28 / 55
28
しおりを挟む
パチンという軽やかなものではなく、どちらかといえばベタッという鈍い音だった。さっき彩華が振るったものとは格段の差だ。経験がないので、ドラマのように上手くいかないのはご愛嬌。そんな悠長に構えている私を、他三名は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で眺めている。
「あ、灯里が、ビンタ……?」
痛みよりも私の行動に呑まれたらしい。彩華から不穏な気配が消えている。
言葉通り私はたった今彩華の頬を叩いた。相手に怒りを表すこともあまりない私にとって、誰かに手を挙げたのは生まれて初めてのこと。上手な叩き方があるのかどうかは知らないが、正直右手がじんじん痺れている。座ったままなのが悪かったのだろうか。
「な、何、するのよ。灯里のくせに」
呆然と呟く彩華に力はない。
「自分がしたことを分かっているの?」
「だから灯里が悠斗と拗れたのは私のせいじゃないわよ」
「確かに私は自分から何かを働きかけたりしなくて、いつも誰かの助けを待っているだけだった。今回も最初から千賀さんを信じることができていれば、彩華と上原さんに惑わされなかったと思う。全て私の弱さ、自信のなさが引き起こした結果」
「自覚があるんじゃない」
反省する私に調子を取り戻したのか、彩華は赤く染まった頬をわざとらしくさする。
「だったらさっさとあやま」
「彩華が謝りなさい!」
勢いよく遮った私に、再び彩華はぽかんと口を開ける。
「大好きな千賀さんを困らせて、無関係の上原さんに迷惑をかけて、友達の私を裏切って」
「また勝手に被害者ぶる」
「何より設楽さんにお詫びしなさい!」
びくっと身を竦ませる彩華に、私はこれも生まれて初めて人を怒鳴りつけた。
「誰だって不安にもなれば嫉妬もする。醜くもなる。仕方がないこと。でも不用意に相手を貶めて傷を負わせるなんて言語道断」
目を見開き、悔しそうに唇を噛む彩華の横から、こっわーと楽しげな野次が飛ぶ。今度は私はそちらに焦点を移した。
「いってえ」
彩華のときよりも派手な音を立てて、上原さんの頬に平手打ちが炸裂する。二度目で慣れたのか右手も痺れない。
「無関係の上原さんに迷惑かけて。灯里ちゃんそう言ってたのに」
何で俺までとぼやく上原さんと私を、またまた彩華と千賀さんが驚いて見比べている。
「お控えなさい」
じろりと睨め付けられて、黒幕の一人は口を尖らせる。
「迷惑をかけたのは彩華であって、私じゃありません。そもそもあなたはこの場にいる全員の気持ちを弄んだ、言わば諸悪の根源」
「それはないよ」
「友達の千賀さんを謀り、誤った方向に進む彩華を諌めもせず、苦しむ私を面白がっていたのは何処のどなたです」
「だから終わりにしようと思って、ここまで彩華を引っ張ってきたのに。とんだ薮蛇」
項垂れつつ上原さんは千賀さんを一瞥する。
「千賀さん」
呼ばれただけで何故かいきなり正座する彼と真顔で向き合う。
「あなたを信じなくてごめんなさい」
深々と頭を下げると、おろおろと答えが降ってきた。
「いや、俺の方こそごめん。こちらの思惑は伏せて、嫌な目に合わせて、それでも傍にいてくれなんて」
「全くその通りです」
私はゆっくり面を上げる。ごくりと息を呑む千賀さん。そうして私は夫にも怒りの鉄拳ーー気持ちの上ではーーを叩き込んだ。
「嘘……」
同時に洩らした上原夫妻を無視して、こんこんとお説教を始める。
「元々は彩華ときちんと決着をつけなかった千賀さんも悪いんです」
「はい」
「いくら報復を恐れたとはいえ、彩華を野放しにしておいたから、事態をここまで大きくしたんじゃないのですか?」
「ごもっともです」
「野放しって人を野生動物みた……」
煩い外野を一睨みで黙らせる。
「彩華は千賀さんが好きでした。ならば間違いを犯したことを認めさせ、できる償いをさせ、その気持ちに幕を引いてあげるべきでした」
設楽さんが受けた傷がどれ程のものか分からない。けれど体に付いた傷は消えても、心に付いた傷は簡単には癒えない。時を経て更に深くなる可能性もある。現に数年経っても彼女の人生は犠牲になったまま、この先元気に生活できる保証すらない。
そして彩華も止められない、誰かを傷つけなければいられない程のここまで燻った自分の想いを、今日まで長い間抱えなくて済んだかもしれない。例え一度は病んでしまっても、設楽さんへの償いをする傍ら、新たな一歩を踏み出せたかもしれない。
「千賀さんには出来た筈です。少なくともその頃、あなたは彩華が好きだったのだから」
他の誰でもない、千賀さんにしか出来ないこと。皮肉なことに小細工の為に用意された写真が、当時の二人の想いが重なっていたことを証明している。あの写真の頃の二人だけは真実だった筈だ。
「そう……だね」
まるで懺悔するように、千賀さんはそっと肩を落とした。設楽さんの願いを受け入れ、彼も様々なことを堪えてきたのだろう。見張りという表現を使ったけれど、想いを寄せた相手にそんな真似をするのは辛かっただろう。けれど目を逸らしてはいけなかったのだ。逃げてばかりだった私のように。
