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3日目

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3日目、イベント最終日。

今日も茹だる暑さで、とうとうアスファルトから陽炎が見え始める。
「今日はアイスコーヒーより、ビールとかコーラじゃない?」
「そうだねぇ、でもスッキリとオレンジジュースとかも良いかもね。」
そんな無駄話が出来る余裕が今日はあった。

あまりの暑さに客足は鈍目。一昨日昨日と比べても少ない。
連休の最終日はこんなもの、お店の方も少し控えめの満席だろうか。

「やっぱ、暑過ぎるとダメだなぁ。」
とため息混じりに溢すのは拓郎と昨日の男の子だ。

私達4人は背中をスポットクーラーの風に当てて喋っていた。時折りお客様対応に行ってまた戻ってくる感じ。
何故かうちの店も拓郎の店も人手が一人ずつ増えている状態。
昨日店長に理事会の方から人手を増やすようアドバイスされたそうだ。

「昨日はごめんな。迷惑をかけた。」
「…何が?何かあったの?」
「警察官。」

ああ、あれか。

「…恵美が不審者として通報されたらしい。」
「恵美さんが?」
「ああ、富永の爺ちゃんが見つけたらしい。」
「ああ、酒屋の。」

きしのにお酒を卸している富永酒店のお爺ちゃんは恵美さんの事をよく思っていない。
お爺ちゃんは一度だけ恵美さんをこっ酷く叱りつけたことがあるからだ。

その事を私は後から芳ニイから聞いた。
それは富永酒店で、新規に取り扱いを始めた日本酒の試飲会をした時の事だったそうだ。

夜、店のシャッターを半分だけ閉めて、お酒を配達するお店の関係者を呼んで、新しい日本酒を気前よく開けて。
もちろん呼ばれていた芳ニイは、たまたま通りかかった仕事帰りの拓郎を呼び止めた。

「おっ、拓!お前も飲むか?」
「飲む!!」

拓郎はそそくさと店に入り、富永の爺ちゃんから渡された試飲のお酒を一口飲んだ。

その時、やはり仕事帰りの恵美さんが拓郎を追いかけてやってきた。
「ねえ、車で送って。」
と縋る恵美さんに、当然拓郎はお酒を飲んだ事を理由に断るしかできなかった。

「一口だけでしょう?」
「それくらい大丈夫。」
「買って帰って残りは家で飲めばいい。」

拓郎がどんなに断っても、電車なら送ると言い含めても、芳ニイがどんなに宥めても、恵美さんは「送って!」と聞かなかった。
そのやり取りを横で聞いていた富永のお爺ちゃんが怒鳴り出すまでにそんなに時間は掛からなかった。
「飲酒運転を強要するなんて言語道断!!」
と。
恵美さんがそのまま引き下がれば良かったのに、
「関係ない人は黙ってて下さい。」
と恵美さんは言った。
それが富永のお爺ちゃんを更にエスカレートさせた。

「関係ない訳がないだろうがっ!!酒を出したのは俺だ、拓郎が飲酒運転して捕まれば、うちの店だってタダじゃ済まない!!やめてくれや!」
と更に喝が飛んだのだ。

富永のお爺ちゃんのあまりの剣幕に、芳ニイと拓郎はひたすらお爺ちゃんに謝り倒し、酷い!と泣き噦る恵美さんを引きずるように店を出るしかなかったらしい。

それ以来富永の爺ちゃんは恵美さんの事を嫌っている。
まっすぐな良い人だけど、少し頑固で短気。
そしてなにより商店街の理事長だ。
そして恵美さんも。

「いきなり通報?」
それは流石に酷すぎると思ったけれど違うらしい。
「いや、俺が見かけて母ちゃんに迎えに来てと頼んだんだ。母ちゃんも来てくれて説得はしたらしいけど。」

へえ、気付かなかった。

「牧野さん、ここにいると悪目立ちするからウチで拓郎を待たない?」
「いえ、ここにいます。」
「拓郎仕事中よ?」
「わかってます。」
「迷惑だって言ってるの。」
「ここに座っているだけです。拓郎は迷惑だなんて思ってません。」
「…拓郎に頼まれたの。」
「私はここに居ます。」

恵美さんにキッと睨みつけられておばさんは諦めたらしい。
恵美さんを下手に刺激すると、ただの誤解は本当になりかねない。

そのやり取りを見た富永のお爺ちゃんが警備の警察官に伝えたらしい。
何もないのに越した事はない、と警備の警察官が持ち場を少しだけ変えたそうだ。

「参ったよ、父ちゃんと母ちゃんは機嫌が悪くなるし。
俺、場所の事は話してないのに。でもここで海の日の連休でフェスやるのは知ってただろうし。
だから今日は絶対に来るなと約束させた。」
「拓郎が?」
意外、拓郎が恵美さんをどうこう出来るなんて。
「いや、店長。初めの出店で理事会と揉めたくないから…と頼んでくれた。」
と、バツが悪そうに拓郎は俯いた。

…そっか。そうだね、店長さんは知ってる。
従業員の恵美さんが、どうしてあのスポーツ店を辞める事になったのか、知らない筈はない。

恵美さんを不安にさせたのは拓郎があまり話さなかったからだと思う。話さなかったから勘が働いたんだ。
だって初めてのフェス出店だ。
どうだった?と聞かれて、適当にあしらったり口篭ったりしたのだろう。

「本当ごめんな。優希達は悪くないのに。」
「ううん。あっ、そうじゃなくて、大丈夫。気にしてなかったし。売り上げには影響は出てないし。」

そっかそれならよかった。
今日は実家でテント隊で打ち上げするから良かったら優希もおいでよ。
拓郎はそう言って、売り場の方へ戻って行った。

きしので打ち上げ…か。久しぶりに実家で飲めると拓郎はきっと浮かれてる。

祝日でデーゲームだった野上さんはその夜のうちにこっちへと戻ってくる。
だから野上さんのマンションで待つ約束をしてる。
明日、私達2人は揃って休みだから、きっと2人で昼過ぎまで死んだように眠るのだろう。
野上さんは九州3連戦の、私は屋外での売り子と睡眠時間3時間のツケ。

野上さんとはおそらく前半戦終了後まで会えない。そしてオールスターゲームに出場するから更にまた会えない。

だからこんなにクタクタでも会いに行くんだ。
だけどそんな事を拓郎には伝える必要はない。

野上さんがマンションに着くのは羽田に着く便の時間から察するに22時過ぎ。

…どうしようかな。少しなら行ける…かな。

拓郎が私を誘うのはいつぶりだろう。
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