友達の恋人

文月 青

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クリスマスイブの朝が来た。元々夫婦で祝う話はなかったが、やはり何の約束もないまま、私はどんよりと重い食卓についていた。黙々と朝食を食べている千賀さんも、おはようと挨拶したきり私を見ようともせず、ずっと難しい顔を崩さない。

「彩華の、ことなんだね」

昨夜もその一言を最後に、寝室は静まり返ってしまい、眠っている気配のない千賀さんを意識しながら、私も一睡もできなかった。

「出かけてくる」

今日と明日は予定がないと聞いていたのに、食事を済ませるなり千賀さんは玄関に爪先を向けた。うっかり後を追ったものの、確かめるに確かめられない。彩華に会いにゆくのか、と。

「今日は帰ってきますか?」

代わりに口を突いたのはあからさまな嫌味。自分がどんどん最低な人間になっているようで、なのに黙ってもいられなくて唇を噛んだ。千賀さんは怒りを含んだ顔で、真っ直ぐに私を見据えている。

「俺の家はここだ」

投げつけられた言葉に、胸がぎゅっと締めつけられた。結婚数日前に家具の配置について語っていた、彩華と千賀さんの楽し気な様子が瞼裏に浮かぶ。

「このアパートがって意味じゃないよ。他の誰でもなく、灯里ちゃんがいる所が俺の帰る家だ」

私の考えを読んだのだろうか。力強く、それでいて優しく問いかけるように千賀さんが繰り返した。

「そんな都合のいいこと……」

けれどその気持ちを受け取ることができない。許可を取る必要はないが、彩華と会っていたことを隠していながら、さも私に待っていて欲しそうな素振りをする千賀さんを、どうして簡単に信用できるだろう。

昨日の彩華と千賀さんが頭にこびりついて離れない。往来の真ん中だったのだ。二人は少しも触れあってなどいないのに、何故か抱き締め合っているように私には映った。

「昨日の仕事帰り、彩華に会った」

頑なに頷こうとしない私に、千賀さんはいきなり事実を突きつけた。

「知っていたんだろう?」

確信めいた口調に私は肩を強張らせる。まさかここで白状されるとは思ってもみなかった。

「買物中に、二人でいるところを、見かけました。上原さんと一緒に」

途切れ途切れに答えて俯く。

「やはり上原か。じゃあ話の内容も?」

下を向いたまま頷く。

「君は俺を試したわけだ。そして俺は嘘をついた」

その目で見ていながら、帰宅が遅くなった理由を知らぬ振りで訊ねた私に、千賀さんが返した答えは残業。お互いに後ろ暗いのは否めない。

「灯里ちゃん」

頬に千賀さんの大きな手が触れた。驚いて面を上げるなり温かなものが唇を掠める。一瞬にして頭が真っ白になった。

「見えたか?」

低い声で訊ねられても、たった今何が起きたのか理解できなくて、呆然と突っ立っているだけの私を、千賀さんは正面からそっと抱き寄せる。柑橘系の香りが私を包んだ。

「俺と灯里ちゃんの間に、誰かの気配はするか?」

耳元に囁かれて、それが誰を、何のことを指しているのか悟った。

「信じろ、とは言わないし言えない。でも俺は君とやり直したい」

「でも千賀さんが好きなのは……」

「同じ時間を生きてゆきたいのは灯里ちゃんだけだ」

ゆっくり私から離れた千賀さんは、今度は優しく微笑んでもう一度唇を重ねる。

「俺には灯里ちゃんしか見えなかったよ」

そんなつもりはなかったのに、冷たいものが一筋頬を伝った。

「君は?」

「びっくりして、何も見えませんでした」

望む答えとは違っていただろうに、千賀さんは満足そうに指で涙を拭っている。

「退社間際に彩華から連絡があった。上原のことで相談したいことがあるから、奴には内緒で会いたいと」

そうしてスマホを差し出して、彩華からの着歴を私に確認させた。

「その場でちゃんと断った。上原に内緒だというのも引っかかって、一応奴にもこのことは伝えて、退社後は用事を済ませに行った。ところがそこで彩華にばったり出くわした。どうやら後を着けていたらしい。おそらく上原や同僚の目を避ける為に、会社を離れてから声をかけたのだろう」

苦渋に満ちた様子で千賀さんが吐息を洩らす。

「話すことはないと突っぱねたら、街中でいきなり泣き出されてしまって、さすがにその場に置き去りにはできなかった」

しかも相談されたのは上原さん同様夜の営みについてだったが、何故か参考に千賀さんと私が夫婦としての行為をしているのかまで問われたのだという。言い難そうな彼に私も真っ赤になる。そんなことを訊いて一体彩華は何に生かすというのだろう。

「他人のプライバシーに踏み込むなと切り捨てたが、さすがに灯里ちゃんの耳には入れたくなくて……。誤解されるのも怖かったし、良かれと思ってついた嘘だった。ごめん」

結果的に私を傷つけてしまったと、後悔を滲ませて謝る千賀さん。やがて背筋を伸ばして腕時計に視線を落とした。

「これから上原に会ってくる」

彩華の行動も含め、上原さんの考えを知っておきたいと、直接話す約束を急遽取りつけたのだそうだ。

「夕方までには必ず帰るよ。さすがに今日は灯里ちゃんと、その、二人きりで過ごしたい、かなと」

何を言われたのかすぐには分からなかった。目を瞬く私の前で狼狽える千賀さんが、がしがしと髪を掻きむしっている姿に、ようやく彼が初めてのイブを意識していたのだと気づく。そうしたらつい今しがたキスしたことを思い出し、私は恥ずかしさのあまり倒れてしまいそうだった。

「せめてケーキくらいは、買ってくるから」

手作り用の材料もチキンも実は全て揃っている。

「ケーキは作るので、飲物をお願いします」

意味もなく両手を握ったり開いたりしながら、抑揚のない声で事務的に依頼した私に、千賀さんはああと眩しそうに目を細めた。





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