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第三章:堕ちた月、騎士たちの誓約
第37話・ヴィクトルの決意/優しい朝
しおりを挟むヴィクトルは静かに息を整えながら、腕の中のルナフィエラを見つめていた。
すやすやとした穏やかな寝息が、静寂の部屋に心地よく響く。
「……ルナ様……」
囁くように彼女の名を呼ぶも、 彼女はすでに深い眠りの中。
あの紅き月の儀式以降、ルナフィエラは幾度となく苦しみ、そして攫われ、心身ともに限界を迎えていた。
夢遊病まで発症し、夜に徘徊してしまうほど、心も体も削られていたのだ。
それでも、今は。
こうして自分の腕の中で安心しきったように眠る姿を見て、ヴィクトルは安堵した。
(……せめて今だけは、ゆっくりお休みください)
ルナフィエラの銀の髪を そっと撫でる。
柔らかな髪が指の間をすり抜け、 心地よい温もりがヴィクトルの胸に広がる。
「……安心して眠ってください……私は、貴女のそばを離れません」
そう囁くように呟き、 ルナフィエラの頭をそっと抱き寄せた。
彼女の穏やかな寝息が、ヴィクトルの胸にやわらかく響く。
このまま、何も考えず、ただ安らかに眠ってほしい。
そう願いながら、ヴィクトルもゆっくりと目を閉じた。
静寂の中、 ルナフィエラの温もりを感じながら、ヴィクトルはそっと眠りについたのだった。
——————
朝の光が静かに差し込み、柔らかな風がカーテンを揺らしていた。
ルナフィエラは、ぼんやりとした意識の中で温かな何かに包まれている感覚に気づいた。
(……ぬくもり……?)
まどろみの中でぼんやりと目を開ける と、そこには ヴィクトルの胸があった。
「……っ!」
ハッとして顔を上げようとすると、しっかりと抱きしめられていることに気づく。
(え……? えっ……!?)
心臓が大きく跳ね上がる。
あまりにも近い距離。
呼吸をするたびに、彼の落ち着いた香りが鼻をくすぐる。
(なんで……こんな格好に……!?)
ルナが 焦りに動揺しているのを感じたのか 、ヴィクトルもゆっくりと目を覚ました。
「……おはようございます、ルナ様」
低く穏やかな声。
ルナは反射的に「おはよう」と返してしまった。
(……違う! こんな場合じゃない!)
「……あ、あの……」
ようやく思考が追いついてきたルナフィエラは、混乱しながらも問いかける。
「な、なぜ私はヴィクトルとこんな格好で……?」
するとヴィクトルは、 まったく動じることなく さらりと答えた。
「ルナ様の方から寄り添ってこられましたので」
「……なっ!!?」
ルナフィエラの顔が、一気に 真っ赤に染まる。
「そ、そんなはず……!」
「ですが、昨夜のことはしっかりと覚えております」
ヴィクトルは淡々と事実を告げるが、彼の表情はどこか微笑ましげだった。
ルナフィエラはもう恥ずかしくて顔を覆いたくなる。
(ど、どうしよう……! 私、無意識に……!?)
「……よく眠れたようで、何よりです」
そう言って、ヴィクトルはそっと腕の力を緩めた。
ルナフィエラはようやく自由を得るも、顔の熱は引かない。
ヴィクトルは何事もなかったように立ち上がり、身支度の準備を始めた。
「そろそろ身支度を整えましょう。フィンたちが朝食を持ってやってくるでしょうから」
(そ、そうだ……! 朝食! みんなが来る前に、急いで身支度を……!)
ルナフィエラは少しでも平静を取り戻そうと、勢いよくベッドから立ち上がろうとした。
しかし——
「……っ」
思ったより足に力が入らず、ふらついてしまう。
「……ルナ様」
ヴィクトルは即座に支え、ため息をついた。
「ご無理はなさらないでください。お身体はまだ完全には回復していないのですから」
「だ、大丈夫……です!」
ルナフィエラは自分でやれると主張するも、ヴィクトルは一蹴。
「手足に力が入らないこと、私たちは皆知っています。無理をなさらず、頼ってください」
「……っ」
ルナフィエラはぐっと言葉に詰まる。
するとヴィクトルは、 少し柔らかい表情で付け加えた。
「意識を失っていた間も、ずっとお世話をしておりましたので。問題はございません」
「……っ……」
ルナフィエラはそれを聞いて何も言えなくなった。
(みんなに……ヴィクトルに、たくさん迷惑をかけて……)
(でも……ちゃんと支えてくれて……)
「……ありがとう」
ぽつりと零れた言葉に、ヴィクトルは 小さく微笑んだ。
「こちらこそ、目を覚ましてくださってありがとうございます」
そうして、ルナフィエラの身支度の手伝いが始まったのだった——。
ルナフィエラはヴィクトルの手によって顔を拭かれ、清潔な服に着替え、髪を梳かされていた。
「……手際がいいのね」
思わずそう呟いてしまうほど、 彼の動きには無駄がなかった。
まるでずっと誰かの世話をしてきたかのように、スムーズで丁寧だった。
(ヴィクトルは騎士のはず……。執事や侍従ではないのに……どうしてこんなに?)
