蝶の羽ばたきと魔王さま!

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終わりは始まりのように

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真実とは誰かの作り出した幻想の物語にしか過ぎない。
必ずしも真実が本当のことを言っているとは限らないのだ。

とは言え真実とは虚飾された事実の詰め合わせだ。
虚飾を払い落とし真実のなかに散りばめられた物語の欠片をひとつひとつ拾い集めたときにこそ。
語られることなく葬りさられた事実が白日の下に浮かび上がるのである。


かつてこの地は魔王なる者によって流布された疫災に苦しめられていた。

病による死傷者を始めに出したクロイツ王国から国境を接する近隣の国々

《軍事国家アルビニオン帝国》《商業国家ソルフ》《移動交易都市イェク》《海運国家エスパーニャ》《神秘傾倒国家セノーテ》などに飛び火した病は火が枯れ草に回るより早く広まり甚大な被害をもたらした。

後にこの病は《魔枯病》と称せられた。

魔枯病。その名から分かるようにこの地の人々に大なり小なり肉体に宿るとされる魔力が失われていくのがこの病の特徴であった。

この奇病は魔力が枯渇すると生命力を奪いさるものであるらしく、病を患った者は魔力量の有無により長短はあれど生き長らえた者はいないとされた。

各国で多くの医師や医学者らにより魔枯病の原因究明が急がれた。だが確たる原因となりうるものはなかった。

街では感染を恐れ病に掛かった者らの遺骸が無造作に集められあちこちでは燃やされる黒々とした煙が見られ、家々の戸口には荼毘に付されるのを待つ白木作りの棺桶が積み重ねられる有り様だった。

たったひとつの病によって終末の如き様相をなす最中のことだ。
魔枯病の死傷者を最初に出したクロイツ王国では魔枯病は魔族により我等人間を滅ぼさんがために流布されたものであると王直々の詔が発布される。

魔族とはこの地に多く見られる亜人種のひとつで人間などの他種族よりも魔力量が遥かに多く長命である種族だ。

長命であるが故か魔族は穏和だが他に長命で知られるエルフと同様子供に恵まれにくい体質である。
このことから同族間の連帯性は他種族のそれより遥かに強靭であり抜きん出て優れていた魔力の操作技術から高水準な社会形態を築いていた。

しかしながら総体的な種族数の少なさから自然と閉鎖的なところのあった魔族は当初クロイツ王国で発布された詔自体を知らずにいた。

だが人々はクロイツ王国よって出されたこの詔を持って魔族の迫害を始めたことから魔族達は己らが置かれた状況に戸惑うことになる。

元来穏和で争い事を避ける彼等魔族もこのときばかりは声を荒げた。
クロイツ王国の詔を根拠がなにひとつとないものであり一方的に自分達を名指することで魔枯病の対応策を取るでもなく自国から諸国に蔓延させたことに対する非難を反らす為の流言なりと激しく反論した。

だがクロイツ王国の国を挙げての魔族に対する迫害は日に日に増していき。
とある年老いた魔族の老人を捕らまえ魔枯病は我らが散じたものなりと公衆の面前で力づくに証言させなぶり殺しにしたことによってついに人間と魔族との間で長きに渡る戦争の火蓋が切って落とされる。

後にその戦いは当時のクロイツ王国の国王たる者が詔は世界征服を謀らんとする魔族を滅ぼさんと神界におわされる神々から我等にもたらされた啓示であったという言葉から《神魔大戦》と名づくものなり。

戦いは当初こそ魔族側が数の差を越えてなお有利ではあったがクロイツ王国を中心に病が流布した各国で作られた連合側が次第に優位となりやがて西の辺境に魔族達は追いやられ劣勢に追い込まれるに至る。

この時点から人間側の目的は魔枯病から自分達人間より遥かに優れた魔力操作技術を持った魔族の領土を侵略し、彼等の操作技術を己がものにせんとすることに主軸が移る。

その為に数多の魔族が捕らえられ筆舌に尽くしがたい拷問の末に死んでいったと言われている。

魔族側の国家元首であった魔王はこのままでは種族そのものが絶えると見なし和平の道を探る。
しかし連合国に再三に渡り使者を遣わすも使者らが無惨に殺されるのを見るに至る。

