嬢に対してボケとは何ですのっ!?」
「令嬢として扱ってほしいなら鎧を脱げ。このボケナス」
「ぬぁ~~…………っ!!」
オリヴィアはガチャガチャと音を立てて震えていたが、やがてすん、と落ち着いて俯いてしまった。それからポツリ、と呟く。
「…………せんの」
「んん?」
オリヴィアの声が小さすぎて聞こえず、アシュレイは彼女の間近まで近寄った。
「なんだって?」
「……りませんの」
「もっとはっきり言え」
「っだからぁ! 街に着ていく服がありませんのぉ!!」
ガツッ!!
「いっでぇ!!!!」
オリヴィアが急に頭を上げたことで、先の尖った面頬がアシュレイの顔面に直撃した。それに気づいていないのか、あえて無視をしているのか……オリヴィアは続けて叫んだ。
「急に街に行くと言われても困りますわ! 貧乏貴族舐めないでくださいましっ!!」
「おい、先に謝罪をしろ……っ! なあ、僕の鼻、取れてないよな?」
アシュレイは自分の顔をぺたぺた触って確認している。鼻がもげたと錯覚するほどには痛かった。
しかし、激昂しているオリヴィアには届いていないらしい。
「謝罪をしてほしいのはこちらですっ!! 服がないだなんて恥ずかしい暴露までさせられて……! 私の矜持はずたぼろですわっ!」
「鎧を着てくるのは恥ずかしくなかったのかよ……。まあいい。僕をよく見ろ」
「……鼻ならついていますわよ。高くはないけど形のいい可愛らしいお鼻が」
「さりげなく貶すな……。違う。服だ、服」
アシュレイは両腕を左右に広げた。オリヴィアは(面頬のせいで顔は見えないが)彼の全身をくまなく見ている。
「僕はこのまま行く。どうだ?」
「いつも通りのくたくたで、よれよれの、一見浮浪者のような様相ですわ」
「…………まあ、いい。許そう。こんな格好で行ける場所なんだ。変な心配はしなくていい」
「貴族街じゃございませんの……?」
「そんなこと一言も言ってねえだろ」
「そうじゃないとも一言も仰っていませんでしたわ。……そうですか。安心いたしました。あの……」
オリヴィアはもじもじと手を擦り合わせている。鎧でなければ可愛い仕草なのにな、とアシュレイはジト目でそれを見ていた。
やがて彼女は決心がついたのか、顔を上げて右手の人差し指をアシュレイの鼻先につけた。
「申し訳ありませんでした。痛いの痛いの飛んでけー!」
「……へ?」
「鎧を脱いで参ります!」
ガシャン、ガシャン、とけたたましい音を立てて、オリヴィアは屋敷へと入っていった。アシュレイはその背を茫然と見つめる。
「何だったんだ……さっきの変な呪文は」
もちろん、回復魔法の呪文などではなかった。だと言うのに不思議と痛みの消えた鼻を、アシュレイは摩る。それからがしがしと後頭部を乱暴に掻き乱して、彼も屋敷に一度戻った。
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