純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第三章:堕ちた月、騎士たちの誓約

第35話・迫る危機

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夜。

異変が起こったのは、ほんの一瞬の隙だった。

ヴィクトルは、ルナフィエラの寝室の前で見張っていた。
だが、ここ数日の疲労が積み重なり、一瞬だけ意識が落ちてしまった。

——その数分後、異変に気づいた。

「……っ!」

目を開け、反射的にルナフィエラの部屋へと駆け込む。

ベッドの上。

そこに、ルナフィエラの姿はなかった。

「……ルナ様?」

呼んでも返事はない。
だが、まだ遠くには行っていないはずだ。

ヴィクトルはすぐに古城の中を探し始めた。
廊下、書庫、中庭——どこにもいない。

「……まさか」

一気に血の気が引いた。

「……シグ! ユリウス! フィン!」

全員を呼び集める。

ルナフィエラがいなくなった——

そんなことはこれまで一度もなかった。

ユリウスが鋭く舌打ちする。

「……まずいな。敷地内にいないなら、森の方に行った可能性が高い」

「くそっ、急ぐぞ」

シグがすぐに駆け出した。

フィンも顔色を変えて、ルナフィエラの痕跡を探り始める。


「……いた」

ヴィクトルの声に全員が反応する。

夜の森。

月明かりが照らす中——

ルナは崖のふちに立っていた。

あと一歩でも進めばそのまま転落してしまう場所。

「……ルナ様……!」

ヴィクトルは息を呑み、慎重に近づいた。

ルナフィエラの足元は不安定だった。
今にも 落ちそうなほど、ぎりぎりの場所に立っている。

彼女の瞳は虚ろで、どこか遠くを見つめていた。

「ルナ様!」

大きな声で呼ぶ。

だが、彼女は微かに瞬きをするだけで、一切反応を示さなかった。

(——まだ夢の中か)

ユリウスが低く息を呑む。

「まずいな……このままだと……」

「……待て」

ヴィクトルがルナフィエラに向かってゆっくりと手を伸ばした。

(届くか……?)

彼女は動かない。

あと少し、あと少し——

その瞬間、ルナフィエラの身体がぐらりと揺れた。

「——っ!」

間に合わない——!

そう思った瞬間——

「っ、ルナ!」

ヴィクトルが腕を伸ばし、ルナフィエラの手を掴んだ。

「ぐっ……!」

そのまま勢いで引き戻す。

崖からあと一歩のところで、ヴィクトルの腕の中へとルナフィエラの身体が倒れ込んだ。

彼女の体は冷たく、まるで生気が感じられなかった。

「ルナ様……っ」

「……」

ルナフィエラの身体は小さく震えていた。

その表情はどこか苦しげで、瞳は虚ろなまま——

彼女は、まだ完全には目覚めていなかった。

「……ルナ様」

ヴィクトルが 静かに、その名を呼ぶ。

月明かりが、ルナフィエラの顔を照らしていた。



ヒヤリ——とした。

足元に広がる空気の冷たさ。

まるで自分が何もない虚空に立っているかのような感覚に襲われる。

「……っ」

ふと、息を呑む。

次の瞬間、全身を包み込む温もりを感じた。

「……ルナ様」

静かに、名前を呼ぶ声。

誰——?

ぼんやりとした意識の中で、見上げる。

——ヴィクトル。

彼が強く、しかし優しく自分を抱きしめている ことに気がついた。

「……?」

目を瞬かせる。

周囲を見渡す。

森の中。夜。

足元は草ではなく、湿った土の感触。
崖の近く——そう、ほんの少し前まで、ここに立っていた。

(……どうして?)

さっきまで、寝室のベッドにいたはず。
けれど、今は 森の中、それも崖の近くでヴィクトルに抱きしめられている。

——何が起こった?

「……ヴィクトル?」

か細い声で問いかける。

だが、彼は何も答えない。

ただ ルナフィエラの肩を抱く腕に、さらに力を込めるだけだった。

その仕草が、ルナフィエラをより混乱させる。

「……どうして、私……?」

ふと、冷たさ を感じた。

「……?」

違和感に、ルナはようやく 自分の格好を確認する。

薄手のワンピース一枚。

しかも裸足。

地面の冷たさが、足先からじわじわと伝わってくる。

「……私、どうして……?」

唇が震える。

——思い出せない。

寝ていたはず。
気がついたらここにいた。

「……夢遊病、か」

すぐそばで、ユリウスが静かに呟いた。

その言葉に、全員の表情がさらに険しくなる。

ルナフィエラは、何も覚えていなかった。

だが、確かに崖の際に立っていた。

「……」

ヴィクトルの手が、そっとルナフィエラの髪を撫でる。

「……もう、大丈夫でございます」

「……ヴィクトル……?」

彼の顔を見上げると、その表情はひどく青ざめていた。

「貴女が目を覚ましてくれて……本当に、よかった」

その言葉を聞いた途端——

ルナフィエラの心臓が、強く脈打った。

(——私、そんなに危なかったの?)

崖から落ちかけた?
もし、ヴィクトルが間に合わなかったら?

考えた瞬間、背筋が冷たくなる。

それと同時に、ルナフィエラは自分の身体が ガタガタと震えている ことに気がついた。

(……寒い……?)

(いえ、違うわ)

寒さじゃない。

恐怖だった。

(私は……何をしようとしていたの?)

ヴィクトルが、そっと自分のジャケットを脱ぎ、ルナフィエラの肩に羽織らせる。

「……ありがとう」

それだけ言うのがやっとだった。

震えが止まらない。

心が、ひどくざわついていた。

自分の意思ではなかった。

けれど、確かに自分の足でここまで歩いてきた。

その事実が、恐ろしくてたまらなかった。


「……このままでは、またお身体に障ります」

そう言いながら、ヴィクトルは そっとルナフィエラの身体を抱え上げた。

「……っ」

ルナフィエラは驚いたものの、抵抗する気力はなかった。

体が怠い。
寒さで指先の感覚が鈍っている。
何より、今の状況が 全く理解できていない。

「……戻りましょう」

ヴィクトルがそう告げると、他の三人も無言のまま頷いた。

誰も、ルナフィエラに詳しい説明をしようとしなかった。

今は それよりも優先すべきことがある と、全員がわかっていたからだ。

「……」

ルナフィエラは、ヴィクトルの胸元に身を預けながら そっと視線を上げる。

ユリウス、シグ、フィン—— 三人とも、険しい表情をしていた。

彼らがここまで真剣な顔をしているのは、滅多にないことだ。

ルナフィエラは口を開きかけた。

「……私……」

——何が起こったの?

そう聞きたかった。

でも、その言葉は喉の奥で消えた。

ヴィクトルの腕に力が込められる。

「今は……何も考えず、お休みくださいませ」

その静かな言葉に、ルナフィエラは小さく頷くことしかできなかった。

「……うん」

詳しい話は古城に戻ってから——

全員が歩き出す。

ヴィクトルの腕の中で、ルナフィエラはまだ整理できない思考を巡らせていた。

(私は、一体……何をしていたの?)

月明かりの下、静かに歩みを進める四人と、 彼らに抱えられる一人。

この夜の出来事が、 彼らの絆をより深めることになると、ルナフィエラはまだ知らなかった。
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