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8話 塩対応(物理)

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 ずかずかと歩くアシュレイに腕を掴まれたまま、オリヴィアは彼の後ろを必死について行っていた。
 嘘だ。
 オリヴィアがその気になればアシュレイを止めることなど造作もなかったし、なんなら今は早足なのに微妙に遅いアシュレイの踵を踏まないかと冷や冷やしていた。しかし、アシュレイの優しさに気づいていたから、その状況に身を任せていた。
 やがて細い路地にまで進んだところで、ぱっとアシュレイはオリヴィアの手を離して立ち止まった。そして、おずおずとした様子で振り返る。

「あー……すまん。邪魔したか?」

 視線を逸らしたままアシュレイは言う。彼が何かを誤魔化したり、言い辛いことを言う時に『あー』とつける癖をオリヴィアは見抜いていた。この方も大概、嘘のつけない方だわ、と彼女はくすりと笑う。

「いいえ。一応親しい人に分類される方ですが、私は少し苦手ですの」
「どういう関係なんだ? あ、いや……言いたくなければ言わなくていいが」
「構いませんわ」

 アシュレイの隣を歩きながら、オリヴィアは続ける。

「先ほどの方はペンデュラ公爵家の御令嬢、ベラドンナ様です。ランスリー家は遠縁にあたりますの」
「遠縁?」
「ええ。ベラドンナ様と私のひいお婆さまが双子の姉妹だったのです。アシュレイ様もご存じなのでは? ヴェルミア・ペンドゥラというお名前を」
「ヴェルミア……? ああ! 伝説とまで言われた治癒魔法の賢者か!」

 ヴェルミア・ペンデュラは、かつて使い手の少なかった治癒魔法の謎を解明し、治癒魔法の適性を調べる魔法陣を作り上げた伝説の魔法士だ。この国の治癒魔法の祖と言って過言はない。

「ええ。そして彼女の双子の妹アニス様が、先々代のランスリー男爵に嫁いだのです」
「なるほど……。とするともしかして、先祖返りの治癒魔法使いと騒がれている御令嬢は……」
「はい。先ほどのベラドンナ様です」

 ベラドンナ・ペンデュラは治癒魔法の稀有な才能の持ち主で、将来的に賢者になるのでは、と期待されている人物だ。ベラドンナとオリヴィアは年齢が同じで、幼い頃は頻繁に交流があった。昔はもっと優しい性格だったはずなのだが、いつの間にかオリヴィアを見下して虐めるようになってしまっていた。何かきっかけがあったような気がするものの、ぼんやりとしていて思い出せない。
 ふと、隣を歩くアシュレイの様子をオリヴィアが窺うと、彼は顎に手を当てて何やら考えこんでいた。……ああ、もしかして。

「申し訳ありませんが、私にはベラドンナ様との仲を取り持つほどの力はございませんの」

 ベラドンナは美人で、将来有望だ。彼女とオリヴィアに縁があると知った男性が、是非紹介してくれと頼みにくることは多々あった。しかし、遠縁とはいえ公爵家と男爵家。オリヴィアの方から話しかけることはできない。アシュレイにも期待をもたれないようにと思って言ったことだったが……

「ああ!? 必要ねえわ! あんな性悪女、知り合いになることすら嫌だね」

 オリヴィアの予想に反し、アシュレイは本当に嫌なのだろう、うげぇ、と嘔吐するような素振りをしている。

「考え込んでいらっしゃったので、てっきり……」
「治癒魔法には適性だけでなく心状が大きく関わってくるっつー論文を読んだことがあるんだ。だからあの性悪女が治癒魔法使いってのが信じられなくてな……」

 そう言いながら、アシュレイは懐から小さな包みを取り出した。そしてその中身の粒を自分とオリヴィア、二人の背後に撒く。

「これは……?」
「塩」

 短く答えると、アシュレイはまたすたすたと早足で進み始めた。慌ててオリヴィアも追う。彼も魔除けをするくらいベラドンナが苦手なのだと思うとおかしくて、自分も結構性格が悪いと思いながらも、笑うのを止められなかった。
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