地獄の沙汰は、

荷稲 まこと

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一話 遺されない言葉

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 死んだらあの世で裁判にかけられる。
 閻魔にはすべてお見通しで、嘘をついたら舌を抜かれるらしい。
 抜かれた舌は生えてきて、また抜かれる、を繰り返すのだとか。
 だから、正直に答えないと。
 何が悪いのかさっぱりわからないけれど、俺の地獄行きは決定している。

 学生時代に受けるいじめというのは、一生という長い目で見れば期間限定のことだとは思う。
 しかし、当事者から言えば永劫に続くような……それこそ地獄のようなもので、毎日繰り返される暴力の間に、未来のことを考える余裕なんてちっともない。
 そもそも、存在自体を否定する言葉が繰り返し投げかけられるのだから、どうして先のことなど考えられようか。
 自分自身すら否定するようになってしまえば、極めて合理的な結論に辿り着くにはさして時間もかからなかった。

「尋問って、何を聞かれるんだろ。簡単なのだったらいいけど」

 ネットで検索した方法で荒縄を結びながら、あの世の裁判に思いを巡らす。
 俺は別に、仏とか神とかを強く信仰しているわけではない。
 ただ……顔を上げると目が合う
 床の間に吊るされた掛け軸に描かれている、赤い顔をした閻魔大王。
 あの恐ろしい顔と、祖母が語った『舌を抜かれる』という逸話が強烈に脳にこびりついている。
 だから、少なくとも意図的には、俺は一度も嘘をついたことはない。

「そのせいで現世が地獄になったんだけど……。閻魔のこと、逆に訴えられないかな」

 生きている内も嘘をつくな、なんて言ってないと言われるか。
 いやでも、不妄語ってのがあったよな。
 嘘をつかず、決して挫けず。
 生き地獄を耐えてこそ、悟りの境地に至れるのだろう、多分。
 俺がもっと信心深かったら、別の選択があったのかな。今更、仕様もないけど。

 椅子の上に立ち、輪っかができた縄の端を梁にかけて、また結ぶ。
 すると、梁がぎぃ、ぎぃ、と情けない音を立てた。
 この家はかなりぼろい。
 元は遠い祖先が譲り受けた武家屋敷で、何度か改築はしたものの、大きな枠組みはなるべく当時のまま残してあるのだとか。
 一本の木を丸々使ったこの梁もそうだ。
 祖父は『子々孫々まで受け継ぐべし遺産だ』と誇らしげに語っていたが、残念なことに今は俺一人しか住んでいない。
 まあ、それだけ価値のある屋敷だというなら、多少がついても構わないだろう。
 
 念のため、強めに縄を引っ張ってみる。
 軋みはするが、折れることはないはずだ。縄の結び目も解けそうにない。
 一度椅子から降りて、畳の上に大きなブルーシートを敷いた。
 結構汚いことになるってネットで見たから、これで多少はマシだろう。
 片づけるのが誰かは知らないけど、一応気遣いってやつ。
 ポケットからスマホを取り出し、メールアプリを開く。

「……まあ、いいか」

 遺したい言葉もない。
 罪悪感など抱かなくていいから(そもそも抱かないだろうか?)、さっさと忘れてほしい。
 画面端の時刻を見る。三時半すぎ。弟はまだ学校かな。
 スマホの画面を切り、ブルーシートの向こう側へ適当に投げた。

 椅子を戻し、その上に立つ。
 何か感情が沸き起こるかと期待していたけど、そんなこともない。
 ああ、尋問された時の答えをまだ考えていなかった。
 ……いや、地獄なんて、本当にあるわけないか。
 生きているから苦痛や恐怖を感じるのであって、死んでしまえばもう何も残らない。
 今この時点……もっと前から、何も感じなくなった俺は既に死んでいるのだろう。
 肉体が追いつくのを待っているだけ。
 輪っかに首を通す。
 理由を聞かれたら、「疲れたから」とだけ答えよう。
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