使者らの遺骸はいずれも酷い拷問を受けたと思われる形跡が残っていたという。

これにより魔王は最早種族が生き残るには戦うしかないと連合国に総攻撃を仕掛けるも密かに西の辺境で機を窺っていたクロイツ王国から遣わされた神託を授かったという勇者ディアマントにより三日三晩戦い続けることになる。

長く続くかと思われた勇者と魔王の戦い。
だが魔王はついに四日目にしてその首を勇者に明け渡すことになる。

勇者は神より与えられた力を用いて魔族により呪われた地となった魔族が追いやられた辺境の地を大陸から引き離し更なる西の果てにと封印した。

クロイツ王国は魔王を討ち滅ぼした勇者を光もたらせし者と称賛し次代王に勇者を据えると国名をゼーゲン・クロイツ王国と改め。

以来ゼーゲン・クロイツ王国は光がもたらされた始まりの国と謡われるようになったとされている。

《――――なにも!なにも俺は知らずにいたんだ!!》

自分が手にしたこの剣が愛しい君を殺すため用意されたものであったことも。

あれほどまでに人々から憎めと言われていた筈の仇敵たる魔王こそが君であったことも。
なにも。
なにもかも!
愚かなことに俺は知らずにいたんだ。
ひたひたと腕に抱いた彼女の身体から滲み出る血に浸りながら彼は魂が破れてしまうほどの深い悲しみと憎悪に慟哭する。

《俺はただ君と二人で共に生きて生きたかった!それだけだった!それしか望んでなどいなかったのだ!!だのに何故だ!何故俺はこの手で彼女を!!》

ベルンシュタインを殺してしまったんだ!?

《――――答えてくれベルンシュタイン!罵っても良い!この愚か者を蔑んでも良い!だから!だから!!もう一度目を開けてくれ!俺にあの日のように笑いかけてくれ!!》

荒れ果てた孤城のなか愛おしいと触れる手の動きでさえ分かるほどに。
腕に抱いた彼女を優しく撫でながらほとほとと頬に伝う幾つもの涙はやがて赤い血の涙に変わり。

美しかった青い眸をほの暗い憎悪に濁らせながら彼は狂ったように笑う。

《――――憎い!彼女という犠牲がありながら安穏と生きるこの世の生きとし生ける全てが憎悪い!!》

真実このとき彼は狂ってしまったのかもしれない。
愛するものを自らが殺したという事実の重みに押し潰され狂ってしまったのだ。

《――――だがなによりも俺は俺を赦さない!!この身が八つに砕かれ形なき魂だけとなり冥府魔道に堕ちようとも!!彼女を殺した全てをこの手で葬りさるその日まで!!赦すものか!赦してたまるものか!!!》

我が名はディアマント・ユーヴェレン・フォン・クローネ。
始まりの国ゼーゲン・クロイツ王国建国王にして魔王なりし者を討伐せし《狂乱の勇者》なりしや。

そしてディアマントは彼女を刺し貫いた短剣を振りかぶり自身の胸に突き刺し、血を吐きながらこの世すべてを呪ったのだ。

《――――私は呪う!この世の全てを!!短剣よ我が血肉を喰らい魔剣となりてこの国に!この世界に!!大いなる災いをもたらすがいい!!》



見知った誰かの胸を裂くような悲痛な叫びを聞いたような気がしてベルンシュタインは飛び起きる。
未だ未明の宵のうち。
窓から見た空にはまだ星々が煌めくほど夜の帳は深く垂れ込めている。

上手く動かない左手を不思議に思って視線を巡らせたベルンシュタインは思わず胸を詰まらせた。

「ずっとこうして起きていたのグラナート。」

ベルンシュタインの左手を両手で包み額に当て俯いていた彼がゆっくりと顔を上げ彼女を見詰める。

「ベル。」

グラナートは声を震わせ確かめるように彼女の名前を紡ぎ顔を歪めた。

「まったくなんて顔をしているの。」

ベルンシュタインはせっかくの美大夫ぶりが台無しよと笑いながらほどかれた左手でグラナートの頬を優しく撫でる。

「不思議ね。」

少し寝ていただけなのにもう何年も貴方に会えていなかったみたいに感じるの。
頬を撫でる手が夢ではないことを実感するようにグラナートは手を重ねると微かに潤む朱色の瞳を揺らがせベルンシュタインの顔に両腕をついた。

