約束の地

羽吹めいこ

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第三章 黒髪の傭兵

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次の日の朝。まだ昨日のことを引きずりつつも街の中を歩いていると、
 
「ん? あれ……」
 
イオンは壁に貼ってある一枚の紙を見つけた。近寄って、その内容を読む。
そこにはこんなことが書かれていた。
 
[緊急手配書 イオン・クラビーア  
 右記の者を見かけた者は、即刻グラシアード帝国開発当局まで連絡すべし]
 
「何これ……いつの間にこんなものが」
 
紙を眺めながら、呆然と呟く。 
グラシアード帝国は、今回の戦争で勝利した大国のことだ。恐らく、敗戦したバンザ皇国に属するイオンの死体だけがあの戦場の中で見つからなかったことに気付いたのだろう。
こんな紙が出回っている以上、なるべく目立つ行動は控えないと。そのためにはまずこの格好をどうにかする必要があった。
イオンは毛皮や布製品、衣類などを売っている店を見つけ、そこでフードの付いたカーキー色の外套を買った。加えて、店の主人に情報屋の場所を尋ねると、裏町東地区に腕利きの情報師がいると教えてくれた。
通りに出て早速その外套を羽織り、フードをかぶった。ひとまずはこれで大丈夫だろう。しかし、あまりこの街に長居はしていられない。終戦したとはいえ、グラシアード帝国と手を組んでいるこの街で、いつ捕まるとも限らない状況はまずかった。とにかく何かアルに関する情報を手に入れて、この街から出なければ。
イオンは、情報の売買を生業とする情報屋へ向かった。
 
 
イオンは入り組んだ街の中を歩きまわっていた。狭い路地には行き止まりも多く、建物も込み合っているため、なかなか情報屋を見つけることができなかった。主人の話だとこの辺りのはずなのだが、それらしき建物が見当たらない。
イオンが途方に暮れていると、道の向こう、戸口の前で話をしている手提げ袋を持った中年の女とエプロンを着た若い女二人の会話が聞こえてきた。
 
「ねぇ聞いた? 国境にある関所、襲撃されたらしいわよ」
「まぁ、物騒ねぇ。山賊か何か?」
「それが違うらしいのよ。なんでも、若い剣士が一人でやったって」
「へぇ、無謀なことをする人もいたものね。でも、捕まったんでしょ?」
「それが、まだ捕まってないみたい。捕らえようとした兵士を倒して逃げたんですって」
「あらまぁ、それは大変ね」
 
そんな世間話をする女達に、イオンは思わず近寄って話しかけてしまった。
 
「あの、その話もう少し詳しく教えてもらえませんか」
 
いきなり話に割り込んできたイオンに、女達は呆気にとられながらも言った。
 
「だから、ちょっと前に無理矢理国境を越えた剣士がいたっていう話よ」
「困った話よねぇ」
「はぁ」
 
イオンは頷いた。
 
「あの、それって、どこで聞いたんですか?」
 
すると、手提げ袋を持った女の方が入り組んだ道のさらに奥の方を指差して言った。
 
「この先の情報屋よ」
 
その言葉に、イオンは目を見開いた。
 
「この先に情報屋があるんですか?」
「ええ。入り口に紫の花が飾ってある家よ」
 
と、そこで手提げ袋の女がイオンの顔を見て怪訝そうな表情をした。
 
「あら? あなた……どこかで見たような気が……」
 
だがその言葉を遮って、
 
「あ、ありがとうございました」
 
軽くお辞儀をすると、イオンは足早にその場を去った。
 
 
 
手提げ袋の女が言った、紫の花が飾ってある家を探しながら歩いていると、不意に横から声を掛けられた。
 
「ちょっとお尋ねしたい。君がイオン・クラビーアかね?」
「えっ」
 
名前を呼ばれ、イオンは慌てて声のした方を向く。見るとその先には、何だか怪しげな黒ずくめの男女ら五人が、イオンを取り囲むようにして立っていた。
その中の、いかにもリーダー格の初老の男が一歩前に進み出ると、
 
「やはり、手配書の絵と同じだ。君を捜していたんだ。我々と一緒に来てもらえるかな?」
 
温厚そうな口調で言ってくる。しかし、その目は笑ってはいなかった。
明らかに不審なその男に、イオンは後ずさった。そのまま踵を返して逃げようとした。
しかし、それを遮るように、
 
