二週間のエール

文月 青

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暇だ。いや正確には忙しい。日曜日の早朝に再び叩き起こされ、親父の野球チームの練習につきあわされているのだから。なのに何故か物足りない。やっと役目を果たして、面倒事から解放されたのに、この虚無感は一体何なのだろう。

「つまらなさそうだな」

ランニングをする子供達を見守りながら、親父がふんと鼻を鳴らした。

「最近学校から帰ってくるのも早いじゃないか。彼女にでも振られたか」

「ちげーよ」

ぶっきら棒に答えたものの、ある意味当たっているかもしれないと内心思う。

女子軟式野球同好会の廃会が決まってから、既に十日が過ぎていた。あの日部室で別れて以来、渡辺とは顔を合わせていない。一年生と二年生では校舎が別だし、会うつもりで探さなければ、偶然バッタリなんてことはまず起こり得ない。

グラウンドではたった一人の仲間として、当然のように肩を並べていたが、廃会した今となっては、渡辺にとって俺など何の価値もないだろう。

「ありがとね、司。あとは自由に高校生活を満喫して」

桂も決着がついて憂いがなくなったようで、その後の渡辺のことを頼むこともなく、さばさばとそんな台詞でこの二週間を締め括ってしまった。

そう、たぶん俺は手持ち無沙汰なのだ。小学生よりも体力がなくて、走るのも遅くて、キャッチボールも下手くそな、鍛え甲斐のある相手を失って。

「これからどうするんだ?」 

声を殺して泣いていた渡辺が、涙を拭って顔を上げたとき、その真っ赤に濡れた目に釘づけになった。

「野球、続けたいんだろ?」

慰めのつもりで頭に乗せていた手も、どこで引っ込めていいか分からなくて、ずっとそのままだった。

「まだ、何も、考えられない」

切れ切れに洩らす渡辺。それもそうだ。三月に桂達が卒業してから、同好会の存続だけを目指してきたのだ。その目標が断たれたばかりなのに、次のことを問う自分の配慮のなさに腹が立った。

いっそのこと親父に頼んで、渡辺をチームの補佐役か何かで練習に参加させてもらおうか。そんな考えが浮かんだものの、不確かな約束はできない。

「最後にみっともないところを見せてごめんね。岸くんには本当に感謝してる。ありがとう」

潤んだ目で微笑まれてそれっきり。人の繋がりなんて何とも呆気ない。

「一人足りないから、キャッチボールに入れ」

親父に促され、俺は渡辺とのキャッチボールを思い出しながら、彼女よりはるかにまともな小学生のボールを受けていた。




「今日も道具は置いていけ」

練習を終えて片付けをしていると、親父が以前と同じ台詞を口にした。やはりベンチに腰掛けて誰かを待っている。

「またこの前遅れてきた子か?」

「そうだ」

俺は首を傾げた。そんなに毎回遅刻してくるメンバーはいただろうか。第一一対一でどんな練習をしているというのだ。

「じゃ、先帰るな」

そう言い残して自転車に跨がったときだった。

「おじさん、おはようございます。遅くなってごめんなさい」

背後からふと聞き慣れた声が届いた。自転車を降りてゆっくり振り返る。

「おはよう。慌てなくていいぞ」

気遣う親父の向こうから、もたもたと走ってくる女が一名。学校ジャージではないが、自前の物でも似合わないのは知れたこと。

「今日もよろしくお願いします」

息を弾ませて笑っているのは、俺の心の中にずっと引っかかっていた渡辺。しかも俺は全く眼中にないときてる。いや、そうじゃなくて何故あんたがここにいる? 親父と何してるんだ?

「帰るんじゃなかったのか」

ぼさっと突っ立ったまま、身動ぎもしない俺に親父が訊ねてきた。そこで初めて渡辺がこちらに視線を向ける。

「え? 岸くん? どうしてここに?」

心底驚いたように目を瞬く。

「こっちが聞きたい。あんたは何をやってるんだ」

「何っておじさん、じゃない監督さんに野球についての授業をしてもらってるの。詳しいルールとか、試合運びとか」

初耳だ。女子高生相手に野球を教えていたとは。そもそも二人はどうやって知り合ったんだ。接点なんてどこにも…あぁ、一人いたか。

「桂か」

親父がにっとほくそ笑む。くそ、こいつらグルだな。

「岸くん、桂先輩を知ってるの?」

再び目をまん丸くする渡辺。

「知ってるも何も、俺はそこのおっさんの野球チーム出身だ」

自分はきっと苦虫を噛み潰したような表情をしていることだろう。しかし渡辺の次の言葉で更に顔を顰めることになる。

「本当? じゃあ岸くんなら憶えているかな、私の初恋の人!」




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