声を聴かせて

文月 青

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番外編 それぞれの思い

今村直樹 5

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海ちゃんはこの春から高校三年生になり、現在は俺の高校時代の同級生である、西崎剛とつきあっている。この男がまた変わった思考回路の持ち主で、障害やそれに付随する偏見めいたものが端からないのか、本能のままに子供に突進していく奴なのだ。りっくんにも全く相手にされず、逆に俺と手を繋いでいる姿を見ては、本気で地団太踏んで悔しがっている。

ちなみに海ちゃんがたった一人、誰にも打ち明けられなかった本音を吐露した男でもある。そこに行きつくまでには、馬鹿女もとカノのお陰で二人が傷つくこともあった。俺も人のことは言えないが、西崎も相当女の趣味が悪かったと断言しよう。

「本当によかった、海ちゃん」

海ちゃんとりっくんを守るように、寄り添って歩く西崎の後ろ姿に、高槻さんがしみじみと洩らす。障害児本人もその親ももちろん大変だが、兄弟児のケアも忘れてはならないと彼が以前言っていた。

「親の大変さを間近で見ているから、親を困らせてはいけないと考えるあまり、良い子になりがちなんだそうだ」

ボランティアで訪ねた施設の職員に教えられたのだそうだ。結果淋しくても、自分に手をかけて欲しくても我慢することになり、中には反抗期らしきものが無かったり、後に別の形でストレスが露見する子もいるらしい。それはそのまま海ちゃんに重なる。

決してお母さんは海ちゃんを蔑ろにしていたわけではないが、やはり一人で父親と母親を兼ねるのは難しい。生活のことを考えれば仕事を優先するのは当然だし、りっくんのことも放ってはおけない、自ずと海ちゃんのことが後手に回るのはやむを得ない。お互いを思い合っているからこそ生じる隙間。

「そういえばりっくんはぷりずむに行き始めたんだったよな?」

ふと高槻さんが確認するように訊ねた。

「はい。今度お母さんと一緒に、りっくんの様子を見学させてもらおうと思ってます」

「そうか」

何気なく答えた俺に高槻さんはふっと眦を下げた。

西崎の気持ちで一つだけ分かることがある。それは手を繋いでほしいこと、つまり自分を認めて欲しいこと。歩み寄れば寄るほど逃げてゆくりっくんが、初めて自分の手を掴んでくれたときの、言葉にはできない感動。俺を信じて必要としてくれる、心を預けてくれる喜び。どう表現したところで空々しくなるが、この小さな手が俺に救いを求めるように、俺もまたこの手に救われているのだ。




ゴールデンウイークが過ぎた頃、俺はりっくんのお母さんと海ちゃんと西崎の四人で、りっくんが毎週日曜日に利用しているぷりずむを訪ねた。来春就学を迎えたら、放課後はほぼ毎日利用することになるが、お母さんはりっくんが卒園後も安心して仕事が続けられるし、海ちゃんにも今以上に自分の時間が増える。

「意外とちゃんとやれているわね」

お絵描きに使ったクレヨンを片付けているりっくんを眺めながら、お母さんが嬉しそうに微笑んだ。職員の声がけで手を洗いに洗面所に向かう。

「りっくんは保育園に通っているせいか、段取りと片付ける場所を一目で分かるように工夫すれば、身の回りのことは自分でかなりできるかと思いますよ」

そういえば自閉症の子の視覚は独特だと聞いたことがある。

「障害児に分かりやすいということは、他の子供にとっても分かりやすいということです」

サークルの先輩が勉強会でそんな話をした先生がいたと言っていた。一人の為に工夫を凝らすのは手間がかかるし、不満も出るかもしれないが、集団の中にはまだ障害が顕著に現れていない子もいれば、発達に不安を抱いている段階の子もいる。もしかしたらそんな子の助けにもなるのかもしれない。

「あれ? 悲劇のアスリート」

久し振りに耳にした揶揄に、俺は険しい表情で声の主を振り返った。事情を知らない海ちゃんは首を傾げたが、お母さんと西崎はさすがに眉を顰めている。

「もしやうちの大学の……」

前回見学に来たときは見かけなかった若い女性職員が、目の前で悪びれもせずに立っていた。

「そうよ。今春卒業してここに就職したの」

あっけらかんとして答える。でもそのお脳の軽さは如何なものですかとは、大人な俺は口にしない。しないが気分はすこぶる最悪だ。

「ハードルを跳んでたでしょう?」

自分で悲劇のと言っておきながら、こいつには禁忌という単語が思い浮かばんのか。お母さん達は別の職員に連れられて、りっくんの所に移動し始めている。

「私はハードルが苦手で、蹴倒す方が多かったんだけど、いつだったかな。君が練習しているところを見かけてね。跳ぶ姿が凄く格好よかったんだ。でも」

そこで先輩である女性職員は不躾に俺を覗き込む。

「今の方がもっとずっと格好よくなったね。いい顔してる」

その一言に俺は瞠目し、やがてゆっくり破顔した。

「それはどうも。何よりの誉め言葉だ」




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