純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

文字の大きさ
72 / 177
第五章:みんなと歩く日常

第70話・記憶と、これから

しおりを挟む
活気ある市場通りから少し離れた、石畳の静かな小路。
その奥に佇むのは、小さな本屋だった。
木の扉の上には蔦が絡まり、控えめな看板には〈知恵の泉〉の文字。

「……こっちだよ、ルナ」

ユリウスがルナフィエラの手を引くようにして、扉をそっと押し開ける。
中は思っていたより広く、天井近くまで本棚が並び、古い紙の香りが心地よく満ちていた。

「わあ……」

ルナフィエラの目が輝く。
外の賑わいとはまるで別世界。
時間の流れが少しだけゆっくりになったような空間に、自然と呼吸が深くなる。

「精霊の民の伝承から、人間の民話、魔法理論に薬草の知識まで……。ここの店主は知識欲の塊でね。ちょっと偏ってるけど、掘り出し物が多い」

ユリウスはルナフィエラの隣に立ち、目線を合わせて言った。

「気になるものがあったら、手に取っていいよ。読まなくても、眺めるだけでも」

「うん……あ、これ……」

ルナフィエラの指が、ひとつの古びた装丁に触れる。
『月と氷の歌姫 —忘れられた北方の伝承—』

「歌姫……?」

「珍しいね。こういうの、好き?」

「……歌、すきだったの。まだ……家族がいた頃」

ぽつりと落ちたその言葉に、ユリウスはそっとルナフィエラの表情をうかがう。
彼女は視線を本に落としたまま、穏やかな声で続けた。

「お父様もお母様も生きていて、親戚たちもたくさんいて……。広間で、わたしが唄うと、みんなが笑ってくれたの。拍手してくれたり、もっとって言ってくれたり……それが、すごく嬉しくて」

本を持つ手が少し震える。けれど、それは悲しみではなかった。

「……ただ唄うだけで、幸せだった。何もなくても、そこに声があれば……寂しくない気がしてた」

「……」

ユリウスは何も言わず、ただ静かにその場に立っていた。
やがてルナフィエラが顔を上げると、彼は微笑みを浮かべて言った。

「その気持ち、ちゃんと残ってるんだね。……きっと、歌も覚えてる。なら、それはルナの中で生きてるってことだ」

「……そう、なのかな」

「ああ。君が忘れてない限り、それは消えない。いつか、また誰かのために唄えるよ。今度は――君自身のためにも」

ルナフィエラは目を細め、小さく笑った。

「……ありがとう、ユリウス。あなたって、やさしいね」

「そうでもないさ。僕はただ、君が辛い思いをせず笑顔で過ごせるなら、それでいいと思ってるだけ」

そう言ってユリウスは、ルナフィエラが手にしていた本を代わりに持ち上げた。

「これ、買おうか。街に来た記念に。
それに、君の感性にも合う気がする。月も、氷も、どこか君を連想させるしね」

「ありがとう……」

頬を染めながら受け取ったルナフィエラがページをめくると、そこには繊細な挿絵と、古語で綴られた詩が並んでいた。

「……読めるようになりたいな、こういうの」

「教えてあげるよ、少しずつ」

ユリウスは、隣でルナフィエラの手元を覗き込みながら言った。

「ルナが知りたいって思うことは、全部。ゆっくりでいいから、覚えていけばいい。僕がついてる」

その言葉は、まるで呪文のように優しくて。

「うん……」

本を抱きしめるようにしてルナフィエラは頷く。
その横顔は、少しだけ子供のようだった。


——————

「ねえルナ、こっちこっち!可愛いお店見つけたんだ!」

市場の通りを抜けた先、角を曲がった先にある一軒のブティック。
色とりどりのリボンやレースが飾られたウィンドウに、ルナフィエラは小さく目を見張る。

「……ここ、服屋さん?」

「そう!僕ね、ルナに似合いそうなの、前から想像してたんだ。絶対あると思うんだよね、ここに!」

ルナフィエラが戸惑っている間に、フィンは手を引いて店の中へ。
中には淡いパステルカラーのワンピースや、繊細なレースの付いたブラウス、刺繍入りの外套などが並んでいた。