ふと疑問に思い、ルナフィエラは素直に問いかけた。
「ヴィクトルって、どうしてこんなに手際がいいの?騎士なのに……お世話が慣れすぎているような…」
ヴィクトルは櫛を動かしながら、小さく微笑む。
「……妹がいたのです」
「え?」
「私が幼い頃、父母は忙しく、侍女の言うことも聞かず奔放な妹の世話をするのは私の役目でした」
「だから、こういったことには多少慣れております」
「妹……」
ルナは 意外な話に目を瞬かせた。
(ヴィクトルに妹……)
それを想像するだけで、なんだか少し微笑ましい気持ちになる。
「ヴィクトル、お兄さんだったのね」
「……まあ、そうですね」
「どんな妹さんだったの?」
「……」
ヴィクトルは 一瞬、言葉を詰まらせた。
そして、すぐにごく普通の声で答えた。
「自由で、落ち着きのない子です」
「……え?」
ルナが思わず戸惑った表情を浮かべる。
「好奇心旺盛でおとなしく家にいることはなく、気づいたらどこかへ消えているのです」
「……つまり?」
「今どこにいるのかわかりません」
「ええっ!?」
ルナは素っ頓狂な声を上げる。
「妹さん、消息不明なの!?」
「いえ、たまに思い出したように手紙を寄越しますので、生きてはいます。」
「……それは……何より、ですね……?」
ルナフィエラは複雑な表情でヴィクトルを見つめた。
(なんだかすごい妹さんみたい……)
そんな会話をしていると、 突然、部屋の扉が開いた。
「おーい、朝食を持ってきたぞ」
「……ずるい」
最初に口を開いたのはフィンだった。
ルナフィエラの髪を梳かすヴィクトルの姿を見て、 明らかに拗ねた声を出す。
「ヴィクトルばっかりルナのお世話してる……!」
「おいおい、俺だってやりたかったのに」
シグも少し不満げに腕を組んだ。
「……シグ、お前がルナの髪を整えられるとは思えないが」
ユリウスがすかさず冷静なツッコミを入れる。
「は?」
「いや、だって……」
ユリウスはシグの乱雑な赤毛を指さした。
「自分の髪すらまともに整えてない奴に、ルナの髪を任せられるとでも?」
「……」
「ほら、言葉が出てこない」
シグはムスッとした顔でユリウスを睨んだが、特に反論できなかった。
「俺だってやればできる……!」
「その ‘やれば’ が一生来ないから言ってるんだ」
「うるせぇ!!」
シグが 面倒くさそうに頭をガシガシと掻く。
その様子に、ルナフィエラは思わずクスリと微笑んだ。
(こういうやり取り、なんだか懐かしいな……)
「……それにしても」
ユリウスが少し柔らかな表情になり、ルナを見つめる。
「顔色が良くなっているな」
「本当に……」
シグも僅かに表情を緩め、ルナフィエラを見た。
「昨日よりもずっと元気そうだ」
「……うん」
ルナフィエラは少しだけ微笑み、頷いた。
「おかげさまで……少し良くなりました」
確かに、昨日よりも体が軽い。
まだ完全ではないが、それでも、少しずつ回復しているのがわかった。
そんなルナフィエラを見て、 3人は安堵の表情を浮かべる。
「……よかった」
「ようやく落ち着いて飯が食えるな」
「では、食堂に行くか?」
ユリウスがそう言いながら、朝食を持ってきたことを思い出す。
「……いや」
ヴィクトルが静かに首を振る。
「まだルナ様は歩くのがやっとの状態です。ここで食べた方がいいでしょう」
「そうだな」
シグもすんなりと同意し、朝食をテーブルに並べ始めた。
「ルナ、食べられそう?」
フィンが 少し心配そうに尋ねる。
「……うん。少しなら」
「よし、じゃあ無理のない範囲で食べようね」
ルナフィエラは椅子に座らされ、4人に囲まれながら、ゆっくりと朝食を取るのだった。
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