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後編

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 えっ? ゲオルク殿下、いま何とおっしゃったの?
 好きをアピール? え??

 聞こえた言葉に当惑し、意味を反芻しているわたくしに、ゲオルク殿下が更に驚くべきご発言をされました。

「兄上はマルテ嬢を理由に、卒業パーティーで貴女あなたとの婚約破棄を発表されるおつもりです」

「え!? 婚約破棄?」

 淑女にあるまじき大きな声を上げてしまい、思わず口元を隠しましたものの。

(わたくしとヴィラント殿下の関係は、そこまでこじれてはいなかったはず)

 思いがけない単語に、わたくしは完全に戸惑ってしまいました。
 被せるように、ゲオルク殿下が言を足されます。

「そして、その結果起こった混乱で、廃太子どころか王籍剥奪までせきう想定をされています。つまり兄上は自ら城を出るよう、いま動かれているのです」

「なっ……」

「なので、俺はそれを阻止し、兄上をお引き留めしたい」

(ま……待って。いろいろと理解が追いつきませんわ)

 思っていた方向と、何か違うような?

 呆然と固まるわたくしに、ゲオルク殿下は言い募ります。

「兄上はアデリナ嬢や俺に甘いですから、全力ですがれば、ほだされて思い直してくださるかもしれません」

 いつの間にか握りこぶしまで作って、ゲオルク殿下が熱弁中ですが。

 わたくしは口のに出すのもはばられることを、確認せずにはいられませんでした。

「殿下……あの……。今回のお話、ゲオルク殿下ご自身が王太子になられたい、ということではなかったのですか?」

「俺が? とんでもない! 俺は幼い頃、兄上に救われて以来、兄上に尽くすと心に誓ったのです。これまで研鑽を積んできたのも、ひとえに兄上のお力になるため。なのに兄上に出奔されてしまっては、俺の努力は無意味です」

「無意味、ということはないはずですが……。その、ゲオルク殿下? ヴィラント殿下が婚約破棄を宣言されて、王家を出ようとされている、というのは、確証のあるお話なのでしょうか? ヴィラント殿下はなぜそんなことを?」
 
 あまりに突拍子のない事柄です。うかつに妄信するわけにはまいりません。

 わたくしの疑問に、ゲオルク殿下は頷かれました。

「たった一度だけのことですが、俺が5歳の頃、兄上がお話し下さったことがあります。この世界には"悪役令嬢"がいて、兄上は18の時に"ざまぁ"されて城を出ることになるのだと。兄上は"それが原作だから"とおっしゃっていました」

 ゲオルク殿下が5歳の時と言えば、ヴィラント殿下は7歳です。

(そんな頃に、そんな会話を?)

 信じられない思いに包まれながら、わたくしはゲオルク殿下のお話に聞き入ります。

「どういう意味かわからぬまま、"兄上がいなくなるなんて嫌だ"と大泣きしたので覚えていたのです。そして今回、理解しました。兄上はきっと、この未来を予言をされていたのだと思います」

 つまり、悪の令嬢が"マルテ嬢"で、"ざまぁ"とは"魅了"。
 "原作"は、"さだめ"や"運命"を意味するのではないかと。

「兄上は以前より王位を避けようとしているフシがありました。敢えてマルテ嬢の"魅了"に乗っかり、"原作"とやらにそって、城を出てしまおうと目論まれている。俺はそう感じています」

 そしてゲオルク殿下が探った情報によると。

 もし平民として生きることになっても、ヴィラント殿下は偽名で商団を隠し持っておられるそうです。
 彼が十分に生きていけるだけの備えをしていることに気付いたのは最近。
 けれど、それこそヴィラント殿下が未来さきを見越し、何年もかけて準備していた証左だろうと、ゲオルク殿下はおっしゃいました。そのうえで。

 兄に去られたくない。
 必死に頼めば、未来ゲンサクを捻じ曲げて残ってくれるかもしれない。
 "魅了・・"を覆すほどの・・・・・・"好き・・"をぶつければ・・・・・・、あるいは。