「困るんだよ、君に逃げられてはね」
 
初老の男が言うや否や、イオンの前に黒ずくめの若い男女二人が立ちはだかり、あっさりと逃げ道を塞いでしまった。
逃げ場をなくしたイオンの腕を、若い男が掴む。
 
「ほら、一緒に来るんだ」
「や、離して……!」
 
イオンがその手を振り解こうとした、その時――
 
「おいおい、いい年した大人が寄ってたかって何してんだよ。その子嫌がってるじゃねぇか」
 
背後で聞き覚えのある声が響いた。
 
「え」
 
一同が声のした方を見ると、そこには黒髪の青年が一人、腕組みをして立っていた。
 
「……何だね、君は」
 
初老の男が眉をひそめた。
 
「これは、我々とこの娘の問題だ。よそ者の君には関係ない。邪魔しないでもらおうか」
 
しかし、青年は男のことなどまるで無視し、傲然と言い放った。
 
「いいから、その子の手を離せよ。さもないと……」
 
青年が、腰に差していた剣を鞘から引き抜いた。
 
「ほう、我々とやり合おうと言うのか? 言っておくが、我々は強いぞ。君一人で太刀打ちできるかどうか」
 
しかし、初老の男が言い終わる前に、青年が動いた。
――次の瞬間。
イオンの腕を掴んでいた男を始め、残りの三人がばたばたと倒れていった。
 
「で? あんたはどうすんだ?」
 
青年が、残った初老の男の首筋に剣を添えた。
 
「くっ」
 
男が呻いた。それほどまでに青年の強さは圧倒的だった。
 
「貴様……一体何者だ」
 
男の問いに、青年はフッと笑うと、
 
「俺はジン・フィズ。ただの傭兵だよ」
 
「……そうか」
 
それから男は、何気ない仕草で剣を退かす。
 
「なっ」
「仕方ない、今日の所はいったん引くとしようか。だがお前、我々に刃向かったこと必ず後悔することになるぞ。特に、その女をかばったことについてはな」
 
それだけ言い残すと、早々に立ち去って行った。
 
「けっ、誰が後悔なんかするかってーの」
 
ジンはそう吐き捨てると、こちらに振り返った。
 
「大丈夫だったか?」
 
心配そうにイオンの顔を覗き込んでくる。
ジンと名乗った青年は、猫のような黄色い目をしていた。
 
「う、うん。ありがとう、助けてくれて」
 
イオンは正直驚いていた。あの家とともに焼け死んでしまったと思っていたから。
だが、彼はまるで何事もなかったかのように頭を掻きながら答えた。
 
「別にー。俺は当然のことをしたまでだし」
 
その時、倒れていた黒ずくめの四人のうちの一人が、ぴくぴくと動き出した。
それに気づいたジンがイオンの手を取る。
 
「とりあえず場所変えよう。話はそれからってことで」
「う、うん」
 
そして、二人はすぐさまその場を離れたのだった。
 
 
 
酒場。
二人は一番奥の席に着いた。ジンがウェイターに飲み物を二つ頼むと、イオンはおもむろに口を開いた。
 
「まだ自己紹介してませんでしたね。私はイオン・クラビーアです。あの、火事の家でお会いした方ですよね?」
「そうだけど?」
「良かった、無事だったんですね」
 
イオンは安堵の息をついた。
 
「私たちが脱出した直後に家が焼け崩れてしまったから、もう駄目かと思ってて。あの後どうしたんですか?」
「ん? ああ、さすがにこのままじゃまずいと思ってな。で、その時腰に差してあった剣のことを思い出して、それで天井を切り裂いて脱出したんだ。まぁ、その衝撃で家は崩れちまったけどな」
「はぁ」
 
何だか信じがたい話ではあったが、当の本人が目の前で言っているのだから事実なのかもしれない。
そんな話をしていると、ウェイターが飲み物を運んで来た。
 
「蜜酒でございます」
 
テーブルに置かれる蜜酒。ウェイターが去り、それを一口すすると、今度はジンが聞いてきた。
 
「ってか、それよりも何であんな奴らに囲まれてたんだ? 何かしたのか、イオン」
「それが、私にもよく分からなくて」
 
イオンは、これまでにあったことを話した。
 
 
 