「片時でも目を放せば貴女が居なくなるような気がして怖かった。」

「私は消えたりしないよグラナート。」

覆い被さることで帳のように流れる黒く染め上げた絹糸のような髪の合間から覗くのは苦い後悔を滲ませた顏。

「どうか貴女だけは。貴女だけは私を置いて居なくならないでくれ。」

近づいた距離に間近に覗き込む篝火のように美しく複雑に揺らめく瞳は彼女を失うことを恐れ怯えていた。

「怯えているの?」

「ユーヴェレン・フォン・シュヴァルツの魔王と呼ばれようとも私は所詮ただの人間ということさ。」

たった一人の愛しい人をこの手で守り通すことさえ出来なかったのだからな。
ましてやみすみす呪いにかけられるのを防ぐことさえ叶わなかったのだ。

指を軋ませながら手を握り締め自嘲するように笑うグラナートにベルンシュタインは彼の額を指で弾く。

「ベル?」

「馬鹿ね。」

私は貴方が人が恐れるような《魔王》なんかじゃないことぐらいとっくの昔に知っていたわ。

「私にとってグラナートは誰よりも優しくて悲しいぐらいに強い。それでいて少し泣き虫な可愛い男の子のままなのよ。」

目を丸くし弾かれた額を指で撫でグラナートは小さく吹き出し強張りを解くように肩を震わせた。

「世界広しと言えどこの私を捕まえて可愛い男の子と呼ぶのは貴女ぐらいだろうな。」

普段なら笑うことないじゃないのとふくれてしまうところなのだけれど。
ベルンシュタインは漸く笑ってくれたわねとグラナートに微笑んだ。

「貴方は何時でも自信満々に笑っている顔の方が似合うわよグラナート。」

「ベル。」

行かないでくれ何処にも。
貴女の居ない世界に私は意味など見いだせはしないのだ。

「貴方を一人置きざりにして何処にも行ったりしないわ。」

だからもう怖がらないでグラナート。

「私は何時だってこうして貴方の側に居るわ。」

紡いだのは彼女が自分自身に誓った遠い約束。
額をあわせ互いの頬に手を添えあいながら二人はどちらともなく顔を近づけあう。

「お取り込み中に悪いんだがな?」

けれども部屋の入り口で咳払いを落としながら話があると魔術学教師ゴーテルを連れて入ってきたヴォルフガングにグラナートは強かに舌打ちを溢した。

改めて自己紹介と行こうかとヴォルフガングはベルンシュタインに手を差し出した。

「こうして顔を会わせるのは初めてだなベルンシュタイン嬢。」

一度めはそれどころじゃなかったしな。
俺はゼーゲン・クロイツ王国騎士団が団長ヴォルフガング・ユーヴェレン・フォン・クローネだ。

「もっとも今はそこのユーヴェレン・フォン・シュヴァルツの魔王様の子分って言った方がいいのかもしれないけれどな!」

「伯父上殿を子分にした覚えは私にはないのだが。」

そう言ってヴォルフガングは短く刈り上げられた灰色に近い銀の髪を掻き上げた。
山あいから流れる雪解けの水に良く似た獣のように鋭い薄青の瞳を微かに細めてベルンシュタインに笑うヴォルフガング。

どこか人懐っこい人好きのするその笑みはヴォルフガングの額から左頬に横切る傷跡がもたらす厳めしい印象を緩るめていた。

「改めてヴォルフガング王弟殿下におかれましては父から良くお話をお聞きしておりました。」

「シュヴァルツ嬢の父というと《血塗れ将軍》アハート・ユーヴェレン・フォン・シュヴァルツ辺境伯か。」

確かに面差しが良く似ていると笑うヴォルフガングに親子ですからねとベルンシュタインは笑う。

「さてヴォルフガングのお次はご存じの通りブルーメ学園魔術科講師のゴーテルさ!」

これでも腕利きの宮廷魔術師の一人なのだよ。
魅力的な体のラインに沿った黒の布地に繊細な刺繍が施されたドレスローブを翻すと背丈ほどの螺旋を描き絡み付く蛇が装飾された杖を手にゴーテルは笑う。