「これが灯里の本性なの?」
ようやく緊張を解くと、静まりかけたリビングに彩華の開き直った高笑いが響いた。
「性格悪過ぎ」
抑えようとした千賀さんを制し、私はさっきとは反対側の頬を引っ叩く。懲りずに周囲は目を剥いた。
「性格が悪い? 上等だわ。性悪彩華の友達なんだから、同等のレベルで結構よ」
「あ、灯里が、ビンタ……?」
痛みよりも私の行動に呑まれたらしい。彩華から不穏な気配が消えている。
言葉通り私はたった今彩華の頬を叩いた。相手に怒りを表すこともあまりない私にとって、誰かに手を挙げたのは生まれて初めてのこと。上手な叩き方があるのかどうかは知らないが、正直右手がじんじん痺れている。座ったままなのが悪かったのだろうか。
「な、何、するのよ。灯里のくせに」
呆然と呟く彩華に力はない。
「自分がしたことを分かっているの?」
「だから灯里が悠斗と拗れたのは私のせいじゃないわよ」
「確かに私は自分から何かを働きかけたりしなくて、いつも誰かの助けを待っているだけだった。今回も最初から千賀さんを信じることができていれば、彩華と上原さんに惑わされなかったと思う。全て私の弱さ、自信のなさが引き起こした結果」
「自覚があるんじゃない」
反省する私に調子を取り戻したのか、彩華は赤く染まった頬をわざとらしくさする。
「だったらさっさとあやま」
「彩華が謝りなさい!」
勢いよく遮った私に、再び彩華はぽかんと口を開ける。
「大好きな千賀さんを困らせて、無関係の上原さんに迷惑をかけて、友達の私を裏切って」
「また勝手に被害者ぶる」
「何より設楽さんにお詫びしなさい!」
びくっと身を竦ませる彩華に、私はこれも生まれて初めて人を怒鳴りつけた。
「誰だって不安にもなれば嫉妬もする。醜くもなる。仕方がないこと。でも不用意に相手を貶めて傷を負わせるなんて言語道断」
目を見開き、悔しそうに唇を噛む彩華の横から、こっわーと楽しげな野次が飛ぶ。今度は私はそちらに焦点を移した。
「いってえ」
彩華のときよりも派手な音を立てて、上原さんの頬に平手打ちが炸裂する。二度目で慣れたのか右手も痺れない。
「無関係の上原さんに迷惑かけて。灯里ちゃんそう言ってたのに」
何で俺までとぼやく上原さんと私を、またまた彩華と千賀さんが驚いて見比べている。
「お控えなさい」
じろりと睨め付けられて、黒幕の一人は口を尖らせる。
「迷惑をかけたのは彩華であって、私じゃありません。そもそもあなたはこの場にいる全員の気持ちを弄んだ、言わば諸悪の根源」
「それはないよ」
「友達の千賀さんを謀り、誤った方向に進む彩華を諌めもせず、苦しむ私を面白がっていたのは何処のどなたです」
「だから終わりにしようと思って、ここまで彩華を引っ張ってきたのに。とんだ薮蛇」
項垂れつつ上原さんは千賀さんを一瞥する。
「千賀さん」
呼ばれただけで何故かいきなり正座する彼と真顔で向き合う。
「あなたを信じなくてごめんなさい」
深々と頭を下げると、おろおろと答えが降ってきた。
「いや、俺の方こそごめん。こちらの思惑は伏せて、嫌な目に合わせて、それでも傍にいてくれなんて」
「全くその通りです」
私はゆっくり面を上げる。ごくりと息を呑む千賀さん。そうして私は夫にも怒りの鉄拳ーー気持ちの上ではーーを叩き込んだ。
「嘘……」
同時に洩らした上原夫妻を無視して、こんこんとお説教を始める。
「元々は彩華ときちんと決着をつけなかった千賀さんも悪いんです」
「はい」
「いくら報復を恐れたとはいえ、彩華を野放しにしておいたから、事態をここまで大きくしたんじゃないのですか?」
「ごもっともです」
「野放しって人を野生動物みた……」
煩い外野を一睨みで黙らせる。
「彩華は千賀さんが好きでした。ならば間違いを犯したことを認めさせ、できる償いをさせ、その気持ちに幕を引いてあげるべきでした」
設楽さんが受けた傷がどれ程のものか分からない。けれど体に付いた傷は消えても、心に付いた傷は簡単には癒えない。時を経て更に深くなる可能性もある。現に数年経っても彼女の人生は犠牲になったまま、この先元気に生活できる保証すらない。
そして彩華も止められない、誰かを傷つけなければいられない程のここまで燻った自分の想いを、今日まで長い間抱えなくて済んだかもしれない。例え一度は病んでしまっても、設楽さんへの償いをする傍ら、新たな一歩を踏み出せたかもしれない。
「千賀さんには出来た筈です。少なくともその頃、あなたは彩華が好きだったのだから」
他の誰でもない、千賀さんにしか出来ないこと。皮肉なことに小細工の為に用意された写真が、当時の二人の想いが重なっていたことを証明している。あの写真の頃の二人だけは真実だった筈だ。
「そう……だね」
まるで懺悔するように、千賀さんはそっと肩を落とした。設楽さんの願いを受け入れ、彼も様々なことを堪えてきたのだろう。見張りという表現を使ったけれど、想いを寄せた相手にそんな真似をするのは辛かっただろう。けれど目を逸らしてはいけなかったのだ。逃げてばかりだった私のように。