「へぇ、じゃああんたはそのアルとかいう奴を捜してるって訳か」
「でも、彼の情報はほとんどなくて……だから、せめて人がたくさん集まる街ならと思ったんですけど……」
 
イオンはため息をついた。まだこの街に入ってから、彼の手がかりは何一つ見つけていなかった。それどころか、怪しげな集団には襲われるし、滅茶苦茶強い黒猫のような傭兵は現れるしで、何が何だか分からなかった。
 
「何か、彼について知っていることありませんか?」
「うーん、そうだなぁ……」
 
ジンは腕を組んだまま首を傾げている。
 
「俺、あんましそういう人の動きとかに詳しくないんだよな。誰がどうしたとか覚えるの面倒だしさぁ」
「なっ」
 
ジンの軽薄な物言いに、イオンは心底呆れ返った。こんなに適当な性格で傭兵が勤まるのだろうか。
 
「まぁ、あれだ。とりあえず俺と一緒にいれば大丈夫だから。その内、そのアルとかいう奴の情報も入ってくるかもしれないし」
 
あまりにいい加減な発言に、イオンは白い目を向けた。
 
「もっと、信頼できる人かと思っていましたけど、もういいです。他で捜しますから」
 
イオンは席を立った。飲み物のお代だけ置いて、出入り口に向かった。
 
「あ、ちょっと」
 
彼の引き止める声を無視し、イオンはその場を後にした。
 
 
 
無駄な時間を費やしてしまった。早くアルを捜さないといけないのに。こうしている間にも、彼はどこかで危険な目に遭っているかもしれないのに。岩間の老人は、負傷した剣士に会ったと言った。もし、それがアルだったとしたら。
イオンははやる心を抑え、街の中を歩き回った。
何か。何でもいい。彼に関する情報はないの……?
と、そこで脳裏に浮かぶものがあった。それは、あの時世間話をしていた三人の女性の会話。
 
「確か、国境の関所が一人の若い剣士に襲撃されたって言ってた」
 
まさかアルなのだろうか。しかし、温厚な彼がそんなことをするとは思えない。きっと人違いだろう。
イオンがそんなことを考えていると、背後から叫び声が聞こえてきた。
 
「いたわ! あの子よ、役人さん! あのカーキー色の外套を着た子が、手配書に載っていたイオン・クラビーアよ」
 
振り返ると、裏町で世間話をしていた女性二人が、その隣にいた苔色の軍服を着た役人に、こちらを指差しながら告げ知らせている。それを聞いた役人が、こちらを睨むと、いきなり凄い勢いで走ってきた。
 
「え、うそ……ちょっと」
 
イオンは後ずさりし、それから向きを変えると、駆け出した。
まずい。イオンは走りながらそう思った。今ここで捕まってしまえば、彼を捜すことができなくなってしまう。何とか逃げ切らないと。
 
「待てー!」
 
後ろからは依然として役人が追いかけてきている。
その状況に、イオンは顔をしかめた。
どうする? いずれにしてももうこの街には留まっていられない。彼に関する確かな情報がない今、唯一の手がかりは国境の関所を若い剣士が襲撃したという噂話だけ。しかし、それでも行ってみるしかないと思った。たとえそれが人違いだったとしても、また新たな道は開けるだろう。
考えを巡らせながら走っていると、イオンの目の前に街の物資搬入口である門が見えてきた。ちょうど荷物を積んだ馬車が、門から入ってきているところだった。
 
「よし、あの隙間を通り抜ければ……」
 
イオンは荷馬車の脇を通り、閉まりつつある門を素早く走り抜けた。
 
「ちょっと、そこを開けて!。門の向こうには手配書の……」
 
だが、役人の声は門の閉まる重低音に消え、そのまま聞こえなくなった。
少し行った所で振り返り、もう役人が追いかけてこないことを確認すると、イオンは走る速度を緩め、そして立ち止まって息を整えた。
 
「ふぅ。よかった、さすがに一度閉まった門はそう簡単には開けないみたい」
 
それからイオンは真っすぐ延びる道の向こう、マイリス山脈に目を向けた。
 
「あの山脈の麓に関所がある」
 
そこへ行けば何か分かるかもしれないと、気持ちを新たに、イオンはマイリス山脈の麓の関所に向かって歩き出した。
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