「ヴォルフガングとは宮廷魔術師として従軍する関係から知り合ってね。」

「腐れ縁みたいなもんだと思ってくれたら良いぜ。」

さて私としては二人に是非そのまま続きをして貰いたかったのだけれどね。

耳元で囁かれた言葉に赤くなるベルンシュタインだったがゴーテルにだが君のソレは早めに処置を施さないと命が危ぶまれる代物でねと続けられたことで居ずまいを直す。

ゴーテルはベルンシュタインの胸を指先で撫でながら嘆息を溢す。

「私に見せて貰っても構わないかな。」

「はい。」

ボタンを幾つか外し露になったのはディアマントにつけられた薔薇を囲む黒い棘に似た呪刻の印。

つけられた当初こそ痛みがあったそれは今は不思議なほどなんの痛みもなく彼女の胸に収まっていた。

「間違いない魔枯病だ。」

「魔枯病?」

かつて神魔大戦という魔族と人間が繰り広げ勇者によって終止符が打たれた戦いは知っているかしら?

「存じています。」

「それがベルンシュタインの胸に刻まれたこれと関係があるというのか?」

「それが魔枯病と関係が大有りなのよユーヴェレン・フォン・シュヴァルツの魔王様。」

ゴーテルはそも神魔大戦について君達はどれだけ知っているかなと話ながら豊かな巻き毛を無造作にひとつに縛る。
おもむろにベルンシュタインの回りに碧色に輝く魔法陣を展開しゴーテルは彼女らの答えを待つ。

戸惑いながらベルンシュタインは人間達が住む人界を挟み神界の神族と魔界の魔族が世界の主導権を巡り対立したこと。

グラナートは両者の戦いに巻き込まれた人間達が戦いを終わらせるため異世界から勇者を呼び込み、そして魔族の長である魔王を討ち滅ぼしたと苦々しげに語る。
二人が知らないはずがないのだ。
何故ならそれはグラナートの身に起きた数々の受難の原因を担う一翼でもあったのだから。

「二人とも歴史の授業をちゃんと受けているようで教師としては鼻が高いけど。」

でもそれは人間側にとって都合よく改竄された偽りの歴史に他ならない。

「改竄された歴史?」

そもそも神魔大戦の起こりはこの魔枯病があったからなんだ。
それこそこの魔枯病さえなければ神魔大戦もなく魔族が滅びることもなかったと言えるだろう。

「それを語るに相応しい人物を呼んでいるけれど昨日の今日で抜け出すのに時間が掛かっているらしいわね。」

今ごろ王宮は蜂の巣をつついたような状態だから仕方ないかもしれないけれどね。

「だから今のうちに応急処置を施しておこうか。」

杖を一振りし魔法陣を消し去りながらゴーテルは挑発的にグラナートを見上げながら笑う。

「君は彼女を生かす為に死ねと言われたならば死ねるかい?」

「待てグラナートに。俺の甥になにをさせるつもりだゴーテル!?」

気色ばむヴォルフガングを押さえてグラナートは躊躇いもなく無論だと迷いなく笑い。傍らで不安に揺れるベルンシュタインの肩に手を添えた。

「彼女の命を贖うことが出来るのならば私は喜んでこの命を投げ捨てよう。」

「グラナート!」

だがそれはあくまでも最後の手段だとグラナートは決然としてゴーテルに告げる。

「何故なら私は彼女を残して死ぬつもりは微塵もないからだ。」

その言葉にゴーテルは眩しいものを見るようにグラナート達を見詰める。
まるで遠い日に無くしたものを見つけた子供のように嬉しいのに泣き出してしまいそうな表情でゴーテルはならば彼等と違って君達は諦めてしまわないんだなと苦く笑う。