 そのために自分だけでなく、同じく兄のことが好きなアデリナ嬢の力を貸して欲しい。


 そうお願いされました。

 なんということでしょう。
 ゲオルク殿下のお話は、わたくしの予想をはるかに超えたものでした。

 そして、ゲオルク殿下は以前同様、兄大好きっ子でした。
 ちょっと、重くて心配になるくらいに。

 あっ、いえ、微笑ましく喜ばしいことと思いますが。

「かの男爵令嬢は奔放で自由だと聞きます。おそらく何度も、愛の言葉を兄上に捧げていることでしょう。俺たちは自分を抑えすぎていると思うのです。もちろん王族や貴族として場を見る必要はありますが、私的空間プライベートがないわけではない。兄上には、もっと素直な気持ちをお伝えすべきです」

「──ヴィラント殿下は、平民となってマルテ嬢と生きたいと思っておられるのでは……?」

 心にかかる懸念を震える思いでつぶやくと、ゲオルク殿下によって即座に否定されました。

「まさか。彼女が兄上の地位と財力だけが目当てなのは、兄上だってご存じです。相手が何を求めているか見抜けないで、王族は務まりません。兄上が平民になりでもしたら、互いにすぐ離れるでしょう。それに彼女は、兄上の好みではありません」

 ゲオルク殿下はいたずらっ子のような表情をのぞかせ、年相応にニコリと微笑まれました。

「兄上のお好みは、白銀の髪に、陽葉のような明るいみどりの瞳。アデリナ嬢、貴女あなたです」

(────!!)

「なのに貴女あなたを残して俺に任せようとするんだから、本当に意味がわかりません。"アデリナ嬢に対し、無責任なことをしてしまう。後を頼む"。酔った席で、そう声を絞り出されてもね」

 困ったように首をふって、ゲオルク殿下はおっしゃいました。

「俺に協力してくださいますね? 義姉上・・・

(うっ。駄目NOと言わさせない使いどころですわ)

「……先ほどおっしゃられていた、"大好きアピール"のことですか?」

「言葉にしないと伝わらないことはたくさんあります。それは単純で明快で当然のことなのに、不思議と忘れがちになるのが日常です。身近にいて、気心が知れた相手ほど、その傾向にあります。俺、もうずっと兄上に"大好き"だとお伝えしてなかったんですよ」

 すっかり16歳の仕草に戻られたゲオルク殿下が、反省するように肩をすくめられました。


(そう……。わたくしだってこの気持ちを、お伝えしたことはなかったわ)


 大好きだと申し上げたら、ヴィラント殿下はどんなお顔をされるかしら。
 政略結婚とはいえ、わたくしがずっと殿下だけを想っていることをお伝えしたら。


 渡る風が緑葉を揺らし、眺める庭園が一層眩しくて、わたくしは目を細めました。
 ゲオルク殿下に招かれたお茶会は、後味の良い香りを残して幕を閉じ、わたくしは殿下と手を結ぶお約束をしました。


 ◇


 かくして、その後。

『大好きだから、そばにいて作戦』(ゲオルク殿下命名)のもと、わたくしとゲオルク殿下の好き好き攻撃が開始されました。
 標的ターゲットはもちろんヴィラント殿下です。

 殿下にお会いするたびに、わたくしたちはいかに殿下のことが大好きか、競うようにお伝えしました。
 淑女として恥じらうところはあったものの、気持ちのままに素直な"好き"を囁くのは心地良く。
 驚きつつもやわらぐヴィラント殿下を感じるのが、とても嬉しく。 

 そうして。

 やがてヴィラント殿下は桃色髪のマルテ嬢をかまわなくなり、卒業パーティーが滞りなく終了した後も、殿下はわたくしたちのそばにいてくださいました。

 結婚指輪をはめた手を互いに絡めて。
 王と王妃として並び立ち、国を守る今日こんにちも。
 きっと明日も、明後日も。

 ヴィラント陛下・・のとなりで、わたくしは"好き"を伝え続けるのでした。



 追記。
 ゲオルク王弟殿下との"協定"は依然続いておりますが、義弟君おとうとぎみには他にも"好き"を届けるお相手が出来たようです。
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