🇺🇦Ukraina War 実話が基になったストーリー 〜マリウポリの一人の医者になって〜

アリョーナ

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マリウポリ

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ヴィクトル
「コルニエンコ君!早く起きるんだ。どうしてもと言うなら、モーニングティーの時間くらいは取る。自分で淹れるならだがね」

院長の声に、ぼくの眠りは妨げられた。もっとも、数時間前にこの街を襲った砲撃の音よりは、よほどマシな目覚めだ。

「早くしてくれ。私も何度も起こしに来られるほどヒマじゃないんだ。聞いているのかね」

ディマ
「りょ、了解……であります!」ぼくはベッドから飛び起きた。

院長がニヤリと笑う。ヴィクトル・ドゥムコ。彼はかつて凄腕の軍医として知られた男だ。街に戦火が迫る中で、彼は各病棟の責任者を集め、会議を開こうとしていた。

とはいえ、いざ侵略が始まったと言われても、実感は全く湧いてこない。いつまでも膠着状態が続くはずではなかったのか?

2014年以来、この街の人々は砲撃音には慣れっこになっていた。戦争が始まって何年かした頃には、以前の喧騒も戻っていたのだ。

ソ連が崩壊して、この街の景観は大きく変化した。以前は無骨な港湾都市だったが、今では見違えるようだ。過去にぼくが学会出席のため訪れた、ヨーロッパの諸都市と同じような趣のある街並みとなっている。

そんなヨーロッパ風になった我が街がロシア軍による砲撃を受けたのは、2月24日の早朝のことだった。

最初の爆発を聞いたのは、朝の4時を少し回った頃だ。同居人のアーニャとぼくは慌てて飛び起きると、大急ぎで身支度を済ませ、車で病院へと向かった。

ぼくはこの病院の外科部長で、アーニャは助手だ。仮に侵略が始まったというのが間違いであったとしても、街で爆発が起きたとなれば、すぐに怪我人が大勢運び込まれてくるに違いない。

ヴィクトル
「おそらく数日もすればこの街のインフラは完全にダウンする。暖房も水道も使えなくなるだろう。今のうちに必需品をストックしておくんだ。ガーゼに薬、それに病床も追加だ」

「畜生、よりにもよってこのタイミングで戦争か。うちは例のウイルスだけでも手一杯なんだぞ」

「どうせどの店もすぐに店じまいだ。訪問診療にも行けなくなる。必要な物は今日のうちに全て仕入れておいてくれ。頼むぞ」

物流管理のオレフが頷く。

数字が関わることについて、院内でこの小太りのギリシャ男の右に出るものはいなかった。

「それともう1つ、連中は病院だろうと平然と攻撃してくるはずだ。14年のドンバスでの先例がある。よって、2階より上は立ち入り禁止だ。設備は1階に移動、建物の補強も忘れるな」

ドンバス:ウクライナの東南部に位置する地方。

「それと……病棟長各位」

ぼくたちは一斉に顔を上げた。

「この戦争が終わるまでは、私の指示に全面的に従ってくれ。自分に割り当てられた職務を必ずこなすんだ。トリアージも行うことになる。もう一度規則に目を通しておいてくれ」

トリアージ:多くの病人・怪我人が居る状況において優先治療される人を選別すること。

ヴィクトルには迷いがなかった。彼はアンゴラ帰りの元軍医、すなわちソ連軍の将校だ。

対して、会議室から出たぼくは、何をすれば良いかまだ分からずにいた。

廊下に出ると、アーニャがすぐそこにいて、ぼくに声をかけてきた

「院長はどういう話をしていたの?」

院長からの指示は、簡潔ながら多岐にわたっていた。

しかし、ぼくにできることは何だろうか?

ぼくは病棟の職員たちを集めると、ヴィクトルからの指示を伝達した。

限られた時間を効果的に使うには、1つのことに注力するのがいちばん良い。ぼくは職員たちに、建物の補強を行うよう指示した。

上階の設備を1階に移し、郷土防衛隊から譲り受けた土のうで窓という窓を補強すると、途端に安心感が湧いてきた。 

こんなものがどれほど役に立つのかは分からない。だが、少なくとも、これが時間の無駄だったと思った者は、誰もいなかったに違いない。

それでも、他に何かできることがなかったかという不安は尽きなかった。いつ終わるとも知れない戦争の初日。信じられるものは何もなかった。

だが、この先どれほど恐ろしい事態になるか、この時のぼくは知りもしなかったのだ。

オレフ
「コルニエンコ先生。ちょっといいですか?」

オレフの丸顔が中を覗き込む。

ディマ
「待って!待ってくれ!」ぼくは叫び返した。

「今は手が離せない!」

手順はほぼ終わっていたのだが、ぼくは集中していたのだ。粉砕骨折した肩から何時間もかけて骨片を取り出したのに、縫合で失敗したら台無しだ。

2月24日以来、一時間毎に何十人もの負傷者が押しかけていた。ここ数日間だけでも、過去10年間全て合わせても足りないほどの数の患者を診ている。

爆風による脳震とうや、榴弾による負傷を負った者。手足を失った者。ひと針ひと針が神経をすり減らすような重度の裂傷を負った者。

今日の午後に連れてこられた女性は、肩から鎖骨にかけての骨が完全に砕けてしまっていた。

外はもう夕方になっていたが、ぼくたちは手術の成功に沸き返った。女性は一命を取り留めただけでなく、腕も切断せずに済んだのだ。

アーニャの度胸には感謝しなくちゃならない。普段は虫さえ嫌がるというのに、血を見ても並の男よりよほど落ち着いていた。

物流管理担当のオレフが手術室の外でぼくを待っていた。

オレフは1人の男の子をあやしていた。男の子は顔を真っ赤にして泣きじゃくっている。そんな子供を抱きしめるオレフの姿は、まるで実の祖父のようだった。

ディマ
「どうしたんですか、その子は?お父さんお母さんは?」

オレフ
「この子はダーニャ。どうやら怪我をしているらしい。少し診てもらえないか?」

「それはかかりつけ医の仕事でしょう。ぼくだって忙しいんですよ」……などと言おうとしたその時、オレフが近づいてこうささやいた。

「この子の父親に頼まれたんだ。父親は出血がひどくて、駐車場で亡くなった。お願いだ、ドクター。他の医師には断られてしまった」

男の子はひとことふたこと、途切れ途切れにしか話せなかった。

彼の名前はダーニャで、正しくは「ダニーロ」ということ。

昨年の8月に6歳になったこと。

母親は会計士で、父親は軍人ということ。

そしてその日、少年の家に何か小さなものが飛んできたこと。

ダーニャ
「おっきな音がして、耳がキーンってなったの」

「ぼくとパパでママを探したけど、家のどこにもいなくて」

「煙がいっぱいで、あと、赤くなってた」

ぼくは息を飲み込んだ。

それから、家の天井が崩れ始めたので、父親と一緒に脱出した……ここに来たのは、そういう経緯らしい。

その時に崩れた天井の一部が落ちてダーニャへと当たったようで、脇腹の辺りが今も痛むのだそうだ。

見てみると、それは何ということもないただの大きなあざだとわかり、ぼくはほっとした。骨折もなく、内出血もない。

ディマ
「ダーニャくん。悪い知らせだけど、これからしばらくは、寝る時に怪我したほうを下にしてはいけないよ。でも、良い知らせは......」

ぼくは思わず口をつぐんだ

この子の怪我はじきに治る。ただ、子供に言えるような良い知らせは、「このくらいで済んでよかった」ということくらいしかなかった。
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