「これが灯里の本性なの?」
ようやく緊張を解くと、静まりかけたリビングに彩華の開き直った高笑いが響いた。
「性格悪過ぎ」
抑えようとした千賀さんを制し、私はさっきとは反対側の頬を引っ叩く。懲りずに周囲は目を剥いた。
「性格が悪い? 上等だわ。性悪彩華の友達なんだから、同等のレベルで結構よ」
0
あなたにおすすめの小説
ベンチャーCEOの想い溢れる初恋婚 溺れるほどの一途なキスを君に
犬上義彦
恋愛
『御更木蒼也(みさらぎそうや)』
三十歳:身長百八十五センチ
御更木グループの御曹司
創薬ベンチャー「ミサラギメディカル」CEO(最高経営責任者)
祖母がスイス人のクオーター
祖父:御更木幸之助:御更木グループの統括者九十歳
『赤倉悠輝(あかくらゆうき)』
三十歳:身長百七十五センチ。
料理動画「即興バズレシピ」の配信者
御更木蒼也の幼なじみで何かと頼りになる良き相棒だが……
『咲山翠(さきやまみどり)』
二十七歳:身長百六十センチ。
蒼也の許嫁
父:咲山優一郎:国立理化学大学薬学部教授
『須垣陸(すがきりく)』
三十四歳:百億円の資金を動かすネット投資家
**************************
幼稚園教諭の咲山翠は
御更木グループの御曹司と
幼い頃に知り合い、
彼の祖父に気に入られて許嫁となる
だが、大人になった彼は
ベンチャー企業の経営で忙しく
すれ違いが続いていた
ある日、蒼也が迎えに来て、
余命宣告された祖父のために
すぐに偽装結婚をしてくれと頼まれる
お世話になったおじいさまのためにと了承して
形式的に夫婦になっただけなのに
なぜか蒼也の愛は深く甘くなる一方で
ところが、蒼也の会社が株取引のトラブルに巻き込まれ、
絶体絶命のピンチに
みたいなお話しです
好きな人の好きな人
ぽぽ
恋愛
"私には何年も思い続ける初恋相手がいる。"
初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。
恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。
そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。
十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした
柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。
幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。
そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。
護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。
離した手の温もり
橘 凛子
恋愛
3年前、未来を誓った君を置いて、私は夢を追いかけた。キャリアを優先した私に、君と会う資格なんてないのかもしれない。それでも、あの日の選択をずっと後悔している。そして今、私はあの場所へ帰ってきた。もう一度、君に会いたい。ただ、ごめんなさいと伝えたい。それだけでいい。それ以上の願いは、もう抱けないから。
幸せのありか
神室さち
恋愛
兄の解雇に伴って、本社に呼び戻された氷川哉(ひかわさい)は兄の仕事の後始末とも言える関係企業の整理合理化を進めていた。
決定を下した日、彼のもとに行野樹理(ゆきのじゅり)と名乗る高校生の少女がやってくる。父親の会社との取引を継続してくれるようにと。
哉は、人生というゲームの余興に、一年以内に哉の提示する再建計画をやり遂げれば、以降も取引を続行することを決める。
担保として、樹理を差し出すのならと。止める両親を振りきり、樹理は彼のもとへ行くことを決意した。
とかなんとか書きつつ、幸せのありかを探すお話。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
自サイトに掲載していた作品を、閉鎖により移行。
視点がちょいちょい変わるので、タイトルに記載。
キリのいいところで切るので各話の文字数は一定ではありません。
ものすごく短いページもあります。サクサク更新する予定。
本日何話目、とかの注意は特に入りません。しおりで対応していただけるとありがたいです。
別小説「やさしいキスの見つけ方」のスピンオフとして生まれた作品ですが、メインは単独でも読めます。
直接的な表現はないので全年齢で公開します。
私の大好きな彼氏はみんなに優しい
hayama_25
恋愛
柊先輩は私の自慢の彼氏だ。
柊先輩の好きなところは、誰にでも優しく出来るところ。
そして…
柊先輩の嫌いなところは、誰にでも優しくするところ。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる