堅物上司の不埒な激愛

結城由真《ガジュマル》

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「水野さん、来週のプレゼンで使う資料作成したんでそっちに送りました」

「え、もう!?」

 向かい側のデスクの、同期の男性社員水野さんが、驚いたように立ち上がった。

「ありがと! 早くない!?」

「一応ミスがないかチェックしたけど、確認お願いします」

「またまた! 望月さんミスないことで有名じゃん」

 水野さんの微笑みに、私の隣の席の後輩、山本さん(通称山ちゃん)も笑う。

「先輩、鬼のような集中力ですもんね! 仕事中の目がアスリートっぽいんですよ」

「それわかる!」

 二人が笑い合っている間にも別件を粛々と進める。
 一度集中モードに入ると、会話を聞きながらでもするすると画面からの情報が入り、頭の中もクリアだ。
 この感覚がたまらない。

「あーお腹減ったなぁ」

 しばらくして、隣で弱々しく呟く山ちゃん。
 メールの送信を終えて午前の仕事もおおかた片づいたから、デスクの下に置いておいた紙袋を取り出す。

「これお土産。よかったら皆でどうぞ」

 先週末に一人旅で見つけたケーキ屋さんで購入したクッキー。
 甘さ控えめで美味しかったから、皆の分もたくさん買ってきた。
 紙袋から箱を出して開封し差し出すと、山ちゃんは可愛らしい声を上げる。

「望月さーん!」

 山ちゃんがあんまりにも嬉しそうに頬を赤らめるから、思わず自分も口元が緩んだ。

「美味しかったから山ちゃん達にも食べてほしくて」

「嬉しいー! ありがとうございます!」

 山ちゃんが可愛いから、旅先でついつい彼女にあげたいお土産探しちゃうんだよな。

「ありがとうございます! これでお昼まで頑張れます!」

「よかった」

 山ちゃんはフロアの人達皆に声をかけ、クッキーを配っていく。

「望月さんからのお土産でーす!」

 それぞれのデスクからひょこっと顔を出してお礼を言ってくれる皆に会釈しつつ、次の仕事の流れを頭の中で整理。
 優先順位の高いものは全て片付けたし、今日はゆとりがある。
 一度上司に確認して、急ぎの業務を手伝った方が良さそう。

 チラリと課長のデスクに目をやる。
 ちょうど山ちゃんが素通りしたところだった。
 きっとクッキーを渡しても、睨まれて断られると思ったのだろう。
 この前、彼女と二人で飲みに行った時にポロッと漏らしていたけれど、山ちゃんは課長のことが苦手らしい。

 その気持ちはわからなくもない。
 私が所属する営業部の鎌田かまた課長は、この春から異動してきたばかり。
 しかし早くもフロアから浮き気味で、恐ろしいほどにとっつきにくいオーラを放っている。
 無口で無表情、仕事の指示や確認以外は一切話さないし、笑顔を見たこともない。
 近づかないでくれと言わんばかりに私達部下から距離を離している。
 正確な年齢はわからないけれど、おそらく30過ぎくらいで見た目もスマートであるから、女子社員から受けが良さそうなのに、異様なオーラのせいで孤高の存在だ。

 しかし仕事は鬼のように有能で、助けられていることも数えきれないほどある。

「山ちゃん、一個もらうね」

 山ちゃんからビターチョコクッキーを一つ手に取ると、鎌田課長のデスクに近づく。

「……課長」

 私の呼びかけに、課長はキーボードを打つ手を止めて、私を見上げた。
 冷たいイメージはあるのに、こうやって部下の話を聞く姿勢はある様子。
 私を見つめる課長の目は切れ長で鋭いが、瞳の中からは柔らかさを感じた。

「これよかったら」

 できるだけ自然に、課長のデスクに個包装されたクッキーを置いた。
 断られてもいいから声だけはかけたかった。
 全員に買ってきたのに、一人だけあげないなんて気持ち悪い。

「……ありがとう」

 しかし課長は、無表情であれどしっかりと目を見てお礼を言ってくれた。
 予想外の反応に驚いて固まる。
 彼の低い声から初めて聞く“ありがとう”は、とても艶やかに響き心臓を高鳴らせた。
 ……何これ。
 初めての感覚に戸惑う私に、課長は「望月さん?」と声をかけた。
 我に返り、慌てて「急ぎの案件あったらください」と指示を仰ぐ。

「では○○商事の見積もりお願いできますか?」

「承知しました」

 燃える業務をもらえてホクホクとしながら頭を下げてまた自分のデスクに戻ろうとした時、小さく「助かります」と聞こえ振り向いた。
 相変わらず無表情でPC画面を見つめる課長。
 空耳かな、と思いまた背を向ける。
 まだ話したことは数回だけど、山ちゃんが言うほど冷淡な雰囲気は感じとれなかった。

「望月さんクッキーおいしいですぅー」

「いつもありがとね」

 そこかしこからクッキーのお礼が響いてふっと笑う。

「……やっぱモッチーって癒されるぅ!」

「仕事もできるし優しいし、営業部のオアシスだよね」

 そんなふうに言ってもらえるのは嬉しいけど、次に来る言葉はわかっていた。

「おかんみたいだよね」
「ママみたい」
「お母さーん」

 ぽっちゃりした丸みのある体型とシンプルな服装に、のほほんとしていると言われる常に緩んだ表情。
 昔から貫禄があると言われ、あだ名は「オカン」か「ママ」だった。
 正直言って嬉しくはないけれど、今はもう諦めている。
 このオカンポジションは居心地が良いし、お節介な性格だからちょうどいいのかもしれないと、受け入れつつあるのだった。
 
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