「魔枯病とは魔力が次第に枯渇していき魔力が底を尽きればやがて生命力を奪い死に至らしめる不死の病。」

いまはまだ自覚症状は出てはいないが確実にこの病はベルンシュタイン君を蝕んでいると見ていい。

魔枯病を見分ける方法は簡単だ。
魔枯病にかかったものには変わった痣のようなものが胸に浮き上がるのだ。

「これがその魔枯病の証なのですか。」

薄く色づく胸に咲いた逃れ得ぬ死の兆候を指先で擦るベルンシュタインにゴーテルは頷く。

「まず魔枯病で間違いないね。」

症例自体は少ないけれど今も魔枯病の患者は居るのだよ。

魔枯病は呪いであり患者と接触した他者に移るとされているが長時間魔枯病の患者に接した医師が病に罹患しなかったりすることから今では呪いではないと言われているが。

「だが魔枯病は間違いなく呪いであると私は踏んでいる。」

というのも魔枯病の患者の失われていく魔力が極微細ながらも何処かに流れていることが突き止められたからだ。

もっとも失われた魔力が何処に流れていくのかまでは未だに分かってはいないのだけれどね。

「おっと話が逸れてしまったね。」

ともあれベルンシュタイン君は魔枯病に罹患していることに間違いはないだろう。

「私はかつてこの痣を飽きるほど眺め続けた経験がある。」

だからこの病に関してだけはこうしてはっきりと断言出来るのさ。

「それで魔枯病を治す手立てはあるのか?」

「それが難しいところなんだな。」

魔枯病がこの世に現れてから百年立つが魔枯病を根治する方法は未だに発見されてはいないのさ。

「だからこれから行うのはあくまでも延命処置だ。」

魔力が底を尽きなければ死ぬことはない。
ならば魔力を他所から持ってきて彼女の体に流し込めば良い。

「最近王都で広まり始めた輸血という医療処置を見て思い付いてね。」

怪我などによって多量の血液を失った患者に近親者から血液を提供して貰い体に輸血するようにして魔力を体に流し込む。

「だがはっきり言って成功する保証はない。」

それでも試して見る価値はあるはずだ。
このまま手をこまねき彼女を失うか勝つ見込みのない賭けに打って出るかだが。

「なにもせず彼女を失うぐらいなら私は分の悪い賭けに乗ろう。」

それでここまで詳しく話したということは私になにかさせたいのではないか。
問い返すグラナートにゴーテルは話が早くて助かるねとチャシャ猫のように微笑んだ。

「魔力とは体に流れるもうひとつの見えざる血管だ。」

大気に満ちる《イド》を取り込み魔力《オド》は常に心臓で作られ体中を駆け巡りながら止まることはない。

「さながらこの身を流れる血液のようにね。」

故に我々魔術師は心臓を魔力炉心と呼び。
体中に張り巡らされた魔力の流れを魔力回路とも肉体の動作にも影響をもたらすことから霊的擬似神経とも呼ぶ。

これから行うことは一時的に魔力回路を塞き止めた彼女ベルンシュタイン君と君の回路を繋ぎあわせることだ。

「一般的に魔力炉心たる心臓で作られる魔力量は個人差がある。」

魔力量が多いということはそれだけ魔力を作り出す魔力炉心の心臓の強さを意味しているとされている。
この施術が成功するかの是非はまさにそこに掛かっていると言って良いだろう。

「当たり前だが魔力量の少ない人間が魔力を提供したところで待っているのは共倒れだからね。」

まして魔力量が少ないということは魔力炉心が弱いとうこと。
魔力炉心が弱ければ急激な魔力の供給量の増減に体がついてはいかないだろう。

だからこれは並外れて魔力量が多く魔力炉心の強い君にしか出来ない方法なのだよグラナート君。

「それこそ彼女一人分の魔力を提供してもなお余りある膨大な魔力量を誇る君にしかね。」

「私はもとよりその役目を誰かに譲るつもりはない。」

良い返事だと頷くゴーテルに声を荒げて待ったをかけたのは他ならぬベルンシュタインだった。

「失敗したらグラナートはどうなってしまうのですか?」

「恐らく無理に魔力回路を繋げたことで自分自身の魔力回路の殆どを失うことになるだろうね。」

それは二度と魔術を扱うことが出来なくなるだけで済むことではない。
擬似神経とも呼ばれる魔力回路が無くなれば半身不随といった大きな問題が肉体面にも起こりうるだろう。
最悪死に至ることもあり得るのだ。

