白猫が見ている町で〜海辺の喫茶店と、やさしい暮らし〜

井上 佳

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【番外編⑤】譲治、"ひだまり"へ

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「よっこいしょ……っと」


町内の月一清掃の日。譲治は、年の割に元気な体を動かし、通り沿いの側溝の落ち葉をすくっていた。

その通りの向こう、"ひだまり"の前では、音子が店先を丁寧に掃いている。
両手で抱えた袋から、ゴミ袋が一部こぼれそうになっているのを、慌てて整えている姿が見えた。


(ふん……)


目を細めながらも、譲治は黙って見ていた。
音子は彼に気づくと、はにかんだような笑顔で軽く会釈する。


「おはようございます」


その声は、明るく、自然で、どこか気持ちがやわらぐような響きがあった。


「……おう」


返す声は短い。でも、その日譲治の心には、何か小さな種のようなものが残った。





数日後、町内会の集まり。場所はいつもの公民館。
集まった顔ぶれは、義信をはじめとする農家の人々や、古くからの住人たち。


「最近の"ひだまり"、ほんといい雰囲気だよなぁ」


義信がそう言うと、数人がうなずいた。


「メニューも工夫しててさ、あの子、人の話よう聞くんよね。腰が低いっちゅうか」

「私なんか、この前『喉の調子がちょっと』って言ったら、これとこれがのどにいいんですよーってお茶出してくれてな。びっくりしたよ」

「そうそう、あの子が出してくれるハーブティー? 香りがよくって落ち着くんだよ」


譲治は、黙って湯呑を持ったまま耳を傾けていた。


「なにより、うちの慈姑使ってるんで。うまいに決まってるでしょ?」


義信が自慢げに言って、まわりがどっと笑った。


「譲治さん、まだ行ってないんでしたっけ?」


ふいに隣の席の老婦人に声をかけられる。


「……ああ」

「もったいないわよ。あの子、おばあちゃんの味を大事にしようとしてるの、ちゃんと分かるもの」

「……」

「そうそう、サンドイッチとかの軽食だけだったのが、最近日替わり定食もはじめたのよ」

「定食?」

「もちろん、うちの慈姑を使ったメニューもあります」


話に割って入りドヤ顔で言う義信を横目に、譲治は湯呑の縁に目を落とした。
おばあちゃんの味……。昔、あの店で食べた煮魚や、昼の焼き魚定食のことを思い出す。


「町の人間のこと、ちゃんと見てる子だよ」


誰かのその一言が、胸にじんと染みた。





昼下がり、いつもなら回れ右して通り過ぎるはずの“ひだまり”の前。
今日は、なぜか足が止まる。


(ちょっとだけ、な……)


譲治は誰に言い訳するでもなく、小さな溜息をつくと、店のドアを引いた。

カラン、とベルが鳴る。


「いらっしゃいませ」


明るい声が、空気をやわらかく染めた。
振り返った音子の目が、驚きと、嬉しさでぱっと花開いたようになる。


「……譲治さん!」


笑顔で名を呼ばれて、譲治は照れくさそうに、少しだけ目をそらした。





「お好きなお席にどうぞ」


音子が軽く手を差し出すと、譲治は窓際の席に静かに腰を下ろした。
テーブルの上には、小ぶりなガラスの一輪挿し。そこには季節の草花が飾られている。

メニュー表を開いた譲治の眉が、すこしだけ動いた。


「……日替わり、焼き魚定食か」

「はい、今日は鰆の味噌焼きです。地元のお味噌で、ちょっと甘めにしてます」

「……あの人の味、知ってるんか?」


ぽつりと漏らすように、譲治が言った。
音子は、少しだけ目を丸くして、それからふわりと笑った。


「おばあちゃんのレシピ帳、まだ家にあります。分量も、調味料も、きっちり書いてあって……私、味見しながら、少しずつ近づけてるつもりです」


譲治は黙って、メニュー表を閉じた。


「それ、もらおうか」

「はい!」


しばらくして、木のトレイに乗った定食が運ばれてくる。

鰆の味噌焼きから、香ばしい味噌のにおいが立ち上る。それと炊きたてのご飯、味噌汁、小鉢には慈姑の煮物。
箸をつけた譲治は、ゆっくりと噛みしめる。


(……こりゃ……)


強くもなく、かといって薄くもない、角のない甘味。
懐かしい味だった。胸の奥に、昔の店の昼下がりがふわりと浮かぶ。


「あの人はな……煮物も焼き魚も、優しくて上品な味だった」

「ええ……お店では着物を着て、凛としてましたよね。だけど家ではおちゃめで。よく母の目を盗んで、祖母がくれる甘いものを一緒に食べてました。見つかって怒られたりして」


音子が笑う。

譲治も、ふっと鼻で笑った。


「……そうか。やっぱり、似とるわ」


音子は、目を見開いたあと、嬉しそうに笑った。

食べ終えて席を立つ譲治の背に、音子の声が追いかける。


「また、来てくださいね」

「気が向いたらな」


口ではぶっきらぼうに言いながらも、その足取りは来たときよりも軽かった。

外に出ると、義信が自転車で通りかかった。


「あれ、譲治さん、“ひだまり”いたんすか? どうでした?」


譲治は足を止めず、ぽつりと一言。


「慈姑のやつ、うまかったわ」

「それはよかった」


義信がにんまりと笑ったその足元に、どこからともなく白猫がぬっと現れる。
小さな身体を譲治の足にすり寄せると、にゃあと短く鳴いた。


「おまえ、また出てきたのか」


しゃがみ込んだ譲治の手が、白猫の背をやさしく撫でる。
手のひらから、少しだけ迷いがほどけていくような気がした。

白猫は、気が済んだのか、今度は義信の自転車のかごに飛び乗って、丸くなる。


「まるで、『よく来たね』って言ってるみたいですね」


義信がそう言うと、譲治は小さく鼻を鳴らした。


「……ふん」


でもその表情には、少しだけ、照れくさい笑みが浮かんでいた。



午後の陽射しが、坂の町を静かに包みこむ。


“ひだまり”の扉の向こうでは、まだ誰かが、笑っている気配がした。




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