「これ!この白いワンピースとか、ルナにぴったりだと思わない?」

「……可愛いけど……」

ルナフィエラはそっとワンピースの袖に触れた。
ふわりと優しい布の感触。
けれど、すぐに手を引っ込めて小さく首を振る。

「わたしには……もったいない、かも。街に着てくるような服じゃないし……」

「えー? そんなことないよ! ルナが着たらきっと、すっごく綺麗だって! ……ほら、ちょっとだけ、羽織ってみて?」

フィンがワンピースを持って、ルナフィエラの肩にそっとかける。
鏡の中には、ほんの少し照れたように頬を染めるルナフィエラの姿。

「……」

「ほらね、可愛い!みんなが見惚れちゃうくらい!」

「ふ、ふぃん、褒めすぎ……」

「本当のことしか言ってないよ?」

いたずらっぽく笑うフィンの瞳は、真っ直ぐで、どこまでも優しい。

「……でも、ルナが好きな服を選んでいいんだよ。誰のためでもなく、自分のために」

ルナフィエラはワンピースを見つめながら、小さく呟く。

「……選んでいい、のかな。こんなふうに、好きなものを着ていいって……」

「うん。だって今は、戦うためだけじゃなくて――生きてるんだから」

その言葉が、ルナフィエラの胸に静かに沁みた。

やがて、そっとワンピースを抱きしめて、ルナフィエラはうなずく。

「……街には、ちょっと派手かもしれないけど……」

ルナフィエラはワンピースをそっと胸元にあてて、目を細めた。

「でも……古城の中なら。中庭で、お茶会のときとかに着たいな。フィンが焼いてくれたお菓子と一緒に……」

「……!」

フィンの顔がぱっと明るくなる。

「それ、最高だね!じゃあ、今度また美味しいお菓子作るよ!ルナがその服着てくれたら、僕、きっと嬉しすぎて舞い上がっちゃうかも!」

ルナフィエラもつられるように笑って、小さく頷いた。

「……うん。着るね。フィンが選んでくれた、可愛い服だもん」

「やったぁ……!」

本当に嬉しそうに笑うフィンの姿に、ルナフィエラの胸の奥がじんわりと温かくなる。

(こんなふうに、“これから”の時間を思い描けるなんて――)

それは、過去に囚われていた彼女にとって、確かな一歩だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【長編版】孤独な少女が異世界転生した結果

下菊みこと
恋愛
身体は大人、頭脳は子供になっちゃった元悪役令嬢のお話の長編版です。 一話は短編そのまんまです。二話目から新しいお話が始まります。 純粋無垢な主人公テレーズが、年上の旦那様ボーモンと無自覚にイチャイチャしたり様々な問題を解決して活躍したりするお話です。 小説家になろう様でも投稿しています。

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

この世界に転生したらいろんな人に溺愛されちゃいました!

キムチ鍋
恋愛
前世は不慮の事故で死んだ(主人公)公爵令嬢ニコ・オリヴィアは最近前世の記憶を思い出す。 だが彼女は人生を楽しむことができなっかたので今世は幸せな人生を送ることを決意する。 「前世は不慮の事故で死んだのだから今世は楽しんで幸せな人生を送るぞ!」 そこからいろいろな人に愛されていく。 作者のキムチ鍋です! 不定期で投稿していきます‼️ 19時投稿です‼️

【受賞&書籍化】先視の王女の謀(さきみのおうじょのはかりごと)

神宮寺 あおい
恋愛
謎解き×恋愛 女神の愛し子は神託の謎を解き明かす。 月の女神に愛された国、フォルトゥーナの第二王女ディアナ。 ある日ディアナは女神の神託により隣国のウィクトル帝国皇帝イーサンの元へ嫁ぐことになった。 そして閉鎖的と言われるくらい国外との交流のないフォルトゥーナからウィクトル帝国へ行ってみれば、イーサンは男爵令嬢のフィリアを溺愛している。 さらにディアナは仮初の皇后であり、いずれ離縁してフィリアを皇后にすると言い出す始末。 味方の少ない中ディアナは女神の神託にそって行動を起こすが、それにより事態は思わぬ方向に転がっていく。 誰が敵で誰が味方なのか。 そして白日の下に晒された事実を前に、ディアナの取った行動はーー。 カクヨムコンテスト10 ファンタジー恋愛部門 特別賞受賞。

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

私が美女??美醜逆転世界に転移した私

恋愛
私の名前は如月美夕。 27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。 私は都内で独り暮らし。 風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。 転移した世界は美醜逆転?? こんな地味な丸顔が絶世の美女。 私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。 このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。 ※ゆるゆるな設定です ※ご都合主義 ※感想欄はほとんど公開してます。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

処理中です...