ベルンシュタインは唇を噛み締め太股に置かれた手を強く握る。

「ならば私は!私はそれを受けることは出来ません!!」

「ベル!これは貴女を救うための手立てなんだ!!」

「だとしても私は貴方を失うかもしれないことに賛成することなんて出来やしないわ!!」

貴方は私と生きると言ってくれたじゃない。
それさえも忘れてしまったのと震える手でグラナートの胸元に添えた手を握り締めるベルンシュタインの頭を彼は抱き締める。

「忘れてなどいるものか。」

だが貴女が私を失うことを恐れるように私は貴女を失いたくはないのだ。

「それに先程も言ったが私は貴女を置いて死ぬつもりはない。」

グラナートは何時ものように酷薄なほど自信に満ち溢れた笑みをその美しい相貌に浮かべてみせた。

「必ず成功させるとも。」

この私が誰か忘れたのかベルンシュタイン。
悪鬼羅刹ですら手に手を取り合い裸足で逃げ出すユーヴェレン・フォン・シュヴァルツの魔王を。

「その私が必ず成功すると言っているのだよベルンシュタイン。」

私が貴女を信じるように貴女も私を信じてくれないかベルンシュタイン。
優しく見下ろすグラナートの瞳にベルンシュタインは泣き出しそうに笑う。

「例え自分自身を信じられなくても貴方のことだけは信じられるわ。」

それがベルンシュタインが出した答えだった。

ゴーテルはグラナートにベルンシュタインと手を繋ぐように指示を出す。
魔力を提供する者以外の魔力が混ざらないよう術を施すのはグラナートに委ねられた。

円環を描くようにベルンシュタインと両手を繋ぎあわせグラナートは準備は良いかと目だけで彼女に問う。

「言い忘れていたが魔力回路を繋ぎあわせることで君達は言わば運命共同体となる。」

これからどちらかが受けるだろう痛みも苦しみも共に分かち合うことになるが構わないか?

「ゴーテル!そう言うことは早めに言わないか!!」

「だって私が口を挟む余地がなかったんだもん!」

「年増がだもんなんて可愛い言いかたしても可愛くなんかないぞ。」

「ヴォルフガング!君って奴は母御の腹に礼儀を置き忘れて来たんじゃないかい!?」

「年甲斐もなく若作りに励むお前さんにだけは言われたくないな!」

なにおうと睨みあう仲の良い二人にベルンシュタインは吹き出し心配してませんよと笑う。

「痛みも苦しみも分かち合うなら喜びも安らぎも分かち合えばいいんですから。」

怖くないかと言えば嘘になるだろう。
だけど私はグラナートから引き離されることこそが何よりも恐ろしいのだから。

「ベルンシュタイン。」

「始めてグラナート。」

緊張で悴む指先に熱を分け与えるように強く彼女の手を握り締めグラナートは謡うように呪文を紡ぐ。

《――――巡る命は糸紡ぎ我等の黄金の糸車を回せよ運命の三女神。》

限られた定命なる我等を憐れみ涙を流すならば歪められし運命を巻き戻せ。

「本当に上手くいくのかゴーテル!」

部屋を満たし始めた濃密なまでの魔力に押し潰されそうな肺を震わせヴォルフガングは笑みを消して真剣な眼差しで異変はないか探るゴーテルに問う。

「心配しなくても彼ならきっと成功させるさ!」

古来から恋人を命懸けで守る者は誰よりも強いのだからね!

「私はそれを知っているんだ!!」

百年前の彼等だってあんなことさえなければ。
ゴーテルの呟きは練り上げられた魔力の唸りに掻き消され幸いなことにヴォルフガングの耳に入ることはなかった。

《――――我が命を依り辺に彼の者の運命を今一度黄金の糸車で紡ぎ戻せ!》

二人の足下に朱色と琥珀色に輝く異なる魔法陣が広がり二色の燐光を伴い風が渦を巻き二人の髪を揺らす。
やがて魔術により活性化された魔力回路が肌に隆起し繋いだ手を通してひとつに交わり出す。

異なる魔力が混ざりあうことに体が軋みを上げ喉元まで痛みに叫ぶ声が競り上がる。
それを無理矢理に飲み下しベルンシュタインはグラナートだけを見詰める。
彼が居るならば恐れることなどなにもありはしないと。

