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懐かしい店

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「小梨はこうも言ってた。
きっと君と付き合ったヤツは拓郎くんの壁を超えられない、って。」

「そんな事はないですよ。」
「そう?」
「はい。拓郎とはただの幼馴染で、そんなんじゃないです。
拓郎は今ちゃんと彼女いますし。それじゃ私が困りますし。」
「そう。じゃあなんの問題もないんだね。」
そういって野上選手は横目にチラリと私を見た。

問題だらけだ。だけどそれは野上選手には関係ない事だから、言わない。
車は自宅方向からは逸れて、私達の母校のあるエリアへと向かい始めた。

「恋愛関係じゃないんだよね?」
重ねて尋ねられた質問に、私は、
「あの…どこに行くんですか?食事でしたよね?」
と誤魔化して答えない。

「君が後戻りが出来ないところまで、かな。」
「後戻り?」
「このまま行けばわかる。」

懐かしい学校最寄り駅へと続く銀杏並木を抜ける。この道を3年間拓郎と自転車で駆け抜けた。この銀杏並木通りの、ある交差点を右に曲がれば私達の母校があり、その先に野上さんの母校明稜学苑がある。

その交差点をそのまま直進して、車は道路脇の見覚えのある小さな汚いお店の前で止まった。

「ここ、ですか?」
してやったりと言いたげにニヤニヤ笑う野上さんに尋ねる。
「そう、ココ。行った事ある?」
「そりゃ、数え切れないほど。」

西上OBのご夫婦が経営するこの格安定食屋は西上の制服を着ている子はドリンクのサービスが付く。
ここに入った事がない西上の運動部員はおそらくはいないと思っている。

懐かしさに弾かれて、ガラガラっと扉を開けて、中を覗き込んだ。
「おいちゃん!」
カウンターの向こう側から干からびたミイラみたいなおじいちゃんが、読んでいた新聞から視線をあげた。
一瞬わからなかったらしいおいちゃんは、首を傾げる。
そして昔の記憶を引っ張り出す事になんとか成功してくれたらしい。

「優希ちゃんじゃ!そうだ、野球部の!久しぶりだなぁ、もうどんぐらいか?」
思い出してくれた事に安堵して、私は笑顔になる。

「おいちゃん、元気だった?5年振りだよ。」
「そうか、そんなに経つか。俺はもう身体はガタガタだよ。」
「なら大丈夫だね。だって私が通ってた頃もそう言ってたもん。」
ったく敵わないなぁ、とおいちゃんは笑う。

「何にする?」
「かき揚げ丼!」
「あんなぁ、ウチのかき揚げ丼はなぁ、」
「知ってる!特盛の超どデカいことも、おいちゃんが女の子だからって忖度しないことも。」
「そうだ、思い出した。あの頃完食した女の子は優希ちゃんだけだった。」
ちっ、余計なことまで思い出させちゃった。

おいちゃんは丸い綺麗なかき揚げを揚げるためにお鍋の直径を全部使ってかき揚げを作る。出来たかき揚げの大きさに合わせて丼を用意し、丼に合わせてご飯を詰める。
だから、他の丼は一般的な量とサイズなのに、かき揚げ丼だけは超特大の特盛りサイズに仕上がってしまう。しかし値段はワンコインだ。
何よりも丁寧に揚げられたかき揚げは美味しい。

「…お連れさんは?」

あっ、あまりの懐かしさに一瞬野上さんの存在を忘れた。

「何が美味しいの?」
「かき揚げ丼!ああでも、ここのかき揚げ丼はご飯も特盛だし、かき揚げはこんなに大きいよ。」
と手のひらを名一杯開いて両手で丸を作って見せた。

「後は…部員達は大体生姜焼き丼か、唐揚げ丼か…。たまに味噌ラーメン。」
「そっか、じゃあ生姜焼き丼を。」
「大盛りにした方が良いですよ。生姜焼き丼は普通サイズなので。」

頷いた野上さんをテーブルにつかせて、私はお冷やを取りに行く。見た感じ今はおばちゃんがいないから、自分で取りに行かないと永遠にお水は出て来ない。

グラスを持ってテーブルに戻ると、
「慣れてるんだな、やっぱり。」
と言われる。
「あれ?野上さんは?」
連れて来てくれるくらいだから、来た事があるんだと思っていた。明瞭もここから目と鼻の先にあるし、最寄駅までの通り道なのに。

でも野上さんは、
「初めて。」
と言った。

ウッソー!信じられない!と言うと、野上さんは、
「ココは西上ジャックされてたもん、いつも。」
と拗ねた顔を見せた。

この店はいつも西上高生が溢れていたから、明稜生の自分は入りにくかった、と野上さんは言う。
でもこの店の前は常に美味しそうな匂いがしていて、部活帰りの高校生の胃袋をダイレクトに刺激していたそうだ。

「この店は気にはなるんだけど、なんとなく明稜は来んな!っていう雰囲気がしてる。」
「ええ、もったいない!!ねえ、おいちゃん、聞いてた?」
「おう、聞いてた。お客さん、明稜の子だったんか。気にせんで良かったのに。
いやぁ、私立のお坊ちゃんはこんな小汚い店に入れるか!!って思ってると思ってたんだよ。悪い事したなぁ。」
あはは、とおいちゃんと2人で笑った。

「あれ?でも俺、君のこと見たことあるよ?あれっ?どこでだっけ?」
「ふふふ、ベアーズだよ、ベアーズ。」
なんかよくわからないけど、私の方がなんだか得意げに教えてしまう。

「あー!野上!あっ失礼、野上さん。野球選手さんだったか。
野球中継はよく見てるよ、まあ料理しながらのながら見だけれど。」
「セリーグだけどね。」
「違うわ!こないだのWBCは見てたわ。あんの、決勝のホームラン、凄かったなぁ。仕事しながらお客さんが見てたんだけど、急にウワーっと歓声が上がってな、つい揚げてたコロッケ落としちまったよ。」

おいちゃん、肝心のホームラン打つとこ見てなかった、って言ってる?

「ねえ、野上さん、サイン書きなよ。そうすれば、明稜の子達も入りやすくなるって。」
「あっ、それいいですね。野上さんお願いしても良いですか?でっかく額に入れさせて貰いますんで。」

「あはは、なんか照れますね。」
と謙遜を見せた野上さんだったけれど、おいちゃんがちゃっかりどこかから色紙とサインペンを取り出してくると、野上さんは慣れた様子でサラサラっとサインを書いてくれた。
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