【完結】純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第五章:みんなと歩く日常

第70話・記憶と、これから

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活気ある市場通りから少し離れた、石畳の静かな小路。
その奥に佇むのは、小さな本屋だった。
木の扉の上には蔦が絡まり、控えめな看板には〈知恵の泉〉の文字。

「……こっちだよ、ルナ」

ユリウスがルナフィエラの手を引くようにして、扉をそっと押し開ける。
中は思っていたより広く、天井近くまで本棚が並び、古い紙の香りが心地よく満ちていた。

「わあ……」

ルナフィエラの目が輝く。
外の賑わいとはまるで別世界。
時間の流れが少しだけゆっくりになったような空間に、自然と呼吸が深くなる。

「精霊の民の伝承から、人間の民話、魔法理論に薬草の知識まで……。ここの店主は知識欲の塊でね。ちょっと偏ってるけど、掘り出し物が多い」

ユリウスはルナフィエラの隣に立ち、目線を合わせて言った。

「気になるものがあったら、手に取っていいよ。読まなくても、眺めるだけでも」

「うん……あ、これ……」

ルナフィエラの指が、ひとつの古びた装丁に触れる。
『月と氷の歌姫 —忘れられた北方の伝承—』

「歌姫……?」

「珍しいね。こういうの、好き?」

「……歌、すきだったの。まだ……家族がいた頃」

ぽつりと落ちたその言葉に、ユリウスはそっとルナフィエラの表情をうかがう。
彼女は視線を本に落としたまま、穏やかな声で続けた。

「お父様もお母様も生きていて、親戚たちもたくさんいて……。広間で、わたしが唄うと、みんなが笑ってくれたの。拍手してくれたり、もっとって言ってくれたり……それが、すごく嬉しくて」

本を持つ手が少し震える。けれど、それは悲しみではなかった。

「……ただ唄うだけで、幸せだった。何もなくても、そこに声があれば……寂しくない気がしてた」

「……」

ユリウスは何も言わず、ただ静かにその場に立っていた。
やがてルナフィエラが顔を上げると、彼は微笑みを浮かべて言った。

「その気持ち、ちゃんと残ってるんだね。……きっと、歌も覚えてる。なら、それはルナの中で生きてるってことだ」

「……そう、なのかな」

「ああ。君が忘れてない限り、それは消えない。いつか、また誰かのために唄えるよ。今度は――君自身のためにも」

ルナフィエラは目を細め、小さく笑った。

「……ありがとう、ユリウス。あなたって、やさしいね」

「そうでもないさ。僕はただ、君が辛い思いをせず笑顔で過ごせるなら、それでいいと思ってるだけ」

そう言ってユリウスは、ルナフィエラが手にしていた本を代わりに持ち上げた。

「これ、買おうか。街に来た記念に。
それに、君の感性にも合う気がする。月も、氷も、どこか君を連想させるしね」

「ありがとう……」

頬を染めながら受け取ったルナフィエラがページをめくると、そこには繊細な挿絵と、古語で綴られた詩が並んでいた。

「……読めるようになりたいな、こういうの」

「教えてあげるよ、少しずつ」

ユリウスは、隣でルナフィエラの手元を覗き込みながら言った。

「ルナが知りたいって思うことは、全部。ゆっくりでいいから、覚えていけばいい。僕がついてる」

その言葉は、まるで呪文のように優しくて。

「うん……」

本を抱きしめるようにしてルナフィエラは頷く。
その横顔は、少しだけ子供のようだった。


——————

「ねえルナ、こっちこっち!可愛いお店見つけたんだ!」

市場の通りを抜けた先、角を曲がった先にある一軒のブティック。
色とりどりのリボンやレースが飾られたウィンドウに、ルナフィエラは小さく目を見張る。

「……ここ、服屋さん?」

「そう!僕ね、ルナに似合いそうなの、前から想像してたんだ。絶対あると思うんだよね、ここに!」

ルナフィエラが戸惑っている間に、フィンは手を引いて店の中へ。
中には淡いパステルカラーのワンピースや、繊細なレースの付いたブラウス、刺繍入りの外套などが並んでいた。

「これ!この白いワンピースとか、ルナにぴったりだと思わない?」

「……可愛いけど……」

ルナフィエラはそっとワンピースの袖に触れた。
ふわりと優しい布の感触。
けれど、すぐに手を引っ込めて小さく首を振る。

「わたしには……もったいない、かも。街に着てくるような服じゃないし……」

「えー? そんなことないよ! ルナが着たらきっと、すっごく綺麗だって! ……ほら、ちょっとだけ、羽織ってみて?」

フィンがワンピースを持って、ルナフィエラの肩にそっとかける。
鏡の中には、ほんの少し照れたように頬を染めるルナフィエラの姿。

「……」

「ほらね、可愛い!みんなが見惚れちゃうくらい!」

「ふ、ふぃん、褒めすぎ……」

「本当のことしか言ってないよ?」

いたずらっぽく笑うフィンの瞳は、真っ直ぐで、どこまでも優しい。

「……でも、ルナが好きな服を選んでいいんだよ。誰のためでもなく、自分のために」

ルナフィエラはワンピースを見つめながら、小さく呟く。

「……選んでいい、のかな。こんなふうに、好きなものを着ていいって……」

「うん。だって今は、戦うためだけじゃなくて――生きてるんだから」

その言葉が、ルナフィエラの胸に静かに沁みた。

やがて、そっとワンピースを抱きしめて、ルナフィエラはうなずく。

「……街には、ちょっと派手かもしれないけど……」

ルナフィエラはワンピースをそっと胸元にあてて、目を細めた。

「でも……古城の中なら。中庭で、お茶会のときとかに着たいな。フィンが焼いてくれたお菓子と一緒に……」

「……!」

フィンの顔がぱっと明るくなる。

「それ、最高だね!じゃあ、今度また美味しいお菓子作るよ!ルナがその服着てくれたら、僕、きっと嬉しすぎて舞い上がっちゃうかも!」

ルナフィエラもつられるように笑って、小さく頷いた。

「……うん。着るね。フィンが選んでくれた、可愛い服だもん」

「やったぁ……!」

本当に嬉しそうに笑うフィンの姿に、ルナフィエラの胸の奥がじんわりと温かくなる。

(こんなふうに、“これから”の時間を思い描けるなんて――)

それは、過去に囚われていた彼女にとって、確かな一歩だった。
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