《――――異なる我等が運命を!異なる我等が命を!今こそひとつに寄り合わせ黄金の糸車を回すとき!!地の果てより祝福を叫べ運命の三女神よ!!》

呪文が佳境に入るなか朱色と琥珀色の燐光が絡み合うように二人に吸い込まれていく。

不意に痛みの先でベルンシュタインは今まで以上にグラナートを近しく感じとる。
触れあうよりも近くグラナートが自分の側に居るような錯覚に顔を上げたベルンシュタインに彼もまた同じ感覚から顔を見合わせた。
まるでひとつに溶け合ったように不思議と互いに思っていることが手に取るように分かるのだ。
その感覚は。

「悪くはないな。」

「うん。」

互いに心のうちを明け渡しながら二人は額をあわせて微笑みあう。

《――――運命の三女神よ我等が運命に喝采を!》

一際強く隆起し複雑に絡み合った魔力回路が輝くと同時に目には見えないそれらにより二人は繋がりあった。

胸を叩く二人分の鼓動にグラナート確かに繋がっているのだと実感しベルンシュタインの目に自然と安堵の涙が浮かぶ。

「どうやら上手くいったようだね。」

泣き出したベルンシュタインの頬に手を添えて優しく涙を拭うグラナートを見ながらゴーテルは脱力したように息を吐く。杖を振り椅子を人数分用意するとゴーテルは深々と椅子に凭れる。

「実を言うとこの術を行ったのは君達が初めてなんだ。」

机上では幾らでも成功率を上げられるが本当に成功するかは腕利きで知られる名うての宮廷魔術師たるこの私ですら分からなかったのだ。

「他の人間で試さなかったのか?」

「君のように膨大な魔力量を誇る人間を私は他に二人知っているが。」

その二人はいずれもあの世の住人でね。
試そうにも試せなかったのさと悪気なく笑うゴーテルにヴォルフガングは胸を張るところじゃないだろうと嘆息した。

「よく頑張ったねお二人さん。」

とは言ってもあくまでこれは延命処置でしかないことを忘れてはいけないよ。

「魔枯病を根治させる方法は残念ながら私にはない。」

だが希望はある。
それは彼女の魔枯病が建国王たる勇者ディアマントによりもたらされたものであること。
少なくとも今の彼は自在に魔枯病を人に宿らせる手立てがあると見ていいだろう。

「ならばディアマントの許にまで辿り着ければ魔枯病を治す手立てがあるかもしれない可能性が高いということさ!」

その為に君達は勇者ディアマントについて。
そしてこの国に伝わる歴史の闇に葬りさられた神魔大戦の真実を知る必要がある。

「そこから先はゴーテル女史から引き継ぎ俺が語ろう。」

「漸く王宮を抜け出せたみたいだねサフィーア王子。」

「アゲートを身代わりにしてやっとですよ。」

気負うことなくゴーテルと話していたサフィーアは改めてグラナート達に向き直る。

「これは王家に伝わる秘された我が一族の暗部。」

これは語られることなく人知れず闇に葬りさられた勇者ディアマントの身に起きた悲劇の物語。

「全ては勇者ディアマントが魔王なりし者ベルンシュタインを愛したことから始まっていた。」

この時ベルンシュタイン達は百年前に繰り広げられた悲劇が大木に巻き付く蔦のように彼女達の運命に複雑に絡み合っていることを知ることになる。

「私は悪逆を産み育てたこの身に流れる忌まわしき血を絶やすことで悪を正さんとした。」

勇者の血筋でありながら魔性の証を持って生まれたことで長きに渡り教会に幽閉され。
悪徳の限りを尽くす僧侶らに虐げられた私は焼け落ちた教会で見上げた勇者の巨像に誓ったあの日の怒りをいまなおこの胸に抱き続けている。
そのことに変わりはないしこれからも恐らく変わることはないだろう。
ましてや貴女を私から奪い去ろうとするあの男を許すことなどあり得はしない。

「だからあの男に例えどのような凄惨な過去があろうとも私がするべきことに変わりはない。」

即ち憎き怨敵たる血筋に仇なすこと。
そして今一度この世に蘇りし勇者を魔王の名において討伐せしめんことである。

「ユーヴェレン・フォン・シュヴァルツの魔王たる私が今度こそ勇者を冥府の川底に送り返そうではないか。」

だがサフィーアによって語られる狂乱の勇者ディアマントの悲劇。
それこそがベルンシュタイン達を世界を揺るがすほどに繰り広げられるこれからの戦いに巻き込む始まりの序章だったのだ。
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